記憶は、渡した側にだけ残る──J.D. Southerと、あの夏のカセット
記憶の針を落とす Vol.32 | J.D. Souther 『A Natural History』
カセットテープに閉じ込めた夏
プレイリストがなかった時代、私たちは時間を作っていた。
今では簡単に作成できるプレイリストだが、昔は自分でカセットテープを編集していた。
気分に合わせたテーマを決め、
それぞれのテーマに合わせた曲をレコード棚から探し出す。
テープの収録時間と曲の長さを計算し、
A面は「Day side」、B面は「Night side」といったサブテーマを設けたりしていた。
通して聴いた時の心の動きを想像しながら曲を選んでいた。
誰かのために音楽を選んだことがある人なら、わかるかもしれない。
あれは、曲を選んでいたのではなく、気持ちを並べていたのだと思う。
一本のテープの中にあの夏を閉じ込めることに夢中になって、
何度も巻き戻しのボタンを押した。
カチッという音と、テープが走るわずかな振動。
気がつくと、何時間もたっていた。
渡した音楽、返ってきた笑顔
高校3年生の時、「夏の夕方に流したい音楽」というテーマで選曲したカセットテープを作った。
夕方から夜へ。
部屋の明るさが変わっていく、その速度に合う音楽。
潮の香りと波の音と自然に溶け合う音楽。
それが、当時の私にとっての「夏の夕方に流したい音楽」だった。
そのテープを、当時好きだった女の子に渡した記憶がある。
特別な言葉を添えたわけでもなく、ただ「よかったら聴いて」と手渡しただけだった。
後日、とても喜んでくれた。
「どの曲も好き」と言ってくれた。
「毎日聴いてる」と、少し照れたように笑ってくれた顔を覚えている。
音楽で気持ちが伝わった、記憶のひとつだ。
誰かのために選んだ曲は、あとになって、その人以上に自分の記憶に残ることがある。
そのテープの1曲目に選んだのが、「Her Town Too」だった。
「Her Town Too」、邦題は「憶い出の街」。

「Her Town Too」は、1981年に発売されたジェイムス・テイラーのアルバム
『Dad Loves His Work』に収められている。
Now he's here and she's there and it's her town too
彼はここにいて、彼女は別の場所にいる。それでも、ここは彼女の町でもある。
あるカップルが別れた後、共通の友人や住み慣れた町との関係がどう変わっていくかを切なく描いている歌詞。
ジェイムス・テイラーとJ.D.サウザー、
その2人が声を重ねている。
この曲には、夏の昼間の眩しさはない。
かといって、夜の深さでもない。
夕方の、いちばん曖昧な時間がある。
夏というテーマの扉として、
当時の私にとって、これ以上ない曲だった。
誰もが知っていた曲
ジェイムス・テイラーのアルバムは、すでに何枚か持っていた。
彼の声の温かみが好きで、「You've Got a Friend」は何度も聴いていた。
その頃、J.D.サウザーという名前も、いつの間にか記憶に残っていた。
イーグルスやリンダ・ロンシュタットとの関係を知る前から、
「You're Only Lonely」は何度も耳にしていた。
AORを代表する曲のひとつ

70年代後半から80年代初頭にかけて、音楽が好きな人の耳には、自然と入ってくる曲がいくつかあった。
「You're Only Lonely」も、そのひとつだった。
ラジオから流れ、レコード店で見かけ、誰かのカセットテープの中にも入っていた。
それほど身近な曲だったのに、J.D.サウザー本人は、いつも少し遠くにいた。
少し後ろにいた人
彼は、表舞台の中心に立つ人ではなかった。
けれど、音楽の芯にはいつも彼がいた。
リンダ・ロンシュタットのために「Faithless Love」を書き、彼女の声でヒットした。
ただ、この曲には少し込み入った事情がある。
彼女とは、曲を書いた時期、恋人同士だった。
同じ家で暮らし、同じ空気を吸いながら、その曲を書いた。
1974年、2人は別れた。曲だけが、彼女の声で残った。
サウザーが自分自身でこの曲を録音したのは、それから2年後のことだ。
そして『A Natural History』では、もう一度、自分の声で歌い直している。 同じ曲が、3度、異なる形をとった。
最後に残ったのは、老いた声と、アコースティック・ギターだけだった。
——話を戻す。
イーグルスとも深く関わり、彼らのデビュー曲「Take It Easy」や
「New Kid in Town」といった曲で彼らの時代を形づくった。
“5人目のイーグルス”とも呼ばれていた。
時間を引き受ける音楽

あれから長い時間がたち、世界からはカセットテープも、あの頃のきらびやかな西海岸の風も消え去った。
2015年、J.D.サウザーは一枚のアルバムを発表する。
『A Natural History』。
かつて私が一本のテープに「時間」を閉じ込めたように、彼はみずからが歩いてきた道のりを、もう一度この一枚に引き受けようとしたのかもしれない。それは、過去の栄光をただ並べ替えただけの、退屈なベスト盤ではなかった。
収められているのは、J.D.サウザーがこれまでに書いてきた曲、あるいは長い時間を共にしてきた曲たちだ。
ただし、それは「ベスト盤」でも「回顧録」でもない。
編成は極めてシンプルで、アコースティック・ピアノ、ギター、
そして声。
アコースティック楽器の音には、機械では均せない、生身の揺らぎが残っている。年齢を重ね、少し艶の落ちたサウザーの歌声と、木と弦が鳴らす乾いた響きが、お互いのシワを隠すこともなく溶け合っている。
ピアノはその奥に残った湿り気をすくい上げ、ギターは乾いた時間を刻む。
弦の震えと鍵盤の余韻が、声のかすれにそっと寄り添う。
過ぎた時間が、音の肌触りになって戻ってくるようだ。
曲ごとに手を加えるというより、同じ距離感、同じ温度ですべての曲が並べられている。そこには、ヒット曲とそうでない曲の差も、年代の違いも、ほとんど感じられない。
もう一度、孤独を歌う
『A Natural History』に収められた「You're Only Lonely」は、かつてのヒット曲とはまるで別の表情をしている。
声は抑えられ、テンポは緩み、間がそのまま残されている。
歌い直している、というより、長い時間を一緒に過ごしてきた曲を静かに確かめているように聴こえる。
同じ時代を生きたAORのミュージシャンたちが、年齢とともにブルースやジャズの色を強めていく中で、J.D.サウザーは別の道を選んだ。
たとえば、ボズ・スキャッグスやボビー・コールドウェルは、ブラックミュージックの芳醇なグルーヴを深め、「円熟したシンガー」としての完成度を高めていった。 彼らが目指したのは、洗練された音楽という「ジャンル(様式)」のアップデートだ。
しかし、サウザーが向かったのはその真逆だった。
彼はアレンジの装飾をすべて剥ぎ取り、自分が若き日に書いた「曲の骨組み」そのものへと、一人で戻っていった。
それはセルフカバーというより、年輪を重ねた声で、曲の輪郭をもう一度なぞるようだ。
曲を飾り直すのではなく、時間をそのまま通す。
AORとは本来、サウンドの様式ではなく、大人が自分の感情と向き合うための音楽だったはずだ。
ならばこの『You're Only Lonely』は、私にとって"AORという音楽の正統な進化形"に思えた。
若さのための音楽ではなく、重さを知った音楽になっていた。
孤独に、時間が追いついた
張りのある声で、ラジオに向けて歌う必要はもうない。
若さを取り戻すことも、時代を再現することも、ここでは目的ではない。
声のかすれも、間の長さも、言葉が落ちていく速度も、すべてがこの曲の一部になっている。
1979年のオリジナル版『You're Only Lonely』は、きらびやかなコーラスワークと完璧なエコーに包まれた、いかにも80年代的なAORの「様式美」として成立していた。
だが、年齢を重ねた彼の声で聴くこの新しいアレンジでは、あの派手なスタジオの魔法(装飾)がすべて剥がれ落ちている。残されたのは、乾いたピアノと、かすれたアコースティック・ギター、そしてむき出しの歌声だけだ。
時代と並走するための化粧が剥がれたとき、そこには、この曲がもともと抱えていた“孤独”が、静かに残る。
だからこのアレンジでなければ、この声でなければ、意味がない。
もう一度、針を落とす
あの夏に作ったカセットテープも、一本を通して聴くことを前提に並べた音楽だった。
夕方から夜へ、そして明日へ 。
私たちは音楽を再生しながら、自分たちの時間が前に進んでいることを確かめていた 。
それから長い時間を経て、『A Natural History』の中であの曲たちにもう一度出会った。
だが、そこで鳴っていたのは、単なる懐かしさでも、過去の再現でもなかった 。ただ、時間を通ってきた音楽が、そのまま鳴っていた。
もし、高校時代の私がこの『You're Only Lonely』を聴いていたら、どんな感想を持っただろう。
あのテープを渡した女の子は、今どこで何をしているのだろう。
彼女もどこかで、あの夏の夕方を思い出すことがあるだろうか。
たぶん、ない。
でも、それでいい。
記憶は、渡した側にだけ残る。
このアルバムを残し、J.D.サウザーは2024年9月、78歳でこの世を去った。 アルバムが発表された2015年当時、彼は64歳だった。
彼が亡くなった今、その声に乗っていた重みは、以前よりもはっきりと聴こえてくる。 彼が生きてきた軌跡の、静かな記録になったのだと思う。
そんなことを考えながら、今日も針を落とす。
1981年の夏の夕方、私が誰かのために回したあのカセットテープは、実はまだ終わっていないのかもしれない 。
あなたには、誰かに渡した音楽の記憶が残っているでしょうか。
この文章の中心に置かれているアルバム。
本文中に出てきた楽曲と『A Natural History』で歌われている楽曲を、
オリジナル音源でまとめたプレイリスト。
時間を遡りながら、曲がどこから来たのかを聴くためのもの。
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