不安には、こちらが勝手に歩み寄っている | 今ここを綴る 010
時間がある朝は、白湯を頂き、盆栽に水をやってから、紙とペンでジャーナリングしています。
心置きなく真っ白な紙に向き合ってペンを走らせるそのひとときを、今朝はとりわけわくわくしながら行っている自分がいました。
やはり、「ただただ書くこと」と「ただただ自分に寄り添うこと」は心の底から望んでいる行動のひとつなのだと実感しています。
先日の記事で書いたとおり、執着するようにジャーナリングしたり内観したりすることから脱却できた分、このひとときの純度がさらに上がったのかもしれません。
今日は特段、何かを取り出せたわけではなかったのですが、それでも初めからすでにじんわりと心に喜びが浸っていく様子を感じました。
まるで、マドレーヌを紅茶に浸すような状態です。
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今この瞬間が、切れ目がない完璧な円を描いている。
全てが満ちていて、完全無欠な状態である。
それはまるで先日の満月のごとく。
何かを加える必要も、減らす必要もない。
特に、今朝のジャーナリング中はそうした思いがくっきりと浮かんでいました。
全てが静けさの中にあり、何も怖いものはなく、落ち着きと共に。
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ただ、少し「考え」出すと、少しずつ迷いや不安が頭を見せ始めます。
でも、それもそのはずですよね。
なぜなら、自分から迷いたくなったり不安になり出したくなっているわけですから。
向こうからやってきたわけではなく、こちらが勝手に歩み寄ったのでしょう。
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これはまだ仮説止まりですが、一度起きた流れには抗わずに身を委ねれば良いのかもしれません。
その先がどうなっているか分からないので、迷ったり不安になったりしますが、その先にたどり着いてから、その時のことは対処すれば良いのでしょう。
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あるいは、自分の内なる流れに沿っているのか抗っているのか。
そのことに向き合えばいいのでしょうか。
それとも、自分の中は空洞であり、流れなど起きてはいないものなのか。
この感覚についてはまだまだ手探り状態なので、今日のところは書き置くだけに留めたいと思います。
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この note では下記記事にあるように、ツインレイ・ツインレイプロセスという概念を崇めず無碍にせず、括弧で包むように取り扱っています。
自己理解を深めたい、現実逃避扱いを受けやすい精神世界の概念を利用する感覚を追体験したい。
そういうご関心を持っている方に少しでも何かお届けできれば幸いです。
