Netflix映画「パヴァーヌ」感想&解説 | 今でもあなたはわたしの光
※後半の一部のみネタバレしていますが、ネタバレ箇所の前に注意書きを入れています。それ以降は映画を見てから読むことをおすすめします。
待ちに待った「パヴァーヌ」を見た日
ずっと心待ちにしていた作品だった。当初は劇場公開を前提に製作されていたので、韓国で公開されても日本で私が見るのは随分先になるだろうと思っていた。そんなある日、この作品がNetflixの新作ラインナップに入っていることを知った。製作者側は劇場公開されないことを残念に思うかもしれないとも思ったが、日本の観客である私は世界同時公開という動画配信サービスの恩恵にあずかり、韓国の観客とのタイムラグなしにこの作品を見られるという事実にただただ感謝した。
長らく韓国のドラマや映画に魅せられ、韓国ドラマ専門誌の編集・執筆や記事翻訳に従事し、韓国の俳優や制作者にインタビューする機会にも恵まれた私だったが、最近はなかなかハマれる作品に出合えていなかった。韓国ドラマや映画を取り巻く状況が急速に変化していることは耳にしていたが、私はむしろ原因は自分のほうにあると感じていた。
私自身がかれこれ十数年、次々に供給される韓国の良質なコンテンツを贅沢にも浴び続けたせいで、完成度の高い韓国コンテンツに慣れてしまったのだ。元々そんなに広くなかったストライクゾーンがさらに狭まり、知らず知らずのうちに新作を見る時のハードルが上がってしまっていた。昨今の恵まれた視聴環境の中でも、私は自分の好みにバチッとハマる作品でないと、なかなか満足できなくなってしまったのかもしれないとも考えていた。
そんな中でも配信を心待ちにしていたのが「パヴァーヌ」だった。ただ、これはこれで、きっと見てしまったら自分の情緒がいろんな意味で大変なことになり、仕事どころではなくなる予感があったので、2月に配信が始まったことは知っていたが、今やっている仕事が少し落ち着くまでは見るのを先延ばしにしていた。
私はハマると深い。作品の関連コンテンツはもちろん、出演者や監督が受けたインタビュー、出演したテレビ、ラジオ、YouTubeに至るまで、くまなく目を通すまでがワンセットなのだ。これは韓国ドラマ専門誌の編集部にいた時からの職業病のようなもので、雑誌が休刊になった今でも習慣になってしまい、そこまでしないと気が済まなくなってしまった。
3月上旬のとある日、たまたま仕事がぽっかり空いた金曜日。毎日チェックしている占いに「ずっと前に好きだったものが、あなたの感受性を呼び覚ましてくれるかも。知り尽くしたように思えるものの中に、未発見の魅力が見つかりそう」とあったその日に、私は満を持して「パヴァーヌ」を見ることにした。
予想以上だった。まるで心の奥底に溜まった泥がかき出されて、代わりに新鮮な水と空気が送り込まれたような気分だった。「心が洗われる」とはこのことだと思った。その夜、仕事から帰ってきた夫に「久々に韓国映画にどハマりした」と話すと、私が一度ハマると深いことを知っている夫には心配されたが、その時にはすでに関連コンテンツをあらかた一巡していた。
製作開始から公開まで9年、三人が出会った軌跡と奇跡
2009年発売の小説『亡き王女のためのパヴァーヌ』(パク・ミンギュ著)が映画化されると聞いたとき、一つだけ気掛かりなことはあった。消費中心の物質主義が全盛だった80年代を背景にした原作では、当時の外見至上主義に対するアンチテーゼとして「不細工な女性とその女性を愛した男性」というテーマ設定がされており、そこに焦点が当たっていると聞いていたからだ。
だが舞台を現代に移した映画では、自分の存在意義を見出せず、「自分には誰かを愛する価値なんてない」とはなから諦めているような若者たちの内面にスポットが当たっていた。そんな三人が出会ったことで彼らに訪れる変化や成長が中心に描かれていて、それが本当によかった。
イ・ジョンピル監督が原作を映画化するに当たって最も悩んだのが、まさにそこだったそうだ。「小説にある『不細工な女性』とは一体、どんな女性なのだろう?」と絵を描いてみたり、ネット検索をしたりしていた監督は、ある時ふと「自分はものすごく暴力的なことをしているのではないか」と感じ、そんなことをしている自分が急に恥ずかしくなったのだという。
そんなとき、共通の友人を通して監督がこの小説の映画化を準備していることを知り、「ぜひ出演させてほしい」と訪ねてきたコ・アソンに「私は彼女の目を表現できる」と言われた瞬間、監督はハッとする。「この物語の核心は不細工な顔ではなく、人を愛する自信のない歪んだ心なんだ」と。そうして「ヒロインであるミジョンを観客が感情移入できる対象にしなければ」と方向転換したのだという。
対するコ・アソンは監督に初めて会った時、「あなたはミジョンを演じるにはきれいすぎる」と言われたそうだ。だが、子役から活動を始めて早くから大衆に顔を知られており、「自分で顔をコントロールする(=整形する)機会を逸した」と後に明かしていた彼女は、人知れず自身の外見にコンプレックスを抱えていたのだという。
また、ここ数年の彼女は、どちらかと言うと不遇な状況にあっても自分を信じて前を向いて歩いていく、たくましい女性を多く演じていた。だが、そんなキャラクターに影響されて自分までそういう人間だと錯覚していたという彼女も、実は人には知られたくない自分の弱さを心の奥底に必死に隠していたという。
ミジョンを演じるに当たり、彼女は体重を10キロ増やしただけでなく、ずっと蓋をしてきたもう一人の自分を引っ張り出してきて、相対することになる。自ら演じたいと申し出たキャラクターではあったが、自分がそれまで目をそむけていた自分と正面から向き合う作業は相当こたえたそうだ。
ただ、大衆的に分かりやすいキャッチーなコンセプトがない本作への投資は思うように集まらず、二人は先に「サムジンカンパニー1995」を世に出すことになる。監督は同作の主演女優3人が計画したアイスランド旅行に自ら志願して同行し、そこで「パヴァーヌ」のロケハンをしているようだった、とコ・アソンは後に振り返っている。
韓国ではオーロラは「3代徳を積まないと見られない」と言われているらしい。コ・アソンと監督がその旅行では一度も見られなかったというオーロラが、本作の撮影では現地に到着するや否や現れたというのは、長年製作が実現するかどうかも分からない中、待ち続けた二人へのご褒美だったのかもしれない。
コ・アソンは俳優のキャリアの中で恋愛映画を演じるには最も需要があるといわれている20代の大半をこの作品とともに過ごしたことになる。そんな中でも、元々恋愛映画が好きで原作のファンでもあった彼女が「パヴァーヌ」を自分にとって最初の恋愛映画にしたい一心で、他の恋愛映画のオファーを断ってまで待ち続けた。そんな彼女の引力に吸い寄せられるようにしてヨハン役のビョン・ヨハン、ギョンロク役のムン・サンミンが加わった。
ビョン・ヨハンは役名のみならず、自身がマネージャーと設立した所属事務所の社名まで、劇中登場するヨハンの唯一の居場所である居酒屋HOPEと同じ。劇中でミジョンとギョンロクのキューピット役となる謎多き先輩ヨハンは、「ミセン」のソンニュルに代表される、ひょうひょうとしていて、つかみどころのない演技を得意とする彼のスタンダードともいえるキャラクターである。本人自ら「自分がどんな俳優か知りたいなら『パヴァーヌ』を見てほしい」と言っていたほどハマり役だった。
ムン・サンミンは新人の自分に初めて届いた映画のオファーに、「これは本当に自分に来たオファー?」と半信半疑になりながらも、ギョンロクの話し方から、いまだに迷いだらけで混乱の中にある20代の不安定な心理状態まで、当時の自分にあまりに似ており、驚いたという。
「自分が出たいと言って出られるものなら、何があっても絶対に出たいと思った」というムン・サンミンだが、監督によると脚本を送ったあまたのライジングスターの中で「出たい」と連絡してきたのは彼だけだったそうだ。そんな彼の趣味はバドミントンで、もはや彼らのキャスティングは運命だったとしか言いようがない。
自身初の恋愛映画の相手役が気になり、コ・アソンが監督とのミーティング中だったムン・サンミンに会いに行った時、彼はすでにギョンロクの雰囲気をまとっていたという。自分の想像の中にしか存在していなかったギョンロクの姿が初めて目の前に現れ、彼女は「あなただったんだ。私はあなたのことを待っていたんだ」と思ったそうだ。
コ・アソンが監督と初めて会ったのが2017年、ムン・サンミンがデビューしたのは2019年。「シュルプ」で注目の新人として浮上したのは、2022年のことだ。劇中登場するアメリカ先住民族の逸話のように、コ・アソンと監督は彼が追いつくのを待っていたのかもしれない。
初めて軽くせりふ合わせをしたとき、ミジョンの「なぜそんなに私に優しくしてくれるの?」というせりふに対して、ムン・サンミンが台本通り「優しくしちゃダメなの?」と返すと、それ以上せりふが言えなくなり、涙したというコ・アソン。それまでずっと一人で練習してきたせりふの返事が初めて返ってきたことに胸がいっぱいになってしまったのだという。
そんな中でも「私たちが長い間準備してきたことが、かえって彼のプレッシャーになるかもしれない」と心配していたコ・アソンの言葉を監督から伝え聞いたムン・サンミンも、その心遣いに感動したという。それはまさしく「二人が大事に温めてきた作品の大役を、まだ映画に出たこともない、何もかも未知数の自分に任せてくれたんだから、頑張らなきゃ」と、知らず知らずのうちに肩に力が入っていた頃だった。「みんなで一緒に作っていくんだから、そんなふうに『自分がうまくやらなきゃ』と思わなくていい」という二人の言葉を聞いた後、彼は道端で一人、涙が止まらなくなったという。
そんなとき、彼の目に飛び込んできたのは、映画と同じく(ビョン・)ヨハンの誕生日を祝うバス停のファン広告だった。それまで一度も自分から連絡したことのなかった広告の中の先輩に、その場で連絡したムン・サンミンは、その足で彼に会いに行ったというから、ちょっと話が出来過ぎている。
※以下ネタバレあり
脳裏に焼き付く、忘れ難い永遠の光
光と闇の両方を描いた本作には対比がたくさん使われていた。エレベーター扉に映るミジョンの顔、「なぜ走ってきたの?」というせりふ、二人で見上げた空、ピアノコンサート、クラブとレコードショップの試聴室。すべて二度ずつ登場する。どの対比も鮮烈で、だからこそ余計美しく、時に残酷だった。
ラストはあまりにも胸が痛んで、私は自分の記憶を少しだけ改変して、劇中でヨハンの書いた小説の結末を脳内で映画の結末に書き換えてしまおうかとさえ考えた。監督と俳優二人だけで撮影された終盤のアイスランドロケのシーンは、まるで平凡なカップルの旅行Vlogのようにリアルで、そう思わせるのに十分な説得力があった。
二人は先に映画祭出席のためにヨーロッパ滞在中だった監督の求めに応じて、二人きりで現地に向かう機内や空港でも自分たちの姿をスマホの動画に収めており、それが映画にも使われている。
映画には入らなかったが、ムン・サンミンが自身のSNSで公開した動画の中には、ミジョンが編んだ青いセーターを鏡の前で着るギョンロクや、セーターとおそろいの色のマフラーをしたミジョンが彼と一緒にレイキャビクの街を楽しそうに歩くほほえましいカットもあった。
俳優は職業柄、作品ごとに生まれ変わる人々だ。撮影を終えるとキャラクターを送り出し、新たな人生に乗り換えていく。だがコ・アソンは、「パヴァーヌ」は自分と生涯を共にする作品になりそうだと話していた。私も彼女と同じように、これからもミジョンやギョンロク、ヨハンに会いたくなったら、何度でもこの作品に戻ってくるだろう。
ミジョンにとってギョンロクがこの先もずっと光であり続けるように、私にとっても「パヴァーヌ」は一度見たら決して忘れられないオーロラの光のような作品になった。「パヴァーヌ」が紆余曲折を経て、観客の前に現れてくれて本当によかった。
映画を見終えた私の頭に真っ先に思い浮かんだのは、映画のメッセージにも通じる、米津玄師の「レモン」の最後のフレーズ「今でもあなたはわたしの光」だった。
コ・アソンは姉二人と自分を一人で育て上げ、自身の最初のマネージャーでもあった母を2021年に亡くしている。「パヴァーヌ」は生前、常々「お金は稼げなくてもいいから、しょぼい作品には出ないで」と言っていた映画マニアの母が最後に読んでいた脚本だったという。
同じく小説が原作の前作「ケナは韓国が嫌いで」は、コ・アソンのまた違った魅力が光る作品。日本公開を前にオンラインインタビューをした時、本を紹介するラジオ番組のDJも務めるほど読書家としても知られる彼女は、「私は小説原作の作品にとりわけ好感を持っているんです」と話していた。
追記:「パヴァーヌ」関連投稿とnote記事
この記事の投稿をきっかけにXでの発信も始めたので、そちらに投稿したものも併せてご紹介します。また、「パヴァーヌ」関連のnote記事も他に2本アップしました。もしよろしければ併せてお読みください。
「パヴァーヌ」のイ・ジョンピル監督がインタビュー現場に持参したのは、撮影後に主演のコ・アソンから贈られた「月刊ミジョン」と書いてある独立系書店のポストカード。2017年に監督と初めて会った後、コ・アソンは近くの書店で偶然見つけた自身の役名と同じこのポストカードを購入したのだそう。
— Yui (@yui1106) March 28, 2026
それ以来コ・アソンは「どうか映画の製作が実現しますように」と願掛けのお守りのようにずっとこのポストカードを持ち歩いていたのだという。撮影終了後、コ・アソンは無事に役目を果たしたこのポストカードに手紙を書き、監督に贈った。俳優や制作者の切なる思いは間違いなく作品にも現れている。
— Yui (@yui1106) March 28, 2026
コ・アソンが2017年に購入し、映画の製作が終わるまで9年間大事に持ち歩いていた「月刊ミジョン」のカードと小冊子。この「ミジョン」の意味は「未定」で、彼女の役名だけでなく「パヴァーヌ」自体の当時の製作状況(未定)ともかかっていたんだ…知れば知るほどすごい話。https://t.co/2KNZ8qQlCZ pic.twitter.com/XYhOMlw9va
— Yui (@yui1106) March 31, 2026
★映画に使われていたクラシック曲と劇中登場するラジオチャンネルを紹介
★映画に登場した名画とそこに込められた意味を考察
「パヴァーヌ」はNetflixで独占配信中

