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房総高校書道部物語

あらすじ
房総高校書道部部長の瑞希は、親友の菜々美、加奈、風花とともに、先輩たちが果たせなかった全国大会優勝を目指す。


 大判半紙の前に、袴姿で大筆を持った4人が立つ。軽やかに音楽が流れ始めた。音楽に合わせて右端の加奈が動き出し文字を書きだす。最初の文字は「お」だ。続いて風花が「は」の文字を書く。瑞希の立ち位置は一番左だ。右隣の菜々美を見る。背は低いが姿勢が良いため袴姿がよく似合い、背中まで伸びたストレートヘアをリボンで綺麗に結んでいる。この仲間たちがいなかったら、きっと瑞希はこの場所に立ってはいなかっただろう。

 瑞希が初めて房総高校書道部のパフォーマンスを見たのは、中学3年の時だ。両親から、「房総高校の書道部は全国レベルの実力があるんだよ」と聞き、受験のために学園祭を見学した、そこで行われた書道部の、大判半紙にグループで書を書くパフォーマンスに瑞希は心を奪われた。袴姿の女子部員たちが音楽に合わせて大筆を振るい、みんなで一枚の書を作成するのだ。瑞希自身、小学校の頃からずっと近所の書道教室に通っていた。とても筋が良く、地域の書道大会でも何度も賞をもらった。中学時代も部活に入らずずっと書道に打ち込み、受験で学習塾に通うためにいったん書道教室は辞めたが、高校入学後は書道教室に再び通うつもりでいた。そんな瑞希にとって、それまで書道とは一人静かに集中して行うものだった。しかし仲間と書を書くパフォーマンスを見た瞬間、瑞希は新しい書の魅力に取りつかれてしまった。房総高校に入りたい、瑞希は思いを強くした。そして翌春、瑞希は房総高校の門をくぐった。
 憧れで入った書道部だが、練習は想像以上に厳しかった。伸び伸びと書いていた書道教室とは異なり、入部してしばらくは、半紙に写経のように何十文字も細かい文字を書く隷書を繰り返し練習した。しかし地味で根気がいる練習も、瑞希には苦痛ではなかった。仲間がいたからだ。同期で入部したのは瑞希を含めて4人。菜々美、加奈、風花、全員女子だった。男女共学なのに女子部員しかいないのは少々寂しくもあったが、気兼ねしなくていい分4人は本当の親友になった。1年生の時のクラスが4人とも一緒だった、と言うのも彼女たちの仲をより一層強めていた。4人は毎朝駅で待ち合わせをして一緒に登校した。

 「おはよう!」

 夏場は朝練のため、6時半に駅に集合する。駅から学校までは徒歩で15分。4人でおしゃべりしながら歩く時間はリラックスタイムで、朝からお菓子を分け合って食べ歩きをした。そして朝練では黙々と書を書き続ける。憧れの先輩たちも1年生の時は全員この練習をして、全国大会で賞を取る実力を付けていた。校庭からはサッカー部や野球部の朝練の声が聞こえてくるが、みんな集中して練習した。廊下から部室内に涼やかな風が吹き抜ける。心地よい朝の匂いが、気分を落ち着かせてくれた。
 冬場は部としての朝練はないが、4人は自主的に早朝登校して練習をしていた。駅に集合するときにはまだ、夜が明けきっていない時もある。それでも4人でおしくら饅頭のように体を寄せ合いながら、学校への坂道を上った。冬場は暖房を付けて部室が温まるまでが、リラックスタイムだった。夏場と比べて運動部の朝練が少ない冬場は、校内が静まり返っている。部室内に響くのも暖房器具の音だけだ。凛とした空気の中、4人は練習に集中した。

 高校の書道大会は、大判半紙にグループパフォーマンスで書を描く大会と、個人の作品を郵送で応募する大会がある。房総高校書道部は個人作品を応募する大会で優秀な成績を収めており、過去5年間で全国大会準優勝が3回あった。部員のほとんどは、最初はグループパフォーマンスの大判の書に興味をもって入部するのだが、すぐに半紙に向き合う書道の奥深さに魅了される。瑞希たち4人もそうだった。そして瑞希たちが3年生になる年、悲願の全国大会優勝が期待された。中でもエースは、やはり部長に選ばれた瑞希だった。
 「瑞希、頼んだよ。私たちは全国制覇できなかったけど、メンバーが揃ったしあんたが部長なら絶対に優勝できるよ」
 一つ上の部長が、卒業式の日に瑞希に固く握手した。瑞希は元々基礎ができていたため、1年の時からメキメキと実力を上げていった。書道大会は、応募者のうち各高校上位10名の評価得点の合計で競って順位が決まる。その大会でも、瑞希は1年生の時から準優勝メンバーの10人に入る実力だった。今年は個人成績でも、全国大会の上位を狙えるだろう。他の3人の3年生も着実に力を付け、後輩にも実力者が入部し、今年こそは全国大会優勝を狙える位置にいた。
 だが3年生になった春、瑞希は帰宅する際自宅の近くでケガを負ってしまう。交差点から飛び出してきた小学生の自転車と接触したのだ。転倒の瞬間、瑞希は思わず右手を激しく地面についた。その結果、親指を骨折してしまった。全治2カ月の大けがだ。大会の提出締め切りは8月末日なので、作品を仕上げるまでには時間はある。しかしケガが治るまでは練習はできない。全国大会で入賞するレベルの作品を練習無しで仕上げることは、瑞希と言えども難しい。
 3人が瑞希のケガを知ったのは、その日の夜だった。スマホのグループラインに、瑞希からメッセージが入った。「ケガが痛くてスマホ使うのも大変」と書かれており、文章の最後には涙の絵文字が入っていた。
 「おはよう・・・」
 ケガの翌朝も、瑞希は朝練の時間に駅に現れた。しかし明らかに声に元気がない。右手は包帯で固定されていて、無理に笑っているのがありありとわかる。どう声を掛けていいかわからないでいた3人に、瑞希は「大丈夫、大会には絶対に間に合わせるから」と言った。ケガのあと瑞希は、自分は練習ができなかったが、新入部員の1年生を丁寧に指導していた。例年この時期は、1年生は黙々と細かい隷書の練習をさせられる。最初にどう書くかを教えられた後は、ただただ半紙に無数の小さな文字を書き続けるだけだ。放課後は顧問が部員の机を巡回して指導をするが、朝練は顧問が不在で上級生の指導もない。上級生は、夏の大会に提出する自分の作品のテーマ決めをする大切な時期だからだ。入学以来練習を続けた隷書で勝負するか、あるいは大文字にチャレンジするか、どの部員も毎年この時期に頭を悩ませる。本来瑞希にとっても大切な時期なのだが、瑞希は毎朝1年生を指導していた。そんな瑞希を見て、菜々美は少し困惑していた。

 菜々美は中学時代バレーボールをしていたので、高校に入ってからもバレー部に入るつもりだった。しかし入学直後に隣の席に座った瑞希が、キラキラした目で房総高校書道部がいかに素晴らしいかを教えてくれたため、書道部に興味を持った。そして新入生への部活紹介のイベントの時の、大判半紙へのグループパフォーマンスを見て、瑞希と一緒に書道部に入ろうと強く思った。その時同じようにグループパフォーマンスに感動していた加奈と風花も誘った。
 菜々美は3年間瑞希と同じクラスという事もあり、瑞希の指名で副部長になっていた。正直、加奈と風花の方が書道の実力的には上だった。中学で目一杯体育会のバレー部だった菜々美は、座って書に集中することが最初は苦手だった。ただ、持ち前の根性だけは他の3人に負けなかった。とにかく書を体になじませるために、他人よりも何枚も多く練習をした。顧問の先生からも「お前の字は巧くはないが味がある。巧く書こうとして変に小さくまとまるより、無心で書いて自分の書を貫け」と言われていた。菜々美は、自分はセンスはないかもしれないが、練習量でそれを補い技術を身に付けようと考えた。そうやって愚直に練習する姿は、後輩にも影響を与えた。部長でエースの瑞希はみんなの憧れの的ではあるが、スター的存在のため後輩は気後れして少し話しかけづらい。一方菜々美は、がむしゃらに書に向かう姿勢が好感を持たれ、後輩からもいろいろな相談も受けていた。そんな菜々美に後輩たちがたずねてきた。
 「瑞希部長に教えてもらえるのは本当に嬉しいんですけど、部長には大会用の自分の作品に集中してもらいたいです。部長は大会には間に合わないんですか?」
 返答に困る質問だ。その事を一番知りたいのは菜々美本人である。
 「ごめん、私にはわからない。と言うか、瑞希自身にもわからないんじゃないかな…。でも、今は自分にできることをやるしかないんじゃないかな、瑞希も私たちも。大丈夫、あなたたちのその思いは瑞希にもきっと伝わっているよ。だから今は瑞希を信じて、自分のやるべき事に集中して」
 そう答えるのがやっとだった。そして後輩にはそう言うものの、一番集中できていないのは、実は菜々美本人だった。その菜々美の動揺が、2年生に伝わってしまっていた。
 「瑞希先輩がケガで大会に間に合うかわからないし、その他の3年生の先輩も集中していなくて、今年の大会は本当に大丈夫なんですか?」
 ある日の全員ミーティングの時に、2年生の弥生が切り出した。弥生は2年生のエースで、実力は菜々美より上かもしれない。周りへの気遣いもできてリーダーシップもあり、同期、後輩からの信頼も厚く来年の部長候補だ。おそらく、誰もが気になっているが質問することもできず、モヤモヤで練習に集中できない雰囲気が続いている事を心配して、弥生があえて「3年生の先輩」と言う言葉を使って質問をしたのだ。そして瑞希も菜々美も加奈も風花も、その質問に答えることができなかった。すると、見かねた顧問の先生が切り出してくれた。
 「3年生だけじゃなく、みんなが動揺しているのは知っている。部長の瑞希がケガをしたのだから、それは仕方ない事だ。でも今こそ、みんなで集中する事が重要なんじゃないかな。悪い事ばかり考えてみんなが練習に集中できなければ、たとえ瑞希が治って全国大会に間に合ったとしても、優勝なんて絶対にできないぞ。全国大会はそんなに甘くはない。今はとにかく瑞希が治る事を信じて、練習を続けるしかないだろう」
 顧問のその言葉のしばらく後、新入生の女子が一人、泣き始めた。するとその波はどんどん広がり、1、2年生全員が泣き始めた。そして泣きながら弥生が言った。
 「一番集中できていないのは私なんです。瑞希先輩がケガをしたって聞いてから、全然練習できなくなっちゃったんです。日によっては、筆を持つ手が震えて一文字も書けない時もあります。もう不安で不安で、どうしたらいいかわからなくって…」
 みんな我慢して小さく泣いていたが、弥生の発言がきっかけで堰を切ったように大声で泣き始めた。そして新入生の一人が言った。
 「私はまだ入部してから日が浅いからよくわからないんですけど、練習中に部長に教えてもらえるのはすごく嬉しいです。部長は毎日朝練で『おはよう』って声を掛けてくれます。それだけでやる気が出て、練習に集中することができます。でも、部長自身が練習をしていない事は本当に心配です。3年生は最後の大会ですし、本当にこれでいいのかなって…」
 1年生の嗚咽の声が大きくなった。それでも顧問の先生が何も言わずに黙っていたのは、この場で全員が思いを吐き出した方がいいと思ったからだろう。そして涙を抑えながら瑞希が言った。
 「みんなごめんね、私がケガをした事で、みんなに心配をかけて。でも大丈夫。私は絶対に大会に間に合わせる。絶対作品を提出する。だからみんなも私を信じて、今は自分の練習に集中して」
 その言葉で泣き声が少しずつ小さくなっていった。みんなが涙をぬぐい終わろうとした時、顧問の先生が最後に言った。
 「みんなの気持ちはよくわかる。だけど、瑞希のケガを心配してみんなが練習に集中できなければ、その原因は自分のケガだと瑞希が責任を感じてしまう。そうなればネガティブスパイラルで悪い方向に吸い込まれしまうだけだ。今は瑞希を信じよう!」
 「はい」「はい」「はい」・・・
 1、2年生が返事をして、全体ミーティングは終了した。

 このミーティングで一番勇気づけられたのは、瑞希本人だったかもしれない。みんなに心配をかけまいと気丈に振舞ってはいたものの、やはりケガをしてしまったことによる精神的なダメージは大きかった。帰宅した後は毎日部屋にこもってずっと泣いていた。しかしミーティングで瑞希は吹っ切れた。後ろを向いていても何も始まらない、今はケガが治る事を信じて、準備をするだけだ。自分が信じなければ、みんなが信じられる訳がない。冷静に自分の置かれた状況を考え、何が必要か、何ができるかを考え始めた。

 鬱陶しい梅雨があけ、爽快な青空が広がる夏になった。窓の外ではセミの鳴き声が、そして朝練の部室では「おはよう」の声が響いていた。その「おはよう」の声は皆を勇気づけた。もう誰も下を向いている者はいない。みんな自分の書に集中していた。そして瑞希も、少しずつ練習を再開していた。長時間文字を書くと手に負担がかかるため、大会に提出する作品は練習を続けた隷書ではなく、大文字で仕上げることにした。夏休みに入ってからは、顧問の先生はほぼ瑞希に付きっきりになった。誰もが大会を目指して集中した。

 そして結果発表の秋が来た。瑞希がどんな作品を大会に提出したのかは、顧問の先生以外誰も知らなかった。菜々美が「どんな作品にしたの?」と聞いたが、瑞希は「ないしょ、聞かないで」と笑ってかわした。100%の自信を持てる作品には仕上がらなかったのかもしれない。
 結果は大会事務局から郵送で送られてくる。深まる秋の中、すでに日が暮れている部室に部員が集まった。顧問の先生がその場で通知の封筒を開封して、結果を読み上げた。
 「房総高校書道部。関東地区大会6位。全国大会進出はなりませんでした」
 全員が下を向いた。そして泣き始めた。泣き声はどんどん大きくなった。みんなが頑張ったことは間違いない。しかし現実はあまりにも残酷だった。部員の中で、個人成績が一番良かったのは風花だった。地区大会で3位を受賞していた。全体の結果は、一番上のランクの受賞者が風花1人、二番目のランクは3人、3番目のランクはおよそ10人程度だった。瑞希と加奈、弥生はおよそ50人ほどが受賞するニ番目のランク、菜々美は100人ほどが受賞する3番目のランクだった。総合得点は5位の高校と僅差ではあったが、全国大会に進める3位の学校とはかなりの開きがあった。瑞希がさめざめと泣いている。菜々美も加奈も風花も泣いていた。4人は、お互いが泣いている姿を見るのは、入学以来これが初めてだったかもしれない。顧問の先生が一人一人の肩を叩いて回った。それでも房総高校書道部員たちの泣き声は、いつまでもやまなかった。

 3月になった。3年生の4人はそれぞれ進路が決まった。瑞希は書道の先生を目指して、地元の国立大学の教育学部に進学する。菜々美も国語の教師を目指して私立大学に進学が決まった。加奈は美容師、風花はトリマーを目指してそれぞれ地元を離れる。そして後輩たちからは、卒業式の日に4人でグループパフォーマンスをしませんかと提案された。顧問の先生が掛け合い、学校も了承済みだ。4人はしたためる文字を相談した。4人が考えていた文字は一緒で「おはよう」だった。4人を、そして書道部を結び付けた言葉だ。卒業式当日、穏やかな日差しの中、4人は大判の半紙に向かった。書の道に進む瑞希以外は、おそらく袴姿で大筆を持つのは今日が最後だろう。乃木坂46の曲が軽やかに流れ、加奈が「お」を書いた。次に風花が「は」、そして菜々美が「よ」、最後に瑞希が「う」を書いた。書き上げた瞬間、観衆の生徒、父兄から拍手と歓声があがった。したためた書を後輩が持ち上げ、その前でみんなで記念撮影をする。4人の頬には、自然と涙が流れた落ちた。後輩たちとも泣きながら抱きあった。そして最後は4人で強く抱き合った。瑞希は部長として、全国大会優勝を果たせなかった。個人としても、満足のいく成績を残せなかった。けれども、瑞希は大きな物を後輩たちに残せたはずだ。それはひょっとすると、全国大会で優勝を勝ち取るよりも大きな物だったかもしれない。

 4月、房総高校書道部は新部長の弥生のもと、瑞希たちが成しえなかった全国大会優勝に向けて新たなスタート切っていた。壁には卒業式の日にみんなで「おはよう」の前で撮った写真が飾られている。新入生が弥生に尋ねる。
 「なんで、『おはよう』なんですか?」
 弥生は答えた。
 「みんなで『おはよう』と言うだけで見ている景色の色さえ変わる、大切な魔法の言葉、だから『おはよう』なんだよ」
 新入生は、よくわからないと言った不思議な顔をしている。だが、やがてこの新入生たちにもすぐ、「おはよう」の素晴らしさが理解できる日が来るだろう。

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