声(6)
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長崎の乙顔家。この日の奈津はどことなく、変なテンションだった。何かぼーっと考え込んだり、時計をちらちらと気にしている。幸子は娘たちを長年見続けてきたから、彼女たちの思考はお見通しだ。こういう時は何か企んでいる。誰かの誕生日や母の日などに、サプライズのプレゼントを考え、忙しく働く幸子のことをよく労ってくれた。
「お母さん!ちょっと……もう少ししたら、私の部屋に来てくれないかな。お姉ちゃんがね、彼氏を紹介したいって言ってるんだけど。オンラインで繋ぐって」
意外な展開に幸子は驚いた。
「か、かれし……???」
あの子、紹介とかそんなことするタイプだったっけ。お付き合いしている人がいても、私や家族に紹介することなんて今までなかった。もしかして、結婚を視野に入れているのかしら。
幸子は急に緊張しはじめ、洗面所にいって髪型やお化粧などを素早くチェックした。
「そうだ!お父さん。今日お父さん仕事だけどいなくていいの?」
手話で奈津に尋ねる。
「いいのいいの、ほら、お母さんいこ!」
ぐいぐいと手を引っ張られる。
バタンと扉を開き、奈津の部屋に入る。奈津は机の上のパソコンのキーボードにカタカタと入力し、ビデオ通話システムを立ち上げた。
「お母さんはここ」
奈津に言われた通りに椅子に座る。
画面が繋がり、恵美子が映った。周りの景色を見るとどうやら会社にいるようだった。隣に細身の男性が映っている。この人が恵美子のお付き合いしてる人かしら。
幸子は
「いつも恵美子がお世話になっています」
とテキストを打った。細身の男性が
「ああ、こちらこそ、乙顔さんにお世話になっています。パルス社の椎木と申します」
と挨拶をしてくれた。なかなかいい感じの男性じゃない。幸子はテキストに打って感想を伝えた。
「恵美子、いい人を見つけたわね。いつもお話していた椎木さんね。恵美子とはどれくらいお付き合いされているんですか?」
「へ?」
恵美子は母のテキストメッセージにきょとんとした。椎木も「?」と戸惑った表情をしている。
いい人とは?
「おねえちゃんごめーん」
画面の向こう側の奈津が手のひらを合わせて謝る。
「だってお母さんをここに連れてくる理由が欲しかったから。お姉ちゃんが彼氏紹介するってことにしちゃった。えへへ」
「もう!奈津ったら!椎木さんに失礼じゃない!」
恵美子は声を荒げた。
「まぁまぁ、僕気にしてないですから。かわいい妹さんで」
横にいる椎木はくすくすと笑い出した。
幸子は奈津に騙されてここに連れてこられたことを理解した。娘たちは何を企んでいるのかしら。
恵美子は急に真剣な表情になった。
「お母さんに今日は聞いてもらいたい『声』があります」
恵美子のセリフを聞きながら、横にいる椎木がパソコンにタイピングをした。
〝これくらいの おべんとばこに おにぎり おにぎり ちょっとつめて きざーみしょうがに ごましおふって〟
聞こえてきたのは、幸子の声だった。
幸子は信じられない様子で、顔を手でおおって目を見開いた。
「お母さん、私、お母さんの『声』にたどり着いたよ」
恵美子は伊豆から情報を得て、各SNSなどで呼びかけた。
「昔『ほほえみシュガー』を聞いていた方!ラジオの音声が残っていたら聞かせて頂けませんか?」
他にも、現在放送しているコミュニティラジオの番組にも問い合わせ、情報を地域に拡散してもらった。
「聞いていたよ」「懐かしい」など、ほほえみシュガーの元リスナーだった人たちから、ぽつぽつと連絡をもらうたびに、恵美子はあたたかい気持ちになった。母の声から元気をもらっていたのは、私だけじゃなかった。たくさんの人に母の声が愛されていたことを実感しながら、期待している情報を粘り強く待った。
そんな折にある一人の男性から「僕、まだとってあるかもしれません」と連絡が来た。男性は恵美子の家からわずか十分程度の、目と鼻の先に住んでいた。
「もし、良ければ聞きに来てください」
彼は気持ちよく音源の提供を承諾してくれた。恵美子は椎木と自宅を尋ねた。
玄関の扉を開くと、天然パーマのちりちりとした長い髪型の男性が頭をかいていた。 「どうぞどうぞ」と家の中に招いてくれる。見た目はいかにも人がよさそうな雰囲気だ。彼は越田と名乗った。
「これです。最初はラジカセで、カセットに録音してあったんですけど、途中からCDに焼いています。CDの方がおそらく音質がいいと思います。僕もさっき確認したんですけども、聞いてみますか?」
CDを棚の上のオーディオにセットして再生する。
「ノンノと
こうたろうの
ほほえみシュガー!!」
間違いなく母の声と、先日聞いた高村の声だ。
「ありがとうございます……感謝してもしきれないくらいです。嬉しく思います」
恵美子は越田に向かって深々とお辞儀をした。
「越田さん、なぜこれを録音してあったんですか?さしつかえなければお聞かせくださいませんか?」
椎木は越田に尋ねた。
「ああ、いいですよ。理由は僕の息子なんです」
居間に飾ってある幼い男の子の写真を眺めながら、越田は話し始めた。
越田には一人息子がいた。子供が生まれた時、越田は「目に入れても痛くもかゆくもないって本当だな」と実感し、息子を溺愛した。しかし、成長過程で、他の子より発育が遅れる場面がちらほらと見えてきた。特に目立ったのは「ことば」の遅れで、越田の息子は長い文章を話すことができなかった。妻の仕事も忙しく、越田は育児にも積極的に参加していたが、息子が時々やってしまういたずらの後片付けや、自身の仕事の忙しさが重なると、疲労感がたまって、心がくじけそうになった。
そんな時、彼の傍には「ほほえみシュガー」があった。ほほえみシュガーではノンノさんが「おべんとうばこの歌」を歌うシーンがあり
「うちも娘にお弁当を作ってあげて、コロッケを入れると喜ばれたんです」
と話した。越田は妻や息子のお弁当を作る時に、録音したノンノさんの歌を流した。そばにいた越田の息子は、ノンノさんの歌にはなぜだかすごく反応を示した。
息子がノンノさんの歌を聞いて、共に歌をリズミカルに歌っている姿を見て、越田は思えず微笑んだ。
「息子はあの歌が大好きでした。あんなに流暢に声を発して、僕はノンノさんに……ほほえみシュガーに、あの時助けられたんです」
越田は快くCDを恵美子に手渡してくれた。椎木はさっそくCDを伊豆に届けて、伊豆は音声データを素早くまとめあげた。情報はCDの音声で充分な量を手に入れることができた。
「ノンノと
こうたろうの
ほほえみシュガー!」
流れてきたのは昔のラジオの音源ではなく、母の合成音声と、今の高村の声だと母に説明した。恵美子はあれから高村にも連絡し、彼にも協力を得ていた。
「お母さん、勝手にごめん。お母さんは嫌がっていたけど、私どうしてもお母さんの声をまた聞きたかった。今回のこと。調べていく中で、私の知らないお母さんをたくさん知ることができた」
母はうつむいたままであったが、恵美子はそのままの熱を持ちながら話を続けた。
「お母さんの声はたくさんの人たちに届いていて、今でもそれは失われていない。お母さんの作った居場所はそれぞれの人の心に残っていて、繋がっていた。繋いだ先は、糸のようにたくさんの結び目ができていた。私はそれが嬉しかった……」
母はそこで顔をあげた。そして咄嗟に素早く手話を始めた。
「やめて?」
奈津は戸惑いながらも母が表したことばをつぶやいた。
今度は携帯に文字を打ち込みはじめた。
「もうやめて」
母親は物悲しい表情を浮かべながら文字を打ち続けた。
“ずっと心に蓋をしてきた。楽しかった記憶。もう取り戻せない私の声。この気持ちは失った人にしかわからない。あなたたちにはわからない。”
恵美子は息をのんだ。私は私の気持ちでここまで突っ走ってしまった。てっきり母も喜んでくれるものだと思い込んでいた。自己陶酔していた。自身が作りだした母の偶像ばかり追いかけて、母の本当の「声なき声」を聞こうとしていなかったのだ。
“昔のことを思い出すと、今の現実の私と比較して心が割れそうになる。あの時、捨てられなかった私の想いや声に飲み込まれそうになる。お願いだから、もうこの話はしないで。頼むからそっとしておいて。”
母はこちらを見なかった。恵美子も母を直視できなかった。
先日の、伊豆や椎木のアドバイスを思い出した。今更思いだしたところで手遅れだ。消えようのない事実。私は母を傷つけた。
この日の後のことは、詳しく覚えていない。 語りかけてきた奈津や椎木の声だけが耳に響いていた。恵美子は自身の手を見つめた。パチンと割れた風船の破片のように小さくなった気持ちのカケラを、ただそこに置いておくだけで精一杯であった。
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