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声(5)

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 光が河のように流れる風景が好きだった。


 孤独と手を取りあいたい夜がある。
 恵美子は深夜の高速道路を走る。
 車を運転していると、自分と世界の境界線が融けて曖昧になる。
 切れ目なく続く車体の振動。
 リズムよく視界に入るオレンジ色の道路照明灯。
 対向車線のヘッドライト。
 遠くに見える街の灯りと、上空からやわらかく照らされる月光。
 意識が揺らぐ。小音でラジオを流す。

 深夜のラジオパーソナリティが持つ、ささやくような独特な語りかけは、昼間の恵美子の熱を次第に落ち着かせた。そして、孤独な人間は自分一人ではないという妙な感情を抱きながら、心が在りし日の幼い自分へと還っていく。

 恵美子は、昔から明けない夜を願っていた。

 西日が傾き、少しずつのびる鉄棒の影。
 家路を急ぐ人々の頬が上気しているのも
 昼間より頻回にカンカンと鳴る踏切も
 シャッターを下ろす商店街のお店も
 職員室の室内灯がチカチカっと点灯し
 整然としたあいさつ後に散っていく校庭の野球部員も
 市のスピーカーから流れ出る
 ゆうやけこやけのメロディも
 公園で手を振る子供たちも
 全てが心地よい。

 花びらがとじる。
 小鳥はつばさをたたみ、魚たちは深く海底にもぐった。

 落日に彩られる。
 ひかりは積雲にすいこまれ、反射し、発光する。
 天頂まで導かれた白いひかりは、すみずみまで満ちて、流れる雲の隙間から、空の果てまでつきぬけた。

 トーンと音が響く。誰かが鍵盤をやわらかく叩いた。音楽室でピアノが鳴る。不規則なメロディ。今ここにじんわりと形を成す郷愁の念。
「『ラ』はどこまでいっても『ラ』」
 男の子の声は続けた。
「ららららららら、世界のどこに行っても『ラ』はキミを追いかけるよ。440Hzの正しさで、それは絶対的なんだ」
 そう言いながら「ラ」の和音を重ねた。音が目の前に迫ってくる。
「この正しさに僕たちはいつの間にか押し込まれてしまって、きれいにつやつやに整えられてしまうんだ」
 鍵盤を端から端まで両手でつま弾いていく。それはとても美しい旋律だが、どこかきれいに歪んでいた。
「キミは、このことについてどう思う?」

 恵美子はあの時、誰に問われていたのか。記憶はすっかり忘却の彼方に追いやられ、そこに目を凝らそうとすると霞がかる。男の子に告げられたことばだけが、脳内にリフレインして響く。


 夜は恵美子の味方であった。そこは誰にも侵入されずに、自分のままを置いておける場であった。お気に入りの深夜ラジオは、語り口もやさしく、一人であって一人でない感覚に満たされた。それは、一輪の花や、手書きの手紙のような、素朴なやさしい手触りだった。


 目の前の女性は、母のラジオに関する情報をつかんだと、自信ありげに手を腰に添えて言い放った。伊豆は椎木と乙顔に着席するように促した。二人は伊豆に従い、各々向かい側の席に着く。彼女も着席し足を組んで、静かに説明を始めた。


 「こうたろう」と名乗る男性。彼は、都内の葛飾区のコミュニティラジオで、約四年、相棒の「ノンノ」さん(幸子の芸名)と「ほほえみシュガー」というラジオ番組のパーソナリティを務めた。ラジオは読者からのお便りのコーナーや、「地元ぐるぐる」という地元の穴場スポットの紹介、こうたろうが主軸ですすめる思い出の歌にまつわるエピソードの募集、ノンノが好きな作家を紹介する文学のコーナーがあった。二人の息のあった掛け合いや軽妙なトークに人気の火がつき、地元の著名人をゲストに迎え、羊毛作家のマスカットさんがお茶を入れてカフェ形式でおもてなしする回も時折放送された。

 伊豆が机に置いたプリント用紙には、彼女が独自に調べあげた情報や記事が印刷されており、それらを得意げな表情で読み上げた。二人は伊豆の説明を「はー!」と驚いたり、「なるほど」と納得しながら、熱心に彼女の話に耳を傾けた。

「じゃあ、この『こうたろう』さんに尋ねるか、コミュニティラジオを主催していた地元の放送局に問い合わせれば、何か手掛かりがあるかもしれませんね」
 恵美子ははずんだ声で話し始めた。
「伊豆さん助かります!」
 椎木も明るい声を出した。しかし、肝心の伊豆の表情は、眉をしかめ、慎重な面持ちであった。
「あせりなさんな。話はまだ続きがある」
 資料をめくって次のページに目を通す。

「私はすでにこの二つの可能性に接触している」

 恵美子は「伊豆さんすごい!」と感嘆の声をあげた。
「まずはコミュニティラジオ局の方。こちらは住所も調べやすく簡単だった。問い合わせてみたところ、やはり音源は残っていなかった。お二人は『法定同録』という法律があるのはご存知かな?放送局が自社で放送した番組の全てを保管しておかなければならないという決まりがある。ただし、保管期間は三ヶ月。当然ながら、この話は三ヶ月以上前のできごとなので、残されていない。大きな有名放送局なら残しているところもあるようだけどね、それも全部ではない。たとえばAMラジオ局のオールナイトニッポンだって、全部の音源は残されていないので、昔の音源をリスナーから募ったこともあったという話」

 伊豆は咳払いをして、椅子をななめ四十五度に回転させた。

「パーソナリティの相棒さん。こちらはかなり苦労した。なにせ『こうたろう』は乙顔さんのお母さんが名乗っていた『ノンノ』さんと同じく芸名だ。本名の調査に手間取ったが、なんとかラジオ局と私のツテで突き止めた。本名は『高村たかむら光太郎こうたろう』」
「『道程』っすかね」
 椎木はすかさず作品名を答える。
「そう、作家さんと同じ名前だ。でももちろん別人。彼は今北海道にいる」

「北海道……!遠いんですね」
 恵美子は天を仰ぎながらつぶやく。

「葛飾区のラジオ番組終了後に、彼は地元の北海道に帰省した。地元でも変わらずラジオのパーソナリティは続けていたようだ。彼の声はまっすぐで朴訥さがあり、自然体で、「青年」のような若々しさがあった。その語り口調と声質が北海道という土地にも合っていたのだろうね」

「もしかして……伊豆さん、すでに彼とも連絡とったんですか?」
 椎木は尋ねた。

「うん、当たり前でしょ。もしかして乙顔さんは個人的に連絡を取りたかったかなと、一瞬想像はしたけども、勝手に独断で動いてしまってすまない。また連絡したければ、後ほど連絡先は渡します。こうたろうさんとの電話の会話は録音しました。ちょっと待ってね、今聴かせるから」

 伊豆はスマホを取り出して操作し、録音した音源を再生した。

「……どうも、そうです。乙顔さんのことはなつかしいなぁ。僕はノンノさんってずっと呼んでいたのでノンノさんでいいですか?ノンノさんとは確かに同じラジオ局でパーソナリティを担当していました」

 再生音源から、高村は伊豆の質問に真摯に答える様子が伺えた。ラジオはとても楽しかったこと。年齢差はあるけれども、お互いに尊重し合える仲だったこと。高村はパーソナリティの仕事を元々経験していたが、幸子は全くの未経験であったこと。公募で集って、明るいキャラクターと声の良さで決定したこと。彼女のプライベートな部分は職業柄話すことはできなかったこと。収入に繋がるとお咎めがあるので、完全にボランティアでやっていたことなど。


 恵美子は高村が最後に話していた内容を思い出していた。
「ラジオは単なる音声を流すものでなくて、場を作るものだとノンノさんは折にふれて話していました。聞いている人はどんな人たちだろう。それはたとえば一人暮らしのお年寄りかもしれない。日々勉強に励む受験を控えた学生さんかもしれない。一人で子育てに奮闘するお母さんかもしれない。毎日街中を走るドライバーさんかもしれない。そんな人たちに、一人じゃないよ、ここに応援してる人がいるよって伝えたい。私たちが場所を作って、孤独な気持ちを抱えそうになっている人たちのちょっとした心の拠り所にしてほしい。一人の時に他の人の声が聞こえるときっと安心するからって。ノンノさんの気持ち。たぶんリスナーさんに伝わっていたと思います。あの方はそういう方だったんです」

 母が過去にラジオ番組に携わっていたと熊田に聞いた時。恵美子は驚きを隠せなかった。その後、母の声が街の誰かに届いて、心を落ち着かせたり、励ましたり、勇気を与えていた事を恵美子は力強く想像した。深夜ラジオの自身の経験も重ね合わせた。

 恵美子が今まで救われてきた声が、まさに体現してきたこと。恵美子の母は、そんな表現者の内の一人であった。

 椎木と乙顔は会議室から出て、自身の部署へ続く廊下を歩いていた。

「おとさん、残念だったね」

 『ほほえみシュガー』の音源は、高村の手元には残されていなかった。引越しの際にどこかになくしてしまったのかもしれないと、彼は残念そうに話した。しかし、恵美子は大きく落ち込まなかった。伊豆の調査内容や、高村が見ていた母のありし日の断片は、じわじわと熱を持ち、恵美子の指先や足先をあたためた。自分の母がどのような思いでラジオに関わっていたのか。本人からは語られはしなかったが、先日出会った熊田も相棒の高村も、母のことを懐かしそうに、愛おしそうに語った。恵美子は、それだけでも充分だとも思った。

 伊豆の最後の一言も、波紋のように心にゆっくりと広がった。
「この件は、私たちが勝手に進めているだけであって、本人は『声』を望んでいない。その部分は見過ごしてはいけないと、個人的には思う。独り相撲はだめってことよ。きちんと相手を土俵に乗せることも重要だし、相手が乗りたくなきゃそこで終わりにする勇気も必要」
 恵美子に近づき伊豆は資料を渡しながら、にかっとほほ笑んだ。
「あとはあなたたち次第ってとこかな」

「独り相撲はだめか……まぁそうだよな」
 椎木は伊豆の発言を思い出しながらぽつりとつぶやいた。
「椎木さん。確かに母は今回の件について消極的でした。けれども心のどこかで気になっているような気がして……。私自身もまだまだあきらめていません。きっと、解決策はあると思っています」
 恵美子は椎木ににこりと微笑んだ。
「おとさんの声、なんだか今日は生き生きとしていて、声が大きくなったみたい」
 椎木は恵美子の肩をぽんと叩いて笑顔を返した。




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