Dive(6)【創作】
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【6話 壁の向こうのゾンビとアイアンマン】
「じゃあ、こちらで待機していてくださいね。皆さん、お待たせしてすみません」
淡いピンク色の髪の毛の女性スタッフが、私たちを殺風景な会議室へと案内してくれた。彼女の黒いTシャツの背面に4人の子供たちと『来来キョンシーズ』という字が書かれたマークが描かれていたが、おそらく何かの映画のイメージイラストなのだろう。彼女は、窓を少しだけ開けて換気をした後に、スマホを操作しながら軽く会釈をして去っていった。
白い壁の室内は、鉄パイプの椅子と長机が並べられており、その上にはお茶が入ったペットボトルと、紙コップと市販のお菓子の袋が無造作に積まれていた。私たちと同世代の高齢者たちが既に何人か待機していて、おしゃべりをしたり、読書したり、思い思いに過ごしていた。各々席に座る。
ふぅとため息をつく。私たちに短い沈黙が訪れる。
「ねぇ、京子さん」
「何?和代さん」
「あなた相当ひどい顔してるわよ」
「そういう和代さんも若者風に言うと『超やべぇ』って感じよ」
「二人とも誰が誰だか、わからないわ」
「華さんは『ゾンビ』っていうよりなんか、あれ……ほら、名前が出てこない、日本映画で昔流行ったじゃない」
「あれ!『貞子』だ!きっとくる~ってやつ!」
華さんが頭部をうなだれるようにして髪の毛を降り下ろし、それを見て私たちがわぁわぁと盛り上がっているところへ、バタンと勢いよく扉が開いた。娘のさくらがテンション高く「ふわふわのパンケーキ!」とにこやかに言いながら現れた。両手に大量の袋を抱えている。
「ふわふわのパンケーキ!?」
三人でハモって返事をした。差し入れのパンケーキを、他の方たちにも行き届くように配り、そして口に入れ込む。たっぷりの蜂蜜とふわふわすぎる口当たりに思わずにんまりする。
この日、私たちはなぜか「ゾンビ」になっていた。
さくらの勤めている洗剤の会社のCM撮影が、村の一角にある撮影スタジオで収録されることになり、私たちは急遽エキストラとして収集された。この建物は元々廃屋の七階建てのビルであったが、持ち主が変わり、中を改修して、撮影スタジオとして生まれ変わった。都内から車で一時間もあれば来られる場所で、田舎なのでギャラリーが変に多く集まる事もない。
CMのコンセプトは「洗濯物のゾンビ臭もすっきり落ちる」というのがウリになっている。なぜか「高齢者のじいちゃんばあちゃんゾンビの群れ」という絵面を監督が撮りたいそうで、先ほど私たちはメイクスタッフにゾンビメイクを施され、今ここに座っている。
青白く塗られた肌と、ところどころ血のりがついている顔で、皆でパンケーキをほおばっている姿が非常に現実離れしていて、思わず笑ってしまいそうになる。
七十五年も生きていて、まだ経験していないことがたくさんあるのだなと感じる。
大きなあくびをしているのを和代さんに見つかる。昨夜はあまり眠れなかった。夜に考え事をするといけない。夜中に文章や手紙を書くな、気分が変に高揚してエモーショナルで過剰な内容になっているから、朝確認した方がいいとはよく言われるが、考え事もそうだと感じる。
華さんから「夫が学生服の女の子と歩いていた」と言われたことについて考えていた。見かけたのは二十五年くらい前だと言う。辰之助さんが四十五歳くらいの時だ。その見かけた女の子が、たとえばうちの娘たちだったら華さんも気づくだろう。その女の子はどこの子だったのだろうか。
「まさか、あの辰之助さんがって、私も思って。何か不純なお付き合いだったらどうしようって、あなたにずっと言い出せなかった。......ごめんなさい。今更こんなこと言われてもあなたも困るとは思うけども。あなたに辰之助さんのことを考えてみてって言われた時に真っ先に思い出したのがその光景なの」
華さんはうつむきながら躊躇いつつ話し続ける。
「この話を、あなたの妹の陽子さんにたまたま話したことがある。そしたら陽子さんも見かけたって言ってて......それ以後は黙ってしまった。きっと彼女はこの事について何か知ってるかもしれない。でも......陽子さんは、今はなかなかお話ができない状態なんでしょう?」
陽子は、現在「しおさい苑」という施設で生活をしている。彼女は、私の夫が亡くなってから物忘れの症状が出始めた。
最初は、複雑なお金の管理ができなくなったり、趣味のフラダンス教室をやめてしまうなどの意欲低下が見られた。
心配した茂さんが、病院に行くようにすすめたが、本人は「もの忘れ外来に行っただなんて、近所で噂になってしまうから恥ずかしい」と頑なに拒否した。認知症状は悪化し、徐々に自分のことが自分でできなくなった。
これは、田舎の住みにくさの一つだと思うが、住人の数が少なく、皆古くから密な付き合いを続けているが故に、お互いの家庭事情が隅から隅まで完全に筒抜けになる。
もちろんそれで助かることもあるのだが、時には監視しあっているような雰囲気すら感じる。私たちの子供世代は、その理由により村から出て行ってしまう人たちも多い。村の人口比率は昔より随分と若者が減ってしまった。今は道を歩けば年寄りと野良猫しか歩いていないような気もする。
茂さんは献身的に陽子に尽くした。今まで陽子がやっていた家事を、慣れないながらも代わりにこなした。釣り宿のお客さんも相手にしながら、徘徊してしまう陽子を探しに行った。怒りっぽくなった彼女に怒鳴られたりしている姿もよく見かけるようになった。
そのうち、コンロに火をかけたままどこかに行ってしまったり、尿失禁した下着をタンスに隠したりといった、危険を伴う行動や、不潔な行為が続き、目が離せなくなってきた。
茂さんは次第にやせてきて、眠れないなどのうつ症状が現れた。精神科に行って薬をもらったりしたが、私から見てもかなり陽子の介護負担が高く、限界に近いと感じられた。
「私も陽子の面倒を見るよ」
ある日、茂さんに私は提案した。
私は、釣り宿屋に泊まり込みながら、陽子と共に過ごす事になった。茂さんが行っていた家事を代わりに引き受け、日中は陽子と一緒に過ごした。茂さんはその頃から泊り客の受け入れを休止した。感染症の流行の余波を受け、お客さんの数もがくんと減っていたことも大きかった。
「潮時だな」とこぼす茂さんの背中から、何とも言えない悲しみが漂っていた。「紅屋」の繁盛期は、お客さんで溢れかえっていた。政治家や有名人などもよく訪れて、テレビの取材なども来るくらいの大賑わいを見せていた。
私と茂さんの子供たちも随分と心配してくれたが、やはりコロナのことがあって、帰省は困難だった。都会から子供が来ることを極端に嫌がる近所の住人も多く、他県ナンバーの車に石を投げつけた人がいると、風の噂でも聞いた。
ヘルパーさんなどの助けを得ながら何とか自宅で過ごしていたが、パーキンソン病も併発し、体が動かなくなって車椅子になったタイミングで、私が膝蓋骨を骨折して入院する事になった。ケアマネさんの勧めもあり、施設入所に踏み切った。
陽子と過ごした数年間は、無我夢中だった。彼女は華やかで、快活で、頭も良く、どこにいっても目をひく子だった。地味で目立たない私と違って、いつでも周りに人がいた。
認知症になってから、変わらぬ交流を続けてくれる友人もいたが、離れる人も多かった。腫れ物に触るような態度で愛想笑いをして、二度と現れなくなってしまった人もいた。会ったとしてもどこか憐れんでいるような空気を相手から感じた。私はそれが悲しかった。人が離れることは仕方ない。相手側の状況もあるとは思う。
けれども、あれだけたくさんの人に囲まれて華やかだった彼女が、今このように幼い子供のようになって、誰にも相手にされないという現実があることを、私は目の前で突きつけられた。
人の生活を支えることの大変さを改めて感じた。答えのないところをぐるぐるしているような気分になった。性格が変化した陽子は陽子で、もちろん怒りっぽさもあったが、愛おしいなと思う場面もたくさんあった。腹が立つことも多かったが、幼い頃に一緒に遊んだ時間がまた戻ってきたようにも感じた。
茂さんは私に感謝してもしきれないと何度も伝えた。骨折からの退院後、いなくなってしまった陽子の部屋を片付けていて、私は涙した。流れている涙がなんの涙かは、自分でもよくわからなかった。
ゾンビは死んでいるのに生きている不思議な生き物だ。この世の中には「生きているのに死んでしまう」ことがあるのかもしれない。社会と繋がりがなくなって、友人とも疎遠になる。
本人の心がどこにあるのか。話せないと、確認できないと私たちは思い込んでいる。そして、いずれ話しかけることもしなくなってしまう。その人の存在がどんどん透明になっていく。いるのに、いないことにされる。
年を取る恐怖というものは、そこに尽きると思う。
相手も自分自身も我を忘れていく。
自分のカタチがこの世から消えていってしまうようだ。
気づかないうちに、社会と大きな壁で隔てられる。
高齢者のゾンビというものは随分と皮肉なモチーフだなと、私は感じた。私たちはきちんと「自分」を生きているのだろうか。
CMに出るタレントがやっと到着した。先ほどのピンクの髪のスタッフがドレッドヘアの男性スタッフと一緒に部屋に入ってきて、準備ができたことと、待たせたことを丁寧に詫びていた。
和代さんも華さんもノリノリでゾンビを演じた。私も気持ちを振り切るかのようにゾンビになりきった。娘のさくらが「お母さんたち、今日はありがとね、助かっちゃった」と言って、寿司屋の仕出しの弁当をみんなに配っていた。
「放送が楽しみね」と和代さんは帰り道のタクシーでうきうきしながら話していた。華さんが「このメイクだから映っても誰が誰だかわからないわよ」と笑い出した。「そりゃそうだ」と和代さんもつられて笑った。
私は華さんにこっそり「そのうち陽子にまた会ってくる」と耳打ちをした。華さんは私を見て、静かにうなづいた。
※
海苔巻きを作ろうと思った。
「鉄砲巻き」という名の、私たちの地域の郷土料理。漁師の食事は手づかみで、素早く食べられることが求められた。鉄砲巻きは、漁師飯の代表である。通常、海苔巻きはすし飯を使うところが多い。けれども、鉄砲巻きは普通のご飯を使用する。かつお節に醤油で味付けをして、それをくるくると巻きすで巻いていく。
もう一つは「さんが焼き」。あじをさばいて、包丁でとんとんと念入りに叩く。長ネギとしょうが、味噌をそこに混ぜてさらに叩き続ける。ここで粘り気が出るまで叩くのがコツだ。最後に醤油とお酒をさっくり混ぜる。これだけだと「なめろう」という料理になるが、最後にもらってきた空のアワビの殻に詰め込んで、ごま油を塗って大葉を乗せて焼く。ここまでいくと「さんが焼き」の完成。
できた料理をお重につめて風呂敷で包み、家を出た。日が落ちて辺りは暗くなり始めていた。
華さんが言うように、夫はその学生さんと親密な関係で、それを私に隠していたのだとしたら。辰之助さんがそのような不純なことをするイメージが私には湧かない。華さんは男性不信もあって、どうしてもそちらの可能性に考えが引っ張られてしまうのかもしれない、と話を聞いていて感じていた。
仮にもしそうだとしても。私はおそらくそれを許すだろう。
何があったのか陽子に聞いてわかるのだろうか。良明と陽子の施設に面会に行く時に訊ねてみようか。私は何を知りたいのだろう。夫がどのように生きてきたのか、ずっと横にいて見てきたつもりで、知らないこともたくさんあるのだと実感する。
プランBをこのまますすめて私はどうしたいのだろう。夫の死後、陽子の介護や自身の骨折があって、後回しにしてきた。遅くはない、時期はいつでも訪れると思って、今動き出した。
考え事をしているとあっという間に辿り着いた。地元の小料理屋「魚八」の看板が見える。入り口の暖簾をくぐって、靴を脱いで中に入った。
良明が先日アメリカから帰ってきた。今日は、地元に残っている数少ない青年たちの飲み会だった。青年とはいっても、五十代や四十代の世間的にはおじさんと言われてしまう年齢の人たちだが、このあたりでは若者の部類に入ってしまう。
彼らは漁師の仕事を継いだり、継いでいない子も地元の祭りに携わったりしている。良明もそこに参加していた。
厨房に顔を出す。板前の草刈さんに挨拶をした。
「おお〜京子さん、久しぶり!」
「頼まれたの作ってきた。出していい?」
「鉄砲巻きとさんがね!いいよいいよ。みんな喜ぶよ。だいぶお酒も入ってるから酔っ払いにぶつからないように注意しな」
廊下を歩いて、宴会場の襖を開けた。わいわいと男衆の話し声が響いた。風呂敷を開いて、人の隙間をぬって各テーブルに置いていく。桜井くんが「京子さん!」と手招きしている。横に行くと「京子さんもいっぱいどう?」と赤ら顔でお酒を勧めてくる。
「お酒飲むと帰り道で転んじゃうといけないからオレンジジュースでいい?」と告げると「オレンジ!どこかに瓶なかったー?」と桜井くんが聞いて、テーブルに届いたオレンジの瓶をコップに注いでくれた。
隣のテーブルに良明がいた。同級生の土井くんや加藤くんが両隣で楽しそうに笑いあっている。三人の会話が耳に自然と入ってきてしまう。
「よっちゃんはさーアメリカに行って成功してすげえよな。俺らはこんな酔っ払ってかあちゃんに尻にしかれながら過ごして、雲泥の差だよ」
「いやいや、それはそれで土井は幸せもんだよ。かわいい娘さんもいるんだろ?あと家も建てたってサクに聞いたよ」
「お前は結婚とかしねえの?良明はその見た目ならモテるだろ?俺はかあちゃんともずっとしてねえけど、良明は女抱いてんのか?いい女、あっちにいっぱいいんだろ?」
「加藤、お前!酒呑みすぎだろ?ちょっと水飲んだほうがいいぞ、ほら」
良明は加藤くんに水をすすめている。そこで、隣のテーブルにいる私と目が合った。良明はこちらに足早にやってきて「さんが!焼いてきてくれたんだ!俺も食べたい」と桜井くんの隣に座った。鉄砲巻きとさんが焼きをおいしそうに食べたあと「俺、そろそろ帰るわ。京子さん、一緒に帰ろう」と桜井くんと私に告げた。
夜風が心地よい。二人で道のりを歩く。蛙がどこかでぐわぐわと鳴いている。潮騒がざざぁざざぁと心を沈めてくれる。先ほどの賑やかさから、気持ちが少し落ち着いてきた。
「俺たちの会話聞いてた?」
良明は小石を蹴りながら進んでいた。子供の頃もよくやっていたなと思わず微笑んでしまう。
「土井くんと加藤くんに挟まれて困ってたあたりの会話?」
「やっぱり聞かれてた」
小石が思わぬ方向に転がり、道の真ん中をねらってサッカー選手のように足を振り出しながら、良明は苦笑いをした。
「俺だって、みんなと変わらない。『成功した』だの、『うらやましい』だの、挙句の果てには『モテる』とか......俺だってみんなと同じで悩みもあるし、人並みに生きてる。スーパーマンでもアイアンマンでもない。そんなかっこいいもんでもないんだ」
小石は川に転がり込んでしまった。良明は顔をあげてこちらを見つめた。
「京子さん、俺、こっちに戻ってこようと思ってる」
月は丸く大きく空に浮かんでいた。やわらかな月光が私たちを照らす。海面は、月の真下から、長い通り道のようにこちらへ黄金色の光を伸ばしていた。赤や白の星が瞬いている。動き始めた春が終わり、暦は水無月。
私たちの夏が始まろうとしていた。
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