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Dive(9)【創作】

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【9話 傷ついたカラスと真相】

 「そうなんですか、あなたのお父様が……いや!覚えてますよ」

 釣り宿屋では、茂さんが釣り客の相手をしていた。お客は四人連れの家族だったが、茂さんは目尻を下げながら、旦那さんと嬉しそうに会話をしていた。なんでもその昔、お客さんと彼の父親と共に紅屋に宿泊して釣りをした思い出があり、今回はその件を思い出して、自身の子供たちにも釣りを体験させたかったということだった。

 紅屋は現在、そのようなお客さんばかりだ。新規はほとんどお断りしており、リピーターや常連客しか来ない。茂さんは許可がもらえればお客さんの釣果の写真を撮影させてもらい、ホームページにアップし、写真を印刷して壁に貼り付けている。昔はこのあたりは大きな鯛が釣れることで有名だった。見事な鯛の魚拓が正面玄関に飾ってある。今ではこのような大きな魚は全く釣れなくなってしまった。貼り付けた紙も色が黄色くくすんでいる。

 茂さんは以前パソコン教室に通って、パソコンやインターネットの基本的な知識や扱い方を身につけた。ホームページの管理は、亜子ちゃんの旦那さんと共同で行っていて、良明が帰国した際もチェックやメンテナンスをしてくれているという。

 奥の座敷から茂さんが戻ってきた。手には一枚の写真を携えている。

「これでしょう、あなたのお父様」
「あぁ、これです。これが親父で、僕はこの右隣にいる」
「えぇー!お父さん見せて見せて!じいじはどれ?」

 男の子のお子さんが写真をのぞき込んでいる。ご家族で盛り上がっている横にいる茂さんもなんだか嬉しそうだ。「あの時はスズキがたくさん釣れてましたね」と、その時の釣果の話題になった。

 私は待機している間、陽子の部屋で一人で過ごした。待っている間に一つの詩を思い出した。谷川俊太郎さんの詩だ。

かなしみ

あの青い空の波の音が聞えるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい

透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった

谷川俊太郎「かなしみ」

 今、似たような気持ちになっているのかもしれない。谷川俊太郎さんが何をさしてそのように書かれたのかはわからないが、人は皆、何か心残りのような小さな小さな波を胸に秘めているような気もする。
 その波が時には大きな揺らぎを持って、人をぐらぐらと不安定にさせる。そんな時、どこか過去に還りたくなる時があるのではないかと思う。けれども、自分が何を落としてきたのかはわからないのだ。そして誰に訊ねてもわかるものではない。結局、自分で見つけるしかない。

 釣り客が帰って、茂さんとようやく話ができる。
 お互い、お茶を飲みながら、外を見つめる。ぴーひょろろと、高い位置でとんびが数羽鳴き声をあげ、青い大空を回旋しながら飛び回っている。いつもの港の風景。

「この半年くらい、辰之助さんのことばかり考えていた。今日は茂さんに正直に話してほしいの。私はどんな事実であっても、おそらくきちんと受け止めることができるわ。お願いします」

 私は椅子にもたれていた背中を正して、話し始めた。

「まず、辰之助さんが亡くなった時の話。死因は一応『心不全』となっている。海で発見したのは村の漁師の佐々木さんだった。佐々木さんはたくさん警察に取り調べを受けた。私は佐々木さんに申し訳なくて、そのあと落ち着いてから何度もお詫びに行ったわ。検視した結果は、さしたる原因は見当たらないと、あなたが教えてくれた。私はあの時憔悴しきっていて、あなたに頼りっぱなしだった。子供たちもすぐにこちらに来られる状況じゃなかった。五年前はコロナが流行っていたから、子供たちも移動がなかなか難しかった。特に良明はかなり時間が経ってから帰ってきたのを覚えている」

 茂さんは黙っている。

「佐々木さんに聞きに行った。あの時の事。何か気になったことはなかった?今思い返して気づいたことはあった?と。彼は『漁船は機械トラブルの事故が多い、特に網を引き揚げる際に機械に巻き込まれるケースをよく聞く。けれども、水野さんは機械にはさまれたような痕跡はなかった。検視でもそのような結果だった。ただ一つだけ……』」

「『胸に小さな内出血があった』と」

 茂さんは片眉をぴくっと動かした。

「佐々木さんは辰之助さんを発見して脈や鼓動を確認したりする際に上着をめくった。そしたら小さなあざがあったと話していた。けれども、それは外傷というには小さすぎて、死因には至らないようなものだったみたい。茂さんは知ってたかしら?」

「そのことか……知ってた。知ってたよ。けどな、あの時の京子さんには俺は伝えられなかった。余計混乱しそうでな」

「やっぱりそうなのね、わかりました。私のことを考えてくれたんだよね。ありがとう。今、その小さなあざのことを考えたとて、真相は結局わからない。警察が言う通り、おそらく直接命を奪うようなものでもなかったのでしょうね。いつ、つけたのかさえ、私にはわからない。辰之助さんが亡くなってしまったのはやはり……身体の中のどこかがうまく働かなくなって心臓が止まってしまったんだと、私はそう思っています」

 お茶をすすって深呼吸した。息を深く吸い込む。

「次は烏田からすだ愛さんの話をします」

 茂さんはピタッと動きが止まり、動揺した表情を見せた。
 私はかまわず話し続けた。

「平成10年にこの村の船着き場で水死体で発見された学生服の女の子。当時はとても話題になって、テレビやニュースでも報道されたわね。彼女について調べました。彼女は地元の共学高校に通っていた。良明が……同学年の同じ中学だったわ。だから彼も記憶に強く残っている。ただ、仲が良かったわけではないから、高校に入ってから疎遠になっていたと。良明は寮のある私立高校に入っていたから、この事件の時は茂さんの家にはいなかった」

「亜子ちゃんは……この時、中学校のスキー合宿に行っていた」

「紅屋は陽子さんと茂さんだけだった」

 私は茂さんを見つめた。茂さんは目線を外しながら答える。

「そうだな……そんな事があったのは、俺だって覚えてんだ。けれどもな、その話が辰之助さんと何か関係あるのかい?かんけーねぇじゃねえか」

「陽子の日記を読んだの。陽子には……この前、施設で話したわ。『あなたの日記を見るわね』と。ただ、彼女は返事をしなかったから、もしかして、今頃怒っているかもしれないけど……」

「辰之助さんは、烏田さんの身を一時期預かっていたわね、ここで」

 茂さんは思わず立ち上がった。額には汗をかいている。

「あの人は動物をよく拾ってきたわ。猫でも犬でも傷ついた鳥だって……。たった一度だけ『カラスが傷ついてるから、茂さんのところで預かってもらってる』『様子を見てくる』って言ったことがあるの。今思えば、その事件の前だったって、最近思いだした。なるほど『カラス』はカラスではなくて烏田さんのことだとしたら……?」

「あぁ……もうそこまで言われちゃ仕方ねえか。もう、時効だよな。俺は辰之助さんと約束したんだ。このことを内緒にしておくってね」

 彼は、はぁとため息をつきながら、頭をかいている。庭から何か黒い影が飛び立った気がした。気のせいかもしれない。私はそんなことには構わず訊ねた。

「何があったか教えて」

 茂さんは語り始めた。


 辰之助さんはすごく困っていた。俺達に無理なお願いをすることは一度もなかったが、あの時だけだった。「理由は聞かないでほしい」「けれどもこの子は保護する必要があると思う」「雪も降っていて寒い中で行く当てがなさそうだ」と。ただ、京子さんに迷惑をかけたくない。家に置いておくわけにはいかないから、紅屋の空き室の一室を借りられないかって。お金も払ったんだよ。俺はいいって、いらねーよって言ったんだよ。でも強情でさ。だから何日か貸した。

 俺はあの子の名前……烏田さんという名前すら知らなかったよ。事件があって初めて知ったんだ。辰之助さんは「愛さん」って呼んでたな。なんていうか、すごく見た目は派手な子だったよ。髪の毛は茶髪でさ……当時流行ってた……なんて言うんだ、ルーズソックスだっけか?あのずるずるとなげぇ靴下をくるくる足元にたるませて履くやつ、それでスカートが短くてよ。
 最初は、陽子が二人でいるところを発見したんだ。それで辰之助さんは俺たちのところに来た。陽子が見なければ、あの人一人で何とかしようとしてたんじゃないかな。

 家庭環境やいじめに悩んでいたってことを、事件後に陽子が辰之助さんに聞きだしたんだ。事件があっても黙っている辰之助さんを陽子は白状させたかったんだろうな。
 ほら、援助交際って当時あっただろ?今はパパ活っていうのか?俺はよくわかんねーが、そういうものがあったらって。京子さんのことを陽子なりに思ってたんじゃねーのかな。でも、俺も見ていた範囲の話だが、あの人はそういうことはしてないと思うよ。そういう人じゃないって……京子さんは一番知ってるよな。浜の人もみんなそう思ってるよ。だから事件後も目撃していた人は概ね黙ってた。人徳ってあの人のこと言うんだなって思ったよ。あの娘さんがなんで亡くなってしまったのかは誰も見てないからわからない。辰之助さんも知らないんだ。ただ、しばらく活気がなかったね。なんだか悔いているような表情を俺には見せていたよ。

 茂さんはひといきに話した後に、深く頭を下げた。

「すまない、今まで黙っていて。男同士の約束だった」

 私は、茂さんに頭を上げるように伝えた。そして彼に伝えるべきことばを、ゆっくりと頭の中から探し出しながら話した。

「茂さん、話してくれてありがとう。……今頃、主人も許してくれていると思います。その節はご迷惑をおかけしました。そして、今まで重たい荷物をもたせてしまってごめんね。もう忘れてしまってもいいから。覚えていてくれてありがとう」

 私は、釣り宿の玄関を出て空を仰いだ。
 大きな雲がもくもくとのびやかに浮かんでいる。
 潮鳴りが耳にやさしく伝わる。
 私は「辰之助さん」と声を出して呼んでみた。
 空を超えて、時を超えて、その声は、どこかにいるあの人に届くようにと願った。

 空の上から、愛ある声が聞こえたような気がした。




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