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雨はデザインできない、でも、軒はデザインできる — 福島で教わった、関係人口のつくり方

ノマド政策家のフィールドノート 第11回



2026年6月、福島県大熊町。
私はこの日、「第4回関係人口サミット」という催しに、登壇者の一人として招かれていた。

"関係人口"という言葉がある。その町に住んでいるわけでも、たまたま観光に来るのでもなく、なんらかの形でその地域に関わり続ける人たちのことだ。人口が減っていく地方にとって、この「関わりしろ」をどう増やしていくかは、いま最も切実な問いのひとつになっている。
このサミットを主催したのは、福島の復興に官と民が一緒になって取り組む、福島相双復興推進機構。福島の12市町村が、外から関わる人たちとどんな協業を生んできたのか、その事例を持ち寄る一日だった。

呼んでくれたのは、経済産業省にいた頃の先輩だった。いまはこの機構で、福島の復興に携わっている。「橋本君、福島で話してくれないか」——その一言で、私はここに来た。

第4回関係人口サミットチラシ

だから正直に言えば、私はこの場を「アウェイ」だとは少しも感じていなかった。むしろ、古巣に帰ってきたような気持ちだった。14年間、霞が関で行政の側にいて、1年9ヶ月前に会社を始めた人間だ。復興という言葉も、官民が机を並べる景色も、私にとっては地続きの故郷である。

ところが、その日いっしょに登壇する相手は、まったく逆のことを言った。
「パンクな自分が、こんなところにいていいのか」と、彼は自分を茶化した。ロックバンドのボーカルで、奈良で28年続くアートスクール「アトリエe.f.t.」を主宰し、「まほうのだがしやチロル堂」や「トーキョーコーヒー」(登校拒否のアナグラム)といった、聞いただけで何だかワクワクする場を全国に広げてきた人。吉田田タカシさんだ。

私と吉田田さんに与えられたお題は、サミットの最後のセッションで「どうすれば、人が関わりたくなる場ができるのか」を、二人で語り合うこと。地域づくりへの向き合い方が、まるで違う二人だった。けれど、私たちは初対面ではなかった。

登壇時のツーショット写真

5年前の縁が、東北で実を結ぶ

ダダさん——みんなそう呼ぶし、私もそう呼んでいる——と出会ったのは、私がまだ特許庁にいた頃のことだ。もう5年ほど前になる。

知財や特許と聞いて「自分には関係ない」と思う人は多い。私はずっと、その「関係ないと思うところに、実は関係がある」と気づいてもらう仕事をしてきた。アイデアを独占するための知財ではなく、共感する人にどんどん広げていくための知財。そういう使い方ができないか、と考えていた。

そんなとき出会ったのが、「まほうのだがしやチロル堂」だった。
子どもがつらい思いも、情けない思いもしないまま、まちに支えられて育っていく——この仕組みを、もっといろんな地域に広げられないか。私たちは「まほうのだがしやチロル堂」という名前を商標として守り、「子どもに情け無い思いをさせない仕組み」とセットにして各地へ届ける仕組みを、一緒に考えた。

その後も、縁は途切れなかった。
ダダさんはいま、「たのしいにいのちがけ」を掲げて、新しい学びの場をつくろうとしている。2027年、奈良・天理に開く予定の学校”e.f.t college of arts”だ。

ダダさんがこの学校のために設立した一般社団法人「みちをつくる」というその挑戦に、私は顧問として加わることになった。

35万人もの子どもが学校に行かない選択をするいま、変わるべきは子どもではなく大人のほうだ——そう言い切る彼の試みを、行政の仕組みを知る側から、なんとか後押ししたい。チロル堂の商標から始まった関係は、いつのまにか、彼の次の挑戦を一緒に企む関係になっていた。

2026年6月19日 天理市で行われた e.f.t college of arts の起工式。この模様は改めて書く。

だからこの日の共演は、私にとってただのイベントではなかった。5年前に机の上で交わした話が、東北の、福島の、大熊町で、復興の現場としてまた一つのテーブルに着く。共演の知らせをもらったとき、私は素直に嬉しかった。縁というのは、こうやって思いがけない場所で、何度でも実を結び直す。


雨はデザインできない。でも、軒はデザインできる

セッションが始まると、私たちは「人が関わりたくなる場は、どうやって生まれるのか」を、それぞれの現場から持ち寄っていった。話すほどに、二人のやり方が見事に対照的なことが見えてくる。そして、ダダさんのスタイルを一番よく言い表していたのが、この一言だった。

「雨はデザインできない。でも、軒をデザインしておけば、そこに偶然が生まれるかもしれない」

「さあ二人で対話してください」と言われると、人はしんどい。でも、たまたま雨が降ってきて、同じ軒の下で雨宿りをすることになったら、人は自然に喋り始める。

偶然が生まれるための「軒」をつくること。それが自分の仕事だ、と彼は言う。

チロル堂もそうだ。子どもが100円でガチャを回すと「チロル札」が出てきて、好きな駄菓子や600円するはずのカレーライスと交換できる。貧しい子に食事を「恵む」のではない。子どもは自分の選択で、自分の駄菓子を選んで帰っていく。

奈良県生駒市まほうのだがしやチロル堂に息子のみっくんと訪れた時の様子

ダダさんは言った。支援には、大きな善意の中に、すごく小さな暴力が含まれている、と。その小さな暴力を起こさないために、彼は仕組みを"ちょっとずらす"。

聞きながら私は、自分のやり方が彼とはまるで違うことに気づいていた。


私は、「点と点」を設計してつなぐ側だった

私がいま関わっている宮城県川崎町は、人口8,000人。仙台から車で30分という好立地なのに、毎年150人ずつ人が減っている。
けれど、この町には面白い「点」がいくつもある。年間70万人が訪れる国営公園。元オリンピック選手が運営するスケートボード場。スロベニア大使がわざわざ聞きにくる、週末に自宅でコンサートを開くピアニスト。

問題は、その点と点が、まだ線でつながっていないことだ。一つひとつは熱量を持って動いているのに、互いに出会う機会のないまま、それぞれの場所で続いている。

だから私は、企業と行政の「間」に立つ。鉄道会社や大企業と、県や町。行政も、企業も、地域の人も、誰が欠けてもうまくいかない。その三者を束ね、点を線にする。これが私の設計の作法だ。ダダさんが「軒」をつくって偶然に委ねるなら、私は「点と点」を意図して結ぶ。同じ地域づくりでも、態度が正反対だった。


「経済成長」ではなく、「活動量 × 交流量」

もうひとつ、私が川崎町で手放したものがある。「経済成長」という物差しだ。

お祭りをやれば、結果として何かの消費は起きるかもしれない。でも、経済を回すためにお祭りをやる人はいない。だから私は、町の良し悪しを別の二つの量で測ることにした。

ひとつは 活動量
誰かが何かを始める。その数が増えていくこと。

ふたつめは 交流量
町の中で、知らない活動同士がつながり、外からも「面白いね」と人が入ってくること。

川崎町では、これを五つのプロジェクトに翻訳した。行政は、活動を起こす人を応援する仕掛けと場所を。企業は、拠点をつなぐ移動の足や子どもと大人が教え合う拠点も。そして最後のひとつは——「クマが出たら交流どころじゃない」ので、クマとの共生。クマノミクスという社名にふさわしいオチである。

経済性だけで測れば、この町は「縮小」としか出てこない。でも活動量と交流量で見れば、川崎町は確実に何かが起こり始めている。


「楽しいを作ろう」に書き換えるとしたら

ダダさんの場には、毎回数十人も数百人も人が集まる。彼は言った。

「僕がいなくても来るんです」。
「お金に対抗できる唯一のエネルギーは、楽しいだと思う」

小さなチャレンジと、小さな失敗がたくさんできるまちは、勝手に注目される。「関係人口を増やすぞ」が目的なのではなく、楽しさの結果として関係人口が増えるのだ、と。

それを聞いて、私はダダさんに——そして自分自身に——ひとつ問いを向けた。

「『関係人口を作ろう』『復興しよう』。これはものすごく重要です。でも、もしそれを『楽しいを作ろう』に書き換えるとしたら、何から始めたらいいんでしょう」

口にしながら、私は少しひやりとしていた。私は、使命感から設計を始めてしまう人間だ。 点をつなぎ、三者を束ね、仕組みを組む。その手際の良さの中で、いちばん大事な「楽しい」を、置いてけぼりにしていないか。軒だけ作って、あとは雨に——偶然に——委ねる勇気が、私にはあるか。


その予兆は、もう同じ会場にいた

実は、あの問いを考える手がかりが、その日もう一人、同じ会場にいた。

クロストークの前、登壇者の一人として、渡部沙織さんという若い女性が話していた。四国・徳島の出身。大学1年生のとき、観光まちづくりのコンテストに同級生たちと出場し、大熊町と双葉町を舞台にした企画で賞をもらった。それが、福島との最初の接点だった。

地元では「除染の問題もあるし、福島で大丈夫なの?」という声もあったという。それでも彼女は、こう言っていた。「私が元気に過ごしていれば、それが一番、安全だよって伝わると思うんです」と。

彼女は、まちのハロウィンイベントを自分たちで企画し、運営した。メイクが好きで、子どもにも大人にもメイクをした。ある子どもは、そのメイクに「お小遣い1ヶ月分の価値がある」と言ってくれたそうだ。そして彼女は、いまこの大熊町で働いている。「関係人口」として外から関わっていた距離が、いつのまにか「当事者」の距離まで近づいていた。

きっかけは、使命感ではなかった。楽しかったから。面白かったから。子どもが笑ったから。その積み重ねが、彼女をこの町の一員にした。彼女は言っていた。「頑張ったことが、また別のご縁につながっていく。それが、私も嬉しい」と。

この町は、これから良くなっていく。話を聞きながら、私はそう感じていた。立派な復興計画があるからではない。渡部さんのような人が、楽しさを起点に、自分でこの町に居場所を見つけ始めているからだ。種は、もうまかれている。

渡部さんは、関係人口サミットが開催されたCREVAおおくまの運営に携わっている。

設計と余白は、対立しない

あの問いの答えは、いま思えば、渡部さんの話の中にあった。私はずっと、設計か、楽しさか——その二つを引き換えのものだと思っていた。設計すればするほど、偶然や楽しさの余白が削れていく、と。でも、それは問いの立て方そのものが間違っていた。

彼女を福島につなぎとめたのは、まぎれもなく楽しさだった。それは、ダダさんの側の力だ。けれど、その楽しさが「その日限り」で消えず、彼女をこの町で働く一員にまで育てたのは、なぜか。そこに、受け皿があったからだ。彼女を呼び込んだコンテスト、働く場所になった会社、そして今日のサミットのような場——誰かが設計した"器"が、生まれた楽しさを受け止め、定着させ、続かせていた。

楽しさがなければ、人はそもそも集まらない。けれど、楽しさだけでは、人はやがて帰ってしまう。楽しさは器を必要とし、器は楽しさを必要とする。 どちらが欠けても、場は生まれない。設計と楽しさは、引き換えではなかった。二つで一つだったのだ。

そう考えたとき、クマノミクスという社名の意味が、改めて腑に落ちた。クマノミはイソギンチャクの毒に守られ、イソギンチャクはクマノミが運ぶ海流に潤う。お互いが、お互いを必要にしている。設計と余白も、まったく同じだ。境界線を引いて競い合うものではなく、境界線を引かずに支え合うもの。共生経済とは、つまりそういうデザインのことだった。

私は点と点をつなぐ。ダダさんは軒をつくって雨を待つ。それでいい。私が引いた線の上に、ダダさんのつくった軒が立つ。そしてその軒の下で、渡部さんのような誰かが雨宿りをし、偶然に出会い、楽しさから何かを企み始める。そのとき、私の引いた線は、ただの設計図ではなくなる。ようやく「楽しい」を取り戻すのだ。

場違いだと笑った男と、故郷に帰った気でいた私。

正反対に見えた二人は、たぶん、同じ一つの場所を、半分ずつ受け持っていた。
5年前にまいた種が、福島の地で芽を出していた。

関係人口サミット参加者との集合写真

次回も、ダダさんから受け取ったものを手がかりに書きたい。彼は、仕組みを"ちょっとずらす"人だった——「登校拒否」を「トーキョーコーヒー」と呼び替え、「寄付する」を「チロる」という動詞に変えてしまう。重たい言葉を、つい関わりたくなる言葉に置き直す。

実はこの"名づけ"こそが、小さかった市場を動かしはじめる最初のスイッチだ。「関係人口」も「クールビズ」も、もとをたどれば、誰かの「おかしい」「もったいない」という一行の違和感に、名前がついたところから広がっていった。私自身、特許庁で「I-OPEN」を、自分の会社に「クマノミクス」という名前を編んできた。次回は、その"違和感に名前をつける"作法——ソーシャルコンセプトは、誰がどうやって作るのか——を、虎ノ門ヒルズの一室で十数人が黙々と付箋を書いた一日とともに、書きます。


編集後記〜てのひら草子〜

 妻の橋本みどりです。この度も最初の読者として、想いを綴っていきたいと思います。
 今回は吉田田タカシさんとの対談の話でした。ダダさんの事業は、ダダさんが骨格なんだなという印象を受けます。お勉強してとってつけた知識ではなくて、本来の人としての感情を非常に大切にされていることが印象的で、それがダダさんの色だなと。人間誰だって楽しい方がいいに決まってるけど、学校では自分の感情は抑圧してみんなと同じことをする練習をするし、それが正義みたいに教育されますが、それに染まらずに「楽しい」にフォーカスし続けられるのが凄すぎるなと思います。
 弊社ももちろん夫が中心の事業ですが、夫自身の色というのはそんなに強くないなと思うのです。でも、多分直感的にそれが正解で、なぜなら繋ぐ人の色が濃すぎてはいけないから。
 何年か前にダダさんが「デザインはデザインを見せすぎた時点でデザインじゃなくなる」と仰っていたことに、首がもげそうなくらい頷きました。デザインは「誰かの問題を解決すること」や「機能させること」が目的です。デザインを見せすぎると 「フォントが個性的すぎて文字が読めない」「ボタンがおしゃれすぎてどこを押せばいいか分からない」といった本末転倒な事態が起きます。デザインそのものがノイズになってしまう。存在に気づかせない自然さ、極論を言えば「透明であること」が究極のデザインだと思うのです。
 楽しいことは人それぞれ違っていて、色んな人の・色んな会社の視点で楽しいを考えて繋げられたら、よりたくさんの人が楽しいに巻き込まれそうで、いいなって思いました。

ノマド政策家の妻 橋本みどり より

政策×ビジネスの共創プロジェクトのご相談は、以下にご連絡ください。

橋本 直樹(はしもと なおき)
株式会社Kumanomics 代表取締役/ノマド政策家
東京大学法学部卒業後、経済産業省に入省。国家公務員として初めて美術大学院に留学。米国パーソンズ美術大学にてMFA(美術学修士号)を修了。帰国後、知的財産権により社会課題を解決する「特許庁 I-OPENプロジェクト」の立ち上げなどに携わり、2023年に同プロジェクトでグッドデザイン賞を受賞。2024年、株式会社Kumanomicsを設立。組織の枠を越境する「ノマド政策家」として、企業と行政が共創し、ビジネスと政策を一体でデザインするプロジェクトを多数手がける。その他、虎ノ門ヒルズGlass Rock共創コーディネーター、東京大学公共政策大学院 非常勤講師などを務める。
Web: https://kumanomics.jp/

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