ひとりのソフトウェアエンジニアが起業せずに経営者になるまで【後編】
ソフトウェアエンジニアだった私が経営者になるまでの自己紹介的記事です。
前編は以下にあります。
この記事では、後編ということで、東京大学大学院に入学したあとのことを書いていきます。
東京大学大学院時代(2016年 - 2018年)
東京大学大学院への入学にあたり、茨城県つくば市から東京に引っ越しました。暦本研には、9期生として入りました(先々月に行われた暦本先生の退官パーティーで自分の代が9期であることを知りました笑)。

暦本研にきてから数ヶ月間は、研究室にあるガジェットや設備で遊びまくっていました。
当時はVRブームの始まりで、当時発売されたばかりの 「HTC Vive」が研究室にありました。Steam からゲームをダウンロードしたり Unity でアプリケーションを作ったりしてずっと遊んでいました。

またある日、研究室に突然 Ninebot が登場したので、本郷キャパス内で Ninebot を乗り回していました(Ninebot は暦本先生の私物だったような笑)。東京大学のキャンパス内は牧歌的だったため、キャンパス内で Ninebot に乗って爆走しても、ドローンを飛ばしていても何も言われませんでした。

さらに当時は、Deep Learning が本格的に流行り始めたころでした。ちょうど TensorFlow とか Theano とか Keras とか Cahiner が前後の時期で公開されました。
暦本研でも Deep Learning への関心が高まり、私が入学した直後に Nvidia の GPU を2台乗せた据え置きコンピュータが購入されました。また、暦本研がドワンゴのGPUサーバー8台分くらいを使わせてもらえることになったので、それもかなり使い倒していました。
入学当初は画像処理周りを Deep Learning で遊んでいましたが、その後音声処理にも Deep Learning が適用され始めてめちゃ熱い時代でした。

あと、当時の暦本研は大学構内の研究室のほかに、アパートの1室を借りて巨大な水槽を置いていたりもしました。
ということでついに始動します!RT @nobi: イノラボ @isid_inolab × 東大暦本研 @rkmt スポーツ&ライフテクノロジラボ発足記念イベント!楽しそう!この後15時からシンポジウム pic.twitter.com/qVfIHcNDwx
— Jun Rekimoto: 暦本純一 (@rkmt) August 29, 2014
という感じで、暦本研に来たら面白いものがたくさんあったので、入学して数ヶ月間は特にやることを決めずに、毎日研究室に行って VR やったり Deep Learning やったりして牧歌的な毎日を過ごします。
あと、毎日研究室に行っていた理由として、暦本先生をはじめとして暦本研のメンバーの多様さや豊かさが刺激的だったからだと思います。
ある日、博士課程の先輩に「オーロラの彼方へっていう映画観たことありますか」って聞いたら、当たり前のように「観たことあるよ」と返ってきました。またある日、同期のメンバーがおすすめのハロプロの曲を知りたいということで「泡沫サタデーナイト!」を教えたら、いつの間にかモーニング娘。にハマっていました。こういった感じで、自分の興味あることについて誰かと話せたり、誰かがそれに興味を持ってくれたりする知的好奇心の広さが刺激的でした。
自分は高校まで野球をやっていたこともあり、暦本先生とはスポーツの話をすることが多かったです。暦本先生とスポーツの話をすると、「スポーツが上手い人は何が違うんだろう」といったことを話せるのが自分にとって居心地がよかったのかもしれません。
暦本研だけでなく、東京大学自体の環境も面白かったので、修士1年のころは何にでも手を出していました。
「制作展」というメディアアートの展示会を実施する授業があったのでそれを受講して自分も作品を出展します。メディアアーティストデビューです。
自分の作品は、VR空間上に作品体験者自身の等身大の姿が現れるという映画マトリックスみたいなものでした。Kinect + HTC Vive + GPU マシンを使って VR 空間上に人の姿をポイントクラウドでレンダリングするのですが、普通にプログラムを書くとレンダリングがとんでもなく重たかったので、自分でシャーディングまで書きました。気合いの入れようがすごい(自画自賛)。
東大制作展は、I'm inが面白かった。Kinectで撮った自分の立体像を、HMDで眺め回す。等身大に見える。任意のポーズで止められる。等身大の自分の像を見るというのは、実用としてもアリだなと思った。
— 森山和道/ライター、書評屋 (@kmoriyama) July 10, 2016

あと、制作展の集客力が高すぎて、「東京大学ってすげぇなぁ」と思いました。5日間の開催で 2500人ほど来場したのですが、学生のいち授業の展示会で2500人も来るとは筑波大学のときは想像もできませんでした。また、スプツニ子!さんやライゾマの真鍋大度さんも見に来てくれました(これは広報班のメンバーが彼らを招待するためにコンタクトを取ってくれたという背景があります)。
大学院時代の多動は止まらず、修士1年の終わりにはアメリカの SXSW でプロダクトを出展します。SXSW とは音楽、映画、テクノロジーを融合した世界最大級の祭典で、Google、Sony、Twitter などもこれまで出展しています。日本からは、2015年に Perfume が SXSW でライブを行ったり、自分が行った2017年は King Gnu が来たりしてました。

なぜ自分が SXSW でプロダクトを出展できたかというと、東京大学の Todai To Texas(通称 TTT、読み方はそのまま「ティーティーティー」)というプログラムのおかげです。公式サイトによると、TTTとは以下の通りです。
Todai To Texas(TTT)は、学生の技術プロジェクトチームを、米国テキサス州オースティンで開催される「サウス・バイ・サウスウェスト(SXSW)」へ派遣し、展示やピッチなど通してグローバルな挑戦を支援する、東京大学 産学協創推進本部が主催するプロジェクトです。
自分はこの TTT に採択され、SXSW に行けました。TTT はアメリカへの渡航費、ブースの出展代、現地の宿泊費を全額まかなってくれるというかなりありがたいプログラムです。
ただ、当たり前ですが、希望者全員が SXSW に行けるわけではありません。TTT に選ばれるには、東京大学の中で開催されるコンテストで勝たなければなりません。SXSW で発表したいプロダクトをピッチ&デモし、その中で上位に入らないと SXSW へは連れてってもらえません。
自分は、修士1年のときに同級生とチームを組み、TTT のコンテストを勝ち抜きました(かなりギリギリでしたが)。
自分たちのチームは、Deep Learning を使った変声器を作りました。たとえば、自分の声を入力するとマイケルジャクソンの声色に変わるといった具合のソフトウェアです。AI の進化が進んだ現在では、そういったプロダクトを作るスタートアップがいくつも出てきましたが、2017年当時はかなり最先端のプロダクトでした。
修士1年のおわり頃の3月にアメリカに行き、最初3日間は出展のための準備期間で、昼はプログラミング、夜はお酒を飲むみたいな楽しい時間を過ごします。

SXSW でのブース出展自体は5日間で、ブースに来る来場者にデモを見せたり、空いている時間で他のブース見たりとめちゃ楽しかった。というかこのとき初めての海外でした。
ちなみに、2026年は TTT が実施されず、今後も未定とのことです😢。

時間は少しさかのぼって、修士1年の夏休みに本郷テックガレージができたので、よく行ってました。ここで SXSW で展示したプロダクトを作ったりしてました。
東京大学本郷テックガレージ(大和証券グループ寄附プロジェクト)は東京大学の学生が技術的なサイドプロジェクトを行うための秘密基地です。
本郷テックガレージは、研究室からも近く、外部ディスプレイ・デスク・3Dプリンター・レーザーカッターもあってサイドプロジェクトをやるのにぴったりでした。夏休みや春休みには、学生の技術プロジェクトに対して数十万円を支援する「Summer / Spring Founders Program(SFP)」というプログラムも開催されており、自分もちゃっかりこのプログラムに複数回採択されました。感謝。
あと、本郷テックガレージには、自分たちのようにサイドプロジェクトを行っていたチームが何個もあって、ダイニーのメンバーとか HarvestX の市川くんとかその後の起業につながったプロジェクトもありました。いまもそのまま会社続いていてすごい。
あと、スタートアップの起業家と交流する機会もあり、起業が身近に感じられた場所でした。
修士課程のころは IT コンテストにもちょくちょく出ていて、Microsoft が主催する学生向けのITコンテスト「Imagine Cup」の世界大会には、2017年と2018年に2年連続で出場しました。
特に、2018年は世界大会で3位を取ることができ、マジですごかったです(自画自賛)。このとき、自チームは聴覚障害者向けの音源分離プロダクトを開発し発表しました。そのときの詳細なブログは以下にあります。
あと、世界大会で勝つための準備の裏側として、以下のようなブログも書きました。
Imagine Cup の規模は大きく、世界大会の前に各国で代表を決めるための予選がありました。日本も日本予選がありました。日本予選の応募は全国から100チームほどあったと聞いています。その中から日本代表になりました。
その後、Microsoft の本社があるシアトルで世界大会が開催されました。シアトルで1年のうちもっとも天気のいい7月でした。

世界から49チームが集まりました。当時はコロナ禍前だったため、完全にオフライン開催です。上位3チームがプレゼンをする最終決戦は、シアトルのフォーシーズンズホテルで行われました。
上位3チームに選ばれた特典として、ゲストで来ていたクロエ・キム(2018年・2022年オリンピックのスノーボード金メダリスト)と写真を撮れました。冬のオリンピックが開催されるたびにクロエ・キムを応援しています。

修士2年生になると、せっかくなので論文も投稿して国際学会に行こうと思い立ちます。国際学会のフルペーパーを通すのは無理でしたが、国際学会でデモ発表1件、ポスター発表1件、ワークショップ1件を発表します。
そのうち、ポスター発表はドイツで開催された IEEE VR 2018 だったのですが、ドイツに行きたすぎて割と無理言って行かせてもらいました笑
暦本研では、HCI における研究発表ではデモを見せるべきという理由で、ポスター発表での投稿はあまり推奨されていなかった記憶があります。ただ、IEEE VR 2018 が開催されたのは年度末の3月で、ちょうど年度の研究室予算がかなり余っていることに私は気づきました。2月のある日、暦本先生と小便器で横並びになった際「先生、IEEE VR のポスター発表行っていいですか!!??」と不意打ちで聞き「え、はい、いいですよ」と承諾をもらいました笑

こうして VR や Deep Learning で遊んだり、メディアアートを展示してみたり、SXSW でブースを出展したり、Imagine Cup で世界3位になったり、論文を書いてみたりと修士課程の2年間はやりたいことをなんでもやっていました。
また、SXSW や本郷テックガレージ、Imagine Cup を通して、自分の中でも起業という選択肢が出てきます。在学中、実際にいくつかのベンチャーキャピタルにも会ったり、企業から何かコラボできないかといった話もあったりしました。最終的には、自チームの他メンバーの意向もあり、起業には至りませんでしたが、そのような選択に向けて行動をしてみたことが自分にとって人生の幅を広げてくれたと思います。
一応、就活もして LINE 株式会社からソフトウェアエンジニアのポジションで内定をもらいます。
それまで自分でプロダクトを作ってわかったことは「運用に耐える実サービスを作る実力が自分にはまだない」ということでした。SXSW での展示や Imagine Cup の発表で作ったのは、プロトタイプや PoC のためのプロダクトでした。「もしプロダクトがスケールしてユーザーが増えていった場合、どのようにプロダクトを作ればいいのだろうか」という疑問がありました。
そこで、国内では圧倒的なユーザー数を抱える LINE に興味を持ちました。LINE でソフトウェアエンジニアを経験すれば、その疑問を解決できるだろうと考えていました。よって、最終的には修士課程を卒業後に LINE 株式会社に入社します。
LINE 株式会社時代(2018年 - 2022年)
LINE 株式会社では、LINE の広告プラットフォームである「LINE Ads Platform」のバックエンド開発チームの所属になりました。
LINE の新卒ソフトウェアエンジニアは、内定後に「バックエンドエンジニア」「フロントエンドエンジニア」「モバイルアプリエンジニア」みたいな3職種から希望を選べたような記憶があります。自分は、スケールしているプロダクトのバックエンド処理に特に興味があったので、バックエンドエンジニアを選びました。どのサービスに関わるかは特に希望を出していませんでした。
その結果、広告プラットフォームの開発になりました。ただ、学生時代、ウェブ広告を出稿したことはありません。LINEの広告プラットフォームがどのように使われているかも知りません。
そこで、当時のチームマネージャーに「LINE Ads Platformの全体像がわからなくて。。。」という相談をしに行ったら、突然バックエンドのサーバー構成を説明されて白目を向きそうになりました。また、自分のメンターからは「わからないことあったら質問してね」とだけ言われ放置されます。「全部わからないんだけどなぁ」と思いました。
あとから振り返ると、当時の経験によって、新しいメンバーが入ってきた際のオンボーディングがいかに重要かを学びました。
チームメンバーに新しいメンバーへの興味を持ってもらうことや、プロダクトの魅力や会社の文化を新しいメンバーに伝えることなどは、オンボーディングにおいて重要だと気づきました。自分の新卒時代の経験は、反面教師として今も大事に覚えています。
入社後半年くらいたったころ、同じチーム内でレコメンドシステムのバックエンドの開発が始まります。自分もその開発メンバーになりました。そのレコメンドシステムは、LINE 内のスマートチャンネルと呼ばれている面に使われています。
正直、LINE 広告プラットフォームの全容がよくわからないまま開発していたため、新機能として開発されるスマートチャンネルのほうが自分にとってわかりやすかったです。
また、レコメンドシステムの開発が始まるタイミングで、他チームからテックリードが異動してきました。このテックリードの方に多くのことを教わりました。チーム運営のためのドキュメントの整理の仕方や、プルリクエストに対するコメントの付け方、読みやすいコードの書き方、システム障害に対する考え方と対処法、技術的調査の方法とそのまとめ方など、チーム開発を行うためのイロハをそのテックリードの方から学んだことは間違いありません。正直、このテックリードの方がいなければ、もっと早く LINE を離れていたと思います。出会えて幸運だったと思います。
ただ、そうした中、プロダクト自体にはやはり熱量が湧いてこないことに気づきます。LINE のトークリストに表示されるような大規模プロダクトになると、関係者も多く、自分が関わる領域は非常にせまくなります。自分の貢献やプロダクト自体の面白さがあまり感じられず、自己効力感や好奇心が満たされませんでした。ただ、転職や社内異動を考える前に、もう少し技術的なことを当時のチームで身につけたいという思いもありました。
そうこうしているうちに、コロナ禍が到来します。コロナ禍1年目の2020年
は世の中がどうなるかわからず、世の中的にも転職ムードはまったくありませんでした。
コロナ禍2年目である2021年の夏、ダイニーの山田くんから「邦彦さん、転職しないんですか!?」というメッセージをもらいます。久しぶりに山田くんと会って話したあと、「LINE辞めて転職先を探してみようかなぁ」と思い始めました。
ただ、実際にどこに転職しようかなと思ったとき、ある程度有名なメガベンチャーや外資系の企業名ばかりが頭に浮かびます。そういった企業に転職した自分を想像すると、結局 LINE 時代とやっていることが変わらないのではと思いました。
『LINE 時代はバックエンドエンジニアだったので、そういった企業に行く場合もバックエンドエンジニアとして採用されるだろう。サービスもある程度大きいので、また大規模開発のいちメンバーとして開発をしていく。。。』
よく考えるとそういった役割自体に自分自身が熱量を持てないことに気づきます。
ただ、現状のLINEを続けていてもくすぶっているだけだと思い、進路が決まる前にとりあえず辞めることにします。多少の期間は無給でも生きていける貯金はあったので、「よく考えたら別に無理して働かなくてもいいよなー。浪人しているときはほぼニートだし、大学院のときまでお金なかったし」みたいなことを自分に言い聞かせて、LINE を辞めました。2022年2月に退職しました。
フリーランス(ニート)時代(2022年 - 2023年)
有給休暇の消化を含めると、2022年1月からなにもすることがなくなりました。ニートです。2022年3月から2022年6月まで完全に無給です。給料は1円も入ってきません。
週3でテニスしたり、「起業のエクイティファイナンス」を読んだり、iOS アプリを実装してみたり、ハローワークに失業手当てを出しに行ったりしていました。のんびりとした時間を過ごし、穏やかな日々を過ごします。ただ、クレジットカードの引き落とし日だけ気分が落ち込みました。
まったく労働をしなくなって半年がたった2022年6月ごろ、貯金も減ってきたのでそろそろ行動しないとなと思い始めます。
大学・大学院時代に身近に感じた起業も選択肢にありましたが、 LINE での従業員時代を経て、起業が遠い存在になっていることに気づきます。LINE 時代は、開発チームのいちメンバーとして、すでに仕様が決められた機能を開発していました。「プロダクトに何を実装するか」「ビジネスとしてどう伸ばすか」といった意思決定にはまったく関わっていません。その結果、0から何かを作るというマインドが消えかけていることに気づきました。
そこで、次の進路はまだ規模が大きくなっていないスタートアップに入ろうと思いました。具体的には「従業員30名以下」「シリーズAかそれ以前」という基準を設けました。
まず、カジュアル面談でいろんな会社の話を聞いてみようと思い、自分でスタートアップ企業を調べたり、当時 Coral Capital が行っていた「Coral Careers」というサービスに登録したりしました。Coral Careers は、Coral Capital が自社の投資先と採用候補者をマッチングさせるサービスでした。Coral Careers 経由でカジュアル面談した会社が10社程度あったと思います。
自分でアポイントを取った企業も含めると、2022年6月に全部で16社とカジュアル面談をしました。
その中から興味を惹いた 4社で業務委託としてお試しで働いてみることにします。ただ、4社同時は時間的に難しいので、1ヶ月半で2社、その次の1ヶ月半で残り2社というスケジュールにします。
1社は現在取締役を務めているトラストハブです。残り3社のうち、Saas 系が2社、toCサービス系が1社でした。
その結果、サービスが急成長していたトラストハブがもっともスタートアップらしく、自分の求めていた環境にぴったりでした。
約4ヶ月半の業務委託期間を経て、2023年1月に正社員としての入社を決めます。
トラストハブ時代(2023年1月 - 現在)
トラストハブへの入社経緯や入社後については、以下の会社ブログに書かれています。
入社直後は、自分を含め開発メンバーが6名いました。業務委託として入った当初はチームとして動けていない状態でした。そこから、少しずつチームとして動けるための仕組みを導入します。
このとき、とても幸運だったのは、自分が入社する直前に非常に優秀な若手エンジニアが入社してくれたことです。これによって、自分は必要最低限の仕組みを作るだけで、あとはメンバーが自律的に動いたり自発的にチームを改善していったりしてくれました。
正式に開発チームのマネージャー(社内ではマネージャーという言葉をあまり使わず、「開発リーダー」「開発責任者」とも呼ぶ)になったのは、入社して3ヶ月後にあった人事評価のタイミングだったと思います。この際、取締役の矢島さんから「開発メンバーの評価をお願いしたい」と言われました。
その後2年間では、事業が成長する中、新しいメンバーの採用が間に合っていませんでした。一方で、組織が大きくになるにつれて人事評価の方法が古くなってきたり、組織作りの取りまとめをする人がいなかったりという状況でした。
自分は開発チーム全体を見るようになっていましたが、徐々に組織全体も良くしていきたいという想いが強くなります。「メンバー全員がよりエンパワーされる環境にしたい」と思うようになりました。
また当時、社内を見渡しても正式なマネージャーというのが自分しかいませんでした。というのも、正社員が複数人所属しているチームは開発チームしかなく、いわゆる事業開発やCSのメンバーは単独での業務か二人一組としてペアで行動することが多かったためです。
こうした状況も合わさり、会社全体の人事を見るのは自分しかいないと思い始めます。そこで、2025年の2月ごろに取締役の二人に「自分が人事を統括したい。組織全体に関わることなので取締役としてコミットしたい」という旨を伝えました。ふたりからはいくつか質問が出たあと、その場で承諾の返事が出ました。よく考えると、その場で承諾をする取締役ふたりの肝の座り方もすごいなと思います笑
その後、2025年7月に開かれた株主総会で正式に取締役に任命されました。
終わりに
「これをすれば取締役になれる」という方法は特になく、それまでの経験やそのときの状況によって運命的に決めることはあると思います。
自分の半生を振り返るためにもここまで書きました。読んでいただきありがとうございます。
