五月晴れの散歩道。生まれてこなければよかった、でも……
この文章は、母がまだ存命だった頃、私が最も苦しみの中にいた時に綴ったものです。
当時の張り裂けそうな心の乱れをそのまま感じていただくため、あえて一切の手直しをせず、当時の言葉のままにしてあります。
私は今、絶望のどん底にいる。
しかし、その先にさらなる底が待ち構えていると思うと、心がくじけそうになる。
その底とは、母がこの世からいなくなる日のことだ。
余命宣告を受けた母は、今、入院している。
家にいても気が沈むばかりなので、認知症の父を連れて近所を散歩してみた。
五月晴れのうららかな光の中で、春の花が咲き乱れ、どの家庭もいつもと変わらぬ日常を謳歌しているように見える。
何だか、自分たちだけが取り残され、不幸の沼に落ちたようで、歩くほどに気が沈み、その場にしゃがみ込みたくなってしまう。
「こんなに辛い思いをするのなら、生まれてこなければよかった」
ふと、そんな思考が頭をよぎる。
けれど、隣で頼りない子供のような表情をして、とぼとぼ歩く父の姿を見ると、自分は生まれてきてよかったのだと思い直す。
私がいなければ、母の入退院や、いずれ訪れる葬儀の対応も、何一つ進まないだろう。
何より、一人で生きていくことなど、父には到底できないのだから。
しかし、それは他人事ではない。もし自分が、父と同じ病になったらどうなるのか。
独身で兄弟もいない私には、老後を支えてくれる家族はいない。
若い頃は「一人のほうが気楽でいい」と考えていた。
だが、一人では生きられない父母の過酷な現実を目の当たりにした今、老後の自分を想像すると、まるで足元の崩れそうな絶壁を歩いているような、言いようのない恐怖が込み上げてくる。
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認知症の父を介護しながら、再起をかけて執筆を続けています。
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この小説の主人公も子供の頃に母を亡くしています。彼も、その悲しみを乗り越えるために頑張っているので、ぜひ応援してやってください。
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