かばんのつむじ ‐後編‐
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そのとき、電車は僕の目的地の上野に着いたが、降りる気がしなかった。もともと、ちょっと散歩気分で来ただけだし。それより、彼女が心配だ。これからどうするんだ?このまま、ずっとここにいる気なのか?
そんなぼくの思いが伝わったのか、足を前に投げ出して彼女はつぶやいた。
「あーあ、もう2周半。きっとここにこ来ないわね、ご主人。どうしようかな」
そして、大きな目をぼくに向けた。
「ねぇ、あなたはこれから、どこにいくの?何か用事があるの?」
「いや、別にないけど・・・?」
「そ。じゃあ、これから私をどこかに連れて行ってよ。遊びにいこう」

ぼくは、あまりの展開の速さについていけなく、あっけにとられた。すっかり彼女をかわいそうなかばんだと思い込んでいたから。さっきの悲しそうな顔は錯覚か?やっぱり彼女は普通の女の子で、これは、いわゆる逆ナンパというヤツなのか?まあ、それはそれで、うれしいけど…。なんだか少しがっかりだ。
「うーん、ぼくはいいけど…。君はいいのか?ご主人を待たなくても」
「もう、きっと来ないわ。今頃、新しいかばんを買っているところよ。それにこのままここにいて、車掌さんに見つかって忘れ物係にでも連れてかれたりしたら…」
「連れていかれたら?ご主人が迎えにくるかもよ。いや、もしかしたら今頃来ているかもしれない」
「ううん、取りに来てくれる人なんて少数なのよ。知り合いに聞いたんだけどね、ひどいところらしいわ。ゴチャゴチャしてて、ご主人が迎えに来た人を羨望の眼差しで見て。老人ホームさながらね。あそこも、家族がお見舞いに来ると周りがすごく羨ましがるらしいから。それに、私のご主人はボーイフレンドができたばかりだし、かばんを無くしたって言ったら、きっと喜んでプレゼントしてくれるはず!」
「どうして、そんな風にご主人が来ないって決めつけるのさ」
「彼女も、私も、前向きなの。物への執着もないし、何があっても、ま、いいかってプラスにできるのよ。そんなサッパリ感が彼女のいいところで、私のいいところでもある」
彼女はおどけたようにそう言って笑った。本当にここから出たいようだ。僕の顔をのぞきこんでいるその目は、「お願い!」と訴えている。

まったく、彼女は、なんなんだ。
何でそんなてきとうなことが言えるんだ。本当なのか?本当にサッパリしたかばんなのか?
いや、この際そんなことはどうでもいい。
彼女はここから脱出したくて、ぼくも彼女を連れだして、正体を暴かなくてはいけない。思いは同じだ。あとはぼくが承諾の返事をして、彼女の手を引いて、公園にでも散歩に連れて行けばいいんだ。
「本当に、いいんだね。もうご主人には会えないかもしれないんだよ」
「うん、いいの。決断は早くしないと。あなたを逃したら、きっと老人ホーム行きだわ。前向きに行かないとね。私だって、たまにはご主人を自分で選びたいし。今までは選ばれてばっかりだったから」
「それじゃあ、次の駅で降りて、上野に戻ろうか。本当は、上野に行くつもりだったんだ。まあ、散歩しにいくだけだけど。どう?」
彼女はとても嬉しそうに大きくうなづいた。
ぼくもほっとして、背もたれに寄りかかって窓の外を見た。
なんだか、彼女と一緒にいると、夢なのか現実なのか、真実か虚妄なのか、あやふやになってくる。なにがなんだかわからなくなって、不思議な心地良さだ。
彼女をもう一度見る。人間に見えるが、かばんだ。そしてこのポーチも香水も彼女のものではなくて、彼女自身が誰かのものなのだ。
かばんに話しかけるぼくは、人間なのか、かばんなのか。
今、ぼくは、周りで電車に揺られている人々の世界とは、違う世界に入り込んでしまったのではないか。いや、本当は、人間に見えるものがかばんで、かばんに見えるものが人間なのかもしれない。じゃあ、今まで人間だと信じ込んで生きてきたぼくは、なんなんだ。彼女はこんなに若くして自分の真の姿を知っていることになる。
このサラリーマンたちは、自分がかばんだと気づいているのか。この主婦たちは。ぼくはいつ、鏡に映る自分を見て、かばんだと思えるようになるんだ。
いやいや、それは考え過ぎだ。ぼくは、人間のはずだ。
そして、彼女も。
ぼくの頭は混乱したままだ。

ガタン、と電車は大きく揺れて東京駅に着いた。ぼくは立ち上がり彼女の方を見る。彼女はぼくの方に手を差し出して、
「はい、連れてって。持ってくれないと、私、動けないから」
と、変に真面目な顔で言っている。
彼女の手を取り、ホームに降りる。
ぼくは思わず、にやりとしてしまった。ここまで、うまくうそがつけるか。
頭は混乱していたが、彼女が人であれ、かばんであれ、とても魅力的だ、ということだけははっきりわかってきた。
彼女はするっとぼくの手をほどき、ちょっと前の方に走って振り返り、はやく、とぼくを嬉しそうに急かす。
かばんが、一人で走っている。
もし、彼女が本当にかばんなら、ぼくもかばんでいいと思った。ご主人なんかじゃなくて、かばんになりたいと思った。
黒くてやわらかくて小さなかばんの取っ手と、ちょっと汚れた紺のスポーツバックの取っ手が、からまりあっているところを想像して、ぼくはまたにやにやした。
そうだ、ぼくも実はかばんだったことにしよう。底にキャスターがついているから、一人で歩けるんだ。場合によっては、彼女を背中に乗せることもできる。うん、そうしよう。
ぼくは、彼女を追いかけながら、
かばんのつむじはどこにあるんだろう、と考えていた。
(完)
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