かばんのつむじ -中編-
プシューと扉は閉まり、またぼくらは電車の中に隔離された。
「ごめん、今、なんて言ったの?」
腰を椅子に沈めながら言った。彼女はぼくのほうに向きなおって、にこやかに言い直した。
「私、カバンなの」
「カバンって、あのカバン?物を入れたりする」
彼女は笑ってうなづいた。
ぼくは、正直、困ってしまった。これは…冗談たよなぁ。しかしそんな冗談を初対面の僕に言うなんて。ぼくと話がしたいんだろうか。いや、そう思うのはうぬぼれが強すぎる。それじゃ、なんなんだ?
彼女の顔をじっと見る。色が白くて大きな目、それほど大きくない唇は横に引っ張られて笑顔をつくっている。やはり、高校生ぐらいに見える。
「私のご主人は、私を置き忘れてどっかに行っちゃったみたい。ずっとここで待ってるんだけど、もう、来ないかしらね」
「ぼくには、君が女の子に見えるんだけど、ぼく以外の人には君がかばんに見えるのかな?」
「ええ、たぶん。私が自分のことを鏡で見る限り、かばんだわ。黒くて、小さいの」
「ははー、じゃあ、ぼくは今、他人から見れば、かばんに話しかける怪しい人間なんだ」
「そういうことになるわね」
そんなふうに言われると、なんだか挑発的になってうそを暴いてやりたい気分になる。
「だけど、もう2周目に入るくらい長いことここに座っているのなら、だれか知らない奴に持っていかれててもおかしくないだろう」
「ううん、それは、気をつけていて。そういう目で私を見る人がいたら、すぐに隣の人に寄りかかるの。そしたら、その人のかばんみたいになるでしょう?」
と言って、読んでいた詩集を閉じ、ぼくの腕に手を回してきた。
まあ、よくもそんなでたらめがぽんぽんと…。しかし、なんだかちょっとうれしくて、あきれて、不思議な気分だ。
本当にかばんなんじゃないかとも思い始めてしまっている。

手を回された右腕をぎこちなく彼女の方に寄せながら、閉じられた詩集が乗っている太ももを見た。
「…かばんが、かばんを持つんだ?」
そこには小さな詩集とともに、小さなシルバーのポーチが乗っていた。
半分は、ほーら、やっぱり君はかばんじゃないんだ、と思い、半分は「かばんはかばんを持つのか?」と本当に疑問に思ったりしていて、なんだかちょっとよくわからない気分だ。半信半疑。
「ああ、これはね、お化粧ポーチ。こまごましているでしょう。女の子は、かばんの中にいつもこういうポーチをいれているのよ。私のご主人はね、女の子なの。ついこの間までは、私の中にお財布と、詩集とハンカチしか入れていなかったのに、最近はこのお化粧ポーチも入れるのね。それでね、出かける時には私にまで香水をかけてくれるのよ」と言って笑った。
確かに、彼女からは良い香りがする。でもこれは彼女の香りではなく、彼女の持ち主の香りなのだ。
きっとまだ高校生で、最近彼氏ができたに違いない。そして、この香水をつけて、かばんの彼女にもふりかけ、出かけるんだ。どきどきしながら山手線にのって、詩集を開き、でも全然頭に文字が入んなくて、コンパクトを出して、前髪をいじる。これを何度も繰り返す。で、待ち合わせの駅が近づいてきて、本とコンパクトをかばんにしまい、彼を見つけたとたん、慌てて手を振って、かばんをおいたまま、走ってホームに降りたんだ。
どうして置いていくんだ。香水をかけるほど大切なかばんを。お財布も必要だし、お化粧も直さなくちゃいけないし、この詩集だって大切なものだろう?
今頃、どうしているんだろう。駅に電話をしているだろうか。それとも、もうあきらめて彼と新しいかばんを探しているのか。
そう思うと、なんだかかばんの彼女がかわいそうになってしまった。彼女の口ぶりから、彼女はご主人が大好きなのに違いない。洋服と合わないからと家に置いて行かれる時は、きっと悲しい顔をするんだ。

…なーんて、何を考えてんだ。そんなはずないだろう。彼女は、どっから見たって人間だ。
そうだろう?
「なに?」
彼女はもう笑うのをやめていて、ぼくの顔を見ていた。ぼくも彼女の顔をじっと見てしまっていたのだ。
えーと、なんか、うまく切り返さなきゃ。
「いや…なんていうか…その……中身を見てみたいなと思って。ほら、ご主人の大切なものを君が持っていたら、きっとご主人は取りに来るだろう?でももし、そうじゃないなら……さ、ね」
もし、そうじゃないなら、ご主人は取りに来ないよ、と言いかけて飲み込んだ。
彼女が冗談を言っているという確信があったら、これからこのまま彼女をお茶にでも誘えそうな展開なんだが。もし、もしも本当に彼女がかばんなら、ものすごく残酷なことを言うことになる。後味の悪い気分になりながら、彼女の様子を横目で伺った。
彼女はものすごく悲しそうな顔をしたように見えたが、すぐにぼくのほうを向いて、
「私を開けるのは、やめたほうがいいと思うわ。毒ガスが入ってるかもしれない」
と、いたずらっぽく笑った。
一瞬見せた悲しい顔が、その笑顔を痛々しくしていた。
あー、やっぱり、さっきの発言は軽率だった。彼女はぼくに気を遣って、そんな風に笑うんだ。こんなだからいつもだめなんだよぼくは。
「ごめん」と思わず言う。
「え?なにが?」
「いや、いいんだよ…」
もう、2周も山手線を廻って、大好きなご主人を待っているんだ。もう来ないかもしれないご主人を。本当に、なんてひどいことを言ったんだ。
~つづく~
かばんのつむじ ‐後編‐
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