③『(日本人)』橘玲(2012・幻冬舎)/ 世俗的な日本人の合理&個人主義
日本人は世界で一番世俗的
橘先生は、『ものぐさ精神分析』著者であられる岸田秀先生の日本人論を否定。
岸田先生によれば国家とはひとつの人格で、「日本」の人格は太平洋戦争の敗北によって分裂。戦前・戦後で違う人格になってしまった、という。
一方、橘先生の主張はこう。
「戦争に明け暮れた戦前と平和を愛する戦後は、日本人が世界でもっとも世俗的な民族だということから一貫して説明できる」
世俗的とは損得感情のこと
得ならやるけど損ならやらない。
敗戦により日本人は「戦争って損」なことに気づいただけ。
私たちは「日本は村社会の国だ」と思い込んでいるけれど、世界の国々をずらーり並べて比べたら、村社会なんて珍しくもなんともないのだそうです。アジアの国々ってどこも価値観がよく似てて、日本はその中の一国にすぎない。特別でもなんでもないアジアの中のフツーの国ということのよう。
村社会という思い込みから離れて世界の中の日本を眺めてみると、意外にも、日本人って実はものすご世俗的・合理的で個人主義な国民性であることがわかるそうです。
言われてみればそうかもなと思う。今の日本に一族郎党やら聖戦やらのために命捧げるヤツなど(ほぼ)おらんもんね。これだけでも合理の指数が上がりそう。
日本仏教の世俗化
こちらはサンスクリット語、パーリ語、中国語を自在に操る稀代の碩学、仏教哲学者の故・中村元先生。
インド〜日本らへんの国々の膨大な文献にあたって、文化の受容からそれぞれの国民の認識(思惟)構造の違いを調べたのだそうです。
中村先生によれば、インドで興った仏教は、中国で漢訳される際に変容し、日本に伝来した時にもう一度変容した。これは、もともとその国の人たちが持っていた認識構造に合った思想しか受容されなかったからだ、と。
たとえば禅宗(曹洞宗)の祖である道元は、「有時高高峰頂立、有時深深海底行(あるときは高い峰の頂に立ち、あるときは深い海の底を行く)」という単純な文章を、「有時(あるとき)」をひとつの名詞=概念と見なすことで、「時すれは有なり。有はみな時なり」と解釈し、そこから独自の「時間哲学」を展開した。それ以外にもこうしたれいはいくらでもあり、日本の仏教者は漢語を一種の暗号として恣意的に「解読」することで、自らの思想を生み出していったのだ。
中村先生によれば、日本の仏教はインド仏教(オリジナル)を徹底的に世俗化したものなのだそう。
インド仏教
厳しい自然が背景
現世→穢土(けがれた土地)
来世→極楽浄土
極楽浄土での修行によって仏に至る。
日本仏教
風光明媚な自然ゆえに、穢土の思想が馴染まず。
極楽浄土での修行をカット。死ねばすぐ仏に。
「即身成仏」→生身の肉体のまま究極の悟りを得られるルートを創造。
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ご利益のある神にしか関心を持たず、苦労せずに成果の出るインスタントな宗教を求めた結果、こういう感じに仕上がった。
ーーーたしかにご都合味が凄い。笑
この世にし
楽しくあらば 来む世には
虫にも鳥にも われはなりなむ
いまが楽しければ来世はどうなったって構わないという性癖。万葉集の頃から日本人はずーっとこうだった、と。
山本七平『「空気」の研究』
山本先生が辿り着けなかった「水」の正体。橘先生によれば・・・・
水=世俗(現実)
空気=世間
日本社会は「空気」と「水」というふたつの相反する原理で動いており(もちろんこれはどんな社会にも言えることだが)、あえて「日本人の特徴」をあげるなら、それは世俗性が極めて高いことである、と。
このことは、日本における「空気の支配」と矛盾しない。「世間」の拘束が強いのは、そうしなければひとびとをひとつの共同体にまとめておけないほど日本人が「個人主義的」だからなのだ。
日本人は昔から「世間」が大嫌いだった。だからこそ「お上」に面従腹背しつつ、個人の欲望を抑圧する「権威」をはげしく嫌悪したのだ。
敗戦の直後から「拝啓、マッカーサー元帥様」と手紙を書き始め、日本をアメリカの属国にしてほしいと懇願したのは、日本人の“自我”が分裂したからではなく、それが“得”だと思ったからだ。日本人は、御利益のある神と自分の得になる権威しか認めない。ひとびとの価値観は、支配者の交代や、いわんや教育などではなにも変わらない。
日本人は有史以来、世間のしがらみに絡め取られながらも、現世を楽しく生きることがすべてだと考えてきたのだ。
たしかに「世間が大好き❤」って人をあんまり見たことがない。みんな世間にうんざりげっそり。大嫌い派が多い気がするのは肌感覚的には確かです。一票!
が、どんなに嫌いでも空気読んで世間に合わせとかなマズイわけですよねえ。おかしなことはできない。
・・・・宗教の代わりに世俗様にシッポをギューされておるんですネ、我々。
こう考えると宗教でも世俗でもどっちもたいして変わりない、似たり寄ったりですな!って気もするけれど、それでもさ、改めて宗教と世俗とどっちがいいか?と考えてみたら、やっぱり私は100-0で世俗がいい。
