【短編】ポスト(5/5)
5.ポスト
コンビニから数分歩くと、電車からちらりと見えた、あの赤いポストがあった。やはり見間違いではなかった。
それは、この頃ではあまり見掛けることのない、鋳鉄製でコンクリートの根石に固定された円筒型の赤いポストだった。高さは150cm程度、私の胸ほどの高さだ。ベレー帽のような形状をした頭部と、本体の上の方にある投函口、それと中央やや下方の四角い郵便物回収口とで構成され、投函口には雨よけの庇が付いている。
頭部や回収口の出っ張り部分や庇の上面には、長年積もり積もった汚れが雨に流れ、黒くへばり付いていて、表面の赤い塗装もかなり色褪せ、何度となく塗り重ねられたペンキは所々剥げている。
私は、捲れているペンキの縁に爪を引っ掛けて剥がしてみた。すると、その下から鮮やかな朱色が出現した。それを周りのくすんだ赤と見比べているうちに、何だか私は無性に誰かに手紙を書きたくなった。
あの時、渡せずじまいになって、いつの間にかどこかに紛れてしまったケンちゃんへの手紙。
――そうだ、ケンちゃんに書いてみよう。
私はコンビニに戻って、封筒と便箋を買った。
店内には飲食スペースがあったが、そこは手紙を書くのにはそぐわない気がしてコンビニを出た。
通りを更に進むと、いかにも昔ながらの喫茶店という雰囲気の店があった。店内はいかにも時代めいて、テーブルや椅子などの調度品も古めかしく、落ち着いた感じがとても気に入った。
そこで、ケンちゃんに宛てて手紙をしたためることにした。
あれから半世紀近く経った。時間は、感情や感覚を鈍らせる。あの頃、ケンちゃんの死に対して、自分がどう思ったのか、どう感じたのか、今ではもう覚えていない。ましてや子どもだった頃の感情だ。それほど深いはずもない。事実、つい先ほどまで、ケンちゃんのことも交通事故で亡くなったことも、すっかり忘れていたほどだ。
しかし今日ひょんなことで、そのことを思い出した。と言うことは、ケンちゃんのことは、私の中ではまだ終わったことではなく、どこかで燻り続けていたのだろう。
色んな感情が錯綜して頭の中を飛び交い、小一時間ほど悩みに悩んで、結局「ごめんな」とだけ記した。他に適切な言葉が思い浮かばなかった。何か言い訳めいたことを書き連ねても詮ない気がして、その一言に色々な「ごめんな」を込めたつもりだ。
自分の名前を書くかどうか迷った末、止めた。封をして、宛名には『坂本健一様』とだけ書いた。
すっかり冷めてしまったコーヒーは、何だかかび臭い味がした。私はほとんど残して店を出た。
私は手紙を先程のポストに投函した。
私は『やだはし』を渡って駅に向かう。
川はこの世とあの世を分ける境目で、橋はそれらを繋ぐものだ。そして橋には入口と出口がある。入り口が漢字表記の『矢田橋』で、出口がひらがな表記の『やだはし』だ。
私は『矢田橋』から入って、『やだはし』から戻った。私はその間に、ほんの一時、異界とやらを垣間見たのかも知れない。
私は、四時少し前、矢田駅から電車に乗って帰途に着いた。
車中、妻に今日の不思議な出来事を話すか否か、かなり悩んだが、結局話さないことに決めた。
妻はずっと姉を重荷に感じていた。姉が亡くなって、気持ちが少し軽くなったかも知れない。健一の姉の告白は救いにはなっただろう。だがそれで、彼女の心の傷が癒える訳ではない。彼女の苦しみ悩んだ時間が無くなることもない。澱となって記憶の底に落ちるのを、このまま静かに待つのが一番良いように思う。
「帰りが遅いから心配していたのよ」
「すまん。間違えて各停に乗ってしまってね」
「それならそうと、電話してくれれば……」
「携帯を持って行くのを忘れたんだ」
「もう、しっかりしてよ」
ああ。私は生返事をしながら、手紙のことを考えていた。
住所も差出人も書かれてない、しかも切手も貼られていない手紙は、いずれ廃棄処分されるだろう。
焼却されたら煙になってケンちゃんに届くだろうか。
先日帰省した折、ケンちゃんが事故に遭った辺りも歩いたはずだが、お地蔵様の横に赤いポストがまだあったかどうか、私の記憶は定かではない。
<終わり>
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