悪夢遊病者(ナイトメアウォーカー)1話
あらすじ
悪夢から生まれた魔物『夢魔』による被害が相次ぐ日本。高校生の久作は非リアな人生を悔やみ、幸せになることを夢見る日々を送っていた。ある日、彼は夢遊病状態で明晰夢を見ることに成功し、現実に触れられる夢『夢の国』に入れるようになる。しかし、そこは関係者しか立ち寄ることが許されず、その場所にいたとんがり帽子の男に、夢の力で爆撃を食らわせられ瀕死になる。そこで彼に憑りついていた『黒い獏』の力が覚醒し、反撃するが、力がつき、無防備になってしまう。危機を救ったのは『夢魔祓い協会』の真赤星未白であった。夢を喰らう黒い獏の力で、全ての夢魔を喰らい、『白い獏』を保護することを目的に、彼女は久作を協会に誘う。
①
2003年。安心して眠れない国。日本。西東京。
ベッドに横たわった男の体が、金縛りにあったように硬直する。
寝台の三十代の男が目を見開く。彼の首に皺が侵食し、息のできない苦しさにもがき始める。首はまるで何者かに絞められたような様態にあった。手が伸びた先には、彼とその妻と息子と思われる三人の家族写真。扉が開く。
男性「……久作」
写真に映った五歳の息子が目にしたのは、ベッドの上でこちらに顔を向けるミイラのような父親の顔と、扉から漏れ出た光に紛れた、ベッドの上に映る魔物のような影。それは長い鼻と短い尻尾を揺らしながら少年にかみつこうと口を開いた。
②
ぬいぐるみ「助けてくれ」
ここが夢の中であることは久作も理解していた。
だからこそ、目の前の蔓に絡まったぬいぐるみが声を出そうと、何一つ不思議な気はしなかった。
鼻の長い、尻尾がある、四足をもった、黒い動物のぬいぐるみは、短い足をじたばたさせて、絡まった蔓から逃げ出そうとしている。
蔓の方もぬいぐるみを離さないようにしていたため、久作は強引に剥した。
ぬいぐるみ「助かったよ。……あと、おめでとう」
久作「……あぁ」
右の癖っ毛を触りながら、気の抜けた返事をすると、蔓をのばした植物の陰からごそごそと音をたてて、上空に何かが浮遊した。
それは埃と雨雲が混ざったようなもので、うなぎのように長く、目と口をもっていた。
ぬいぐるみ「夢魔だよ」
久作「……あれのこと?」
久作が上空をさして言った。
ぬいぐるみ「そう。人の悪夢からでてきた魔物。僕を食べるために蔓に憑りついていたんだ。あれは雑魚夢魔だからな。他のものに依存するか、悪夢を見ている本人の精神を喰うくらいしかしないな」
久作「ってことは、もっと強いのもいるの?」
ぬいぐるみ「いるな。そいつらは直接人を襲ってくる。ま、そうならないように夢魔祓いがいるんだ」
久作「……へぇ」
不思議がることもなく久作はぬいぐるみの声に答えると、上空にいた夢魔が向こうにゆらゆら飛んで行った。
ぬいぐるみ「……随分他人事だな。お前はこれから大変なことになるんだぜ」
久作は平然な顔を崩さなかった。
久作「だってさ、ここ夢だろ。今の話も、目を覚ましたら関係ないんだから」
ぬいぐるみ「……お前、やけにはっきり喋れるとは思わないのか? 普段の夢より意識がはっきりしているだろ」
久作「そりゃ、明晰夢だから。俺が夢にばっか逃げてきたから、それで……」
ぬいぐるみ「ここは『夢の国』だよ」
真面目な声でぬいぐるみは答えた。
ぬいぐるみ「『夢の国』、現実に触れられる夢、だからね」
久作「……え?」
久作が眠りから覚めると、天井に向けて何かを抱えて両腕を伸ばしていた。
手に抱えていたのは、夢の中で喋りかけてきた、名前のわからないぬいぐるみだった。
ぬいぐるみ「な、おめでとうって言ったろ」
➂
帰りのホームルームが始まるまでの十分、久作は机に伏せているかのように限界まで顔をノートに寄せていた。
「また、あいつ寝てるよ」と男子生徒が呆れたように言う。
黒板には2002年、オランダで安楽死法成立、という文字が消されずに残っている。
リア女「見てよ、夢の国だって」
リア男「知ってる、それ。夢の中でリアルな感覚を味わえる……てきな」
一番前の席で、後ろの声を聞きながら、久作は猫背をさらに曲げた。
リア女「いいなあ、うちも飛んでみたい」
リア男「お前のそういうところが、かわいいんだ」
板書した文字の上に「リア充」の文字を書く。二回、三回、何回も書く。
リア女「……もう、今度また一緒に行こうよ」
リア男「はは、それテーマパークの方な。ゴールデンウィークに……」
久作(ほんと、俺の後ろで話すなってんだ!)
彼の顔の筋肉が強張る。休み時間の喧騒を打ち破るつもりで、彼は心の中で叫んだ。
ぬいぐるみ(ずいぶん、ひどい顔してるな)
口の開いたリュックから、ぬいぐるみがのぞいていた。
ぬいぐるみ(後ろの二人に恨みかなんかあるのか)
久作(何も俺の後ろで、幸福と不幸の構図を見せつけなくてもいいだろって言ってるんだ)
回想
現在四月の二週目。彼が、焦り出したのは最近、高校三年にあがったときだ。
中学三年間と、この高校三年にいたるまで、青春っぽいことを一度も経験したことがなかった。代わりに彼はその時間を眠ることに費やした。明晰夢を見れるようになること、それが彼の唯一の居場所だったのだ。しかし、学校の終わりが近づいた、現在高校三年の四月、その三年間を有意義過ごしてきた者、つまりリア充たちに対し、異常なほどの妬みをこじらせているのだった。
久作(……ホームルーム終わるまで待っていてくれ)
心の中で呟くと、担任の女教師が扉を開けて入ってきた。ようやく喧騒が止むと、陽キャ男の一人が、担任の配ろうとしていた書類を代わって配り始めた。
久作はその様子を見て、後ろめたそうな表情をする。
渡された書類は、進路調査の紙であった。
黒板に書かれていたオランダの安楽死の文字が目に入った。
久作(2002年、父親が死ぬ翌年だな。……安楽死、進路、俺は大学に行けるのか)
唐突に彼は自分の名前が呼ばれ、日直だったことに気がついた。室内が見えないように、隈のついた両目を下に向けながら前に出る。
「あいつ、いつも寝てるからな」「勘弁してほしいよ、早く帰りたいのに」
前に立つと彼にはそんな幻聴が聞えてきた。
先生の話が始まり、進路調査の話をして、終了の合図をした。
席で教科書をリュックに仕舞おうとすると、自然ぬいぐるみを無視できなくなった。
ぬいぐるみ(よう、もう話しかけていいか)
溜息をついて、久作は頷いた。
ぬいぐるみ(お前、一人で日直なのか)
彼は空いた席を見つめた。
久作(出席番号順で二人ずつなんだけど、真赤星っていう子が不登校なんだよ。……盗み聞きしたんだけど既に三分の一の欠席をしているから退学になるはずなんだとか)
ぬいぐるみ(……ふうん、あの真赤星か。学校のルールを無視できるなら……。そいつのオーラすごくなかったか)
久作(……すごかった。二年前に見たけど、すごかった)
すごく可愛かった。
ぬいぐるみ(真赤星家は夢魔祓いの名門だからな)
久作(……そうなんだ)
久作は興味無さそうに答えると、教卓に日報を置いた。
ぬいぐるみ(……お前、よく平然としてられるな)
リュックを背負って、階段を降りる。
久作(……何が?)
ぬいぐるみ(ぬいぐるみが、心に話しかけてくることにだよ)
久作「独り言は慣れてるからな」
彼が小声で口に出すと、向かいから登って来た男子高校生が一度会話を止めて、怪訝そうに彼を一目して過ぎ去っていった。
ぬいぐるみ(信じてないな)
久作(信じてないよ。お前は、俺が頭の中で作りあげた妄想だと思っている)
もしくは、悪夢かなんかだな。
ぬいぐるみ(自分と会話してる悲しい奴ってこと?)
久作(……うるせえよ)
嘲笑ったぬいぐるみの声に、久作は顔をしかめる。
仕方ないだろ。話す相手いないんだから。人間寂しいと死んじゃうんだよ。
ぬいぐるみ(授業中、話しかけるなってのはどういうことだったんだ?)
久作(独り言で迷惑かけたくないからだよ。……俺の声なんて誰も気にしないだろうけど)
ぬいぐるみ(……そんなことはないぞ。お前が眠りだした時、囁かれてた。あいつはいつも寝てるってな)
久作(……それ、陰口だろ)
三年間もいれば認知される。問題はそのうえで友達がいないことだった。
ぬいぐるみ(ずっと寝てるから、友達がいないのか?)
……よく喋るんだな。
下駄箱からローファーを取り出して自分の過去を思い出す。
回想
俺は昔からよく眠くなる体質だった。それはもう睡眠障害と判断されておかしくないが、どこかであの日みた夢の所為だと思っている。
授業中はほとんど眠っているから学校の成績は最悪。日直の仕事は忘れるわ、グループワークでは一言も話さないわで、悪目立ち。
友達もいない、部活にも入ってない、寝てばっかで、役立たずの憐れな社会不適合者。周囲からは絶対そう思われている。
何をしても楽しくなくて、将来に希望をもてない、根暗で一人ぼっち。
こういう奴、自分は絶対違うと信じたかったが、もう認めるしかない。
校門を通る。数人で騒ぐグループや、顔の整ったカップル、男女の集団、があちこちにいる中、一人で彼は進んだ。
こういう奴のこと、つまり僕のことを、「非リア充」というのだ。
ぬいぐるみ(……)
でもまだ大丈夫、希望はある。
彼が向かったのは小さな公園だった。子どもが遊ぶような遊具と、大人が休めるベンチがある。
ぬいぐるみ(お前の好きな人か)
久作(そう。この公園は、好きなアーティストの聖地なんだ。その子もそのアーティストが好きで、ベンチで本を読んで座っていたんだ。話したことがある。後ろ姿が本当に純文学の登場人物みたいで、ものすごく可愛いんだ。目がキョロんとしていて)
学校の制服を探す。
ぬいぐるみ(……どうした?)
一人で空想を漂っていた時に活き活きとしていた久作の目が灰色に変わっていた。
彼は公園の入り口に立ったまま、動けずにいた。
彼の視線の先には、日差しを遮った静かな午後のベンチに座っている制服の二人。
キスをしている男女。
久作(……一体、何がいけないんだよ)
時が飛んで、気がつくと久作はベッドにうずくまりながら考えていた。フラッシュバックする小柄で茶髪のポニーテールの女の子が紅潮した頬で男の肩に手を伸ばして、キスをしている。すごくイケメンな男。
ぬいぐるみ(あれは確かに美男美女だったな)
あああああ!
ぬいぐるみ(お前が好きだった奴がキスしてたってわけだ。しかもあんなロマンチックな……)
久作「もう、やめてくれよ」
枕に顔を伏せながら久作は強い言葉で言った。
久作「おかしくなりそうなんだよ。なんでこんな目にばっか遭うのか、なんで不幸だと自覚しなきゃいけないのか、なんで俺なのか」
赤くなってきた目を枕から覗かせると、箪笥の上に置いた家族の写真が目に入る。鞄から床に出したぬいぐるみの目も、その写真たてを見ていた。
ぬいぐるみ(母親はいないのか?)
久作(……作り置き置いて、出張してるよ)
俄かに惨めな独りぼっちの学校生活を思い出し、肺から喉にかけて熱い塊がつっかえる感覚がして久作は手で口を押さえた。
久作(あんたらを、恨むよ。こんな人生にしてくれてよ)
こんな時も、俺は一人ぼっちだ。
久作「でも、夢を見てるときは、一人じゃないんだ。明晰夢の中にいる瞬間は充実している気がするんだ」
だけどわかってる。こんな夢見たって現実は何も変わらないことを。こんな夢を見ることが幸せだなんて、ただただ空しいことも。
もう一度キスシーンがフラッシュバックした。
久作は左耳を枕につけ、身を丸くした。
久作「死にてぇ……」
……今から眠って、夢をみて、ずっと長い夢を見続けて、起きたら別の人と入れ替わっていれば、そうすれば、屋上から飛ぼうとなんて考えなくなる。
ぬいぐるみ(……)
夢では君が笑っていて、運命の相手だって手を引いて、俺は幸せでいられる……。
三つ編みで笑顔がひだまりみたいな女の子。……名前はなんだっけ。
久作「死にてぇ……。死にてぇ……」
死にたい。
④
常夜灯にした天井の電灯が目につく。蒸し暑い気がして、身を起こすと彼はすぐにここが夢だと気がついて、慌てて口をふさぐ。
久作(明晰夢を見るための基本。夢だと気づいたらまず、落ち着く)
深呼吸をして、彼はなんとなくの違和感を覚えた。
久作(やけに体がふわふわしている。地に足がついていない感覚があった。いつの間にか意識がぼんやりとしている)
そうしているとふと、窓の外が気になった。
すると体が勝手に外に出て、宙を歩いた。いつの間にか靴を履いていた。
登校と散歩に使ういつもの道、見下ろせばこんな風になっている。夜風を浴び、このまま空中をさまよっていたいと思ったが、背中に違和感を感じて、地上に降りた。
久作「……あれ?」
彼はその時、妙な気持ちがしてしばらく動かなかった。
気のせいだろうか……。今、地面に足をついた瞬間、足に圧力を感じたような。
ぼんやりしていても実体があるような。
まるで現実にいるみたいな……。
彼は落ち着こうと首を振った。
明晰夢なのだから現実味を感じて当然だ。
しかし彼は、夢を長引かせるために、体を回転させた。
彼はそこで目に映った光景に、釘付けになった。
ピンク色の空に太陽のように明るくて白い満月が浮かんでいる。
夢だから、という理由で片付けてはいけないような感覚をかっさらうように、ある声が聞こえた。
ぬいぐるみ「よう、ひょろチビ」
久作「お前かよ!」
彼が感じていた背中の違和感はぬいぐるみによるものだった。
ぬいぐるみ「もう、信じろよ。夢の国なんだよここは」
彼は一瞬の戸惑いをみせると、下を向いて脇道に歩き出した。
久作(信じられるかよ、そんなこと)
ぬいぐるみ「やめとけ、そっちには夢魔が……」
その道に進むと広いスペースがあった。曲がり角で、足跡がした。
その姿に久作はぞっとした。
とんがり帽子を被った四十代くらいの男の姿があった。
男の異様な威圧感に、彼は動揺を隠せなかった。
ようやく違和感の正体がわかった。
久作(……夢が覚めない。こんなに苦しいのに、夢が覚めない⁉)
彼が目を離せないでいると、とんがり帽子の男もようやく目を向けられていることに気づいた。
帽子の男「お前、なんでここにいるんだ」
男はとんがり帽子の間から下三白眼の剣幕をのぞかせた。
帽子の男「そのぬいぐるみ、渡してくれないか?」
久作は、男が差した自分の肩を見つめた。またぬいぐるみが、肩にしがみついていた。
帽子の男「そいつからは夢魔の気配がする」
久作「わけわからないこと言うな、くそ帽子⁉」
はっとして、彼は両手で口を押さえた。
久作(しまった⁉ 勝手に口が……)
汗が耳を伝うと、男は嘲笑って人差し指を突き立てた。
久作「慣れてないみたいだな。夢の中で行動するの」
その声を久作はすぐ右隣りで聞いた。振り向いて、身動ぎをする。
さっきまで目の前にあった男の身体はこの一瞬で移動していた。
ますます激しくなる鼓動に気を取られている間、男は話を進める。
帽子の男「ここ、夢の国に入れる奴の体は現実で覚醒している」
男は目の前に移動していた。帽子から覗いた剣幕に、足ががくがく震え出す。
帽子の男「つまりお前は、『明晰夢』を見ている『夢遊病患者』ってことだ」
突然、久作が思い出したのは、あの時の化物の口だった。
途端、久作は背を見せて逃げ出していた。喉から漏れ出た悲鳴を置き去りにして、まるで飛んでいるかのように、壁を蹴り、路を曲がり、壁と壁の隙間を爆速で走っていた。
反転を繰り返す視界が移り変わり、後ろに飛んで行く。
狂ったように動く体に身を任せて、彼は考えた。
ぬいぐるみ「ひょろチビ、僕をあいつに渡さないのか?」
苦し紛れに久作は声を出す。
久作「それより夢遊病ってなんだよ。俺はたしかに明晰夢は見れるようになった。鮮明な夢を見られるってことは、眠りも浅いはずだ。だけど、夢遊病だなんて知らないぞ⁉」
ぬいぐるみ「残念ながら夢の正体はどんな研究者にもわかっていない。だが夢の国にいたっては、あいつが言った事は本当だ。お前、鬱っぽかっただろ。だから夢遊病になってもおかしくないんだよ」
暢気なしゃべり方をするぬいぐるみに、彼は自分の現実離れした行動を俯瞰する。
久作(こんな走り方ができるんだ。空を飛んでるみたいに、走ってるんだ。ここは、夢なんだよ……)
ばくばくばく、と鳴りやまない心臓の動悸を手で確認する。
久作(夢なんだよな……)
建物の角を曲がろうとしたとき、目の前に手のひらがあらわれた。慌てて引き返そうとすると、背中のほんの一部分に爆ぜた火が触れて、体はそのまま広い路に吹っ飛んだ。
帽子の男「残念ながら、ここは夢だ。だけど、痛みを感じる」
立っている男を見つめる。男が起こした悪夢のような爆撃に、自身が吹っ飛ばされたことを彼は理解した。
帽子の男「現実と夢の狭間、現実に触れられる夢、俺たちはここを『夢の国』と呼んでいる。もちろん、頭に『悪』がついてもおかしくはないがな」
久作は自分の服が破け、傷口から血が出ているのを確認した。次の瞬間、痛みを自覚して、彼の口から叫び声が溢れ出た。子供のように彼は大声で叫んでいた。
帽子の男「ここで死んだ人間は現実世界で死ぬ。そして、夢なのに痛みを感じなければならない」
痛みで久作の視界が揺らぐ中、男は再び掌を前に向けた。
帽子の男「はやくそいつをよこせ。余計な動きを見せるなよ」
目の前にいる男の殺意が込められた目つき。現実離れした自分の身体能力。ピンク色の空に浮かぶ白い月。
なにもかも現実ではありえなかった。しかし彼の知る夢ではないことは明らかであった。
久作(夢から覚めたら、逃げ切れるはずだ。そのためには……⁉)
彼は自分の頬を殴ろうとした、が馬鹿だった。途端、彼の右手の先から肩のあたりまで、爆発した。
血が流れ出る。溢れ出る叫びに歯で蓋をした。
帽子の男「お前馬鹿だろ。今度は足をやる」
久作がなんとかして逃げ出すことを考えていると、爆発した右腕の痛みが和らいでいる気がついた。右腕が、なくなった服と共に徐々に戻っていた。
久作(……傷が回復してるってことか⁉)
ぬいぐるみ(……これで言ってることがわかっただろ。早く僕を奴に手渡せ)
ぬいぐるみに言われようと、久作は思案を巡らせることをやめなかった。
久作(上に逃げようと、こいつは追ってくる。だったら、どうすれば……⁉)
そのとき、路の向こうから二つの影が歩いてきた。その影はカップルのものだった。
帽子の男「……っチ。人がとりくんでいる。途中に」
男は会話をするカップルに向けて手を向けた。
久作「待て!」
久作が叫ぶと、男は手を翳したまま静止した。カップルは何もないように、そのまま歩いて行った。
久作「渡すから、やめてくれ!」
男は手を下ろした。
帽子の男「そうか、ものわかりがよくて助かった」
左足が爆発した。血が流れる。悲鳴が零れる。
久作(ふざけんなよ、こいつ、動いてないのに……)
帽子の男「拷問すれば何かわかるかもしれないと思ったが……。お前は夢魔祓いではない、ただの可哀そうな奴らしい。二度と家から出るなよ。さようならだ」
男が近づいてくるのがやけに遅かった。よろよろと視界が揺れた。
傷は回復している。……だけど、遅い。きっとあれだろ?
ぬいぐるみ(そう、時間が経つにつれて回復が間に合わなくなる)
ここまできて、僕は独り言、一人会話をし始めている。
ぬいぐるみ(どうして僕を渡さなかったの?)
久作(わかんない。……いや、夢の中では、人を助けたかったんだよ)
人じゃないけど。
久作は今日、担任が配ろうとしていた進路調査票を配ろうと手を伸ばしたことを思い出した。
人の役にも立てない、何をしても楽しくない、つまんない人生だった。
ぬいぐるみ(なんでそんな日々しか送れなかったんだ?)
俺が人間不信だったから。友達ができなくて。
ぬいぐるみ(人を信用できないのはどうして?)
父親が死んで、ふさぎ込んだ性格になったからじゃないのか。
ぬいぐるみ(死因はなんだったの?)
無呼吸症候群って医者が。だけど、俺は違うと思ったけど、信じてもらえなくて……。
そうだ、俺のひねくれた性格をかたどっているのはそのせいかもしれない。
青春を送る奴らを馬鹿にして。のくせに、自分は何もできなくて。
???(そう。だって、殺したのは僕だからね)
……え?
???(僕が殺したんだよ。君の父親を)
ぬいぐるみが、直接心に語りかけていることを久作はわかっていた。しかし、彼は自分の中に違う何かが住んでいるような感覚に意識を奪われた。
???(お前が本気で死のうとして、夢の国に来ちまったからな。そうなると封印が弱まることになっていたんだ)
ぬいぐるみ……違う、お前は誰だ?
???(それより、お前は死にたいのか?)
思い出しても悪夢みたいな現実。
気になる奴はキスしてるし。
嫌な現実を否定して何も努力しない。夢にばっかり逃げて、それでいいと思いこんで。青春だの騒いでる奴らを馬鹿にして、変わろうとする努力もしなかった。
それで、逃げた先の夢でこんな目に遭う。夢の国だとか、夢遊病だとか、夢魔だとか。
死んだほうがいいに決まってる。
男の掌からでた爆撃が鼻先に触れる。
……だけどさぁ、
久作は足を踏み出した。
爆撃を受けたその体は、傷を回復しながら立っていた。
帽子の男は目を見開いた。
爆撃を受けて、なお前進する姿が、滑稽で、恐ろしいものだということは見なくても彼にはわかっていた。
久作「こんな変な帽子被ってる奴に、殺されないといけないわけ……?」
こんな奴に……、
久作「絶対嫌だ!」
男に向かって走り出す。
久作(逃げても駄目。飛んでも駄目。動いても駄目)
男が掌を翳すと爆発する。しかし、致命傷はすぐに回復した。
激痛をかみしめて彼は足を踏み出す。
久作(だったら、正面から突っ込んでやる。意識だけは、夢の中にいるみたいだからな⁉)
帽子の男(……狂ってやがる。痛みを無視して⁉)
爆発する。乱れた球のように爆発しても、彼はゾンビのように歩を進める。
「殴れ」と彼の中で何者かが叫んだ。
帽子の男「馬鹿か! 回復力がつきねえとでも思ってんのかよ⁉」
久作「うるせえ、俺は馬鹿だからこうするしか思いつかないんだよ⁉」
どっちでもいいんだよ。寝てようが、起きてようが、夢だろうが、現実だろうが、夢の国だろうが⁉
男の帽子に手を伸ばす。
久作「死にたいくらい現実は辛いけど、夢の中では幸せに生きたいんだよ⁉」
摑んだ帽子を、頭ごと地面に叩きつけようとした。
しかし、その手は男に摑まれ、手は爆ぜた。
ぷつり、と何かが切れる音が脳味噌から聞こえた。
久作(しまった、回復が……)
瞬時、彼の体は爆撃によって粉々になり、視界が暗転した。
⑤
帽子の男「馬鹿野郎め……」
帽子の男はその場にじっと立ちつくすと、ピンクの空を見つめて、目をつむってから、路上のぬいぐるみに手を伸ばそうとした。
すると、背後のおぞましい気配に気づき男は振り返る。
そこに立っていたのは、久作だった。しかし見た目があからさまに変わっていた。
尻尾が生え、すさまじいオーラに包まれていた。
???(僕は夢魔だ。だけど夢魔を食べる夢魔、)
帽子の男は思い出した。
獏「獏だよ」
あらゆる夢を喰らってきた、獏の肖像を。
久作の体は獏にのっとられていたのだった。
モノローグ
「獏」
鼻は象、目は犀、尾は牛、足は虎、体型は熊に似て、人の悪夢を食うという幻獣。彼らは人の悪夢から生まれてくる夢魔たちを食べる役割を担い、現世にも存在している。
中には彼らを、悪夢を食べる神、としてあがめる者もいるのだった。
久作の身体から溢れるオーラに、男は不可解な目を向けている。
獏「すがすがしいね。力が外にでる開放感は」
久作は目を見張った。その声はなんと、右腕から聞こえたのだった。目玉と尖った歯をもった口が、とってつけたように、彼の右腕に溶け込んでいた。
久作「……どうなってんだよ、俺の体は⁉」
帽子の男はさらに目を細めた。
獏「封印がとれたんだ。さっきあの男に触れただろ。さあ、殴れ。あの帽子に一発かませばそれで終わる」
久作(……本当なんだよな)
獏「本当だよ」
握った拳を後ろに引き、押し出した時に彼の身体は、帽子の男の目の前に移動していた。拳の風圧が男の顔面の皮膚に触れた。すると、彼の拳に、鋭い牙で、獲物を捕食しようとする化物の形相が顕現した。
その姿は男の目にはっきり映し出されていた。
次の瞬間、つばの一部が欠けたとんがり帽子が落ちる。
男は血の溢れ出した左腕の損傷部を、右手で抑え込み、痛みに悶えていた。
帽子の男「お前……それは」
まるで削り取られたように綺麗な傷口から、血が溢れ出ていた。
久作(……もう、立てねえ)
獏(何言ってるんだ、まだ動け)
しかし、さっきの行動も殆どやけくそに近いもので、久作の頭は脳震盪を起こしていた。
久作は自分の両方の鼻から、血が流れ出ていることに気づいた。
次の瞬間、夢から覚めたように、久作の姿が元に戻った。
しかし、目の前には男が殺意の目を向けて立っている。
帽子の男「お前を……、全力で排除する……⁉」
久作(駄目だ、今度こそ本当に殺される)
その時、男の頭上に鳥籠のようなものが宙から落下した。
???「動かないで」
花が咲くような凛とした声が聞こえた。
見上げた先には、夢で彼の手を引っ張ろうとした、美少女がいた。
久作「……誰?」
未白「待って、今急いでるから後にして、って言いたいけど、言っとく、真赤星未白、よろしくね」
彼女は微笑んだ。
彼は教室の空いた席を思い出し、胸の鼓動が再び激しくなった。
