【超短編ホラー小説】悪縁
悪縁
雨音が、途切れることなく障子を叩いていた。じめじめとした梅雨の気配が、古い日本家屋の隅々にまで浸透し、何をするでもなく座っている私の心を重く沈ませる。外の景色は雨に煙り、庭の緑もどこか陰鬱な色を帯びている。この家で、あの人と暮らし始めてから、もう幾度目の雨期を迎えたのだろうか。時の流れは曖昧で、ただ淀んだ空気だけが、そこに在り続けている。
彼の存在は、常に私の背後で気配を漂わせる。物音ひとつ立てずに近づき、そして、じっとりと私を見つめているのだ。振り返ると、そこにいるのは穏やかな微笑みを浮かべた彼なのだけれど、その瞳の奥には、決して理解できない冷たい光が宿っている。その視線を感じるたびに、私の背筋には氷のようなものが走り、言いようのない不安に襲われる。
夜になると、二人の寝室は一層不穏な空気に満ちる。隣で眠る彼の呼吸は静かで規則正しい。しかし、その静けさが、私にはかえって耐え難く感じられるのだ。まるで、深い眠りの淵で、彼が何か別のものと繋がっているのではないか、とさえ思ってしまう。彼の寝顔を見ていると、時折、微かに微笑みが浮かぶことがある。それは、私に向けられたものではないだろう。暗闇の中で、彼は一体、誰と、何を共有しているのだろうか。
台所の隅に置かれた古びた棚。その扉の奥には、彼が大切にしている何かがしまわれている。決して私に見せようとはしない、小さな箱。何が入っているのかと尋ねても、彼はいつもはぐらかし、薄い笑みを浮かべるだけだ。「大切なものだよ」と、優しい声で言いながらも、その目はどこか遠くを見ている。その棚を見るたびに、私の胸には黒い不安が湧き上がり、中には決して触れてはならない疫病が隠されているのではないか、という陰鬱な想像が頭をよぎる。
食事の時間は、形式的なものに過ぎない。二人並んで食卓を囲むものの、会話は最小限で、音は雫の落ちる音か、箸が注意深く食器に触れる音くらいのものだ。彼はいつも、私の食べる様子を注意深く見ている。承認を求めているようにも見えるが、その視線はどこか遠くから評価しているようで、私の内なる世界をじわじわと侵食していく。
この家の空気は重く、私の思考までも遅くしていくようだ。彼の傍にいると、私は自分の言葉を失い、感情を押し殺してしまう。まるで、目に見えない糸で繋がれ、彼の望むままに操られている操り人形のようだ。この関係から逃れたいと何度願ったことだろう。しかし、目に見えない糸は強く、私の自由を残酷に奪っていく。
そして、私は悟る。この「悪縁」は、単に彼との間の不幸な繋がりではない、ということを。私の内側にも、彼と同じように、他人を束縛し、支配しようとする暗い欲望が潜んでいるのだ。それが、彼のような人間を引き寄せたのか、それとも、彼の影響が私の中の何かを目覚めさせたのかはわからない。ただ、彼の冷たい眼差しを見るたびに、私自身の内なる闇が、ゆっくりと、しかし着実に彼を映し出しているのを感じるのだ。
完
さて、読者の皆様、いかがでしたでしょうか?私が心を込めてお届けしたホラー小説が、この暑い季節に、少しでも皆様の体感温度を下げることができていれば幸いです。
じめっとした夏の夜に、背筋がゾクリとするような感覚、あるいは、じんわりと心に広がる静かな恐怖を味わっていただけたなら、これほど嬉しいことはございません。物語の冷気が、皆様の心に涼やかな風を運んでくれたことを願っています。
ご感想やコメントをいただけると、私の創作活動の大きな励みとなりますので、どうぞお気軽にお寄せください。これからも、皆様の心に響くような物語をお届けできるよう、精進してまいります。
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