【第四章】 御食国若狭の起源 連載小説 『華恋、海へ還る 〜穂高を愛したマーメイドストーリー〜』
翌朝。
目が覚めて、僕はとんでもない夢を見ていたような気分にさせられた。
「はっ!」
慌てて飛び起き、古民家の欄干のない木製階段を駆け上がる。
2階には部屋が2つあるが、一つは大家さんの物置部屋になっている。
僕は寝室のふすまを開けてみた。
華恋は穏やかな表情で寝ている。
『良かった・・・。』
なぜそう思ったのかは解らない。
何しろ身元が不明な、二十歳になったかどうかくらいの女性を匿っている、この背徳感。
でも昨日の記憶があまりにも鮮烈過ぎたので、夢だったら嫌だな・・・。
そんな気持ちがどこかにあった。
僕は先に朝食の準備をする。
そうは言ってもトーストとコーヒーだけ。
コーヒーはグアテマラを少し粗挽きにして、小浜の雲城水で作った。
寝起きに飲むコーヒーとしてはこれがベストだと自負している。
すると華恋が目を覚まして居間に降りてきた。
「おはよう!気分はどう?何か思い出した?」
「おはようございます。記憶は・・・まだぼんやりとしています。」
「そうか。まあ、今日はまだ2日目だ。慌てずに落ち着いて行こう!」
「はい!ありがとうございます。」
華恋は笑顔だった。
「さっ、朝ごはんの時間だよ!コーヒーが冷めないうちにどうぞ!」
2人黙々と食パンを食べる。
「あれ?」
「どうした?」
「このコーヒー、昨日と違います。」
「おっ!鋭いね!」
「昨日より少し苦味が強いですけど、飲んだ後に深呼吸をすると、スゥ~っとスッキリした空気が入ってきました。」
「爽やかに目が覚めた・・・。そんな感じ?」
「はい!」
『うぉ〜!いい感性の持ち主じゃないか〜!』
「今日はどこへ行くんですか?」
「おっ!もう出かける気満々か?」
「はい!色々な事を見て学びたいです。」
「じゃあ、着替えたら降りてきて。それから1時間だけ草刈りをして、それが終わったら小浜に行こう!」
「おばま?」
「あぁ、君の記憶もそうやけど、これからの事を考えると箸の使い方を学ばせてあげたくてね。」
隣のお屋敷との境界線周りの草刈りを完了した。
グラインダーに興味津々の華恋にグラインダーの使い方を教えてあげる。
よく長い草が絡まって困っていたが、その都度スイッチを切って、安全確保してから、絡まった草を取り除き、絡まらないようにするにはどうすればいいのか?
「ほんと、覚えるの早いよね?」
「ありがとうございます。」
『くぅ〜っ!人の成長を観るのって楽しい〜っ!』
そう思いながらクルマを準備して乗り込む。
国道162号線を走って小浜を目指した。
華恋は海の景色に釘付けだった。
「今右に見えているクジラみたいな島が烏辺島(うべじま)で、向こうに見える島が御神島(おんがみじま)と言って、女人禁制の島なんだ。」
「女人禁制?」
「女の人は上陸してはいけないって意味。あそこには神様が住んでいるって話でね。でもあの島に上陸して釣りをする人もいるもんで、神様のいる島で殺生をしていいのか?なんて話にもなっていたりするんだよ。」
「何か懐かしい感じのする景色です。」
「そうなの?何か記憶のヒントが見つかるといいなぁ。」
最初に向かったのは小浜市のフィッシャーマンズワーフだった。
港には漁船や観光遊覧船が並び、潮の香りが漂っている。
せっかく若狭に来たのだから、まずは海の幸を味わってもらいたい。
購入したのは岩牡蠣とサワラの刺身。
大ぶりの牡蠣に、華恋は目を丸くした。
「これを食べるんですか?」
「そう。貝殻は食べないでよ?」(笑)
僕は醤油をかけ、レモンを搾った岩牡蠣を華恋に差し出した。
恐る恐る口に運んだ華恋は、そのまま動きを止めた。
「どうした?」
「・・・懐かしい気がします。」
「懐かしい?」
「はい。なぜかは分からないんですけど・・・。でも私、この岩牡蠣という食べ物・・・好きです。」
屈託のない、その笑顔に安心した。
『本当は遊覧船で蘇洞門巡りもしたいし、食文化館にも連れていきたいけど、せいわが暇な時間帯に行かないと、社長に迷惑をかけてしまう・・・。』
そう思いつつ、魚市場を歩いた。
華恋がサワラとスズキをジッと眺めていたので・・・
「今日は持ち歩けないから、今度また買いに来よう!スズキも刺身で食べたら美味しいけど、季節的にさっき食べたサワラがオススメかな。」
そして少し来た道を戻ったところでクルマを停める。
そこは雲城水を汲み取る水場だ。
「さぁ、ここの水を飲んでみてよ!」
湧き出す水を手に掬い、華恋が一口飲む。
その瞬間、彼女の表情が変わった。
「・・・冷たい。」
そしてもう一口。
「すごく自然に身体へ入ってきます。」
「そやろ?」
「それに少し・・・甘いです。」
僕は思わず笑った。
同じ感想だったからだ。
水など無味無臭だと思っている人もいる。
しかし本当に美味しい水にはちゃんと個性がある。
その違いを華恋は素直に感じ取っていた。
「そうやろ?今朝のコーヒーに使った水さ。夏の暑い日に自転車で走ったりするとさ、ここの水をグビグビと浴びるように飲みたくなるんよね。」
「・・・自転車?」
「あぁ、それはまた帰ったら説明するわ。」
続いて訪れたのは【箸匠せいわ】。
若狭塗箸の文化を伝える施設である。
ここ小浜市は塗り箸の生産量が、国内8割のシェアを誇っている。
その中でもせいわは、観光バスのツアーをメインに、日本中・・・いや、世界中の観光客に箸の素晴らしさを伝える施設なのだ。
「東堂さん、ご無沙汰です〜。」
「社長、今日はよろしくお願いします!彼女、星海華恋と言いますが、帰国子女なので、今まで箸を使った事が無いそうなんです。」
「帰国子女?どちらのお国へ居てはったんですか?」
「インドとかヨーロッパを、転々としとったんやんな?」
「あっ、はい!」
『危ない、危ない、突っ込んだ質問せんといて社長〜!』
表情は笑顔やけど内心焦る僕。
そして木越社長の箸の使い方教室が始まる。
昨日まで箸も知らなかった華恋。
正直、時間が掛かると思っていた。
ところが・・・。
「その持ち方で合ってます。」
「えっ?」
「もう一度やってみてください。」
言われた通りに箸を動かす華恋。
木越社長が驚いた顔をした。
「華恋さん、覚えるの早いですねぇ。」
開始から僅か5分の事だった。
もう器用に豆を摘むこともできるようになった。
「さすが社長。教えるのが上手すぎてビックリやわ!」
「何をおっしゃいます、彼女のセンスが良いんやと思いますわ。」
「せっかくなんで、彼女に研磨体験をさせてあげてもらえますか?」
せいわ名物【箸の研磨体験】

そもそも小浜塗り箸の特徴は単なる漆塗りの箸ではない。
貝殻をはめ込んだり、何重にも色を重ねて塗っていたり。
その上で、せいわの箸のすごいところは、指の形に沿った形状に研磨して、フィット感の高い箸だったり、多角形の箸だったり、あらゆる工夫や縁起物として作った箸もある。
ここの箸を使って肩コリが治ったなんて言う人や、ここで縁起物の箸を買って使い始めたら、途端に仕事がたくさん入るようになった!と喜んでいた人もいた。
そのせいわでは、何重にも色を重ね塗った箸を研磨して、自由に模様を作れる体験ができる。
僕が手伝ってあげながら、それなりにオシャレな箸が作れたと思う。
それと合わせて、誰でも使える箸ってのがあるので、それを華恋専用の箸として購入した。
せいわから更に、遠敷川(おにゅうがわ)沿いにクルマで5分ほど奥地に入ると、鵜の瀬という場所がある。
ここは東大寺のお水取りに関わる、お水送りの神事で知られる場所。
派手な観光地ではない。
けれど僕は好きだった。
静かで、霊的で、神聖。
何百年も続く祈りが今も息づいている。
そんな場所だからだ。
飲料用に処理した水を、汲んで持ち帰ることができる。
華恋はポンプで汲み取った湧き水を口にする。
「どう?」
「少しだけ土の香りがします。」
「うん。」
「でも癖がなくて飲みやすいです。」
そして周囲を見回しながら、話を続けた。
「何でしょう・・・。ここは少し特別な感じがします。」
僕は頷いた。
きっと多くの人がそう感じるだろう。
神話の時代から、八百萬の神々へ捧げられている水。
その歴史を知れば尚更、ここの神秘的な雰囲気には特別なパワーを感じる事だろう。
次に向かったのは若狭姫神社。
敢えて神宮寺や若狭彦神社をスルーして向かった。
僕は若狭姫神社のマイナスイオンも大好きだ。
大きな木々が空を覆い、境内には静かな空気が流れている。
華恋はしばらく言葉を失っていた。
見上げる先には巨大な御神木。
葉の揺れる音。
木漏れ日。
鳥のさえずり声。
ただそれだけなのに、不思議と心が落ち着く。
「気持ちいい場所ですね。」
「そうやろ?」
「ずっとここにいたくなります。」
若狭には由緒ある寺社が多く、こういう場所が多い。
人間が自然を征服するのではなく、自然と共に生きてきた土地なのだと、改めてそう感じる。
そして次の目的地に向かった。
瓜割の滝だ。
森へ入った瞬間、空気が変わる。
山の北側斜面にある事も作用しているのか、ここは真夏でもひんやりとしている。
歩いていると前方の参道を何かが動いた。
一匹の青大将だ。
「・・・あれは?」
華恋は驚きながらも、どこか興味深そうに見つめていた。
「青大将って蛇で、あれは長さが確実に2mはあるから、かなり大きいサイズだよ。この辺りの主やって言う人もおる。」
「主?」
「ああ、場所がら神様の使いなんて話もあるな・・・。だから、今日出会えたのは幸運なんやと思うで。」
「はい、神秘的です。」
青大将はしばらくこちらを見た後、静かに森の奥へ消えていった。
そして瓜割の滝を観た後、駐車場に戻る。
駐車場の脇には瓜割の水を汲める設備がある。
蛇口をひねって、華恋が口に運ぶ。
しばらく無言で、余韻に浸るように立ちすくんでいた。
それから静かに言った。
「このお水、すごく好きです。」
「おっ?」
「森の息吹が聞こえてくるような・・・豊かで優しい味がします。」
僕は思わず笑ってしまった。
そんな前情報を誰も教えてもいないのに、まるで僕の受け売りみたいな評価をしたのです。
「大地さん。私、思うのですが、昨日のコーヒーに使ったお水って、ここのお水じゃないでしょうか?」
「御名答!よく判ったね。」
「昨日教えて頂いた余韻・・・ですか?この水はいつまでも、お口の中に森の香りが豊かに拡がっています。」
連れてきた甲斐はあった!
むしろ彼女にあれこれ教えるのが楽しくなっている自分がいる。
午後3時頃。
最後に熊川宿を一緒に歩く。
宿場町の面影を残す町並み。
うだつのある古い家。
流れる水路に芋洗いがカラカラと回っている。
時間がゆっくり進んでいるような感覚。
ここでもポンプで汲んだ名水を飲む。
「どう?」
「冷たくて美味しいです。」
少し考え込んだ後、華恋は続けた。
「でも・・・。」
「でも?」
「瓜割の水が凄すぎました。」
思わず二人で笑った。
若狭には昭和の名水百選と、平成の名水百選がそれぞれ2つずつ存在する。
「なぁ、華恋ちゃん。」
「はい、何でしょうか?」
「御食国って言葉を知ってるか?」
「み・け・つ・く・に?」
「この日本の国に3カ所あってね。簡単に言えば美味しい海産物が取れる地域って事になるんだけど、その一つがこの若狭で・・・もう800年以上も昔にまで遡る話なんやけどね。」
「そんなに歴史があるんですか?」
「そう、美味しい海の食材が捕れる地域で、独特の食文化が発展したんやけど、美味しい食材を美味しく調理するには何が必要や?」
「先ほど、岩牡蠣とお刺身を頂いた時にかけた、醤油とかいうものですか?」
「そう、醤油とか塩などの調味料や。因みに醤油とかお酒とかは水の綺麗な所でないと、美味しいものは作れない。」
「お水・・・どこも美味しいお水ばかりでした。」
「そうやな。因みに美味しいお水が採れるって事は、お米などの農作物も良質なものが作れるっちゅう訳や。」
「大地さんの炊いてくださったお米も、とても甘くて美味しかったです。」
「いちほまれって福井県産のお米や。福井県は古くからの米処だから、今でも品種改良とかして、美味しいお米づくりに情熱を燃やしとる人たちが活躍しとる。」
「覚えることがたくさんですね。」
「華恋ちゃん、若狭は好きになれそうか?」
「・・・すごく、好きになりました。」
「そうか・・・そう思ってくれたところで申し訳ないねんけど、明日は神戸へ帰るで。」
華恋は少し驚いた顔をした。
「神戸・・・?」
「そうや。俺の生まれ育った街や。華恋ちゃんにとっては初めての大都会やけど、そこでまた気付くこともあるかも知れへん。・・・何より一人で置いていくわけにはいかんので、それで連れて行こうと思う。」
「・・・少し不安です。」
「きっと大丈夫や。君をサポートしてくれる仲間がたくさんいるから、だから心配するな。」
そう答えると、彼女は小さく頷いた。
物語はここから激変していく。
次に行く神戸で、彼女は自身の記憶の糸を見つける事ができるだろうか?
(第四章 了)
(第五章へ続く)
(第一章から読み直す)
