【第二章】 『謎』✖『不安』✖『やるっきゃない』 連載小説 『華恋、海へ還る 〜穂高を愛したマーメイドストーリー〜』
とりあえず古民家に戻った。
少女は歩けるか心配だったが、思ったよりしっかりした足取りで後をついてきた。
僕は彼女を土間で待たせ、タオルを何枚か用意した。
「ちょっと待っとってな。」
台所でお湯を沸かす。
そして救急箱を引っ張り出す。
古民家の改修作業のために持ち込んでいた物が、こんな形で役に立つとは思わなかった。
「さぁ、これで身体を綺麗に拭いて!それくらいは自分でできるよね?」
お湯で絞ったタオルを渡す。
少女は両手で受け取った。
「ありがとうございます。」
「タオルが冷えないうちに拭いて。あと、拭き終わったら消毒するから、声をかけてくれるかな?」
少女はホッとした様子で頷いた。
腕や脚には無数の擦り傷や切り傷があった。
だが不思議だった。
傷口にはところどころ光沢のある鱗のようなものが食い込んでいる。
僕は一枚つまみ上げた。
薄く、虹色に輝いている。
魚の鱗にも見えるが、こんなにも大きな鱗を持つ魚は見たことがない。
「なんやろ・・・ピラルクよりも大きくないか?」
少女は不安そうに視線を落とした。
僕は彼女に心当たりを聞いてみたが、やはり覚えていないという。
だから、それ以上は聞かなかった。
考えられる可能性は二つ。
『ひとつは暴漢に襲われ、どこかから連れて来られて梅林に捨てられた。』
そしてもうひとつ・・・。
僕は手の中の鱗を見つめた。
『SF小説の読み過ぎやと思うけど、船旅の途中で巨大な海の怪物に襲われて、命からがらここまで泳いで逃げてきた・・・。』
『そんな馬鹿げた話くらいしか、この鱗のようなものの説明がつかへん。』
もちろん現実にはありえない。
だから余計に腹が立つ。
結局のところ、何ひとつ説明できていないのだから。
『今は理由を探るより、手当てが先やな・・・。』
「ちょっとしみるで。我慢できるか?」
消毒液をつけ、ガーゼで傷口を拭く。
少女は少し顔をしかめたが、声は上げなかった。
「まず君に質問したい。答えにくいことがあったら無理には答えなくていい。その場合は、また話したくなった時に話してくれたらいい。構わないかな?」
「はい。」
「どうしてあんな場所に倒れていたんだい?」
「・・・わかりません。」
「わからない?・・・じゃあ服を着ていなかった理由も、傷だらけになった理由も?」
「・・・はい。」
「じゃあ、名前とか住所とか家族はわかるよね?今までどこで暮らしていたとか。」
少女は申し訳なさそうに首を振った。
「・・・それも、わかりません。」
「えぇ〜っ!ってことは記憶喪失?・・・これはますます深入りしたらアカン案件や〜。」
「す・・・すみません。ご迷惑をおかけして・・・。」
「あぁ・・・いや、こちらこそ狼狽えてすまない。」
『そうや・・・記憶がないとすれば、現状不安で仕方ないのはむしろ、この子本人の方や。それやのに俺が狼狽えてどうすんねん!』
僕は気を取り直して、自分の着替え用の服を用意した。
「とりあえず、これでも着よか!Lサイズしかないから、ちょっとま、これで我慢してな。あと・・・パンツは新品やから心配せんといてな!」
「ありがとうございます。」
「それと、上はTシャツだけやと心許ないから、ジャケット・・・そっか。血だらけになってもたな。このまま着て外に出たらバイオレンスや〜。」
急いでジャケットのシミ取りを始める。
何とかぱっと見では分からない程度になったところで、ドライヤーで乾かした。
少女は申し訳なさそうに呟いた。
「すみません・・・。」
「そんなこと、謝らんでええよ。」
彼女は身長が170センチ以上あったので、ややダボッとしているものの、何とか普通に着こなしてくれた。
「似合ってるやん。」
「ありがとうございます。」
「まあ俺が少し太ったせいで、ベルト締めたらジーパンがシワシワやけどな。」
少女がクスッと笑った。
その表情を見て、僕も少しホッとした。
とりあえず落ち着いたところでコーヒーを淹れる。
こういう時はアロマテイストが更なる安らぎを与えてくれる。
そう思って僕は、深煎りのモカとグアテマラにマンデリンを混ぜ、ゆっくり入念にミルで挽いた。
コーヒーメーカーには瓜割の水をセットする。
若狭には瓜割の滝という神聖な滝がある。
そこの清流は真夏でも冷たく、滝壺に浮かべた瓜が割れるほどだと言い伝えられている。
その水は森の優しい香りが口いっぱいに広がり、飲んだ者に何とも言えない幸福感と余韻を与えてくれる。
今の彼女にはピッタリのチョイスだと思った。
テーブルを挟んで向かい合い、コーヒーを勧める。
「ありがとうございます。」
少女は一口飲んだ。
次の瞬間。
「ブッ!な、なにこれ苦い!」
「す、すまん!飲み方の説明するん忘れてた!」
僕は慌ててフォローする。
「コーヒーは初めて飲むのかな?」
「・・・たぶん。」
「コーヒーは基本的に苦い飲み物なんや。でも、このコーヒーはその後の余韻を楽しむところに意味がある。」
「その後の余韻?」
「ゆっくり深呼吸してみて。」
少女は言われた通りに目を閉じた。
大きく深呼吸をして、ゆっくりと目を開く。
「・・・はい。」
「どうやった?」
「とてもスッキリした香りがして、今もまだフワッと口の中に香りが残っています。」
「そうやろ?それが余韻っていう奴や。」
『そういう感覚的なことは理解できるんやな。』
少女の表情は、先ほどよりずっと柔らかくなっていた。
僕も深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
そして覚悟を決めた。
「よし!」
少女が驚いて顔を上げる。
「え?」
「何かよう分からんけど、記憶が戻るまではこの俺に任せろ!」
「・・・え?」
「こんな事、何度も言わせるな。」
僕は笑った。
「君の記憶が戻るまでは、ここに居たらええ。」
少女はしばらく呆然としていた。
やがて深々と頭を下げる。
「私なんかのために・・・ありがとうございます。」
正直に言えば、世間体を考えると気まずさもある。
四十五歳の独身男が、身元不明の若い女性を保護しているのだから。
だが放っておけなかった。
それだけは確かだった。
「そうと決まったら次はメシや!」
少女のお腹が盛大に鳴った。
ぐぅぅぅぅ〜。
僕は思わず吹き出した。
「ハハハ!身体は正直やなぁ!」
少女は顔を真っ赤にした。
「さぁ行こか!」
僕たちはクルマで敦賀へ向かった。
まずは服を買う前に腹ごしらえである。
向かった先は敦賀市役所近くにある敦賀ヨーロッパ軒。
市内にも何店舗かあるが、僕は本店と岡山店とここの店が好き。
「ここのソースカツ丼を食べたら、もしかしたら記憶が甦るかもしれんやろ?」
「ソース・・・カツ丼?」
「あぁ、そっか。まだそのレベルやったな。まあ食べたら判るわ!」
僕は彼女のためにミックス丼を注文した。
ヨーロッパ軒は日本の洋食屋の中でも100年以上続くトップクラスに歴史の長い店で、関東大震災をキッカケに福井県に移転した経緯がある。
もしも彼女が地元の人間なら、ヨーロッパ軒くらい、何度か食べに来てるはずだ!
そう見込んで念の為にミックス丼を注文したのである。
メンチカツがメインのパリ丼というのが、女性客に人気だから、可能性は拡げた方がいいだろう?というのが僕の狙いだった。
そしてミックス丼を目の前に出された彼女はおののく。
何しろ、ボリュームがね・・・。(笑)
「これがトンカツで、こっちがメンチカツで、これはチキンカツ。」
「えっと、トンカツ、メンチカツ・・・チキンカツ?」
「うん。説明は後で、わからない事は何でも質問してくれたらいい。まずは食べてから考えようか。」
少女は恐る恐るフォークを手に取った。
箸は上手く使えなかったので、店員さんに頼んで借りたのである。
そして一口。
目が大きく見開かれた。
「美味しい!」
その後は凄かった。
無言。
ひたすら無言。
夢中で食べ続ける。
僕が話しかけても返事がない。
数分後。
「ごちそうさまでした!」
少女の丼は綺麗に空になっていた。
僕はまだ半分も食べ終わっていない。
「早っ!」
「え?」
「いや、そんな細い身体のどこに入ったんや。」
少女は首を傾げた。
「わかりません。」
そして少し考えてから言った。
「でも、まだ食べられそうです。」
僕は声を上げて笑った。
『うん。少なくとも食欲の心配はせんでよさそうやな。』
食事を終えた僕たちは、そのままアル・プラザ敦賀へ向かった。
「さてと。」
「?」
「次は君の服や。」
少女は自分の着ているTシャツを見下ろした。
「ありがとうございます。」
「いやいや、さすがに毎日その格好はアカンやろ。」
店内に入ると、少女はキョロキョロと辺りを見回していた。
自動ドア。
エスカレーター。
天井から流れる館内放送。
どれも珍しいらしい。
『記憶喪失やからなんかな・・・。』
僕は少し不思議に思ったが、深くは考えなかった。
女性服売り場に着く。
だが、ここで大きな問題に気付いた。
『俺、女性ものの下着とか、一緒に探せんわ!』
結局、店員さんに相談することになった。
事情を詳しく話す訳にもいかない。
「すみません!彼女、帰国子女で、日本の服の規格とかわからないので、彼女に合う下着を取り急ぎ3セット、見繕って頂けませんか?」とお願いする。
最近は職業訓練生として、アジア圏の労働者も増えているから、きっと怪しまれる事はないだろう。
店員さんは笑顔で色々選んでくれた。
その間に僕はワンピースやTシャツ、スカート、ブラウス、ジーパンを探して、試着ルーム前で彼女を待つ。
コーディネートには自信があるので、彼女に似合いそうな服を選んだ。
その後、サンダル、可愛らしいヒールとスニーカーを購入。
「背が高いしスタイルもいいから、何を着ても似合うよね。」
「そうですか?」
「うん。モデルみたいや。」
少女は少し照れたように笑った。
その表情は、今朝よりもずっと明るかった。
買い物を終えた僕は時計を見る。
まだ時間はある。
「よし。」
「?」
「次は神頼みや。」
「神頼み?」
「記憶が戻るかもしれへん。」
僕たちは敦賀の氣比神宮へ向かった。
大鳥居を見上げた少女は足を止める。
「大きい・・・。」
「日本でも有数の三大大鳥居やからな。」
境内に入る。
風が吹く。
木々が揺れる。
少女はしばらく無言で辺りを見回していた。
「どうした?」
「何だか・・・落ち着きます。」
「そうか。」
本殿で手を合わせる。
僕は彼女の記憶が少しでも戻ることを願った。
参拝を終える。
だが、残念ながら大きな変化は無かった。
「何か思い出したか?」
少女は首を振った。
「あの松尾芭蕉の銅像も見覚えないか?」
「・・・ごめんなさい。」
「謝ることちゃう。」
僕は笑った。
「神様も忙しいんや。」
少女がクスッと笑う。
「そうかもしれません。」
続いて向かったのは金崎宮だった。
石段を登る。
「何段登ったか数えて登るのがルールなんやで。」
「数えればいいんですか?」
「そうや、間違ったらご利益が逃げるから、ちゃんと数えるんやで?」
途中で少女が息を切らす。
「大丈夫か?」
「は、はい・・・。」
「無理するなよ。」
ようやく境内へ到着した。
「何段やった?」
「えっと・・・91段ですか?ここのも含めるんですよね?」
「そうや、正解!しんどかったか?」
「はい、少し。」
「少し・・・ね。実はここの階段の段数には意味があって、敢えて91段なんだよ。」
「どういう事ですか?」
「苦に(92段)にならない。」
「えっ・・・?」
「・・・はい!笑うところですよ〜!」
「えっ、あっ、・・・ゴメンなさい。」
「あぁ、別にいいよ。ここの宮司さんがよく使うダジャレなんだよ。」
「ダジャレ?」
「まあ、それはまた説明するとして・・・。ここは難関突破のご利益があるので、困った時や迷った時に来ると良い神社なんよ。」
「はい、困っています。」
「ハハハ・・・あとは、桜の季節になると花換まつりってのが開催されてね、日本のお見合いパーティーの元祖みたいなお祭り。」
「桜・・・?お見合い・・・?」
「あぁ、それについては一旦忘れよか、それもまたの機会に教えるわ。」
木々の向こうから敦賀湾が見える。
潮風が心地よい。
参拝を終えた後、僕はさらに上へ向かった。
「まだ行くんですか?」
「せっかくやからな。」
たどり着いたのは月見御殿跡だった。
少女は息を切らせてゼエゼエ言っていたけど・・・
そこから見える景色は絶景なんだよね。
火力発電所とその燃料の石炭が目の前に拡がっている事を差し引けば。
敦賀半島。
敦賀湾。
その向こうに浮かぶ水島。
午後の陽射しを受けて海面が輝いている。
「見えるか?」
「はい・・・。」
少女は言葉を失っていた。
僕は遠くを指差す。
「あっちが敦賀半島。」
そして少し右手を指差した。
「晴れた日は水島も綺麗に見える。」
「水島・・・。」
「北陸のハワイとも呼ばれる、綺麗な海と島があの辺りにあるんだよ。」
少女は何も答えずに、ただ海を見つめていた。
まるで何かを探しているように。
風が黒髪を揺らす。
その横顔はどこか寂しそうにも見えた。
「どうした?」
しばらくして、少女が小さく呟いた。
「・・・わかりません。」
「ん?」
「わからないんですけど・・・。」
少女は遠くの海から目を離さない。
「懐かしい気がします。」
「そうか!何か思い出しそうか?」
「・・・そこまでは。」
少女は首を振る。
「でも。」
「でも?」
「海を見ていると安心します。」
僕は小さく頷いた。
「そうか。」
午後3時半を回っていた。
金ヶ崎城跡は一般登山道と同じで、午後3時を回ると薄暗くなる。
僕たちは急いで山を下りることにした。
駐車場へ戻り、車に乗り込む。
帰り道・・・
少女はずっと窓の外を見ていた。
気比の松原を走り抜け、敦賀半島方面へ走る。
色ヶ浜〜裏底と走り、水島を近くで見下ろせるとっておきの場所へ連れて行った。
「どう?綺麗な海だと思わない?」
「はい・・・綺麗。」
「記憶が戻らないうちは不安も多いとは思うけど、思い出せるように俺も協力するから。それまで頑張ろうな。」
「はい、本当にありがとうございます。」
僕たちはその後、美浜原発方面へ抜けて、水晶浜〜千鳥苑のある坂尻海水浴場〜梅街道を抜けて、若狭町の古民家まで帰ったのだった。
今日という日は本当に、なんて日だ!
謎だらけの少女と出会い、彼女の記憶を共に探す約束までしてしまった。
今更、責任逃れなんてできやしない!
乗りかかった船、こうなったらさぁ・・・
とことん、やるっきゃないよね。
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