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西方白蝶譚 その参


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 佐平は利一が知っていたフンランの言葉や、習い始めたアンゲリアの言葉を清にしたためた。これが初めて出したふみであった。清はヨネから教えてもらった簡単な料理の材料や作り方を返事に書いた。互いに心に秘めている会えない寂しさを表しはせず、こうしたやり取りが二人にとっては好意の最善をなすことで、立場上これ以上はどうしようもなかった。
 ヨネは一彦が来ることを大層喜んでいた。裁縫が上手だし、畑仕事をしてくれるし、力仕事を頼めるし、何より家に信頼出来る男がいることの安心感があった。さらにヨネには良いことがあった。一彦の存在がヨネに安心を与えたことにより、いつしか和漢胃腸薬を必要としなくなっていたのであった。
 清は寺子屋で、あいのこ、と云われて名前を呼んでもらえず、その他にもはなはだだしい差別を感じて通えなくなったのを見兼ねた一彦から学問の手解てほどきを受けていた。
 佐平が、おもろいと頭がそればかりになってしもうていかん思いました、よく使う句を教えてくださりませぬか、と利一に云うと、HalloハローPäivääパイヴァー(※こんにちは、英語とフィンランド語)から真面目な授業が始まるようになった。あまり期待はせんでくれ、わしもそんなには知らん、と云いながら利一は佐平の頭に入るまで急がずに嫌な顔をすることなく丁寧に教えた。佐平は利一といる時は孝子の存在をいつの間にか忘れることが出来ていた。
      ○
 そうして三年がった。その間に幕末が始まっていた。利一は弟からのふみでアメリカ合衆国からマシュー・ペリーが浦賀に来航したこと(※黒船来航)や中浜万次郎(※ジョン万次郎)のことを知り、これからは異国の言葉が日常に役立つ時代が来るかもしれぬ、と佐平に自分の言語知識を惜しげなく与えた。三年も大坂にいたのは、世が大きく変わり始めたのを感じ、危険回避を考え、相模の弟の家族が大坂へ来ることも想定したからであった。
 利一が佐平に慈愛ぶかく忍耐づよく接していたのは、自分も多くの人に助けられて生きて来たからであった。同時に七転八倒しちてんはっとうの苦悩も味わい、気というものは何にでもこもり、不快な時には万事がうまく行き兼ねることを悟っていたからであった。
 佐平は、利一の善の心がまわりの人たちを幸せにしておると思う、と清へのふみに書いた。すると清からの返事にヨネから聞いたという平吉の心の話が書かれていた。
 私の心には夕菅ゆうすげが生きておるのです。夕に始まる美しさは朝まで優しく、日中にその姿は消えておっても、幸せが香る様子は私の内側に生きておるのです。
 その話を利一にすると、利一はなぜ独身ひとりみなのかを話し始めた。好いた女子おみなごがおったんじゃが、十五になる前に天界へ行ってしもうてな、おそらく天女やったと思うておる、優しすぎたんじゃ、かぼそくてな、家族に遠慮してあまり食べへんかった、きれいすぎて人三化七にんさんばけひちの世の中に適応出来へんかった、お清さんには、天女は強いんや、と書いたほうがええで、強いから地上に降りて来られるんや、天女は円満無碍えんまんむげ、周囲相応に生き抜く力があるんや、と教えた方がええで、と利一は云った。
 平吉から、故郷ふるさとの山里では、桔梗と夕菅が同じ時期に咲くという話を聞いたことがあった。桔梗丸屋での苦悩を故郷の夕菅の残像に救い助けられておったんや、と佐平は思った。そして夕の始まりの青い空がことさら好きになった。平吉と清と自分の心を重ね合わせられる美しい時間のごとく感じられたからであった。

 三生が京へ行く日が決まった。まだ子供の三生が政治の中心の京で政変の動乱に巻き込まれたら、とキエは心配した。しかし三生は、まだ起きてへんことを心配しても無駄やし、京へ行かへんかったことで後悔する人生になる方が嫌やと力説した。
 三生は既に佐平と清の祝言に贈る着物の柄を考えていた。の色は薄い美しい萌黄もえぎにしてな、芍薬の花を二輪取り合わせるんや、左は薄い鮮やかな赤い色、右はごくわずかに灰色はいいろみのある白にして、大きく大胆に配置してな、羽織はおり若草色わかくさいろにして、色無地いろむじに見せ掛けて、よう見んとわからんところに小さな白い蝶を忍ばせようと思うとる、右肩、裏地の背、左の袖の先にな、と云った。佐平は、三生は天才や、でもお清さんは大人しいからな、大胆すぎて着られへんかもしれん、と云うと、似合う思うなぁ、こういうの考えるの大好きや、と云った。二人はふみかわすことを約束した。
 そして利一は相模へ向かうことになった。初孫が生まれる時に居て欲しいというふみが弟から届いたのだった。
 二助は奈良へ行くことになった。茶問屋の若女将と仲良くしていたのが夫である若旦那には気にいらなかったらしく、薬草の勉強が出来る薬園を紹介されたのであった。若旦那は親が決めたこの婚姻は失敗で、互いの性格の不一致に気が付いていたのであるが、息子がまだ小さかったので破綻はたんさせたくなかったのである。決してあやまちはなかったのに、楽しく夢中になって植物の話が出来る人をやっと見つけたのに、人の奥さんに手ぇ出すような人間とちゃうのに、と二助は深く傷付いた。
 奈良へつ前、二助は茶問屋に寄った。若旦那と若女将の前ではっきりと云った、若女将に好意を持っていたが、過ちはなかったこと、夫婦仲に水を差すことはしたくないので、二度と茶問屋へは足を運ばないことを。はよ家の中へ戻らんかと若旦那に云われても聞かず、若女将はぽろりぽろりと涙を落としながら二助が見えなくなるまで見送った。
 十八になっていた一彦は、店の跡取りとしての自覚を持つよう主人に云われ、三日に一度通うようになっていたヨネの家に行くことを禁じられた。その翌日の明け方、一彦はひっそり家を出た。ヨネと清と三人で暮らす決意だった。
      ○
 それから五年が経った。佐平は桔梗丸屋で丁稚でっちとして働いていた。孝一も丁稚の仕事をするようになっていたのだが、相変わらず昼になるとどこかへ消え、夜は孝子と帰って来て晩飯を取り、孝子のねやで寝ていた。佐平が悩んでいたのは、孝一が仕事に協力的ではないことだった。佐平に伝えなければならないことを云わなかったり、あれはどうなったと聞いても無視したり、佐平が困っても平気だった。孝子は、新しい奉公人が入って来ると、孝一は裏表の無い子でございますけれども、佐平は信用出来ませぬ、あれは何を考えておるのかわかりませぬゆえ、気をつけなければなりませぬ、と嘘を云って佐平を悪人と思わせようとした。奉公人たちの中には、それを真に受ける者が三人もいて、佐平にきつく当たっていた。キエは佐平の誠実さをわかっていたので、それが救いにはなっていたのであるが、三人の実子との接し方の違い、それはちょっとした互いの遠慮によるものなのであるが、その致し方なさを寂しく思うこともあった。
 そんな時、佐平は夕暮れになると離家から空を見上げながら心の中の白い蝶をたびたび飛ばした。これは清への思いであった。そして平吉の夕菅への思いも同時に思うのであった。
 ある夜、孝子と孝一が言い争う声が家中に響いた。翌朝から孝一は店に出なくなった。そして桔梗丸屋からぱったり姿を消した。しかし孝子に洗脳された奉公人の佐平に対する態度は変わらず、日々戦々恐々せんせんきょうきょうとしながら働いていた。
 その頃、一彦から主人にふみが届いた。清との結婚式の日取りが記されていた。主人は誰も出席しないむねふみを誰にも相談せずに出した。
 そして一彦は三生のもとを訪れていた。三生が下絵を手掛けた小菊の模様の反物たんものを買いに来たのだった。三生はそのこと自体は嬉しかったが、それを自分の嫁になる清に着せると云うので驚いた。撫子色なでしこいろに白い小菊、まだ子供やからね、といわんばかり、どうかしとる、お清さんの心の奥にる佐平の大きさがわからんとは、と三生は云った。清は、佐平どんは肉親のようなお人、いうとったで、と一彦は云った。そう云うしかないやん、ただ可愛らしいお清さんのそばにいたいだけやろ、お清さんが持って生まれた気質や純粋な心持ち、本当に理解したことあるんか、と三生が云うと、ないかもしれへん、だからなんや、清を大事にしとるで、と一彦が云うので、三生は、それは自分の生活のために、やろ、お清さんの魂を楽にしてあげられるんか、それは佐平にしか出来へんと思う、と云うと、そんなややこしいことはわからへん、しかし清の毎日を実際に明らかにしてやれるのはわてや、おヨネさんは大喜びや、と云うと、反物の代金を置いて去った。

 一彦と清は結婚式を挙げた。出席者はヨネのみであった。そこは昔、平吉と佐平と三生が一泊した寺であった。
 ヨネは挙式直前に、非常に大切なお話を挙式後にさせていただきます、と若い僧侶・石井いしい喜八きはちから云われ、何のことだかわからなかったが、挙式の後、待つように云われた部屋に一彦と清と共に移動し、机の前に座った。喜八はすぐに現れた。きれいに畳んだ真新しい手ぬぐいを大事そうに持っていた。それを机の上に置くと、丁寧に開いた。人骨が一つ出て来たので、三人ともぎょっとした。喜八は、齊藤平吉様です、と云った。
 喜八は仔細を話し始めた。小坊主だった頃、買い出しの帰りにその年の最初の夕菅の花が咲いているのを見掛け、近付くと、人が倒れていました。その近所の人に声を掛け、寺まで運んでもらいました。その方はすでに亡くなっておられました。落ち着いて改めてお顔を拝見したら、齊藤平吉様とわかりました。その夜、住職に、余計なことをしよって、と怒られました。この方は以前ここに泊まられたことのある齊藤平吉様です、と申し上げましたが、無縁墓地に埋葬すると云われました。こうして一つだけ御骨おこつを隠していたことは誰も知りません。本当はもっと早くお知らせしたかったのですが、私は野菜の行商人の子で、盗賊に襲われたのか、両親が見つかった時は荷車も財布もありませんでした。十二になっていたので、両親が野菜を運んでいた宿屋へ行って働かせてくださいと頼みましたが断られて、宿屋の前で座り込んでいたら、宿屋から出て来た住職に、誰もいない古い小さな寺で働かぬかと云われてここへ来ました。住職は見掛けは僧侶ですが、実際は金持ちの文字通りの世捨人よすてびとです。檀家だんか他所よその寺に移ってしまっていて、買い物、掃除、炊事、雑用を一人でこなさなければならず、要領がわからず叱られてばかりでした。私は拾われた子なので、住職はいまだに私を信じておらず、毎日細かくどこで何をしたかを聞かれます。おめでたい日なので、悩みましたが、住職は実家のお葬式で珍しくまる一日お留守、しかし明日あしたにはお戻りになるし、この時しかないと思いました。記帳の住所と御名前を拝見して、おヨネさんの朝ご飯が楽しみじゃ、という齊藤平吉様のお声を思い出しました。不思議なことに、平吉様がお泊まりになってから、檀家が少しずつ戻るようになりました。平吉様とお子様方にお掃除を手伝っていただいた時は今までの人生で一番苦しかった時期でして、本当に大変助かりました。宿泊のご連絡をいただいてから、かなり時間がありましたので、お布団を出来るだけきれいに用意しておいたのですが、おほめいただいたこと、今でも思い出すと嬉しくて涙が出そうになります。御骨には、小声ですが、毎晩お祈り申し上げて、蜜柑みかんなど、自分の部屋に持ち込んでも怪しまれないものをお供えさせていただいておりました。この話は住職には内緒です。手ぬぐいなのは、住職が私の部屋に黙って入り、持ち物を調べても不審に思われないようにするためです。平吉様の遺品が何もなくて申し訳ありません。これが私の精一杯でした。お許し下さい。

 一彦は平吉の遺骨を持って久しぶりに桔梗丸屋へ帰って来た。一彦は主人の部屋に呼ばれ、孝彦、キエ、佐平も呼ばれ、清と家の近くの寺で結婚式を挙げたこと、その寺の石井喜八という若い僧侶が平吉の骨を大切に守ってくれていたことを話した。
 佐平は、平吉おじさまの両替商のおばさまにお願いして、故郷ふるさとのお墓にこのおほねだけでも入っていただくことは出来ませぬか、と云った。
 おそらく孝子は絶対に遺骨を平吉のものとは認めぬであろう、ここでよりも叔母の雪子の手によって法要が行われた方が平吉は喜ぶかもしれぬ、佐平が雪子に遺骨を届けられるようにするゆえ、しばらく待て、と主人は云った。
 その夜、佐平は平吉の遺骨と離家で過ごした。主人が用意した小さな骨壺こつつぼを、平吉が寝ていた場所に置いた。寂しさがつのったが、涙は出なかった。清は大事にしとるから安心せい、、、と一彦に云われ、心に大きな穴が空き、涙をめることが出来なくなったような感覚におちいっていた。そして一彦と清のたましい波動はどうは合わないと感じていた佐平は、いつわりの努力をしているであろう清のことを思うと自分のことのように苦しかった。
 佐平は主人と雪子を訪ねた。大きな屋敷で奉公人が数人り、佐平が想像していた暮らしよりも豊かで、少し面食らってしまった。洋間に通され、雪子と会った。その白髪はくはつは銀髪で、絵画かいがの人物のような洗練された美しさがあった。雪子は佐平の顔を見ると嬉しそうで、始終その表情は明るかった。佐平は安心し、初めて座ったソファーの柔らかさにこのまま動きたくない気持ちになった。
 雪子との対面はすぐに終わった。屋敷を出ると、長居して両替屋の機嫌を損ねるといかんからな、と主人が云ったので、佐平は、両替屋のご主人は余程嫉妬深いんやな、と思ったのだが、この時すでに雪子は肝臓を悪くしていたのを両替屋の主人から聞いて体にさわることがあると悪いと思い遠慮をしたのであった。佐平はこのことを後に知ることになる。

 そして十年がった。一彦から娘が生まれたとふみで桔梗丸屋に知らせがあった。
 佐平は二十五になっており、自分の将来を案ずるようになっていた。時代はすでに明治となっており、店は明らかに傾き始めていた。
 ある日、桔梗丸屋に品のある御婦人が孝子を訪ねて来た。孝彦が、留守にしておりますが、と云うと、若かりし頃、茶道のお稽古で知り合いまして、私は博多の菓子屋に嫁ぎましたが、夫が他界して子がおりませぬゆえ、実家の菓子屋に最近帰って参りました、ロハろは様もお元気でいらっしゃいますか、と云うので、その名は聞き覚えがござりませぬが、と孝彦が答えると、孝子様のお兄様です、と云うので、兄はわたくしでござりますが、と云うと、同じお顔のお兄様です、こちらにはお見えにならなかったご様子で、安心いたしました、と云うので、孝彦は震え上がり、どうぞお上がりくださりませ、そのお話を詳しくお聞かせいただきたく存じます、と云った。
 キエが初孫に何か送ってやりたいと買い物に出掛けていたので、孝彦はその話を一人で聞くことにした。孝子と同い年のその御婦人・富田とみた福子ふくこの実家である菓子屋の水菓子を先生がお稽古で出してから、孝子は福子の菓子屋が大のお気に入りとなった。孝子はよく店を訪ねたので、自然に仲良くなった。ある日、孝子に小さな芝居小屋に連れて行かれて、孝子と同じ顔をした男と会った。役者をしている孝子の双子の兄ということだった。ロハろはという名は、本名の口八くちはちなぞらえ、自分で付けた名だと云った。赤子の時に産婆に預けられた寺の住職に、への字口で泣いてばかりいる様子から付けられた名だと産婆から聞いた、と云った。ロハは相撲が好きで、芝居小屋の裏方をしていた二つ年上の新妻と見に行ったのだが、孝子とは偶然に会場で席が隣になった。座長が新婚祝いに席を取ってくれていなかったら、孝子と会うことはなかったかもしれない。産婆から聞いて桔梗丸屋に双子の妹がいるのを知っていたので、桔梗丸屋のお嬢様でござりますかと聞くと、孝子は驚いてロハの顔をまじまじと見た。その帰りにロハは妻と共に自宅の長屋へ孝子を案内すると、時々入れ替わることを提案した。ロハは端役はやくで女役もするので、その時は孝子が舞台に上がる、ロハは孝子に成りすまして憧れの桔梗丸屋で静かに過ごす。孝子はこの計画を、退屈しのぎのおもろい遊びや、と大層喜んだ。この話を孝子が福子にしたのは、私の博多への嫁入りが決まって、まもなくいなくなると思ったからではないか、誰かに嘘のような本当の話をしたかったのではないかと思った、ということだった。博多からふみを何度も出しましたが、お返事をいただけませんでした。隠居された先生に孝子様のことをおうかがいしたところ、お福さんが博多に行ってからけぇへんくなった、辞めると聞いとらへんかった、とおっしゃておられました。ロハ様とお会いした芝居小屋はなくなっておりました。孝子様によろしくお伝えくださりませ。美味しいお菓子をご用意してお待ちいたしております、と話して帰った。
 その晩、孝子が食事を終え、女中が膳を下げたことを主人に伝えると、主人の部屋で共に横になっていた、孝彦、キエ、佐平、の四人は、孝子のねやそろって行った。いきなり入って来られた孝子は、何でござりますか、ととぼけて云った。口八くちはち、孝子を連れて参れ、と主人が云うと、知らん、と男の声を発し、孝子の祝言の日から会うてへん、それに今は孝次郎たかじろうや、二度と口八くちはちいうな、といじけた。キエが動揺しながら、祝言の日からとはわけがわからへん、と云うと、孝次郎は趺坐あぐらをかき、おそらく千鳥足ちどりあしが川のおもてを踏んだんやろ、と云い、重い口を開き始めた。
 産婆が、齊藤の奥様から内緒だと云われたが本当のことを云うておきます、と亡くなる前に云うた。奥様は双子を産みたくなかった。桔梗丸屋の主人は、双子は畜生腹ちくしょうばらののしり、女の幼馴染みの最初の子が双子やったというだけで絶交した。最初の子の時、おなかを触ると、ここに尻がある、ここはかかとや、と嬉しかった覚えが大きかったからか、今度は前とは違う、お腹の子は双子やないかという不安に駆られた。それで家から遠い温泉場で産むことにした。その恐れでお産前は狂ったようやった。産婆が、自分の毒気どくけやまいになりませぬよう、胎内教育という言葉が昔からござります、妊娠がわかったら、不謹慎なことは全て慎まなければなりませぬ、罪をなんとも思わぬ子には胎内時期の影響がござります、というと、我に返ったように静かになり、落ち込んだようやった。双子が生まれると、この子を処分しておくれ、と男の赤子を渡された。男は跡目争いになる、と云っておった。双子は許されぬ、と奥様は大泣きした。悲痛から逃れられないようになってしもとった。処分したと嘘をいい、昔馴染みの寺の住職に赤子の素性を明かさずに預けた、と云うとった。
 その寺は身寄りのない子が何人もおった。寺はいややない、その寺の坊主らがいややった。威張ったのしかおらんかった。九つの時、寺を飛び出して、芝居小屋に辿り着いた。女顔おんながおしとる、と座長に拾われ、雑用はなんでもやって、役者を目指した。桔梗丸屋に行く気は全くなかった。ただただ孝子が阿呆垂あほたれで失望した。礼儀正しく義理を重んじた教育を孝子から感じたことあらへん。わがままで、不作法で、義理知らずやった。桔梗丸屋は憧れやったが、堕落性だらくしょうの孝子のせいで、しょーもないもんになってしもうた。
 孝子は祝言の夜遅くにわかに長屋へ来た。花嫁やなかった。酔払よっぱらいやった。孝子の顔を見たとたん張手はりてをしてしもうた。孝子に歩くだけの通りすがりの女役をさせたら、本番できょろついたらしい。作品の雰囲気を壊した、と座長に三年の役者禁止令を出された。それ依頼の再会で、阿房面あほうづら見たらはらわたが煮えくり返って我慢ならんかった。孝子はひっくり返ったけど、すぐ立ち上がって出て行った。妻は、お祝いをもらいに来たんちゃうか、云うた。すまんことをした、今度来たら、お祝いをせなあかんな、と答えたが、それからうてへん。孝子の姿になり朝早く裏口から孝子のねやへ顔にあざ作らへんかったか見に行ったがおらんかった。孝子が長屋へ来る時は裏口を開けておく手筈てはずになっとった。女中がめしを運んで来たから、黙って食べた。こんな美味いもん食えるんやここは、思うた。孝子が翌朝になっても自分のねやに戻らへんのが怖くなって、そのまま孝子として静かに過ごした。その日の夜遅よるおそく、平吉がねやに遠慮がちに来た時は、本当に運がええ思うた。平吉を長く遠ざける策が上手くいった。孝子のまま、ここでじっとしておってよかった、思うた。桔梗丸屋に来るのが一日でも遅うなっとったらどうなっておったんやろ。そのから毎日孝子になると心に決めて、次の朝から新しい芝居小屋で齊藤孝次郎として働き始めた。万が一、孝子と桔梗丸屋で鉢合わせても、間違いなく次男、と度胸をえた。孝一は実子で、役者を目指して芝居小屋で共に働いとる。桔梗丸屋に住むよう連れて行ったが、働いて来たで、と云うて、いつも昼からは芝居小屋に来とった。薬種商に腰を据えて欲しかったが、上手くいかんかった。
 なんで幼馴染みの女が双子を産んだ時、双子は親孝行やな、二度の苦しみを一度にして、と母に云うてくれなかったんや、その一言ひとことがあれば母は救われたんや、真逆のことしよって、親孝行して欲しいから、子にこうの字を付けとるんやろ、そんなに孝行して欲しいんなら、まずおのれが妻に孝行しろ、心無い一言の罪を知れ、と涙ながらに吐露とろした。
 主人は誰も気付かぬうちに息を引き取っていた。
      ○
 孝彦は、父の葬式と孝子の法要を石井喜八に頼んだ。父の葬式の前日にひっそりと法要を済ませ、おおやけには孝子は函館に嫁入りしたことにし、生き別れていた次男の孝次郎の無事がわかったことにした。ヨネと清は遠慮をして来なかった。
 三生は、佐平に見せたいものがある、と云って、風呂敷の包みを開けた。正絹しょうけんの着物で、青のだった。佐平に蝶の絵を描いて欲しいと云われたのに遅くなってすまんな、と云うので、喜びで驚いた佐平が、衣桁いこうに掛けて見る、どこや、と興奮して云うと、襖の向こうにいた喜八が、こちらにあります、私も見せていただいてよろしいですか、と慎ましやかに云った。
 三生が着物を掛けて、三人で黙ってしばらく眺めた。絵羽柄えばがらの着物の裾には日暮れの山並が低明度で描かれ、その上には、沈んだ日の光が高明度で浮かび、その上には、現れ始めた星の代わりに小さな白い蝶が舞っている。ほとんどは、前ばねと後ばねを開帳した形の飛翔している蝶なのだが、花にまっている横向きの姿も描かれており、花は桜で紅染べにぞめの淡い色、黄色は菜の花、紫はすみれ、芍薬の花の模様は赤く、その小さな花々にしか高彩度の色が乗せらていない。佐平には、それらが春の日暮れの西の星空のひときわ明るい星々(獅子座ししざのレグルス、双子座ふたござのポルックスとカストル、馭者座ぎょしゃざのカペラ)を思わせた。そしてその上に広がる青は春の空の蒼天そうてん彷彿ほうふつさせるものだった。桜と菫と芍薬のSは、佐平と清と三生のS、芍薬は実際は大きな花やけど、桔梗丸屋は薬種商、四つの花のYと菜の花のNでおヨネさんを表して……平吉おじさまがくださった春の二日間……そうや、この着物自体が平吉おじさまのまごころでもあるんや……佐平の勝手な解釈であったが、三生の感謝の気持ちと繊細さを感じ、佐平は感激で心がふるえた。着物はあわせ仕立てで、蝶のいない寒い季節でも佐平がさみしくないように、という三生の心遣こころづかいが感じられた。そして袖は、小袖よりは長く、振袖よりは短くしてあり、結婚している清の状況を思い出させて佐平を嫌な気持ちにさせないようにという配慮もあった(※訪問着の普及は大正時代以降)。佐平が蝶の絵を描いて欲しい、と言った時、子供心にその場で想像の蝶を描いて手渡すことが出来たにもかかわらずそれをせず、着物の形にまでした三生の深いまごころを、佐平は心の底に流れ入るかのごとく感じた。三生は送ったふみをほんまに丁寧ていねいに読んでくれとったんやな、考えてみたら、三生は子供の頃から精神はもう大人やった、と佐平は思った。三生の着物は佐平の心に絶大な感銘を与えた。
 佐平は、喜八に平吉の遺骨の礼を云い、寺に泊まったのは我々です、と話した。喜八は、あの時のお子様方でしたか、平吉様は私にとっても忘れられない大事な方です、と云った。
 佐平は三生の帰り際に、着物の様子があまりにも心腹しんぷくに落ち過ぎて、ちゃんと礼をいわんかった、おおきに、ほんま、おおきに、と云うと、三生は、佐平のおかげがたくさんあると思うとる、喜んでくれて嬉しい、と昔ながらの優しい笑顔をみせた。
 しかし、次の日の夕方、佐平が店から離家に戻ると、自分の部屋に掛け直してあった衣桁の着物がなかった。着物が、着物が、と佐平が狼狽うろたえて廊下を走りながら母屋の部屋を見てまわっているのを見た孝子の部屋に食事を長年運んでいた女中が佐平に声を掛け、誰もいないところまで誘導すると、孝次郎様が小さく畳んだ青い着物を手にされて廊下を歩いておられました。ただ、離家から出て来たところは見ておりませぬ、と云った。
 その夜半よわ、孝次郎様がお戻りになりました、と女中が知らせてくれたので、佐平は孝子のねやだった孝次郎のねやの前の廊下に座り、孝次郎おじさま、着物を返してくださりませ、と静かに云った。孝次郎は、知らん、質屋に任せた、と云い、赤の他人の分際で、桔梗丸屋をいつまで食い物にしとるんや、はよ出ていかんか、桔梗丸屋の中にあるもんは全てわしとその血筋のもんや、と云った。そして、桔梗丸屋の血が流れてない男が家族のふりしてこの家で暮らすのは許さへん、許さへん、許さへん、と障子越しにつぶいた。
 佐平は孝次郎の虐待の動機をようやくはっきりと理解した。
 喜八は寺に帰る前にヨネの家に寄った。清しか家にいなかったので、私は今のところ見掛けが若い男なので、玄関先でこのまま事情をお話したらすぐに失礼して帰ります、と冗談めいて、何かを包んだ風呂敷を手渡した。それは孝次郎が質に入れた着物だったのだが、清は何も知らないので、まずこれがどのような着物なのかを説明し、手に入れた経緯けいいを話した。
 私の両親は、理由はわかりませんけれども、仁和寺にんなじに行きたいと云っていたのを覚えておりまして、結局行けませんでしたので、いい機会なので、お参りをして帰ろうと思いました。というのは、齊藤孝彦様からお布施とは別に、私だけに包んでくださったお金が驚くほどでしたので、これは行きなさいという意味だと思ったのです。するとあるところで、齊藤孝次郎様をお見掛けいたしました。桔梗丸屋さんからは驚くほど遠いところで、それも質屋に入られたので、気になりまして、出て来られるまで待ちました。そして今出て行った男が持って来たものを見せて欲しい、と云うと、そのお着物でした。これは盗品で、私は持ち主を知っている、なぜこの着物が生まれたかを詳しく話すことも出来る、私はこれを持ち主に返したい、今私に買わせないなら、出るところに出てもいい、というと、質屋は金額を云いました。それが、お布施ではないお金の金額と同じだったのです。なるほど、と深く納得いたしました。仁和寺に行こうと思わなかったら、このご縁はありませんでした。仁和寺の阿弥陀如来様あみだにょらいさまにお目にかかり、お礼を申し上げることが出来ました。着物の蝶も阿弥陀如来様のおそばに行きました。この話はもちろん住職には内緒です。内緒話しかしていませんね。申し訳ありません。

(つづく)


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