渇きの果てに…禁断のコンダクター 第11話
――ただ、抱かれるだけの女……。
その言葉が、まゆの胸の中で、何度も反響していた。
シーツの柔らかな感触。
肌に残る温もり。
額への優しいキス。
どれもが心地よかった。
……しかし、心の奥には、小さな空白が残っている。
時計を見ると、午後八時を回っていた。
まゆは我に返ったように身を起こす。
「……そろそろ帰らないと……」
アダムスは、そっと彼女の背中を支えた。
シャワーを浴びた肌には、まだ火照りが残っている。
鏡の前でブラウスのボタンを留めながら、まゆの指先はわずかに震えていた。
ホテルの柔らかな照明の中で、曖昧になっていた現実が、帰り支度を始めた途端、急に輪郭を持ちはじめる。
健一には、
「残業で遅くなる」
とLINEを送ってある。
既読だけがつき、返事は来ていなかった。
その無機質な表示を見た瞬間、胸が軋む。
背後では、アダムスもシャツの袖を整えていた。
さっきまで自分を抱いていた男とは思えないほど、落ち着いた仕草だった。
「駅まで送ります」
窓際に立ったまま、アダムスが穏やかな声で言う。
「……大丈夫です」
まゆはバッグを抱き直し、彼の目を見て微笑んだ。
アダムスは、それ以上踏み込まない。
「また、会いましょう」
引き留めるでもなく、突き放すでもない。
その微妙な優しさが、かえって胸に深く残った。
「……はい…」
ドアが閉まる。
廊下へ出た瞬間、まゆは一瞬立ち止まった。
身体には、まだあの熱が残っている。
けれど心のどこかには、言葉にならない空白があった。
満たされなかったわけではない。
むしろ逆だ。
あんなふうに丁寧に扱われたのは、初めてだった。
「まゆさん」と名前を呼ばれた。
見つめられた。
女として触れられた。
それなのに――。
エレベーターの鏡に映る自分は、どこか遠い顔をしていた。
まるで、自分自身だけが、まだそこへ辿り着けていないみたいに。
*
部屋に一人残ったアダムスは、グラスに残ったシャンパンを見つめていた。
泡は、もう消えている。
静かな夜だった。
まゆは確かに、自分を受け入れてくれた。
言葉も、身体も拒まなかった。
けれど最後に彼女が見せた表情が、どうしても胸に引っかかっていた。
「……気持ちよかったです」
そう告げたときの、あの微かな揺らぎ。
そっと微笑んでいた。
なのに、どこか遠かった。
アダムスは、ふうっとため息を吐く。
今まで出会った女たちは、もっと違う顔をしていた。
アダムスに、甘え、委ね、導かれることで、心も身体も満たされていく。
……まゆは違った。
快楽に身を委ねながらも、その心は、どこか遠くを見つめていた。
まるで、自分が本当に求めているものを、探し続けているかのように。
アダムスは、気づき始めていた。
彼女は、“抱かれるだけの女”でいることに、どこか冷め始めているのだと。
――自分は、彼女を“上手に満たそう”としすぎたのかもしれない。
優しく導くこと。
安心させること。
求められるまま与えること。
それは、彼の得意なやり方だった。
だが、まゆが本当に欲しかったものは、もっと別の場所にあるのかもしれない。
彼女は、ただ愛されたいわけじゃない。
自分の欲望を、自分の意志で掴みたいのだ。
その核心は、アダムスの胸の中に、新たな波紋を広げ始めていた。
