渇きの果てに…禁断のコンダクター 第13話
アダムスとの逢瀬から、一週間が過ぎていた。
朝。
炊飯器の湯気。
味噌汁の匂い。
工場の油の染みついた作業着。
……何も変わらない日常。
それなのに、まゆの心だけが、日常の枠に収まりきらなくなっていた。
ライン作業中、ベルトコンベアへ段ボールを流しながら、ふと手が止まる。
あの夜の記憶が、静かに浮かび上がる。
名前を呼ばれた声。
近づいた気配。
触れられたときの感触。
どれも短い瞬間なのに、思い返すと胸の奥がかすかに波立った。
身体は確かに満たされた。
けれど、それだけでは埋まらないものが残っている。
まゆは最近、その違和感を考える時間が増えていた。
抱かれたかっただけじゃない。
優しくされたかっただけでもない。
もっと――。
流れそのものを変えたかった。
アダムスに導かれるままではなく、自分の意思で、自分の渇きへ触れてみたかった。
昼休み。
休憩室の隅でスマホを開く。
アダムスとのLINE履歴。
画面を見つめるだけで、胸の内側がかすかに熱を帯びる。
……会いたい。
その気持ちは、もう否定しようがなかった。
けれど同時に、罪悪感も強くなっていた。
帰宅すれば、健一がいる。
相変わらず無口で、スマホばかり見ている夫。
悪い人ではない。
大きな声を出すわけでもない。
生活費もきちんと入れる。
家族を壊したいわけじゃない。
なのに私は、別の男に会いたいと思っている。
夜。
健一が寝室へ入ったあとも、まゆは一人リビングに残っていた。
静かな部屋。
シンクに伏せたグラスの横で、スマホの画面だけが淡く光っている。
何度も文字を打っては消す。
『会いたいです』
……違う。
そんなふうに送ったら、全部が崩れてしまう気がした。
まゆは深く息を吐き、遠回しに打ち込む。
『次の大阪出張って、いつ頃なんですか?』
送信した瞬間、鼓動が速くなる。
数分後、返信が届いた。
『まだ未定です。早くても三か月後くらいでしょうか』
……三か月。
まゆはスマホを見つめたまま動けなかった。
長い。
長すぎる。
その間、また“日常に埋もれた妻”として毎日を繰り返すのか。
誰にも触れられず。
誰にも名前を呼ばれず。
工場と家を往復するだけの日々。
そのことを想像をした瞬間、不意に閉じていた心の内側で、あの旋律が蘇った。
低く湿ったテナーサックス。
甘いのに、どこか切ない音色。
健一と通ったダイニングバーで流れていた曲。
あの頃の自分は、まだ未来を疑っていなかった。
まゆはスマホを握りしめる。
そして気づけば、送信ボタンを押していた。
『……私が鹿児島へ行くのは、変でしょうか?』
