歴史ぶらり旅:聖徳太子編 第6話|家柄より実力 ― 冠位十二階の衝撃
飛鳥時代の日本では、出世は家柄で決まるのが当たり前でした。しかし聖徳太子は、その常識を変えようとします。604年に制定された「冠位十二階」。それは日本初の本格的な能力主義への挑戦でした。なぜ聖徳太子はこの改革を行ったのでしょうか。今回は日本史を変えた大改革の物語です。
聖徳太子が摂政となった頃。日本の政治には大きな問題がありました。
それは、出世が家柄で決まることでした。どれほど優秀でも、身分が低ければ高い役職には就けません。逆に、能力がなくても有力な家の出身なら重い地位を得られました。これでは国は強くなれません。聖徳太子はそう考えました。そして604年。大胆な改革を行います。それが、冠位十二階です。

役人たちの冠の色によって地位を表す制度でした。最高位は「大徳」。その下に「小徳」。さらに「大仁」「小仁」、「大礼」「小礼」などが続きます。全部で十二の階級が設けられました。注目すべきは、その基準です。家柄だけではありませんでした。才能や功績も重視されたのです。現代で言えば、実力による昇進制度に近い考え方でした。

もちろん、すぐに完全な能力主義になったわけではありません。有力豪族の影響力は依然として大きかったのです。それでも、この改革は画期的でした。なぜなら日本で初めて、「能力によって人を評価する」という考え方が制度として示されたからです。

聖徳太子が目指したのは、豪族たちの寄り合いではなく、天皇を中心とした国家でした。そのためには、優秀な人材を登用しなければなりません。
海の向こうの中国では、すでに大規模な国家運営が行われていました。
聖徳太子はその仕組みに学びながら、日本独自の制度を作ろうとしたのです。

人々は驚きました。古い常識が変わり始めたからです。しかし、聖徳太子の改革はまだ終わりません。同じ年、さらに有名な制度が発表されます。それは役人たちが守るべき心構えを示したものでした。冒頭には、あまりにも有名な言葉が記されます。
「和をもって貴しとなす」
次回予告 第7話「十七条憲法 ― 和をもって貴しとなす」
聖徳太子が役人たちに示した理想の政治とは何だったのか。
日本人なら誰もが一度は聞いたことのある言葉、
「和をもって貴しとなす」の本当の意味に迫ります。
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編集後記:ようやく聖徳太子のキャラが安定してきました
監督:こう爺
お話とプロンプト:ChatGPT
画像と動画:Flow (Nano Banana 2)
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