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ホーソーン『緋文字』(3) “理想の牧師”の「沈黙」の代償



ヘスターは語らなかった。

その「沈黙」は、罰を受け入れる姿勢であり、
共同体にとって“赦しの物語”を投影する余白でもあった。

第二回では、彼女の労働と奉仕が、共同体の視線をどう変えたのか──
そして、なぜ彼女が“聖性の「象徴」”となったのかを見つめた。

 
だが、罪についてあげつらわれた者がいる一方で、
あげつらわれなかった者もいた。

ヘスターの罪が晒されたとき、
もう一人の罪人は、「沈黙」の中にとどまった。

三回めである今回は、
もう一人の罪人──若き牧師アーサー・ディムズデールの「沈黙」が、
いかに彼自身を蝕み、
そして、語られざる代償を生んだのか、について考えたい。



・ディムズデール牧師


ディムズデールは、「さる著名な英国の大学を出て」、
優れた学識を持つ人物であった。

彼の「宗教的情熱」に裏打ちされた説教は、いつも感動的なものだった。

ボストンの「牧師」たちのなかで、誰よりも愛され、敬われる存在だった。

学生だった頃から、ディムズデールは周囲に期待されていた


「彼はすぐれた容姿の持ち主で、
白皙の広く秀でたひたい、
大きい、とび色の物静かな目をもち、
口は、意識して閉じていないかぎり、ふるえがちで、繊細な感受性と強大な自制心をしめしていることを示していた」。

人々の期待に真面目に応えようとするディムズデールは、
自らは罪を背負っていても、
「牧師」としての役割を果たさなくてはならない、と思い込んだ。

それでも、罪の意識から、
「苦悩」をただよわせ、「瘦せ細り憔悴(しょうすい)」していくディムズデール。


しかし、ボストン市民たちは、
そんな彼の姿に、深い「霊的」な苦悩をたたえた、神秘的な「地上の聖者」の姿を見るのだった。


・ディムズデールの「霊的」な「磁場」


ディムズデールは、ボストン市民にとって、理想的な「牧師」だった。


プロテスタント共同体では、
牧師は「神の言葉を地上に伝える者」であり、
共同体の霊的秩序の象徴だった。

だからこそ、
人々は「自分の牧師は、霊的に強力で、神秘的で、選ばれた存在であってほしい」と願うのである。


ディムズデールの「沈黙」・「苦悩」・「内省」は、
人々には“神と直接対話している者”のような神秘性を感じさせた。

そして、彼の説教は、
「霊的」な力があり、魂に届く力がある、と感じさせる言葉の力があった。

ディムズデールは、人々の願望を受け入れられる“器”を持っていた


もう一方で、プロテスタント共同体では、
牧師は「人々に寄り添う者」でもあり、
共同体のカウンセラー的存在だった。

だからこそ、人々は、
「自分の牧師は、日常の相談相手になってくれて、
自分の人生について宗教的な羅針盤になってくれる存在であってほしい」と願うのである。

ディムズデールは、
他者の苦しみに「敏感」な性格であり、いつも怒らず、静かに応答した。


このように、ディムズデイルの神秘性は、
彼自身の性格だけでなく、
共同体の願望によって生み出されたものでもあった



ディムズデールの神秘性は、
「牧師」は、「霊的に強力であってほしい」という人々の信仰の願いと、
「特別で、優しく、語れる人であってほしい」という人々の心理的願いが重なったときに、生まれたのである。

だからこそ、彼の「沈黙」は、
信仰の柱(神秘)であると同時に、
語ってほしい(寄り添ってほしい)という欲望の「磁場」にもなる──

共同体の願望が、彼を「偶像(アイドル)」にしたのである。


・チリングワースの嫉妬


そんなディムズデールの姿に、怒りと嫉妬の目を向ける者がいた。

ヘスターの夫であった、ロジャー・チリングワースである。

七年前に、ボストンにやって来たチリングワースは、
「人並みすぐれた学問と知性の持主」の「医者」として、評判をとっていた。

チリングワースは、かつて「知識」を求めて、世界を巡った。

医学・哲学・錬金術――

様々な知識を修めたが、
ディムズデールの「沈黙」と「霊的磁場」に触れたとき、
自分の知識が“魂に触れられない”ことを痛感する。

ディムズデールが人々に感じさせた、“霊的な深みのある言葉”による癒しは、チリングワースには、到底できなかった


その敗北感が、嫉妬となり、知識は“破壊の道具”に変わった。

チリングワースは、
ディムズデールの体調を気遣うボストン市民たちの気持ちを利用し、
「かかりつけの医者」としてディムズデールと同居するようになったのである。


・チリングワースの診療


チリングワースは、
罪を語らせるために、自分がディムズデールの罪を知っていることを語らなかった。

彼は、医師としての共感を装いながら、
静かに、確実に、ディムズデールの「沈黙」を囲い込んでいった。

まず、彼は“理解者”としての顔を見せる。

怒らず、裁かず、静かに応答することで、
「この人には語ってもいいかもしれない」という空気をつくる。

その優しさは、ディムズデールに語らせるための罠だった。

次に、彼は“観察者”として「沈黙」を見つめる。

語らないことを「病の原因」として繰り返し示唆し、
「沈黙」を“罪”に変えていく。

ディムズデールは、
自分の「沈黙」が誰かを欺き、傷つけているのではないかと、自責の念に囚われていく。

「かかりつけの医者」の立場を、巧妙に利用するチリングワース

 
そして、彼は“同居者”として空間を支配する。

逃げ場のない日常の中で、語らないことが常に脅かされる。

「沈黙」は、ディムズデールの立場を守るものではなく、
チリングワースによって壊されるべき“罪の証拠”として扱われるようになる。

最後に、彼は“語らせるための優しさ”を繰り返す。

不愉快な言葉も、
“自分のことを思ってい言ってくれている”と思わせることで、
ディムズデールは“語らない自分がわるいのではないか”と、罪悪感に沈んでいく。


こうして、チリングワースは、
語らせるための心理的密室を設計し、
自分は理解者の顔をしながら、
ディムズデールの罪悪感を育て、精神的に追い詰めていったのである。


・追い詰められるディムズデール


“ボストン市民に話せない・教会の他の牧師に打ち明けられない”と考え、
精神的に孤立しているディムズデールは、
チリングワースの心理的な密室に閉じ込められやすかった。

なによりも、ディムズデールは、
“他者の期待を内面化”しやすく“自責感”が強い性格であった。


しばらくするうちに、

「医者は牧師を意のままにあやつることができるようになったのである。

苦痛のうずきで牧師をのたうちまわらせようとすれば?

犠牲者はつねに拷問台に乗っているのだから、拷問台を操作するバネのありかさえ知っておればよい――

そして医者はそれをよく知っていた!

突然の恐怖で牧師をおびえさせたいと思えば?

そう思いさえすればよい。

魔法使いが杖をひと振りするときのように、
たちまち死者の姿や、もっと恐ろしい恥辱の姿をした不気味な物怪どもが立ちあらわれ――
何千もの物怪が姿をあらわし――
牧師をとりまき、その胸を指さすのだ」。

チリングワースの“妻の不貞の原因”への怒りと嫉妬は、自分の攻撃性を“正義の探求”として合理化する、自己正当化に変質していく


「こういうことが、すべてまことに隠微におこなわれたので、
牧師はなにか邪悪な作用が自分のうえに及んでいることをいつも漠然と感じていながら、
その実体を明確に把握することができなかった」。


・ヘスターとの再会


罪悪感にさいなまれたディムズデールは、
「徹夜の勤行」を行うようになった。

「断食」を「ひざに震えがくるまで過酷に」行ったり、
「血糊のついた鞭」で「みずからの肩」を打つなどの「苦行」をするうちに、
「しばしば彼の頭脳が錯乱し、まぼろしが眼前にちらつくことがあった」。


「五月はじめの暗い夜」のことである。

「いわば夢うつつの状態で、あるいは実際に夢遊病にかかってか、
ディムズデール牧師は、もうずいぶん昔、ヘスター・プリンが公衆の面前で、あの最初の屈辱の時をすごした場所にたどりついた。

例のさらし台ないし処刑台は、
七年という長い年月のあいだに、
風雨に打たれ日光にさらされて黒ずみ、
それに、その後その立ち台にのぼった数多くの罪人たちの足に踏まれてすりへっていた」。


そこに、パールの手を引いたヘスターが通りかかる。

死者に着せる「装束の寸法」を取って、「家に帰る途中」であった。


ヘスターは、ディムズデールの心身の衰弱ぶりに気づいて、慄然とする。

ヘスターは、
誠実な「牧師」が罪悪感を持つことは想像していたが、
天職である「牧師」の勤めを立派にまっとうすることを疑っていなかった。

そのことで、ここまで衰弱するだろうか――


と、そこへチリングワースが通りかかる。

死者となった病人の臨終に立ちあっていたのであった。


チリングワースは、ヘスターに鋭い視線を向けたが、
穏やかにディムズデールに言う。

「さあ、お願いですから、先生、わたしといっしょに帰りましょう」

「悪夢からぐったりとして目覚めた人のように、
寒ざむとした無力感におそわれて、
牧師は医者に身をゆだね、言われるがままに連れ去られていった」。


ヘスターは、不安な気持ちで、見送った。

「ところが、翌日は安息日で、彼は説教をした。

それはこれまで彼の口から出た説教のなかでは、
いちばん充実した、いちばん力強い、いちばん天の霊気にみちあふれたものだったという評判であった。

また、聞くところによると、
この効能あらたかな説教によって、数多くの人が真理にみちびかれ、その後の長い生涯にわたってディムズデール牧師に聖なる感謝の念をささげることを心に誓ったということである」。


ディムズデールは、心身ともに張り詰めた状態にいたのである。

罪をあげつらわれなかった者として、
「沈黙」のなかに立ち続けたディムズデール。


その説教は、奇跡のように輝きながらも、どこか“最後の光”のように見えた。

ディムズデールは語るのか、それとも「沈黙」のまま崩れるのか──


第四回目である次回は、
彼の決断によって、何が壊れ、何が救われるのか――について、語りたい。



『緋文字』の物語を、心理・社会構造・共同体の視点から読み解く連載です。
 登場人物の“人間の弱さ”と、ピューリタン社会が生む“時代の力学”を、物語の空気ごと味わいます。


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