森の暮らし日記 「子規庵」の庭
私の聖地巡礼
「聖地巡礼」という言葉があります。本来は、宗教的に神聖な場所を参拝する宗教行事を意味します。これが転用されて、最近のオタク文化では、アニメ・マンガ、映画などの舞台となった場所をファンが訪れることを指して、「聖地巡礼」という言葉が使われています。
さて私の場合、特に決めているわけではないのですが、個人的に数年ごとに訪れている場所(聖地?)があります。例えば、奈良の「山辺の道」、京都の「京都国際マンガミュージアム」、和歌山の「熊野古道」、熊本の「草枕の道」、大三島「大山祇神社」、直島「地中美術館」などです。具体的な理由はさまざまですが、簡単に言ってしまえば、私がそれらの場所の風景に魅了されているからです。現在住んでいる北海道も、その一つでした。ただ北海道に関しては、好きの度合いが強かったので、20年以上の間、毎年通い続けて土地を購入して、家を建てて、移住までしてしまったのです。このように、大好きなこれらの場所を観てまわるのが私の聖地巡礼です。
「子規庵」を訪れました!
さて今回、FIRE研究所の部活動のために東京を訪れました(下記参照)。予定の入っていない最終日、せっかくの東京滞在ですから、この機会に東京の聖地巡礼をしようと思いつきました。東京での聖地(?)はいくつかあるのですが、そのうちの一つが正岡子規の旧居を再建した「子規庵」です。元来、子規が暮らし、その最期を迎えた旧居は、戦災で焼失しました。子規の門弟たちが尽力して再建された建物が「子規庵」として公開されているのです。そして、その周囲には子規との関連で有名な老舗があります。

正岡子規が晩年、脊椎カリエスで臥せていた寝室と彼の文机も再現されています。そして何より、病床から子規が眺めていた庭を観ることができます。以前、note 記事(下記参照)で記載したように、若い時、正岡子規が眺めた全世界は、彼の豪邸とはとても言えない家の庭に植えられた草木でした。そのことに感動したことが、後年、北海道の森に移住するに至った遠因となったように思うのです。現在の「子規庵」でも、再現されたその庭を観ることができます。

正岡子規が臨終間際に書き残した三句があります。これが世にいう「絶筆三句」です。彼が「絶筆三句」で題材とし、季語とした糸瓜(へちま)は、彼の自宅の庭に植えられていたものです。この糸瓜(へちま)は、彼の病床から眺めることができました。病床で、この三句を自筆で書くのですが、既に起き上がることもできず、妹の律に紙を貼り付けた画板を持たせて、仰臥位のままで書きつけたそうです。
糸瓜咲て痰のつまりし佛かな
痰一斗糸瓜の水も間にあはず
をととひのへちまの水も取らざりき
脊椎カリエスを病んでいた彼は、ギリギリまで「写生」を重視した俳人として生き抜いて、自らの病気とそれによる苦痛をも客観視して俳句に詠んだ上で、その早すぎる最期を迎えます。満34歳でした。

「笹乃雪」の豆腐料理を食べてきました!
「子規庵」のすぐ近くに「笹乃雪」という豆腐料理屋がありました。この店は、江戸時代から続く老舗の豆腐店でした。輪王寺宮(りんのうじのみや)に従って、京都から江戸に移ったという由緒があります。
「笹乃雪」の店名は、初代玉屋忠兵衛が「絹ごし豆腐」を考案し献上したことを受けて、輪王寺宮が「笹の上に積もりし雪の如き美しさよ」と称えたことに由来します。正岡子規は、晩年に病床に臥せることが多くなり、「笹の雪」の豆腐を楽しみにしていたそうです。「子規庵」を訪れた際には、私の中の恒例行事として、この「笹乃雪」で食事をすることにしています。今回も、勿論、お伺い致しました。
水無月や根岸の庵の笹の雪
あさがおに朝餉(あさげ)たべたる豆腐かな


「羽二重団子」を食べてきました!
正岡子規が好んだもう一つの美味が「羽二重団子」でした。そもそも子規は、大の甘党だったとも言われており、本人は脊椎カリエスで寝たきりなので、妹の律が買いに行かされていたそうです。
彼の随筆『仰臥漫録』にも「羽二重団子」の名前が出てきます。親友の夏目漱石、そして門弟の高浜虚子や河東碧梧桐などにも、この団子が振舞われたそうです。今も変わらず、当時と同じ「生醤油の焼き団子」と「あんこ団子」を食べることができます。やはり私の恒例行事として、この老舗の団子も当然、食べてきましたよ。

