【真夜中のエッセイ】 AI時代に、アラサーの私は何を書くのか
書くという行為は、いつから始まったのだろう。
約5000年から6000年前にメソポタミア文明の楔形文字が、最も古い文字と言われているそうだ。
エジプトのヒエログリフ、中国の甲骨文字。
わたしたちは、大昔から、書くことによって人に何かを伝え、残し、こうして歴史を紡いできている。
現代では、書くということについて、教育の中に組み込まれ、識字率は先進国では99パーセント以上となり、ほとんどの人がいわば当たり前に文章を書いている。
インターネットという仮想空間の中で、誰でも文章を書いて公開できる世界。
御多分に洩れず、このnoteもそうだ。
わたしは書くことが好きでも嫌いでもなかった。
でも、最近、noteを書いて発信することを続けることで、書くということが好きになってきている。
それは、書くという行為は、頭の中で考えて、アウトプットすることで、自分の思考が整理されるからだと思う。
そして、多くの人に見てもらいたい、読んでもらいたい、どうしたら伝わるかな?と考えながら書くことで、必然と言語化力が高まることを実感できるからだと思う。
わたしが書いた文書、無から有を自分から生み出して、それを他者に感じ取ってもらうこと。
今はまだ、有料版の記事は出してないけど、もしそれが売れるとなると、より一層、書くという魅力に惹き込まれていくのだと思う。
なぜなら、わたしの発信で、誰かに共感与えたり、貢献をしたりすることができるから。
だから、書くということを、わたしは大切にしていきたい。
AIに文章を読み込ませることがある。
文章の添削をしてくれて、とても読みやすくなる。
わたしも使うことがある。
でも、なんだろう。
AIが発達してきて、利用することが増えたからか、AIの文章って見たらなんとなく分かるようになってきた。
そして、そんなAIで整えられた文章で溢れている。それはnoteもそうだ。
副業をするなら、記事は有用で読みやすく、たくさん作って、どんどん発信していくことが良いのかもしれない。
AIは文章を書かずとも、プロンプトを簡単に入れるだけで、それらしく文章を作る。
書くことの目的は人それぞれ。
書かずともAIで稼ぐことはできる。
こんな人類の生活に影響を強く与えるAIは、使わないという手はない。それはわたしも、うまく使う、付き合っていくことは大事だと思う。
わたしはAIを使うにしても、一回は自分の文章で書きたいと思ってる。
でも、それを読み込ませると個性が無くなるのが嫌いだ。
プロンプトで個性を学習させれば別なのかもしれないけど。
自分で書き、AIで整えて、それをまた自分で整える。
文章を読みやすくするには、そうした方がいいんだろう。
でも、わたしは揺れ動く。
自分の文章は、不完全だけど、これまでの人生で染みついたクセが染み込んでいる。
そのまま出しても良いんじゃないか。そう悩むこともしばしば。
正直言って、仕事でもAIと関わりすぎて、AIの文章に、どこか辟易した自分がいるのも確か。
人間がそのまま書いた味のある文章は、AI文章に感じてしまってる嫌悪感のようなものがまったくなく、読んでてその人が伝わってくるものがある。
わたしは、書くという行為は他者に読んでもらうことを意識することで、より一層思考を整理し、言語化力を高めることができるものだと言った。
そして、その無から有を生み出す行為で、他者に多少なりとも良い影響を与えることができるなら、それはとても嬉しいことだ。
この文章は、全部わたしの言葉で書いているから、読みにくいかもしれない。
ライティングのスキルは上げていきたいと思う。
ただ、スキルうんぬんの以前に、何かその人自身の人となりや想いが強く乗ってくるのは、生身の人間が直接に生み出した文章だと思う。
是非を問いたいのではない。
わたしはAI時代にワクワクしているが、それ以上に人間がどう生き残っていくか、自分を体現していくかが問われていくことに対し、楽しくも面白く感じている。
ここまで読んでくれた方はいるのだろうか。
正直、閲覧数もスキの数もほとんどない記事だと思う。
それでも、誰か1人にでも、わたしの想いを見てもらえることができたなら、わたしは嬉しく感じます。
気軽にコメントやスキをしてくれると嬉しいな、
ここまで見てくれたあなた。
読んでくれてありがとう。
こんなエッセイも書いてますのでどうぞ
