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【流浪の月】凪良ゆう|読了

凪良ゆう『流浪の月』を再読。

やはり、この物語は自分にとって特別なものだと思った。

愛でもない。

恋でもない。

家族でもない。

けれど、ただ一緒にいたい。

そんな、世間の言葉では簡単に定義できない関係がある。

だからこそ他人には理解されず、勝手に名前をつけられ、勝手に物語を与えられてしまう。

再読して、あらためて思った。

人は、名前のつかないものに耐えられないのかもしれない。

そして『流浪の月』は、そんな名前のつかないものを、最後まで分かりやすい形に整えようとしない。

そこが、ずっと好きなのだと思う。


名前をつけた瞬間、こぼれ落ちるもの

関係に名前をつけることは、安心につながる。

恋人。

家族。

友人。

そして、加害者と被害者。

名前があれば、その関係を理解したような気持ちになれる。

でも、本当にそれだけで目の前の人間を理解したことになるのだろうか。

更紗と文の間にあるものは、ひとつの言葉では簡単に説明できない。二人の過去や再会をめぐって、社会から見える「事実」と、本人たちが抱えているものとの間には大きな隔たりがある。

だからこの物語を読んでいると、正しい名前を探したくなる。

これは何なのだろう。

恋なのか。

愛なのか。

家族なのか。

依存なのか。

でも、たぶんどれかひとつを選んだ瞬間に、そこからこぼれ落ちるものがある。

正しい名前を見つけることより、二人のあいだに確かに存在しているものを、そのまま見る。

『流浪の月』は、そんな物語なのだと思う。

そこがとても美しい。

そして、簡単には理解されないからこそ、少し残酷でもある。


当事者より先に、周囲が物語を作ってしまう

この作品で苦しくなるのは、二人の関係そのものよりも、周囲から向けられる視線だった。

事情を知らない人たちが、分かりやすい言葉で線を引く。

かわいそう。

危険。

おかしい。

こうあるべき。

こう感じているはず。

そうやって、本人たちの感情とは違うところで「二人の物語」が出来上がっていく。

しかも、それは悪意だけから生まれるわけではない。

善意かもしれない。

正義かもしれない。

心配しているだけかもしれない。

だからこそ苦しい。

善意や正しさが、必ずしも本人を救うとは限らない。

その人のためを思って差し出された言葉が、かえってその人を決めつけるものになることもある。

外から見えているものだけで、その人の人生を説明してしまう。

本人が何を感じているのか。

どんな時間を過ごしてきたのか。

何を望んでいるのか。

それらを知らないまま、もっともらしい物語を与えてしまう。

『流浪の月』を再読しても、やはりここは苦しかった。


正しさだけでは測れない

自分には、この物語は「何が正しいのか」だけで測る話には思えなかった。

もちろん、社会には社会の基準がある。

周囲が不安に思う理由もある。

外側から見れば、そう判断するしかないこともある。

でも、それですべてではない。

誰かと一緒にいることでしか得られない安心がある。

他人にはうまく説明できない居場所がある。

そして、一般的な関係の形には収まらなくても、本人たちにとっては確かに必要なものがある。

『流浪の月』は、それを無理に分かりやすく整理しない。

「これはこういう関係です」

と答えを渡してくれない。

ただ、そこにあるものを見つめる。

理解できるかどうかを決める前に、まず、その人たちにはその人たちの現実がある。

その姿勢が好きだった。


再読しても、「分かった」にはならない

一度読んだ物語なのに、再読しても『流浪の月』は揺らぐ。

「もう知っているから」とはならなかった。

更紗の苦しさ。

文の孤独。

周囲から向けられる善意の残酷さ。

そして、名前をつけられない関係の危うさと尊さ。

読み返すことで分かりやすくなる部分もある。

でも、そのぶん新しく引っかかるところも出てくる。

正しいのか、間違っているのか。

愛なのか、依存なのか。

救いなのか、そうではないのか。

どれかひとつの言葉に落ち着かない。

でも、それでいいと思う。

むしろ、

何度読んでも簡単に言い切れないからこそ、この作品は自分の中でずっと特別なのだと思う。

一度読んで答えが出る物語ではない。

読むたびに、自分がどこで立ち止まるのかが変わる。

再読して、そこもあらためて好きになった。


読後に残ったもの

『流浪の月』は、名前をつけられない関係を、分かりやすい何かに変えないまま見つめる物語だった。

愛でもない。

恋でもない。

家族でもない。

けれど、そばにいたい。

その感情を、周囲は簡単には理解できない。

理解できないから名前をつける。

名前をつければ、そこに物語が生まれる。

そしていつの間にか、当事者自身よりも、その物語の方が「真実」のように扱われてしまう。

でも、本当の二人はそこにはいない。

だから『流浪の月』は、誰かに正しく理解してもらえる形へ二人を整えるのではなく、そこから静かに離れていく。

誰かに分かってもらうためではなく、二人が二人でいるために。

名前をつけられないままでも、確かに存在しているものがある。

それを、無理に何かへ変換しなくてもいい。

何度読んでも、そのことを思わされる。

そしてやはり、自分はこの関係を美しいと思ってしまう。

簡単に説明できないからこそ。

誰にも正しく名づけられないからこそ。

『流浪の月』は、自分にとってずっと特別な一冊であり続けると思う。

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