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【涙に濡れる】お手本を書こうと思った理由~「きれいなお手本さえあれば…」~


私は書道教室・習字教室などの書き方教室には
人生で通ったことはありません。
(公文書写の指導者になるために教室開設前に数年通いましたが。)


字がきれいなことは私には
幼少期から呼吸をすることと同じだったため
それを自分の特技とは思っていなく
それを活かそうという発想もなく
仕事も
書とは関係のない仕事をずっとしてきました。


私は5才の頃、
小学校教師だった両親の下
ひらがなの書き方を知り

それ以降は一人で
どんな字も
お手本を見てそれを模写し練習してきました。

5才の時に
そこで私が覚えたことは
「きれいなひらがな」ではありません。

お手本の「見方」です。
お手本の見方さえ解れば
あとはどんな字でもやることは同じです。

当時は初めて見る手本文字が
私の目にきれいに映ったことでしょう。

しかし
いつからか
手本文字よりもうまく見えるような字を書けるようになってしまい
「もっときれいな」「もっときれいな」と
いろんなお手本を探してきました。

お手本が間違っていたり
お手本がうまくなかったり
お手本がクセだらけの字だったりしたら

その字で模写の反復をすることにより
字が下手になってしまう…

「正しくクセがない、ただ基本的できれいな字」
私は
ずっとそれを探して生きてきたんだと思います。

今回
小学生で習う漢字のお手本を書こうと思ったのは
世の中に
ただ正しいだけの「習字の字」のお手本が見当たらないことを感じたからです。



というのは
きっと建前で…
本当は
あの頃の私が欲しかったものを作りたかった…
なんだと思います。
「ただひたすらに正しいだけのお手本」

小学生の私へ
「こういうお手本がほしかったんだよね。」と。

だから
すみません。きっと誰かのためではない。
あの頃の私に向けて書きました。

もし
今どこかに
同じ気持ちの子どもがいるなら
このお手本に早く出会ってほしいと思います。

字は練習するほどに
そのお手本の字になっていきます。
それは良くも悪くも。
だから
とにかく正確で、
書いた人の変なクセのないお手本に出会ってほしいと思います。

きれいに「見せる」とか
きれいに「見える」とか表面的なきれいさではなく

字は
正しく書けば
そう見せようと工作しなくても
自然ときれいに見えること、
その証明となる字を書きたかったです。

芸術の分野の書道ではない、
「習字」の字の最終形態であり最高峰と。
(自分で言っておきます…)


きっと教科書のお手本では
もう物足りなさを感じていた…あの日の私に
時を戻して届けに行きたい。

「ごめん、遅くなったね。このお手本でいいかな。」

きっとそれだけです。


このお手本を見つけてくれてありがとうございます。


お手本の見方が身に付いていた私には
「きれいなお手本」が必要でした。

「きれいなお手本さえあれば…」
「きれいなお手本さえあれば…」

「ちゃんときれいな字が書きたい」と思う子どもがいるなら
あの頃の私と同じ思いをしてほしくないと思います。







何もなかったあの頃から
そこは変わらない…

うちには鉛筆も紙もない
買ってもらえることもない…

5才…
新聞チラシの裏に 
父の学校の落とし物の鉛筆で
泣きながら書いて練習していた…ずっと

私には何もなかった…
ずっと…

「なければ自分で作ればいい」
昔から私はそうだったのだと思います。
「欲しいものは自分で作ればいい」


何十年の時を経て
小学生の私に渡すお手本は
きっと涙で濡れている…

「辿り着いたよ」
「やっと、できたよ」



もう…泣かなくていいよ。

もう泣かなくていいんだよ。

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