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明智光秀の原点・美濃「明智荘」を歩く―桔梗が結ぶ、美濃と丹波 2026/6/11

岐阜県可児市。
戦国時代の重要拠点でありながら、
今は驚くほど静寂な時間が流れるこの地を再訪しました。
今回の旅の目的地は「明智荘」です。


明智光秀の原点を訪ねて

山城巡りの締めくくりの旅として、
明智光秀公の生誕地と伝わる
「明智荘(明智城跡)」へと足をのばしました。

周囲ののどかな景観から想像するより、
いざ登ってみると、「けっこうな山城」。
けれど、一歩中へ入れば木陰も多く、
強い日照りを直接受けることもありません。
小路がきれいに整備されていることも相まって、
心地よく歩みを進めることができました。

その清々しい小路を歩いていると、
ここがまぎれもなく、
明智光秀公が青年期を過ごした場所なのだという
実感がじんわりと湧いてきます。

乱世を生き抜くリアリズムの萌芽

しかし歴史を紐解けば、
当時の美濃はまさに激動の渦中にありました。
守護職として君臨していた美濃源氏の土岐氏が、
斎藤道三によってこの地を追い出され、
旧来の秩序が音を立てて崩れていった時代です。

大河ドラマなどでは、
明智光秀公は「蝮の道三の家臣」として
若き日を過ごしたかのように脚色されることが多いですね。
いえいえ、実態はそうではないのです。
本拠地を攻め落とされ、
主君を失った明智光秀公の、長い流浪の日々の始まり。
その果てに、彼は越前朝倉氏のもとへと身を寄せていました。

昨日までの日常が明日には霧消する乱世。
故郷を追われ、
確かな未来など何一つない流浪の身でありながら、
彼は一乗谷の地で静かに牙を研ぎ続けました。

リスクを冷静に見極める知性と、人の心の機微を読む力。
それは、この明智荘の美しい自然のなかで培った教養と、
その後の過酷な日々でリアリズムを磨き上げたからこそ
咲いた才能に違いありません。

本丸跡での出会い

そんな思索に耽りながら、
険しい山城を登りきった達成感の中、
頂きの本丸跡で、
凛々しくただずむ明智光秀公と対峙しました。

木陰がもたらす穏やかな静寂のなか、
時を超えて歴史の主と視線が交わったかのようなその瞬間、
青年期の明智光秀公が背負ったであろう孤独と、
そこから這い上がろうとする静かな熱量が、
鮮烈に胸に迫ってくるようでした。

美濃の「桔梗紋」から、丹波の「桔梗紋」へ

歴史のひだを心ゆくまで味わい、城をあとにします。
するとちょうど明智荘のふもとで、
桔梗の花が静かに咲いているのを見つけました。

その青紫の花弁を見つめていると、
私の心は自然と、自身の故郷へと飛んでいました。
私の実家がある京都府亀岡市は、
明智光秀公が本能寺の変へと出発した「丹波亀山城」がある場所。
明智光秀公の首塚があると伝わる谷性寺(別名・光秀寺)でも、
あの桔梗たちが美しく咲き誇っているころだろうか……
と想いを馳せました。

青年期の原点である美濃の「水色桔梗紋」から、
生涯の終着点を見つめる丹波の「桔梗紋」へ。
時空を超えて一本に繋がる光秀公の足跡が、
可児のふもとに咲く一輪の花を通じて、
私の胸の内で静かに重なり合っていくのを感じました。

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