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ユーロビジョンとLGBTQ+/クィア表象の歴史(1990-2020年代)

前編の続きです!


1990年代 〜可視化

1990年代は冷戦の終結によりヨーロッパの統合が進展します。1993年のマーストリヒト条約により、「欧州共同体(EC)」と呼ばれていたものが「欧州連合(EU)」へと名を変えます。

1990年のトト・クトゥーニョ(Toto Cutugno)による『Insieme: 1992(共に、1992年)』は「Unite, unite, Europe(一つになろう、ヨーロッパ)」というコーラスにはっきり表れているように、東西対立の終焉を受けてヨーロッパ統合への希望を歌った曲です。1992年は当時のEU設立予定年。

ユーロビジョンのクィア史においては「可視化」が本格的に始まった時代ともなりました。出演者のアイデンティティが公的な話題として扱われるようになったのです。

1997年、アイスランドのパウル・オスカル(Páll Óskar)ゲイを公表してユーロビジョンに参加した初めてのアーティストとなりました。

パウル・オスカルは1991年に初演されたアイスランド語版『ロッキー・ホラー・ショー(Rocky Horror Show)』でフランク・N・フルター博士を演じて有名になった人ですね。現在もアイスランド最大のLGBTQ+アイコンの一人です。

彼のパフォーマンスは重要な転換点と言えます。それまでは隠されたり暗示されたりするにとどまっていたクィアの存在は、ユーロビジョンの中で明確に認識できる現実になりました。

その1年後となる1998年にはイスラエルのトランスジェンダーの歌手、ダナ・インターナショナル(Dana International)が優勝しています。

彼女の優勝はトランスジェンダー表象の契機になったと同時に、ユダヤ教超正統派からの激しい宗教的反発や、中東戦争の余波をめぐるイスラエル開催に対する政治的な反発など、混沌とした議論の渦を巻き起こすことになります。

良い意味でもそうでない意味でも、アーティスト個人やパフォーマンスそのものを超えたところで社会的議論が展開される、というのは90年代以降の特徴かもしれません。

2000年代 〜スペクタクルと論争

2000年代に入るとともに、ユーロビジョンでは歌唱の伴奏がオーケストラの生演奏から録音音源の使用へと移り変わりました。ステージ上のパフォーマンスの比重が増え、クィア表象はより前景化していきます。

テーマも複雑に多様化していきます。ここからは章分けして見ていきたいと思います。

1. ドラァグ・パフォーマンスの開花

2002年、ラトビアのマリー・N(Marie N)『I Wanna』で優勝します。ジェンダーロールを反転したダンスや衣装チェンジといった、パフォーマンス性ある演出が取り入れられました。現在のユーロビジョンに繋がる、ガッツリ歌って踊る系のステージの先駆けとも言われています。

その同じ年、スロベニアのセストレ(Sestre)というドラァグ・トリオが『Samo ljubezen(ただ愛だけ)』という曲を歌っていました。ドラァグクイーンが歌い手となる初のパフォーマンスです。

ブックメーカーの順位も高く国際的には好評でしたが、スロベニア国内では批判を受け、首都リュブリャナでは抗議デモまで起きています。それでも、セストレの存在がその後に続くドラァグ・アクトの後押しとなったのは間違いありません。

2006年のアイスランドのシルヴィア・ナイト(Silvia Night)は歌手アウグスタ・エヴァ・エルレンズドッティル(Ágústa Eva Erlendsdóttir)によるテレビ番組用のドラァグ・ペルソナでした。

会期中は高飛車で傍若無人なキャラを保ち、ステージでは動画でも聞こえるようにありえない量のブーイングを浴びています。予選落ちとなった後は現地ギリシャの報道陣に対してマスカラをドロドロにしながら喚き、暴れ、唾を吐くドラマ・クイーンぶりで、最後まで話題性たっぷりだったのでした。

2007年にはデンマークのDQ『Drama Queen』でこれぞ王道(もとい女王道)なショーガール風のパフォーマンスを見せます

同じ2007年にはウクライナのヴェルカ・セルヂューチカ(Verka Serduchka)による『Dancing Lasha Tumbai』もありました。ユーロビジョン史上最もアイコニックといっても過言ではないので逆に忘れがちですが、これもキャンプなドラァグ・パフォーマンスの一つでしたね。

2008年にはフランスのセバスチャン・テリエ(Sebastian Tellier)のステージで、つけ髭の女性コーラスという形で初のドラァグ・キング的な表象が登場しています。

ドラァグ・キング:ドラァグクイーンとは逆に、男性の姿を誇張した異性装を行うパフォーマー。

このゆるい感じでどこまで考えられているのかは正直微妙なところですが、曲名も『Divine(ディヴァイン)』だし、アイコニックには違いない…かもしれません(適当)

エントリー全体に対する数はまだ少ないながらも、こうした目に見えるパフォーマンスを通じて「ユーロビジョンはクィアのイベント」と認識されるようになっていきます。

2. PRとしてのクィア演出

ここで一つ、クィアのイメージがポップに浸透したことで商業戦略と結びついた例を挙げます。リェーナ・カーチナ(Lena Katina)とユーリャ・ボルコワ(Julia Volkova)からなるロシアのデュオ・t.A.T.u.(タトゥー)です。日本でも人気を博し、『All The Things She Said』などのヒットで知られます。

今となっては有名な話ですが、「愛し合う10代の少女たち」というコンセプトはプロデューサーによって創作・演出されたものであり、2人は実際にはレズビアン・カップルではありませんでした。(ユーリャ・ボルコワは後にバイセクシャルを公表しています)

ドキュメンタリー『Anatomy of t.A.T.u.』で真相が明かされると、「本来は個人的なことであるクィアのアイデンティティが注目を集めるためだけに利用された」という批判が起きました。

そこには同時に複雑な感情もありました。たとえ演出されたものでも、依然としてそれは同性間の親密な関係性がメディアに登場する少ない機会の一つだったからです。

t.A.T.u.が2003年のユーロビジョンに出演するにあたって、EBUは当日のステージ放送をリハーサル映像に差し替えることを検討していました。「本番で予期せぬヌードやキスが映る可能性があり、家族向け番組には不適切である」というのが理由です。前述の『All The Things She Said』のMVで、2人が制服でキスする場面があったことが原因の一つだと考えられています。

t.A.T.u.の内実がどうであれ、外部には確かにクィア表象をめぐる緊張と少しの圧力があったことを示す一例です。

ちなみにユーロビジョンにおいて同性間のキスが初めて放映されたのはまさかの2000年、イスラエルのテクノポップバンド・ピンポン(PingPong)による『Sameyakh(ハッピー)』でした。中東和平への支持からステージでイスラエルとシリアの国旗を一緒に振り、国内で激しい批判を招いたことでも知られるパフォーマンスです。

一瞬ですが1:14あたりです。情報量が多い

女性同士のキスについては、2013年にフィンランドのクリスタ・シークフリーズ(Krista Siegfrids)が楽曲『Marry Me』のラストでバックダンサーの一人とキスをしたことが話題になりました。フィンランドにおける同性婚合法化への支持表明を意図したものでした。

3. 開催地事情と「東」への眼差し

2007年はセルビアのマリヤ・シェリフォヴィッチ(Marija Šerifović)『Molitva(祈り)』を歌って優勝しました。

ステージは言外の表現に満ちていました。眼鏡、スーツ、ショートヘア、女性アンサンブル、ハートのモチーフ…。シェリフォヴィッチは、出場時はレズビアンであることを公言していませんでした。後に2014年のドキュメンタリー映画『Ispovest(告白)』で女性との関係について明言しています。

この勝利によって翌年の大会はセルビアの首都ベオグラードで開催されることになりました。開催前の4月24日にはゲイ・ストレート・アライアンス(GSA)や政府関係者、警察による会合が開かれ、クィアの観客の保護が宣誓されました。

というのも、2001年にベオグラードで初めて開催されたプライド・マーチは暴徒による襲撃で多数が負傷し、セルビアのLGBT運動におけるトラウマになっていました。また2008年のユーロビジョンに対しても過激派組織・オブラズ(Obraz)から脅迫が行われていました。

セルビア当局はLGBT・ソング・コンテストのファンの安全が重要な問題であり、少なくとも同性愛嫌悪に起因する暴力事件が起こればセルビアの国際的なイメージが著しく損なわれることを理解しているだろう。(…)警察は事件を防ぐためにあらゆる手段を講じるはずだが、もちろん外国人観光客一人ひとりに警官を配置することはできない。ゲイの訪問者には目立たないように行動し、例えば街中でレインボーフラッグを振らないようにすることをお勧めする。

クルト・クリックラー, 欧州プライド主催者協会(EPOA)
「Pride Source」掲載の記事, 2008年5月8日
https://pridesource.com/article/30218

同様の課題は次の年にも生じました。2008年はロシアのカラチャイ・チェルケス共和国出身のジーマ・ビラーン(Dima Bilan)『Believe』を歌って優勝しました。

ロシアは1993年に同性愛を犯罪とする法律を廃止して以降も、最もクィアに不寛容な国の一つだと言われてきました。(後の2010〜2020年代にかけては反LGBT政策がより急進化していきます)

それを理由にロシアのステージでブーイングが行われることもしばしばありました。上の動画でも聞こえますね。ジーマ・ビラーン自身は2012年に、同性愛宣伝(ゲイ・プロパガンダ)禁止法を提唱したヴィタリー・ミローノフの議員資格停止を求める公開書面に名を連ねています。

2009年のモスクワ大会ではユーロビジョン開催に合わせてプライド・パレードが企画されていました。しかしモスクワ市はこれを許さず、集会は警察によって強制的に解散させられ、少なくとも20人が拘束されました。

この年の優勝者となったノルウェーのアリャクサンドル・ルィバーク(Alexander Rybak)は記者会見で、警察がモスクワ・プライドを阻止したことについて尋ねられると、少し距離を置きながらもコメントを残しています。

そのパレードが今日行われて、彼らがそこにエネルギーを費やしてしまったのは少し残念だったと思う。だって世界最大のゲイ・パレードは今夜ここ(ユーロビジョン)で行われていたのに。

「アフトンブラーデット」誌の記者からの質問に対して(13:10〜ごろ)

開催地をめぐる一連の議論においては、いわゆるかつての「西側諸国」から「東側諸国」に対する、「進歩的な西ヨーロッパとは違う、人権意識が遅れた国々」と単純化する目線が指摘されていることも付け加えておかなければなりません。

東欧革命後のヨーロッパにおいて、同性愛嫌悪の強い社会環境がむしろ活発なLGBT運動を促していると分析した書籍。考えてみれば当たり前の話ですが、権利運動の歩みは各国の状況によって変わってくるもので、外部から一律に評価できるものではありません。

セルビアやロシアのような国々で問題が起こると、それは大きく(時に過剰に)取り上げられ「やはり東欧は近代化されていない」という言説に回収されます。一方、西欧の国々で同じようなことがあっても、その国全体の評価が下がることは稀です。

何にせよ「クィアに寛容か否か」は国家のイメージを左右する要素になるということが認識されるようになりました。これは2010年代に開催されたユーロビジョンの各都市におけるプロモーションに少なくない影響を及ぼしたと思われます。

2010年代 〜理念としての確立

この時代の大きな出来事といえば、なんといっても2014年のコンチータ・ヴルスト(Conchita Wurst)『Rise Like A Phoenix』の優勝です。

パフォーマンスでは古典的なディーバの出立ちと、はっきり目立つ髭という相反要素が意図的に演出されました。それは見る者のジェンダーの価値観を揺さぶる光景でした。

私は自分自身を説明する必要のない社会の方が好きです。(…)でも、多くの人が理解のためにラベルを必要としているのも分かります。もし、自分の状態や信念にラベルを与えることでもっと分かってもらえるなら、私は喜んでそうします。

コンチータ・ヴルスト
「オーストラリアン・ファイナンシャル・レヴュー」誌, 2015年6月4日
https://www.afr.com/life-and-luxury/arts-and-culture/conchita-wurst-when-a-man-loves-a-woman-20150529-ghcva2

この優勝には国内外で激しい反応が吹き上がりました。奇しくも2013年末にはロシアで同性愛宣伝禁止法が施行されており、ユーロビジョンのファン・コミュニティ内では抗議の熱が高まっていました。「コンチータ・ヴルスト」はヨーロッパの言論空間の中心で一気に象徴的な存在へと引き上げられました。

ゲルハルト・ゴーダー
《三日月の上のコンチータ・ヴルスト》(2014)

コンチータ・ヴルストの優勝と翌年のウィーン大会は、それまでの歴史から国家アイデンティティの再編に頭を悩ませていたオーストリアにとって「寛容なオーストリア」というイメージ戦略を推し進める機会となりました。

有名なのは、ユーロビジョン開催に合わせてウィーン市内に導入された「アンペルペアヒェン(Ampelpärchen)」と呼ばれる信号機です。カップルを模した絵柄が特徴です。期間限定に終わらず、現在も街中で多様性のシンボルとして使用され続けています。

同性カップルの絵柄

このようにユーロビジョンを通して国家イメージを発信する試みは突然現れたものではありませんでした。実は前年の2013年のマルメ大会にも同様の方向性を見ることができます。

スウェーデンでは毎度おなじみの司会、ペトラ・メーデ(Petra Mede)によるインターバル・アクトでは環境保護、ジェンダー平等、同性婚が「スウェーデンらしさ」として高らかに歌い上げられました。

完成度の高いステージ・パフォーマンスを通して描かれる「スウェーデン」像はあまりにも理想的で、一種の自己演出としての側面も感じずにはいられません。(元々そういうギャグだろと言われたら、それはそうですね)

クィア表象がブランディングの資源にもなり得るということで、頭をもたげるのはホモナショナリズム(homonationalism)という観点です。

ホモナショナリズムとはクィアへの寛容さを進歩性・文明性の証明に用いることで自国の差別化を図ることを意味します。一見無害に思えますが、相対的に他国や他文化を劣っているかのように見せ、差別や排斥を正当化することにもつながりうる点が問題です。

同様の構図は2019年のイスラエル・テルアビブ大会にも受け継がれました。ゲイを公表している司会者アッシ・アザール(Assi Azar)からはグラインダー(ゲイ男性向けのマッチングアプリ)に関するジョークが飛び、インターバル・アクトにはクィアのアーティストが積極的に起用されました。

イスラエルでは2003年頃から、同国を「中東唯一のLGBTQフレンドリーな国」として発信する広報戦略「ブランド・イスラエル(Brand Israel)」に予算が導入されてきました。パレスチナの実効支配など国内の人権問題から目を逸らせる役割を担っているとして、ピンクウォッシング(pinkwashing)の観点から現在も議論が継続するトピックになっています。

もっとも、こういう議論が起きることはクィア表象がいかに当たり前の存在になったかということの裏返しでもあります。

2018年のアイルランドのライアン・オショーネシー(Ryan O'Shaughnessy)による『Together』では、同性カップルを演じるダンサーがステージの中心に据えられました。描かれたのは国家的な理念ではなく、ごく個人的な関係性の物語です。

中国の放送で検閲されカットされるという憂き目にも遭っています。EBUはこれを受けて動画配信サービス・Mango TVとの提携を打ち切り、セミファイナル2と決勝の放送を許可しないという対応をとりました。

1956年からずいぶん遠いところまで来ましたね。かつては気配を読み取るぐらいしかできなかったクィア表象は、2010年代には大会の象徴にまでなり、もはや国家や社会をめぐる議論とも切り離せない存在になりました。

ここからは、私たちが生きる2020年代へと話を移していきたいと思います。

2020年代 〜多様性の新たな地平

2021年のロッテルダム大会はコロナ禍で色々大変でしたが、クィア表象という意味では2020年代の幕開けに相応しい年でした。

トランスジェンダーの人気YouTuber・ニッキー(NikkiTutorials)が司会を務め、クィアを公表しているアーティストが当たり前にたくさん参加しました。アイスランドのダーズィ&ガグナマグニズ(Daði & Gagnamagnið)のメンバーがパンセクシャル・フラッグを振ったことも視聴者の目を引きました。

ダーズィ&ガグナマグニズ

2021年の優勝者となったのは『Zitti E Buoni(黙っていい子にしてろ)』を歌ったイタリアのロックバンド・マネスキン(Måneskin)です。複数のメンバーがクィアを公言していることでも知られます。

ジェンダーの境界を越えた個性を発揮しながらも、それを特定のカテゴリに還元することはしませんでした。ここに新たなクィア表象の可能性が示されています。あえてラベリングをしない自由です。

2024年、スイスのネモ(Nemo)が優勝しました。ネモはノンバイナリーを公表しており、楽曲『The Code』は自身のアイデンティティを巡る旅を歌った内容になっています。

オープニングの入場時にはスイス国旗とともに
ノンバイナリー・フラッグを掲げて登場しました

「Nemo(=誰でもない、の意)」という名前には「誰でもないから何にでもなれる」という意味が込められています。本名らしいです。

2024年にはアイルランドからバンビー・サグ(Bambie Thug)も出場していました。ノンバイナリーのアイデンティティがユーロビジョンに初めて明確に登場した年でした。

過去の出場者の中にも、大会が終わってからノンバイナリーを公表したアーティストは少なくありません。以下はそのリストです。

ジェイミー・リー(Jamie-Lee)『Ghost』(2016年、ドイツ)

リッカ(Rykka)『The Last Of Our Kind』(2016年、スイス)

モンテーニュ(Montaigne)『Technicolour』(2021年、オーストラリア)

ロクセン(Roxen)『Amnesia』(2021年、ルーマニア)

ジェンダー規範に収まらないアイデンティティとして、2024年には2017年の優勝者であるポルトガルのサルバドール・ソブラル(Salvador Sobral)インターセックスを公表しています。心臓移植手術を経験して以降テストステロン(男性ホルモンの一種)が生成されなくなったことで、胸の痛みや顔の丸み、体毛の減少など身体に変化が生じたと語っています。

こうして見てみると、2020年代以降におけるキーワードは曖昧さ流動性といったものなのかなと思います。この記事を書いているのは2026年ですが、まだまだこれから新しい展開があるかもしれません。

おわりに

「ユーロビジョンにおけるLGBTQ+/クィア表象の歴史」という題で駆け足ながらも過去70年(執筆時点)のパフォーマンスを色々振り返ってみました。

こうして見てみると、必ずしも「進化の物語」や「勝利の歴史」の一本線ではないのが分かると思います。むしろ隠され、時に利用され、議論の的になり…結構混沌としています。

そうやって当時の社会状況にガンガン振り回されるからこそ、ユーロビジョンはヨーロッパにおけるクィアの歴史、ひいてはヨーロッパの歴史そのものを映し出す鏡でもあり続けているのではないでしょうか。

とはいえ矛盾したことを言うようですが、ユーロビジョンは詰まるところ娯楽番組であり、単なる余興です。社会の全てが反映されていると言うと言い過ぎになるのかなと思います。

前編の冒頭でも述べたように本記事もまた、あくまでユーロビジョンという小さな窓からクィア史の一端を覗き見る場として楽しんでいただけたなら何よりです。

ここまで一緒に、時間旅行に付き合ってくださりありがとうございました!

おわり

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