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愛知県美術館『歌川国芳展』前期(2)


続き。

美人画

雪月花 月

 窓から差す月明かりが、放射状のビームになっている……という表現なんだけど、ちょっとおかしい。この、放射状の影が落ちているのはどこなんだろう? 窓枠からすると、この部分は壁なんだろうけど、月光は窓の外から照っているのに、その窓のある壁に影や光が映るはずがない。
 他にも色々、ツッコミどころは限りないけど……月明かりに照らされる芸妓の気怠さとか、表現したい事はちゃんと伝わっているようです。ワザと気にしないでこんな風にしたのかな?

当盛江戸鹿子 三めぐり

 画面の上端には様式的な桜、下は緑、ポツポツとタンポポも。これだけで、間の空色の空間に、ゆったりと流れる大きい河が、川面の細波がきらめいているのが、見えてくるような気がする。
 着物の細かい縞の濃さが、まるで西洋の銅版画のハッチングみたいに、女性の身体の立体感を出しているのもスゴイ。

艶姿十六女仙 豊干禅師

 猫と一緒に伸びをする女性。豊干禅師というのは、中国の伝説の高僧。小さい枠に描かれているとおり、虎をつれている……だから、女性にも猫が付いているのかな?

大願成就有ヶ滝縞 金太郎鯉つかみ

 「ありがたき」と着物の「滝縞」柄をかけたダジャレで、滝にちなんだシチューエーションの絵なのだそうだ。布にくるんだ琴を抱える女性と、滝の中で鯉を抱える金太郎を合わせている。

 このあたり、洒落の元ネタを小さな枠に描いている。イラストじゃなくて、二コマ漫画みたいな感覚で楽しむものなのかな。

四季遊観 納涼のほたる

 後ろの夏草と、着物と、女性のこめかみのおくれ毛が、同じ方向になびいている。夕涼みの川風が感じられる。目線を交わし合っている三人の女性、それぞれに装いの色合いが違うんだけど、これって年齢の違いを表しているような気がする。実在のモデルがいるのかな?

隅田川之朝霧

 画面の上端のみ、濃い紺青に桜が散りばめられる。川の対岸には、細く墨の染みたような桜木のシルエット。間の白く抜かれた空間が、春の桜の頃の花曇りの空の白さそのもの。
 川面の空色が、上空の紺青の濃さのせいで、より明るく見えるのもスゴイ。左の画面には、天秤棒をかついだ物売りがいて……何が凄いといって、その物売りのシルエットが、画面左端にリフレインしているところ。春の湿気にボンヤリと霞む人々の気配があって、花見客の賑わいが感じられるのでした。

風景

山海名産尽 伊勢鰒

 伊勢の海でアワビを取る海女の絵。沖に見えるのは夫婦岩かな? でもこんなんだっけ? 実際の風景は見ていないと思う……海女もこんな格好ではないと思うし……
 かすかに太陽が顔を出しているので、これは夜明け間際の景色なのかな。海だけじゃなく、夫婦岩も松の樹も、全部を紺青で描いているのは、まだ暗くて風景に色がついていないのを表現しているんだろうか?

 『雪月花 月』でもそうだったけど、現実にとらわれず、想像をたくましくして、光や色が面白い画面を作る。そんな挑戦を、国芳は楽しんでいたのかな。

東都名所 かすみが関

 名所の風景といいつつ、空が主役っていうのも、すごい思い切り。見上げる視界のせいで、上り坂の急な感じが生々しい。坂の向こうから荷車を引いてくる男なんて、ハダカの上半身を二つ折りにして、こんな遠くても、流れる汗や荒い息使いが分かる。荷のない人々も傘の下に陽をよけて、扇で風を送っている。暑気に押し上げられるような、白い雲。

東都御厩川岸之図

 雨の浮世絵というと、どうしても歌川広重が思い浮かんでしまうのだけど。

 広重の『大はしあたけの夕立』だと、割と遠景も丁寧に描かれているようで、川を渡る筏も、船頭の笠や蓑が見分けられる。
 だけど、国芳のコレだと、岸に近いのか大きく描かれた舟ですら、水墨画のようにシルエットだけ。一方こちらの岸を歩く男たちは、着物の縞までクッキリ描き込まれている。
 広重の風景画では、人物がいてもあくまで風景の中のパーツのひとつ、みたいな扱いなんだけど、国芳は、風景画でも人物を中心に描いている、そんな違いを感じます。

東都橋場之図

 この西洋っぽさは何だろう? 完璧な左右対称。遠近法の解説や、記念碑などを描いた西洋の銅版画でよく見る構図。中央の高い台座の上に乗っているのは石地蔵。お地蔵様がこんな風に高いところに据えられているのって、あまり見た事がない。
 そっくりな西洋の銅版画がありそう。お地蔵さまじゃなくて、カエサルか何かの像で。探してみたけど見つからなかったけど……

大山良弁瀧之図

 霊山・大山に詣でて、「ろうべんの滝」で水垢離をしている人達の図。お参りに来るのは職人が多かったという話。肌が黒い男たちは職人なのかな? 背中にXの字形に白く抜けている人もいる。腹掛けのヒモのところが、日に焼けずに残ったんだろうか。
 そんなところは細かく観察しているみたいなんだけど、ロングショットなので、顔は丸に点々。顔の描き分けは、ポカンと口を開けてるかどうかくらい。でも、水をかぶったり、手ぬぐいを使ったり、仕草が皆違うので、表情豊かに見えます。

大山石尊大瀧之図

 同じく大山詣での絵。大滝に打たれる人たち。先の、ろうべんの滝もずいぶん高いトコから落ちてたみたいだけど、どちらかというと溜まった池の中で、みんな楽しそうに過ごしていた。こっちは画面のほとんどを、険しく尖った崖の岩が覆いつくしていて、そこから落ちる滝は太く白く、水量と勢いと冷たさが凄そう。
 その滝の中で、水に打たれている人は皆、体を丸め、顔面を両手で覆って守っている。水も濃い紺青に塗られて、浸かっているのは厳しそう。岸に上がっている人のくつろいだ感じが、なおさら滝行の厳しさを想像させる。
 ここでも、裸の男たちのうちの何人かは、肌を灰色に塗られているのだけど、背中や両腕にモヤモヤと渦を巻くように描かれているので、これは刺青だろうなあ……なんてことまで想像ができるのが、すごく楽しい。

相州江之嶋之図

 三枚つづりの大画面に描かれた岩の塊。テーブル型なので、四つの角まで目いっぱいだ。平たい上部には苔が生えていて、横はかじり取られたみたいに切り立っている。青い海面に、庭石のように乗っかった、磯の岩のよう。
 よく見ると、細い割れ目のひとつにくっついた砂粒が、人間だった……一気にスケール感がブチ壊されて、クラクラする。岩の側面が、とんでもない高さの崖と分かる。そのえぐり取られた曲面が、島を削った波の巨大さを思わせる。
 見る者の、大きさの感覚を否定することで「人間の物差しでは測れないモノ」を表現するという、この発想!

動物画

魚づくし ふぐに赤えい・金魚に目高

 背景の薄い青が、版木の木目をそのまま写し取っていて、それがまるで水の流れに見える。フグやエイのところは、木目がユラユラと揺らめくようで、金魚やメダカのところは、細く平行に走っていて、涼しげに流れているみたい。作品としては、それこそ魚が数匹だけで、水草や泡すら描かれていないんだけど、そのシンプルさこそが、この木目の演出を最大限に生かしている。

魚づくし 岩に取りつく蛸・杭に寄る鮒

 タコは、岩と一体化したように真っ黒。赤い筋がヌルヌルと這うように伸び、隈取のように形になって、そこに生物がいる事が分かる。
 杭に寄る鮒は、ほぼモノクロ。画面の上から下まで、一気に引かれた太い線で、杭を示す。上半分は黒々と濃いが、下半分は薄墨になっている。その境界線が水面なのだろう。
 薄墨を吸うように鼻先を寄せた、黒々とした魚形の楕円が鯉だろう。かすかな細い筋で、ウロコやヒレが示されている。白と黒だけの表現が、まるで水墨画だ。
 どこから落ちてきたのか、一輪の牡丹の薄紅が、やたら鮮やかに明るく見える。
 魚づくしの二枚は、普通サイズの紙を縦にして、左右に縦に切り離せるようになっているみたい。風鈴の短冊にでもするのかな?

縁起物・チラシ

竹沢藤次曲独楽 お岩稲荷

 四谷怪談をモチーフにした、独楽の曲芸のチラシだとか。怖いのかな? 提灯や井戸から伸びた狐火の先が、手のひらのように独楽を乗せているのは、妙に可愛らしい。もちろん、墓石の間から、真っ赤な男の死体がまろび出ているとか、怪談らしさもある。
 一番怖いのは、画面右端にニュッと現れた、お岩の亡霊の顔。黒い顔面に、隈取と言うには写実的がすぎる、白と灰色が、額や鼻筋、アゴや頬骨など、明るく照らされる部分を立体的に見せている。この黒のみで陰影による立体感、やはり西洋の銅版画を参照していると思う。

風流人形

 物語の一場面を、人形で仕立てた見世物なのだとか。このモチーフは、旅人を殺し、生き胆を抜いていたという「安達ケ原の鬼婆」伝説。
 この作品では、人形と人間の描き分けが、できてるんだろうか? 鬼婆のインパクトが強すぎて、作り物っぽいけど断言できない。

為朝と疱瘡神

 鎮西八郎為朝は、源頼朝・義経兄弟の叔父で、そのいた場所には疱瘡が流行らなかったという伝説から、たびたび疫病除けの疱瘡画のモチーフとなる。
 ここで展示されているのは、為朝の前にひざまづき、しきりに謝っている。その前には、手形を押した紙。これは「疫神の詫び証文」というヤツかな。さんざんやっつけられて、おびえた疫神が「もう悪い事はいたしません」と誓い、自分をやっつけた英雄……この場合は為朝に、証文を差し出すお話。
 国芳の描く、桃色の顔色、豊かな黒い髪の為朝は、そのトレードマークの太くて長い豪弓をはじめ、完璧な若武者ぶり。疱瘡神が妙に可愛らしいのも面白い。

肉筆画

七代目岩井半四郎の三浦屋の揚巻

 歌舞伎の登場人物に、美女麗人は数知れず。その中でも、傾城傾国という花魁の頂点がこの揚巻なのだそうで。それを見事に演じた女形の役者を、その死後に、忘れないために作られた肉筆画なのだそうです。
 胡粉が経年劣化で変色したのか、鼻筋ばかりが非常に明るい。鼻筋がキレイに整っているのは、そのせいかな? それとも、女形であることを示すために、男性的な鼻筋の通り方を強調したんだろうか? 揚巻という、絶世の美女を描きながら女形という、芸道を貫いた男性を描く。考えて見れば、とんでもない離れ技だ。
 やや下膨れで、口元が少ししゃくれているように見える。目の力もすごい。赤い絞や、大きな花の柄の入った着物など、いくらでも目を引くものがありながら、視線はどうしても真っ黒でまん丸な、この瞳に吸い込まれてしまう……何がどうしてそうなるのか、サッパリ分からない。

 版画と違い、国芳の振るった筆の跡まで読み取れる肉筆画だけど、版画ほどにキレは無いようにも感じました。作者との距離で言えば、版画よりも肉筆画の方がよほど近いのに。

 非常にたくさんの国芳を見て、なんだか謎が増えたみたいな気がします。後期展示でも、同じように増えるのかな? 今回の前期展示で抱いた謎を、後期展示で解決できるでしょうか? それとも、やっぱり謎が増えるんでしょうか? 今から楽しみです。

後期展示レポート書きました。

 続きです。6月21日までなので、ちょっとあわてて書いています。国芳の浮世絵は、わりと見る機会は多いのですが、今回はやはりまとめてドカーンとみられるのが、なかなかない機会でした。でもそれを感想文に生かせないのが悩み。上手くまとまるでしょうか。

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