豊田市民芸館『筆と言葉 杉本健吉と本田静雄の交流』
久々の豊田市民芸館。
前回の記事はこちら。もうじき、一年たってしまうところだった。そろそろ梅も咲いてるかな、と思ったけど、ちょっと気が早かったみたい。

それでも、日当たりのいいところでは、チラホラと咲き始めていました。お茶室『勘桜亭』にて、お抹茶をいただきました。

お軸は『日月世私照天地』……最初の二文字は「日月」として、三、四文字目は「草松」かと思ったのですが、お抹茶を持ってきてくださった小母様に尋ねたら違っていました。花は、紅梅と侘助だということも教えていただきました。
本田静雄・杉本健吉とは。
本田静雄は、美術品コレクターであり、杉本健吉をはじめとする多くの芸術家のスポンサーでもありました。そのコレクションは豊田市民芸館をはじめ、愛知県陶磁美術館、愛知県美術館にも多数寄贈されています。木村定三と並ぶ、愛知の文化を支えた功労者の一人。
杉本健吉は名古屋出身の画家・デザイナー。以前は名鉄の経営による、その名を冠した『杉本美術館』がありましたが、五年前に閉館となりました。生前は、そこで来館者と歓談するなど、気さくな方であったとか。
『ボクノ七・五・三』1991

自画像を見ると、勲章だと見せかけてセミ・クワガタ・金魚・カエルだったり、肩章の代わりにトンボがとまってたり、白手袋もよくみると軍手だったり。後ろから、あきれたような顔で見ている愛犬トムも可愛い。なるほど、お人柄がうかがえる。
『緞帳「太陽の華」原画』1975頃。
杉本健吉はデザイナーとして、名古屋市営地下鉄のシンボルマークや、名古屋の歌舞伎劇場『御園座』の緞帳の原画も描いています。今回は、豊田市民会館大ホールの緞帳『太陽の華』の原画が展示されていました。上半分が朱、下半分が緑青。濃くくすんだ、古代の染料を思わせる色。中央に大きく、黄色い太陽かひまわりのような図が描かれ、その中には横笛を吹く者、両手に輪を持ち踊る者、琵琶を弾く者、そしてその周りを飛び回る鳥たち。それらの絵柄も『天寿国繍帳』のような、古代を思わせるもの。
上半分のガランスは、濃い夕焼けか朝焼けか、それとも陽射しの照りつける赤夏の空なのか。下半分は海のようでもあり野原のようでもあり。だけど夏の黒々とした葉のように濃くて、まるで掘り出された銅鐸銅鏡の緑青のようでもある。その二色の間を、鋭く切り分けるように、白い線が引かれている。夜明けに輝く水平線か、それとも仏教に言う白道というものか。その一本の線があることで、時に重くさえ感じられる濃密な二色が、今にも開くような、その向こうに世界があるような、そんなイメージになっている。
『千本松原屏風』1992

これ、単純なように見えてものすごい。黒々とした松のクッキリと濃い影からは、それを刻む、強い日差しを感じる。薄くぼやけて行く松は、松風にタップリと潮水が含まれて、ネットリと強く香るみたい。松の並びと砂浜の間が波打っているのは、砂が波打っているからだし、それなのにまっすぐな波打ち際の線は、背後にまっすぐな水平線を想像させる。さらにそれがゆるやかに左下がりになっているから、奥行きまで感じる。そこまで穏やかで、おおらかな描きようだったのに、波打ち際の線を超えると、暴れ回って白い飛沫をあげている波涛、並んだ蛇籠も、細かく描き込まれて、近景であることが強調されている。蛇籠の青竹が鮮やかな緑で描かれているので、奥の松までもが緑色に見えてくる。屏風の中心となる、浜の白砂の表現ときたら……これ、白い紙の色そのままだ。何も描いても塗ってもいない……紙蝶番とひと続きになっている。それが、白い砂浜にしか見えなくなる、この意匠の妙!
陶額(1990年代)

陶板に描かれた阿修羅像。縦の線がビッシリ入るのは、フランシス・ベーコンの油彩画みたい。手足がぼやけて、消え去ったりバラバラになったりしそう。だけど顔だけが、妙に生々しく、張り付いているみたい。コレ本当に、興福寺の堂宇なのか? そう疑いたくなるような、不思議な空間。だけど、雨のように降る線のせいか、シットリと床や柱が湿って、つやつやしているようで、古い寺院の独特の匂いが、確かにしてくるように思われる。
同じような陶額で、奈良の風景を描いたものも並んでいた。横に走る筆の勢いで、大きな広がりを表した高い空に、東大寺大仏殿の屋根が、深い森から突き出すようにそびえている。森は縦の筆で塗りつぶされている。まるで、降り注ぐ陽射しで影が落ちるように。画面の下、森の縁には、集落の屋根がマッチ箱のように並んでいた。
陶板画とはいえ、杉本健吉のデッサンの面白さがよく出ている作品だった。むしろ、スベスベした陶の表面に走ることで、筆跡の向きによる効果が、より強調されていたかもしれない。
『本多静雄宛書簡』1977-1978

北欧の旅行中、本多静雄に送った手紙。ラインの川岸は、氷河だったころに切り裂かれたのか、切り立った崖で、そこに石造りの古砦が貼りついているみたい。日本の風景を描いた作品では、こんな筆触は無かったような気がする。気候や地形や植生の違いが反映されているのかな?
これと並んで、スペインから送られた書簡なども展示されていた。そこにはマントを翻す闘牛士の姿が、素早い筆触でデッサンされていた。陰影をつけずに、輪郭をグリグリと押し付けていくような力強さが、デッサンとは思えない迫力。
『心造諸如来』1978

杉本健吉が寄宿した東大寺は、華厳宗の総本山でもある。「心造諸如来(心が諸々の如来を造る)」とは「心如工画師(心はたくみなる画師の如し)」から始まる「華厳唯心偈」の〆の言葉。華厳宗では最も大切にされる経文のひとつ。鹿とか鳳凰とか描かれているのも、奈良っぽい。ゆるりと波打つ縦の線に、金糸銀糸の縫い取りのように描かれているのが、幡のようでもある。文字までが、ゆらゆら揺れている。
『聖徳太子絵伝』1981-1984
聖徳太子の生涯を描いた、軸装の日本画。杉本健吉は、大阪の四天王寺にある『絵堂』に、1987年『聖徳太子御絵伝障壁画』を奉納しているので、それと並行して作成されたものかな?

色々な逸話を盛り込んだ、聖徳太子生誕の図。ちゃんと厩の前で生まれている。厩の隣の白い花は、沙羅双樹かな? しかし来迎しているのは救世観世音菩薩じゃなく、お地蔵様に見える……回された屏風に、東大寺の大仏殿が描かれているのは、イースター・エッグというやつかしら。ニワトリやお猿が、意味ありげに描き込まれている。

まだ童子の聖徳太子の姿。髪をみずらに結って、袈裟をつけ柄香炉を持っている。これは父の用明天皇の病気平癒を祈る姿を描いたと言われる「太子孝養像」という定番のスタイル。でもこんなの見た事ない。大きく描かれた花はシャクヤクかな? 考の字四つを大きく描いているのは何だろう? ちゃんと、中が白く塗ってある。下から、ジワリと赤みがにじんでいる。朱か紅かを塗った上に、胡粉をかぶせてあるのかな?

聖徳太子と言えばこれ、という構図の絵姿。元々は法隆寺にあったものが、現在は御物になっている。
ほとんど同じように描いているけれど、横にならんでいた二人の王子が幡になっていたり、大使の顔がやたら濃かったり、全然イメージが違う。ここまで変えるには、いったいどれほどの取材と思索があったのだろう……

五重塔がやたらリアルに見える。かすかに稲光を浮かせている背景の雲も、描き込みが生々しい。それが千切れ飛んで、霊芝雲になり、鳳凰になり、幡担って消えていく。昇天していく人々の中には、子供かと思われる小さな姿もあって、胸が痛む……
この一連の作品には詞書があったんだけど、何が書いてあるのかはさっぱり分からなかった。一番最後の『一族滅亡・昇天』なんか、一部大きな字で、彩色までされた部分があったんだけど、どうしてそうなっているのか、見当すらつきませんでした。
『新平家物語屏風』1986
全体は見出し画像。平家物語の、様々なシーンを貼り込んだ屏風。1950年『週刊朝日』に掲載された、吉川英二『新平家物語』の挿絵を手掛けたため、その所縁の作品でしょうか。

源頼政の鵺退治。
平家物語、実は読んでいません。でも源頼政のヌエ退治は、妖怪物語のひとつとして知っていました。しかし『平家物語』の中のエピソードだったとは! ちょっとビックリ。

弁慶と牛若丸。
静御前も、なんとなく名前は知っていて、義経に出会った女性の一人という感じで、ぼんやりとしたイメージはあるんだけど、ハッキリとどんな物語なのかは、よく分かりません。そういえば地元にも、義経に出会ったお姫様の伝説があったっけ……
童謡や絵本、時々は日本画のモチーフにもなる、牛若丸と弁慶の、五条大橋での出会い。これも『平家物語』が元ネタなの? これは、読んで確かめないといけないなあ……

西行法師も、有名な歌人というのは分かっている。いくつか和歌も覚えているような、いないような……それよりも、松尾芭蕉の憧れの人で『奥の細道』が、西行法師の足跡をたどる旅だったとか、そういう周辺の小ネタから、色々とイメージしている方が多いなあ。

『鳥獣戯画』の人。こんな顔だったのかしら? 『平家物語』に登場するの? 吉川英二は元の『平家物語』をリライトするだけじゃなくて、あのころの有名人やよく知られたエピソードをバンバン盛り込んで、時代を描く作品として創ったのかな? それで『新平家物語』なのか……挿絵を見ているだけでも、面白くてたまりません。読まねば。
『明治開花屏風』1987

字は本多静雄、絵が杉本健吉。洋犬を連れた洋装の婦人と和装の婦人。空には気球。色々と入り混じった文明開化の風俗に、扇面には天心岡倉覚三『茶の本』の一節、金地に黒々と大書きされているのは、その英文バージョン。こんな屏風の前で宴とか、楽しそうだなあ……

こっちにはバイオリン……いや、ビオロンの婦人と、騎馬の紳士。空には天使。右隻が文明開化の街角の賑わいを思わせるなら、こちらは新しい時代のローマンスか何かかしら。だけど、巻物に書かれているのは千利休の辞世の句。
人生七十 力囲希咄 吾這寶剱 祖仏共殺
「祖先も仏も殺してしまえ」とは、ずいぶん物騒ですね。右隻の岡倉天心は「人間性の杯」「審美的宗教」とか言っているのに……茶道の話つながりだったら、もっと穏やかな言葉が、いくらでもあったでしょうに。どういうつもりでコレを選んだのかなあ……
地球一周スケッチ(1988)

これは、ペン画なのかな? 右の絵には「古い銅版画の模写」とメモしてある。左の絵も、銅版画を意識したような、細く鋭い線で面を作る描き方。筆で描かれた奈良の風景とはまるで画風が違う。でも、横に勢いよく引かれた線が、空の広がりを感じさせるのは変わらない。後からホワイトで描かれた雲は、戯画化された鳥か人間の横顔のようで、絵本の挿絵みたいな物語っぽさがある。

手前の人物や建物は、形は丁寧に描いているけれど、陰影は一切ない、無彩色。それに対して背景は輪郭どころか線もほとんどなし。だけど彩色と筆のタッチで、気温すら感じる空気を描いている。植物や空といった自然のありさまと、建物や人物といった人間の営みによるもの、それらに対する目線の違い。奈良では溶けあって、境界がはっきりしなかったけど、欧米にあっては全く違うものになっている。
大皿(1990年代)

絵:杉本健吉 / 陶:加藤唐九郎
鉄絵の大皿。素焼きはものすごい勢いで水気を吸うので、迷えばたちまち筆がくっついてしまって、さらに動かしづらくなる。だけどそんなことは全く感じさせない、先日、かみや美術館で見た、北川民次の戯れ描きのようなおおらかさ。その一方で、大根の葉はボッテリと、身は細くクッキリした線で、筆の使い方ひとつで立体感から質感まで表しているのは、流石だなあ。
日本とアジアの文化。

狂言や和歌を元にした小品たち。

京劇や石窟寺院などの、アジアの文化をモチーフにした作品。
杉本健吉は、東大寺にアトリエを構え、住み込みでその周囲の風景を描き続けた。それは、ただ目に見える風景だけを描いていたのではない。奈良という場所で、アジアから結集した様々な文化と、日本の文化とが混ざり合い、花開く有様を見ていた……そう考えていいのかな? だけど、そんな言葉にしてしまうと
「そうじゃないよなあ」
「それだけじゃないよなあ」
という感じが、より強くなる。お話、聞いてみたかったですね……
もう一つの企画展『芹沢銈介の仕事』
今回、豊田市民芸館にきたのは、もう一つの企画展で芹沢銈介の作品を見るためでもありました。近々、静岡県美術館に行くつもりなので、その折には芹沢銈介美術館にも立ち寄りたい。その予習なのでした。
