山下裕二『未来の国宝・MY国宝』(1)


国宝が産まれる話。

先に書いた、小林泰三『はじめから国宝、なんてないのだ。』の記事にて、国宝とは何ぞや、なんて話になったわけですが……引続き、そのあたりを模索していくのです。

この山下裕二氏『未来の国宝・MY国宝』では、著者の国宝への想い、国宝になってほしい作品への想いが、これでもかと綴られておりました。その中で語られる様々なエピソードに、国宝が産まれる経緯が生々しく見えてくるのでした。

そもこの本は、平成二十九年から三十年にかけて、小学館から刊行された『週刊ニッポンの国宝100』に連載された記事を基にしている。当時も、京都国立博物館で『開館120周年記念 国宝』展が行われ大盛況を博し、ある種の「国宝バブル」があったと、筆者は語る。そんな格付けに対する反発心から、これをチャンスと逆手にとって、国宝ならざるものを紹介し続けたというから、筋金入りだ。

国宝:室町時代『日月山水図屏風』

……だからと言って「国宝なんてくだらねぇ!」と、中二病みたいに切り捨てるわけではない。むしろその逆。
国宝というものの存在を、非常に有意義なものとして尊ぶ。

この『日月山水図屏風』は、この本の刊行前年に国宝として認定を受けた。
作者不明、関連する工房も不明。画風も変わっていて、自分の知る限りでは、同時代から浮いているように感じる。しかし、繊細な松林の描き込みと山塊の豪快な塗りつぶし、細く滑らかな曲線が、画面の端から端まで一つながりに渡る白浪の表現、金と銀の天球の存在感。そこに異界が出現したような迫力だけど、破綻が全くない、技量と感性。
権威や常識から外れた異端の作。それが国宝に認定された。国宝は、権威でも、常識を押し付ける物でもない。
それが明確に示された事を、まず、大いに喜ぶところから、この本は始まるのだった。

国宝:雪舟『慧可断臂図』

そんな著者の国宝への想いは、各コラムでも熱烈に著されている。コレもそう。著者はあらゆる仕事の折、隙あらばこの作品を世間にアピールして、結果平成十六年にめでたく国宝認定を勝ち取ったという。そういえば自分も、世紀が変わるあたりで、なぜかこの作品をやたら目にした記憶がある。
そうか、あれは山下氏の仕業だったのか。
美術オタクをやっていると
「なんか最近、やたらあの作者の作品を目にするなあ」
「以前はチラホラ見かけてたあの作者の作品、最近サッパリ見ないなあ」
なんてことはよくあるのだが、その種明かしをされた気分。

国宝:岩佐又兵衛『洛中洛外図屏風(舟木本)』

この作品も、平成二十八年まで国宝に認定されなかった。その理由が、著者の恩師である辻惟雄氏が「作者が岩佐又兵衛ではないのではないか?」と疑っていたせいだとか。
著者によれば、そこで色々と議論して、岩佐の筆という結論に固まったためにようやく国宝認定に至ったとのこと。
その議論には何年もかかっているし、著者と辻氏以外にも多くの研究者が関わっていたのだろう。短いコラムから、その現場の熱気が伝わってくる。

場所がよくない話。

平安時代『吉備大臣入唐絵巻』

「日本にあれば国宝間違いなしなのに、国外にあるために認定されない」作品の例として挙げられている。
大正十二年に相続処分で売りに出されたとあるから、酒井忠晄子爵の財産だったのかしら? その後、関東大震災で国内に買い手がおらずボストン美術館が購入……今であれば国宝級文化財の国外流出に、輿論は憤慨、翌年に「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」が公布・施行される、という流れ。
モチーフとなった、吉備真備に匹敵する波乱万丈の経歴を持つ作品というわけだ。吉備真備の唐に渡った物語が、米国に渡ったというのも、また珍妙。
吉備真備は二度の遣唐使派遣を経て、苦心の末帰朝するが、政争に敗れて大宰府に流される。やがて復権し、今は奈良教育大学敷地内の墳墓に眠るという。さて、この作品はこの後どんな運命をたどるでしょうか?
将来『「吉備大臣入唐絵巻」入米絵巻』なんて絵巻物ができるのかな。

鎌倉時代『平治物語絵巻』

「あれ? 国宝になってたんじゃなかったっけ?」
と思ったけど、それは『六波羅合戦の巻』で東京国立博物館の所蔵。ここで取り上げられていたのは『三条殿夜討ちの巻』で、これも先の『吉備大臣入唐絵巻』同様、ボストン美術館にあるとやら。平治物語は十五巻ほどあるそうですが、バラバラになっているらしい。よくある話。
三十六歌仙を描いた絵巻物なんて、巻物じゃあ高額になって売れないからって、三十六分割されて一枚ずつバラ売りされてしまったとか。
いつか、ひとまとまりに見られる日は来るのかな?
すぐには無理でも……デジタルによる複製なら、実現できるかも。『初めから国宝、なんてないのだ。』で示された、小林泰三氏の仕事には、作られた当時の事を振り返る以外にも、そんな可能性を感じます。

俵屋宗達『松島図屏風』

先の『はじめから国宝、なんてないのだ。』でもトップで取り上げられていた『風神雷神図』の作者、俵屋宗達の作。
アメリカのフーリア美術館にあるという。知らんかった。知名度が低いのは、その美術館の収蔵品が一切、日本に来た事がないせいかしら? 元となったコレクターの遺言で、収蔵品を館外に持ち出せないとか。
現物を見るには行くしかないけど、この本の図版で見るだけでも、とんでもない作品だと言うのが伝わってくる。
著者も謎と言っていたけど、左の屏風にデカデカと描かれた銀の州浜形は何だろう? 水面に映った月輪が、波に任せて歪んでいるのかな? その上に、差招く如き松の枝も謎だ。なぜ宙に浮いているような描き方なんだろう? 右は右で、波間からそそり立つ岩は、苔生したように緑……いやこれは普通に森に覆われた山なのか? 鮮やかな緑に平坦に塗りつぶされて、スケール感もさっぱりわからない……それどころか、頂上や横っ腹に、これもまた鮮やかな藍が塗られていて、さてコレはいったい何の描写なのか? うねる水面にちりばめられた輝くような白は、砕ける波頭なのか千鳥なのか。
何から何まで、解釈を拒むような謎めいた描写だ。
それなのに、海の躍動感、岩の存在感、松の生命感、それらはもう、波の音、風の圧、潮の香りが押し寄せてくるほどに理解できる。日本にあれば、確かに国宝間違いなし。
だけど、それほどの作だからこそ、門外不出にしたかったアメリカ人コレクターの気持ちも、痛い程分かるのだった。

狩野山雪『老梅図襖』

キヤノン綴プロジェクトは、キヤノンの技術の総力を結集して、様々な文化財・美術品の高精細複製品を制作し、それを教育などの現場に活かす企画だそうだ。小林泰三氏が酸化しているかどうかは、ちょっと調べきれなかった。自分が知らないだけで、とても多くの人が、こういったプロジェクトを企画・参加しているのかもしれない。
それにしてもこの梅……そうはならんやろ? にも程がある。まるで、重力が二度も三度も反転したような異様な枝ぶり。こんなありえない姿では、梅どころか植物である事も信じられない。それなのに、ちゃんと梅に見えるのはどういう事か? なっとるやろがい! と見せつけてくる描写力。
あと、ちょっと不思議なのは、コレ襖絵なので、ちょうど真ん中を開けて通ると、大きくアーチを描いた梅の枝をくぐるような図になる……そこまで計画して描いたのかな?

雪村『龍虎図屏風』

これも現物は、アメリカのクリーブランド美術館に収蔵されている。雪村は禅僧の修行の後、五十代になって各地を放浪しつつ、画を善くしたとか。特定の流派に学ぶ事はなく、その名の通り雪舟を敬愛していたが、画風を似せる事はなく、自在闊達の筆はあくまで我流を貫いたと。
虎も竜もとぼけた顔。だけど、なんだかキッチリと四本の足をそろえている虎に対し、竜は四方八方に手足を伸ばして、体がどうなってるのかサッパリわからないくらい。
虎は口を閉じ、竜は開いている。阿吽の像なのかな?
屏風らしく立てられた写真を見ると、虎の実を乗り出した感じが出るように、ちゃんと前足の肩が山折りの位置になっていたり、お尻の後ろの松は奥まったところにあるから谷折りのところにあるとか、竜は顔と右前脚、尾がグイと手前に出ているので、その間の黒雲が濃い部分が谷折りになっているなど、屏風の構造と絵の立体の組み合わせが、巧妙極まりない。
やはり和室に展示しないと、これは分からないだろう。
クリーブランド美術館に和室はあるんだろうか?

伊藤若冲『動植綵図』

この本が出た二年後、令和三年に国宝に認定されています。
国宝の認定基準が変わったのかな?
そも、コレは宮内庁所蔵……皇室の持ち物なので、国宝の対象外になっている、などとあったのだけど。別に、法的にどうこうではなくて、慣習的なシバリだったらしい。
伊藤若冲氏の作は、やはりどれも現代的。国芳や暁斎、豊年などと同様に、いままであまり浮世絵や日本画に興味がなかった層にウケている画家のひとり。だと思う。
それが皇室の財産だからって国宝になれなかったんだから、制度というのは奇妙なモノだなあ。

長くなりそうなので、一旦ここで切ります。
……七月十一日追記。続き書きました。
いよいよ「国宝ってなんだ?」というお話に。

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