見出し画像

ヨコタ博物館・春の常設展示2


やきものの展示室

 第一展示室は、タイ北部の山岳民族の衣装や民具でした。第二展示室はやきものです。半分くらいがバンチェン土器。新しくとも、紀元前千年ごろまで。残りの半分は陶器ですが、いきなり時代が飛んで期限後千年くらいになります。それでも、ちゃんと地域性はしっかり維持されているのだから、民族というのは大きな存在ですね。

 見出し画像は、第二展示室の内部の様子。タイ・カンボジアの土器・陶磁器のコレクションが展示されています。故横田館長のコレクションも、パンチェン土器から始まったとのこと。その蒐集は、自分自身の趣味にとどまらず、当時は内戦直後で政情不安定だったことから、散逸の危機を回避する意味もありました。保管していた品の中でも貴重な文化財は、後にカンボジア政府に返却されたそうです。展示室の片隅には、当時のカンボジア文化大臣との記念写真がありました。

バンチェン土器

 バンチェン遺跡は1992年に世界遺産に登録された、紀元前5600~1800年と推定される遺跡です。日本だとちょうど縄文時代……三内丸山遺跡と同じ頃かな? 発掘が始まったのが1960年代初めで、故横田館長がタイを訪れたのはその少し後といいますから、こちらに収蔵されているのは、ごく初期に発見された貴重な品々といえるでしょう。

黒色土器

黒色線刻土器

 この遺跡から出土する土器は、深いところから出土したものほど黒い。つまり黒いほど年代が古いと考えられる。だから黒色土器は、縄文土器と同じくらいの時期……そう思っていいのかな? 縄目じゃないけれど、ヘラでゴリゴリ描いたような文様とか、輪郭に沿って盛りあげるセンスは、なんとなく縄文土器に通じるものがありそう。底が尖ってたり、口が大きく開いてたりするのは、床がまだ十分な平面じゃなかったり、カマドの火力がまだ弱かったり、そんな技術的なレベルが近い理由もあるかなあ。

灰色土器

網目文土器

 黒が灰色になったということは、少し新しい? そもそもなんで黒かったんだろう? 焼いた時の温度の違いだろうか? この網目の文様は、黒いところを残して掻き落としたのかな? だけど叩いて土を締めた跡が残っているから、削られた様子はない。他の部分を見ると、そもそも灰色に焼きあがった土器のようだ。編み目の型をあてて、黒く染めているのかな? 質感が装飾古墳の壁画に似ている気がする。

灰色線刻土器

 シルエットが弥生式土器っぽい。だいぶ新しいのかな? ラッパ型に大きく開いた口は同じだけど、まるでロクロを使ったみたいに歪みがない。高台の作りもしっかりしている。線刻の文様もかなり整理されて、計画的に描いているのが分かる。蛇行する幅広の帯を、胴と高台にグルリと一周させて、胴には雲形も描いている。図形の内側の細かなデコボコは、土を締めた時に叩いた跡だろうか? そこに白い土を塗り込んで、図形の外側はデコボコをヘラでならしている? 赤い土が付いていたように見える部分もある。ずいぶん手の込んだ装飾がされていたみたい……

灰色朱文掻落土器

 これ、すごくカッコ良かった! 上の灰色線刻土器が中にスッポリ入るくらいデカい。それなのに、こんなにきれいな球形。わずかに縦に潰れているバランスのよさ。表面をよく見ると、白地に朱で文様が描かれていた跡がある。それを上から、細くて長い傷で掻きとってある。櫛みたいな道具を使ったのかな? 細かな傷が緻密にまとまっていて、方向もくしけずったように一定。それが下の方に行くと、まだらなデコボコに変わる。薄くピッと広がった、口の造形もお見事。何を入れたのかなあ? 水瓶かしら。土器だから、中の水は染み出して、常にシットリ濡れていただろう。表面の細かな凹凸が濡れて、色が変わるのも面白かっただろうなあ。

彩色土器

バンチェン彩色土器

 さらに新しい彩色土器。弥生式土器みたい。こういうのもパレススタイルというのかな? 大きく流水紋を描くのは、中国だと馬家窯の彩色土器とか、川に面した文化では定番だけど、こんなにシンプルで器形に調和した作品は、他に無いかもしれない。

彩文丸底土器

 これがちょっと、異色で目を引いた。どういう文様なんだろう? 他の流水紋の土器は、流れる曲線が器をグルリと巻くように、大きな動きで描かれていたのに、これだけがその場の渦巻。四つ並んだその真ん中に、こっちを向いた、ファンシーグッズの鳥みたいなキャラクターが、ポロポロ涙を数珠つなぎにして泣いている顔……分かります? 中心の「Θ」が正面から見たクチバシか、食いしばった歯。

バンチェン彩色土器

 特に年代が明確に分かるわけではないけれど、文様の変化で時の流れが想像できるのが楽しい。次第に、流水紋の線の一本一本が細く、間も狭くなっていく。それでもカーブは大胆に巻きながら、歪みは少ない。細かな描き込みも増えていく。

彩文丸底土器

 胴の真ん中に、巨大な渦巻が美しく描かれている。その大胆さ。その一方で、例えば肩にぐるりと一周した細い帯の中に、木の節のような小さな渦巻が丁寧に描き込まれている。この繊細さ。本当にすごい……あの、変な鳥みたいな顔がついていた土器と、どれくらい時代が違っているのかな。

追記:補足説明をいただきました。

 X(旧Twitter)のヨコタ博物館【公認】アカウント様より、バンチェン土器についての解説をいただきました。灰色土器・彩色土器も、実は黒いとのこと。

 土器の作り方から、発掘調査の動画も見られるそうなので、ロビーでゆっくり学ぶ事ができそうです。

日本の土器との違いに思いを巡らせる。

 縄文土器から弥生土器、須恵器までの日本の土器と、似ているところもあり、違うところもあり。もちろんパンチェン土器単体でも非常に面白いんだけど、比較、深掘りしていくと、どこまでも楽しめそう。

 以前、縄文土器を見に行った時の記録はこちら。

 須恵器について色々感想を書いたのはこちら。

クメール陶器

クメール王朝(アンコール王朝とも)は、9世紀から15世紀まで、カンボジアに存在していた王国で(…)その時代に、アンコールトムや、アンコールワットが建造された。クメール陶器は、都がアンコールトムだった、11~13世紀のアンコール王朝絶頂期のものがほとんどといわれている。

展示解説より

黒褐釉線刻壺

黒褐釉線刻壺(高さ65cm 幅45.5cm)

 実寸よりも、ずいぶん大きく感じるほど、存在感のある壺。黒褐色に白っぽい茶色の斑が入るのが、まるで石か鉄のよう。一気に肩を張った後、ゆっくりと足元に向かってすぼまっていく、輪郭の動きのメリハリもたまりません。太い筆の穂先みたい。足はそのまま、床に突き刺さっているようにすら見えます。

東南アジアで施釉陶器が焼かれた最初のもので、大部分が青磁釉と黒褐釉で、壺と碗などが作られた。(…)壺には人面、象、兎、梟など変わった壺が多く、ほとんどに文様が施されている。

展示解説より

さまざまな造形の壺

クメール陶器いろいろ

 壺には象の頭や、人間の顔と手が付いていたりする。小さな壺は、馬の形をしていたり、蛙だったり。入れ物としての役割より、意匠を凝らすことに凝っている。しかし、魚も鳥もその色は再現されない。黒褐釉の色で統一されている……なぜだろう?

スコタイ陶器

13世紀中頃より15世紀中頃まで、アユタヤ王国に併合される約200年もの間、タイ歴史上最初のタイ人国家「スコタイ王朝」が興った。(…)スコタイ窯で焼かれた壺には、無釉、黒褐釉、褐釉、鉄絵などがある。

展示解説より

青磁なのに造形に凝る

スコタイ陶器いろいろ

 手前の、鉄で魚の絵が描かれた鉢が大好き。その右の壺も、非常に丁寧に細かい彫り込みがしてあって、釉の濃淡で浮かび上がる文様はレースのよう。青磁釉だけど酸化の度合いが強いのか、鉄の黒さが出て、金属器みたいになっているのも面白い。

無施釉の壺

無釉押形文壺(13世紀)

 大きな壺の表面に、型押しで色々な文様がつけてある。象さんの文様が、やっぱりタイだなあ。無釉だけど、これに青磁釉をかけて焼けば、釉の濃淡でもっと文様がハッキリしそう……そうする予定だったのかな? その方が、器形も文様も映えそうだものなあ。

スワンカローク(宋胡禄)陶器

スワンカロクの陶器は、中国から来た陶工と、良質の陶土によって生産された。スワンカロクは地名で、窯は、コーノイ、シーサチャナライなどにあって、スワンカロクは出荷地であったと思う。インドネシア、フィリピンはもちろん、わが国にも輸出され、宋胡禄の名称で珍重された。

展示解説より

 茶器としての宋胡禄は、タイ由来の陶器の総称として使われる事も多い。その場合は、白化粧に鉄絵のスコタイ陶器も含まれる。ベトナム地方からの輸入陶器も、茶道具になると「安南手」と呼ばれるようなものかしら。自分はどっちかというと「青磁の白っぽいやつ」でイメージしていた。

青磁の焼き物

スワンカローク(宋胡禄)陶器いろいろ

 中国や高麗の青磁だと、例えば梅瓶のようにシンプルで滑らかなシルエットに、スーッと流れる曲線のハイライトを見せる。宋胡禄ではそんな青磁釉の色や光沢を、人物像や透かし彫り、線彫りなどの造形を強調するのに利用しているのが面白い。地の凹凸に従って、色の濃淡や厚みが違ってくる。さらにその上を流れたり、貫入が入ったり。中国や高麗の青磁と比べると、固さや冷たさがなくて、優しい感じになりますね。

黒褐釉双耳壺

黒褐釉双耳壺

 そしてこの壺が、非常に心に響きました。シルエットは、パンチェンの黒褐釉線刻壺にちょっと似ている。底からグルグルと巻きあがったロクロの跡は、こっちの方がクッキリしていて太い。それが、厚い黒褐釉の照りでさらに協調されている。肩にある点々は不純物が入っていたのかな? わざわざ加飾しているようにも見えるけど。広い口が立ち上がり、外に向かってゆるく広がっているのは、東南アジアの壺としては珍しいかな? ペルシャとか、もうちょっと西の方の様式のように思われる……タイ北部、かなり内陸部だけど、交易の影響とかあったのかな? 首から下は、いかにも茶人に好まれそうなルソン壺……それなのに肩から上には、ともすれば地中海までさかのぼれそうな、長く反った首が乗っている。この、西と東が調和したような面白さ。こんなシナジー、他の地域では、ちょっと出てきそうにありません。

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