『鬼滅の刃』が“心の声だらけ”でも読める理由|説明ではなく“生存反応”として読者へ届く構造|失敗から学ぶ名作の作り方 第42回
〜「語りの向き」第1回〜
今回から3回にわたって、
“語りの向き”というテーマで書きたいと思います。

【人物】
・竈門炭治郎
・我妻善逸
・嘴平伊之助
・冨岡義勇
・煉獄杏寿郎
・猗窩座
■前回の『SLAM DUNK』“削る演出”について
前回は、
『SLAM DUNK』を扱いました。
ここで見たのは、
動きを全部描かない強さです。
動きの途中を削る。
中間を飛ばす。
読者の脳内で動きを補完させる。
その結果、
止め絵なのに動いて見える。
漫画は、
全部を描けば強くなるわけではありません。
むしろ、
描きすぎると読者の補完が止まる。
だから『SLAM DUNK』では、
“削ることが速度になっていた”。
では、逆はどうでしょうか。
削るのではなく、
かなり喋る作品。
心の声も多い。
状況説明も多い。
感情もかなり言葉にする。
普通なら、
かなり危ない。
テンポが止まる。
説明くさくなる。
読者が疲れる。
それなのに、
読める作品があります。
『鬼滅の刃』です。
■鬼滅は、かなり喋る作品です
『鬼滅の刃』は、
静かな作品ではありません。
もちろん、
無言の間もあります。
でも全体として見ると、
かなり言葉が多い作品です。
炭治郎はよく考えます。
敵の動き。
自分の呼吸。
傷の状態。
間合い。
攻撃の速さ。
恐怖。
焦り。
自分を奮い立たせる言葉。
戦闘中でも、
かなりの量の心の声が入ります。
善逸も喋る。
伊之助も叫ぶ。
炭治郎も考える。
敵も語る。
冷静に見ると、
説明量は少なくありません。
むしろ、
かなり説明している。
普通なら、
これはテンポを止めます。
バトル中に説明が増えると、
読者は一気に冷めることがあります。
今それを説明するのか。
今そんなに整理している場合なのか。
今それを読者に教える必要があるのか。
そう感じた瞬間、
戦闘の熱が落ちます。
でも『鬼滅の刃』は、
なぜか読み進められる。
心の声が多いのに、
止まりにくい。
ここが不思議です。
■説明が多いのに、なぜ止まらないのか
理由は、
単に「感情的だから」ではありません。
そこだけで見ると少し浅くなる気がします。
たしかに『鬼滅の刃』の言葉には、
感情が乗っています。
苦しい。
怖い。
悔しい。
負けられない。
助けたい。
守りたい。
そういう熱があります。
でも、
感情をたくさん書けば読めるわけではありません。
むしろ、
感情を大量に書いているのに寒くなる作品もあります。
泣いている。
叫んでいる。
つらいと言っている。
愛していると言っている。
それでも読者が冷めることはあります。
だから問題は、
感情の量ではありません。
『鬼滅の刃』で起きているのは、
感情の大量投入ではない。
もっと近い言い方をするなら、
炭治郎のモノローグは、
“説明ではなく、生存反応として流れている”
のです。
■炭治郎の心の声は、説明ではなく生存反応に近い
炭治郎の心の声は、
きれいな解説ではありません。
敵が速い。
呼吸が乱れる。
身体が動かない。
間に合わない。
このままでは斬られる。
それでも行く。
そういう言葉が多い。
これは、
読者に分かりやすく教えるための言葉というより、
炭治郎がその場で生き残るために出している反応です。
目の前に敵がいる。
呼吸が苦しい。
身体が限界に近い。
でも妹を守らなければいけない。
誰かを助けなければいけない。
その圧の中で出ている。
だから、
読者は説明を読んでいるというより、
炭治郎の身体の中に入っている感覚になります。
「速い」。
この一言も、
ただの情報ではありません。
敵の速度を説明しているだけではない。
炭治郎が、
目の前でその速さを受けている。
「まずい」。
これも、
状況整理ではありません。
危険が身体に迫っている反応です。
「間に合わない」。
これも、
読者への説明ではありません。
自分の身体と敵の動きの差を、
炭治郎がその場で感じている。
だから止まらない。
“情報ではなく、身体感覚として流れてくるからです。”
■読者は“説明”ではなく“身体感覚”として受け取っている
読み進める中で、
読者が止まる瞬間があります。
それは、
情報を理解しようとし始めた瞬間です。
この能力は何か。
今どういう状況か。
この攻撃には何の意味があるのか。
このキャラクターは何を考えているのか。
もちろん、
理解は必要です。
でも、
流れの途中で理解だけを求められると、
読者の身体は止まります。
頭だけが動く。
作品の外側から、
状況を整理する読み方になる。
すると、
さっきまであった熱が落ちます。
一方で『鬼滅の刃』は、
“説明を身体側へ落としている”。
敵が速い。
これは情報でありながら、
同時に恐怖です。
呼吸が苦しい。
これは状態説明でありながら、
同時に体感です。
間に合わない。
これは状況整理でありながら、
同時に焦りです。
だから読者は、
説明として処理する前に、
身体で受け取ります。
炭治郎が追い詰められている。
息が詰まっている。
目の前の敵が速すぎる。
次の一撃で終わるかもしれない。
そういう圧が先に来る。
頭で整理するより先に、
身体が反応する。
これが大きいです。
『鬼滅の刃』のモノローグは、
情報を渡しているようで、
実は読者を炭治郎の内側へ入れている。
“説明を読ませているのではなく、戦闘の圧を浴びせている。”
だから、
心の声が多くても止まりにくいのです。
■でも、他作品も感情を書いている
ここで一つ、
大事な問題があります。
では、
感情や身体感覚を書けば、
同じように読めるのか。
そうとは限りません。
他の作品でも、
キャラクターは泣きます。
叫びます。
苦しいと言います。
愛していると言います。
守りたいと言います。
負けられないと言います。
でも、
それでも寒くなることがあります。
むしろ、
感情を書けば書くほど冷めることすらある。
なぜでしょうか。
言っている内容だけ見れば、
熱いはずです。
泣いている。
叫んでいる。
苦しんでいる。
必死になっている。
それなのに、
読者の心が動かない。
ここに、
モノローグの難しさがあります。
感情を書いているかどうかではありません。
“その言葉が、キャラクターの切実な言葉になっているかどうかです。”

■作者が見える時、キャラクターの切実さは消える
感情を書いているのに冷める時、
そこにはよく、
作者が見え隠れしています。
キャラクターが苦しんでいるように見える。
でも実際には、
作者が「苦しんでいます」と伝えようとしている。
キャラクターが泣いているように見える。
でも実際には、
作者が「ここは泣くところです」と置いている。
キャラクターが愛を語っているように見える。
でも実際には、
作者が「この関係は尊いです」と説明している。
そう見えた瞬間、
読者は冷めます。
なぜなら、
キャラクターの言葉ではなくなるからです。
切実さが消える。
読者は、
そのキャラクターが本当に今それを言わずにはいられない、
という感覚を求めています。
でも、
そこに作者の都合が見えると、
急に言葉が軽くなる。
良いことを言っている。
感情も入っている。
場面としても大事なはず。
それでも刺さらない。
それは、
“言葉がキャラクターの内側から出ていないからです。”
キャラクターの切実な言葉になっていない。
作者が見え隠れしている。
ここで、
モノローグは体験ではなく説明になります。
■キャラクターの口から出ているように見えるかどうか
ここで問題になります。
では、
どうすればいいのか。
キャラクターの言葉と、
作者の言葉は、
どう区別すればいいのか。
これは簡単ではありません。
なぜなら、
キャラクターの言葉も結局は作者が書いているからです。
炭治郎の言葉も、
当然、作者が書いています。
善逸の叫びも、
伊之助の言葉も、
煉獄の言葉も、
作者が書いています。
紙の上で、
キャラクターが勝手に喋っているわけではありません。
だったら、
作者の言葉とキャラクターの言葉は、
何が違うのか。
ここが難しい。
でも、
創作者にとっては避けて通れない問題です。
自分では、
キャラクターに喋らせているつもりでも、
読者から見ると作者が喋っているように感じることがあります。
自分では、
感情を込めているつもりでも、
読者から見ると感情を説明されているように感じることがあります。
自分では、
熱い場面を書いているつもりでも、
読者から見ると「ここで感動してください」と言われているように感じることがあります。
では、
どう判定すればいいのか。
その言葉は、
本当にキャラクターの口から出ているのか。
それとも、
キャラクターの口を借りて、
作者が説明しているだけなのか。
第1回では、
これを問いとして残します。
『鬼滅の刃』のモノローグは、
なぜキャラクターの内側から出ているように感じるのか。
他の作品では、
なぜ作者の説明に見えてしまうのか。
自分の書いた言葉は、
本当にキャラクターの口から出ているのか。
ここに、
次の段階で考えるべき課題があります。
■「語りの向き」第1回の結論
『鬼滅の刃』は、
心の声が少ない作品ではありません。
説明もある。
状況整理もある。
感情もたくさん出てくる。
でも、それが止まりにくいのは、
炭治郎のモノローグが、
“説明ではなく、生存反応として流れているからです。”
読者は、
情報を整理しているのではありません。
炭治郎の呼吸。
恐怖。
焦り。
痛み。
それでも進む意志。
そうした身体感覚を受け取っている。
だから、
説明量が多くても止まりにくい。
ただし、
ここで終わりではありません。
感情を書けばいいわけではない。
身体感覚を書けばいいわけでもない。
叫ばせればいいわけでもない。
他の作品でも、
感情は書かれています。
泣く。
叫ぶ。
苦しむ。
愛を語る。
それでも失敗することがある。
“キャラクターの切実な言葉になっていない時、そこには作者が見えます。”
では、
キャラクターの口から出ている言葉と、
作者の口から出ている言葉は、
どこで分かれるのか。
キャラクターも作者が書いているのに、
なぜある言葉はキャラクターの言葉になり、
なぜある言葉は作者の説明になってしまうのか。
次回は、
この問題をさらに掘ります。
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■今回の失敗の教訓
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モノローグが多いこと自体が問題なのではない。
キャラクターの切実な言葉になっていない時、心の声は体験ではなく説明になる。
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■創作でどう使うか
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心の声を書く時は、
感情を書けているかだけで判断しないようにしよう。
その言葉が
本当にキャラクターの口から出ているのか、
それとも
作者が説明するために言わせているのかを疑おう。
■「語りの向き」続きはこちら
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