『鬼滅の刃』はなぜ“作者の説明”に見えないのか|語りは読者へ向いた瞬間に説明になる|失敗から学ぶ名作の作り方 第43回
〜「語りの向き」第2回〜
【今回登場する作品】
・『鬼滅の刃』

【人物】
・竈門炭治郎
・我妻善逸
・嘴平伊之助
・煉獄杏寿郎
■前回「語りの向き」第1回は鬼滅の“心の声”
前回は、
『鬼滅の刃』のモノローグを扱いました。
『鬼滅の刃』が“心の声だらけ”でも読める理由|説明ではなく“生存反応”として読者へ届く構造|失敗から学ぶ名作の作り方 第42回
『鬼滅の刃』は、
心の声が少ない作品ではありません。
むしろ、
かなり喋る。
炭治郎は戦いながら考えます。
敵が速い。
呼吸が苦しい。
身体が動かない。
間に合わない。
それでも行く。
状況も言葉になる。
感情も言葉になる。
恐怖も、焦りも、痛みも言葉になる。
普通なら、
これはかなり危ない。
バトル中に説明が増えると、
テンポは止まりやすい。
今それを説明するのか。
今そんなに整理している場合なのか。
今その感情を言葉で言わせるのか。
そう感じた瞬間、
読者は作品の外へ出ます。
けれど『鬼滅の刃』は、
それでも読める。
第1回では、
炭治郎のモノローグが、
説明ではなく“生存反応”として流れているからだと考えました。
「速い」。
「まずい」。
「間に合わない」。
これは、
読者に状況を整理して伝えるためだけの言葉ではありません。
炭治郎が、
その場で生きるために反応している言葉です。
だから読者は、
説明を読んでいるというより、
炭治郎の身体の中に入っている感覚になる。
これは、
キャラクターが語っているからです。
読者へ説明しているのではない。
炭治郎が、
その世界の中で反応している。
だから、
言葉が説明ではなく、
“生存反応として届く”。
逆に、
作者が見えた瞬間、
言葉は説明になります。
ここまでが第1回でした。
ただし、
そこにはまだ大きな問題が残りました。
■キャラクターも、結局は作者が描いている
前回の最後に残した問いは、
ここです。
キャラクターの言葉と、
作者の言葉は、
どこが違うのか。
これは簡単ではありません。
炭治郎の言葉も、
作者が書いています。
善逸の叫びも、
伊之助の言葉も、
煉獄の言葉も、
作者が書いています。
キャラクターが、
紙の上で勝手に喋っているわけではありません。
だったら、
なぜあるモノローグはキャラクターの言葉に聞こえるのか。
なぜあるモノローグは、
作者の説明に聞こえてしまうのか。
ここを考えないと、
モノローグの失敗は防げません。
創作者はよく、
キャラクターに喋らせているつもりになります。
でも読者から見ると、
作者が喋っているように見えることがある。
キャラクターの感情をモノローグで書いたつもりなのに、
感情の説明に見える。
キャラクターの決意をモノローグで書いたつもりなのに、
作者が「ここは熱い場面です」と言っているように見える。
ここで冷めます。
言葉そのものが悪いわけではありません。
泣く。
叫ぶ。
苦しむ。
愛していると言う。
それ自体が悪いわけではない。
問題は、
その言葉がどこから出ているように見えるかです。
キャラクター自身から出ているのか。
作者の口から出ているのか。
■違いは、“語りの向き”にある
キャラクターの語りの場面で、
キャラクターの言葉になっているものと、
キャラクターを通した作者の言葉になってしまっているもの。
この2つを分けるもの。
それは、
“語りの向き”
ではないでしょうか。
誰が書いたかではありません。
どこへ向かって語っているかです。
読者へ向いているのか。
作品世界へ向いているのか。
ここが分かれ目です。
キャラクターの語りが、
少しでも読者へ向いたものは、
説明になりやすい。
作品世界へ向いた語りは、
キャラクターの言葉になる。
つまり、
“読者へ向いた瞬間に説明になる”。
創作では、
読者を意識しろと言われます。
もちろん、
それは間違っていないはずです。
読者が理解できなければ、
物語は届きません。
読者が置いていかれれば、
読み続けてもらえません。
だから作者は、
読者体験を考える必要があります。
ただし、
キャラクターの語りの瞬間は、
少し話が違います。
キャラクターが、
少しでも読者の方を向いた瞬間、
言葉は一気に説明へ近づきます。
そして作者が見え隠れします。
逆に、
キャラクターが作品世界の中だけを見ている時、
言葉はキャラクター自身のものになります。

■読者へ向くと、“作者の口”からの言葉になる
読者へ向いた言葉には、
独特の匂いがあります。
「分かってください」
「ここは大事です」
「このキャラクターは今、
こう感じています」
「この場面は感動するところです」
「この言葉にはこういう意味があります」
もちろん、
実際にそんなふうに書かれているわけではありません。
でも読んでいる側に、
そういう気配が伝わることがあります。
すると、
キャラクターの言葉ではなくなります。
作者の口から出た言葉に聞こえる。
それは、
読者を見ているからです。
読者へ伝えようとしている。
読者に理解させようとしている。
読者に感動してもらおうとしている。
その意図が見える。
すると読者は、
キャラクターの内側から押し出されます。
作品世界の中にいたはずなのに、
急に外側へ戻される。
そこにいるのは、
キャラクターではなく作者です。
だから冷める。
これが、
“モノローグが説明になる瞬間”
です。
■作品世界へ向くと、“キャラクターの口”からの言葉になる
逆に、
作品世界へ向いた言葉は違います。
炭治郎が見ているのは、
読者ではありません。
目の前の敵です。
呼吸です。
痛みです。
恐怖です。
妹です。
守りたい人です。
今ここで生き残れるかどうかです。
だから、
言葉が読者へ向かっていない。
読者に説明しているのではなく、
その世界の中で反応している。
紙の上に書いたのは作者です。
でも読者には、
炭治郎の口から出た言葉に聞こえる。
読者へ向いている言葉は、
作者の口から出ているように見えやすい。
作品世界へ向いている言葉は、
キャラクターの内側から出ているように感じやすい。
この違いは、
言葉の内容だけでは決まりません。
同じ「苦しい」でも、
読者へ向かって置かれた「苦しい」は、
感情説明になります。
でも、
世界の中で本当に追い詰められて出た「苦しい」は、
身体反応になります。
同じ「怖い」でも、
読者に恐怖を説明するために置かれた「怖い」は、
説明になります。
でも、
今この場で身体が固まり、
息が詰まり、
それでも動かなければならない中で出た「怖い」は、
キャラクターの反応になります。
この差です。
■作者は消えるのではなく、見えなくなる
もちろん
作者が本当に消えているわけではありません。
作者はいます。
構成している。
選んでいる。
配置している。
演出している。
炭治郎が何を見るか。
どこで追い詰められるか。
どこで呼吸が苦しくなるか。
どこで「まずい」と感じるか。
それは作者が設計しています。
現実には、
状況説明も必要です。
読者に何が起きているかを伝えなければ、
そもそも物語は届きません。
だから作者は、
読者体験を考える必要があります。
読者が迷わないように、
状況を整理する。
次の反応が生まれるように、
場所を作る。
こっちは塞がっている。
こちらもだめだ。
見えている道はここしかない。
そういう状況を、
作者は用意します。
その上で、
キャラクターへ渡す。
こんな状況になった。
お前なら、
ここで何を見るのか。
お前なら、
どう感じるのか。
お前なら、
どう語るのか。
そんなイメージです。
“作者は読者体験を設計する。
でも、キャラクター自身は読者を見ない。”
キャラクターは、
与えられた状況の中で、
“作品世界だけを見る”。
この分離が大事です。
■ここまでを踏まえて、創作者はどう判定すればいいのか
では、
改めて創作者はどう判断すればいいのでしょうか。
自分の書いたモノローグが、
キャラクターの言葉になっているのか。
それとも、
作者の説明になっているのか。
基準は、
今このキャラクターが、
何を見ているのか。
読者を見ているのか。
それとも、
作品世界を見ているのか。
これです。
少しでも読者へ向いているなら、
説明になりやすい。
作品世界へ向いているなら、
体験になりやすい。
例えば、
キャラクターが苦しいと言う。
その「苦しい」は、
読者に気持ちを理解させるために言っているのか。
それとも、
本当にその場で息が詰まり、
身体が限界で、
それでも前へ進むために出ているのか。
ここで変わります。
キャラクターが決意を語る。
その決意は、
読者に主人公の感情を見せるためなのか。
それとも、
その世界の中で、
そのキャラクターがそこへ行くしかないから出ているのか。
創作者は、
読者体験を考えなくてはいけません。
でも、
キャラクターの語りそのものは、
読者へ向けてはいけない。
“作者は読者体験を設計する。
キャラクターは作品世界を見る。”
この分離ができた時、
モノローグは説明ではなく、
キャラクターの言葉になります。
■第2回の結論
「語りの向き」のテーマ第1回では、
『鬼滅の刃』のモノローグが、
説明ではなく生存反応として流れていることを見ました。
今回第2回では、
そのさらに奥にある問題を見ました。
違いは、
“語りの向き”
です。
読者へ向いた語りは、
作者の口からの言葉に見えやすい。
作品世界へ向いた語りは、
キャラクターの口からの言葉に見えやすい。
読者へ向いた瞬間、
語りは説明になる。
作品世界へ向いた時、
語りは体験になる。
そして、
“作品世界へ向いた語りだけが、作者を見えなくし、キャラクターの言葉になる。”
ここが、
モノローグを書く時の大きな分かれ目です。
キャラクターは、
読者へ説明するために喋るのではありません。
その世界の中で、
生きるために言葉を発する。
だから読者は、
説明されるのではなく、
体験することができるのです。
次回は、
この問題をさらに広げます。
モノローグだけではありません。
心に残るキャラクターのセリフ、行動にも、
同じ問題があります。
次は、
セリフ、行動、
そしてキャラクターそのものへ進みます。
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■今回の失敗の教訓
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語りは、読者へ向いた瞬間に説明になる。
作品世界へ向いた語りだけが、作者を見えなくし、キャラクターの言葉になる。
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■創作でどう使うか
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モノローグを書く時は、
その言葉が読者に向いていないかを確認しよう。
作者は読者体験を設計すればいい。
キャラクターには作品世界だけを見せよう。
■前回の「語りの向き」
『鬼滅の刃』が“心の声だらけ”でも読める理由|説明ではなく“生存反応”として読者へ届く構造|失敗から学ぶ名作の作り方 第42回
■次回の「語りの向き」
『SLAM DUNK』『ONE PIECE』感動するシーンは読者へ向いていない|キャラクターは作品世界だけを見る|失敗から学ぶ名作の作り方 第44回
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