神社訪問記:伊豆山神社|頼朝&政子のデートスポット
伊豆山神社(いずさんじんじゃ)/駐車場無料・トイレあり
所在地:静岡県熱海市伊豆山708-1
公式ホームページ:https://izusanjinjya.jp/
■訪問記■
私は源頼朝を尊崇している。
頼朝が妻となる北条政子とデートを楽しんだのが、伊豆山神社だ。
この二人の物語については最後の補足を参照してください。
駐車場は上の方と下の方の2ヶ所ある。
私は「下から登りたい派」なので、下の方に駐車。
この神社の手水舎(てみずしゃ)の吐水口(とすいこう)は赤と白の龍となっている。
これは赤白二龍(せきびゃくにりゅう)と呼ばれている。
信仰対象として至る所でこの二龍が見られる。

たとえば、御朱印帳の表紙もこの龍をデザイン化した印。
この印のお守りやシールなども社務所で売っている。

私にはどうしてもそうは見えないのが悲しい。
真正面に拝殿が見えるが、まずは参道右側にある「頼朝・政子腰掛け石」を見る。
元々こういう形状なのか、加工したのかはわからない。

なんにしても800年以上前に、若い頼朝と政子が二人並んで腰掛けた石である。
頼朝は政子の肩を抱いたり、優しくほっぺたをツンツンしたかもしれない。政子は頼朝に寄りかかったり、膝の上に指で「好き」などと書いたかもしれない(あくまで個人の想像です)。
歴史のロマンである。
二人は十歳差だったがラブラブだった。
しかし、政子パパは頼朝の監視役でもあり、これは許されない恋のはずだった。
ところが伊豆山神社パワーで、二人は結ばれ、後に頼朝は鎌倉幕府を開き、政子はそれを支えることとなった。
そして、頼朝は伊豆山神社に感謝して、ここを関八州総鎮護と定めた。
簡単に言うと関東地方全体の守り神と位置づけたのだ。

さて、この「腰掛け石」と参道を挟んだほぼ反対側にもデカい石がある。
こちらは「光石(ひかりいし)」と名づけられている。
大磯町にある高来神社(たかくじんじゃ)から、サルタヒコとアメノウズメの夫婦神とともにやってきたらしい。
光を発するわけではない。
「神が降りる石」と説明にある。
高来神社についてはまた別の機会に訪問記を書きたいと思う。

瞑想していたか、宇宙人と交信をしていたかのどちらかだと思われる。
二つの石を見ているうちにけっこうな時間が経過し、ようやく十数メートル先の拝殿に辿り着く。

参拝をすませ、右手の方へ行くと、宝物殿と登山口がある。
すでに宝物殿は閉館していた。
登山口からは本宮社へ続く山道があるのだが、この登山記についてもまた別の機会に記すことにする。

池はよく手入れをされており、水がきれいだ。
美しい錦鯉が泳ぎ回り、一幅の絵のように見えないこともない。
どこでもそうだが、だいたい錦鯉は人間慣れしており、人間が近づくと寄ってきて口をパクパクさせてエサをねだる。
ここの鯉も例外ではない。
しかし、大事に育てている鯉なので、池のほとりに置いてあるエサの自販機で買った以外のエサを与えてはいけない。

この池の向こう側に上の駐車場(第二駐車場)へ抜ける鳥居がある。
この鳥居は歌手の小泉今日子(キョンキョン)が奉納したものである。

こちらの鳥居から引き返し、先ほど登ってきた階段を降りる。
途中に「役の小角(えんのおづぬ)社」がある。

「役の小角(えんのおづぬ)とは、7世紀の呪術者で、鬼も自由自在にあやつったという。
後に朝廷への謀反の疑いで伊豆大島に流された。
しかし、超能力で伊豆大島を抜け出し、伊豆山に来て修行を続けたらしい。
その由来によりここに社が存在している。
参拝して中をこっそり覗くと、役の小角の像がこちらをにらんでいる。
ビビった。

そのまま再び階段を降りて、自分の車に戻ったかというとそうではない。
「まだ書く気か?」
と思われそうだが、そもそも私は神社の滞在時間が長いので、書きたいことがたくさんある。
以前知人に「神社にどれくらいの時間いるの?」と聞かれ、
「ちょっと大きめの神社だと3、4時間くらいかな」と答えたらビックリされた。
階段を600メートルほど降り、「走り湯」という場所へ向かう。


「走り湯」に辿り着いた。
ここは温泉の源泉なのだ。
「走り湯」については、3枚の写真とキャプションでご覧ください。



5分ほど中にいたら、湿気と汗でびっしょりになった。
耐えきれずに退出。
汗を拭きながら、階段を登って引き返し、駐車場にたどりつく。
この日の伊豆山神社の滞在時間、走り湯も合わせて約6時間。
日がすっかりと暮れていた。
■御祭神■
①火牟須比命(ホムスビノミコト)
②天之忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)
③栲幡千千姫命(タクハタチジヒメノミコト)
④邇邇芸命(ニニギノミコト)
①のホムスビノミコトは一般的には「火産霊尊」と書かれることが多い。
別名は火之迦具土神(ホノカグツチノカミ)。火の神。
温泉地でもあり、伊豆半島自体が本州に衝突してできた火山島だから火の神なのだろう。
イザナギとイザナミの息子だが、出産のときにイザナミが陰部に大火傷をして、それが原因でまもなく死亡した。
火の神だから、産むときに火傷をしたのだ。
それを見て怒ったイザナギがホノカグツチを切り殺した。
なんとも血生臭い家族である。
このときにイザナギが使った剣の鍔から血がしたたった。
その血から生まれたのが建御雷之神(タケミカヅチノカミ)である。
この神は茨城県の鹿島神宮の御祭神であり、日本神話の重要な場面で登場するので、日本神話に関心のある人は覚えておくといいかもしれない。
②〜④の神については、②が父、③が母、④が息子である。
詳しくはこちら(↓)の説明と系図をご覧ください。
■御朱印■


■補足■
【源頼朝の伊豆配流と北条政子】
1150年の平治の乱で、平氏に敗れた父・源義朝は部下の裏切りで逃走中に暗殺されてしまう。
息子の頼朝は平清盛につかまり、処刑されることとなった。
時に頼朝13歳。
しかし、清盛の継母である池禅尼(いけのぜんに)が「頼朝は、夭逝した自分の息子に似ているから助けてほしい」と命乞いをしてくれたおかげで助かった。
そして頼朝は京都から追放され、伊豆へ流された。
(昔は地方へ送ることを「流す」と言った。)
伊豆では豪族の北条時政の監視下に置かれることとなった。
北条政子は北条時政の娘である。

時は流れ、頼朝も満三十歳。
別の女に子供を産ませちゃったことなんかもあったが、二十歳の北条政子と恋仲となり結ばれる。
監視役の北条時政がそんな関係を許すわけもなく、平氏にバレることを恐れて、北条政子を伊豆国の目代・山木兼隆(やまきかねたか)に嫁がせようとする。
(「目代」とは、国から任命された各国の長官である国司、つまり今でいう知事のような人の代理)
しかし、政子は頼朝と駆け落ちをしてしまう。
さらに頼朝が打倒平氏の反乱を起こす。
ここに至って、時政も頼朝に人生を賭けることとなった。
その後、いろいろあったが、鎌倉幕府が成立して、頼朝は初代将軍となり、さらにその後、北条時政は初代執権となって実権を握った。
頼朝の死後、政子と弟の義時は父・時政を追放し、出家した政子が事実上の将軍として幕府を仕切った。
そのため「尼将軍」とも呼ばれる。
■猿田彦大神(サルタヒコオオカミ)と天宇受売命 (アメノウズメノミコト)■
アマテラスの孫のニニギが天から地上に降る「天孫降臨」のときに、ニニギに従って地上に降りた神の一人が女神のアメノウズメ。
ニニギ一行の通り道で待ち構えていて、自ら道案内を申し出たのがサルタヒコ。
なぜ、ニニギ一行の通路を知っていたかは神話は一切語らない。
アメノウズメは、アマテラスが弟スサノオの乱暴にショックを受けて洞窟にこもった時(天岩戸伝説)に一役かった。
神々は、アマテラスがこもる洞窟の外で楽しそうに大宴会をおこない、気になったアマテラスが顔を出すのを待った。
その際に、台の上で踊り狂ったのがアメノウズメ。
胸も陰部もはだけて踊ったという記述があるので、今でいうストリップと変わらない。
しかし、神々は大爆笑(なぜ?)。
アマテラスはその楽しげな声を聞いて、岩戸を開けてしまった。
そこを手力男命(タジカラオノミコト)という力持ちの神が引き出し、岩戸を再び閉めてしまう。
こうしてアマテラスの引きこもりは終わった。
この功績を買われ、ニニギの天孫降臨のときに随行者の一柱に選ばれる。
アメノウズメとサルタヒコは後に夫婦となった。
その後、サルタヒコはなぜか海の中で、デカい貝に手を挟まれて溺れ死んだ。
現在では、サルタヒコは道案内の神、アメノウズメは芸能の神とされる。
