御由緒をやさしく解説:伊豆山神社
神社の境内、配布物、ホームページなどに記載されている、御由緒の文章をそのまま掲載すると著作権の侵害になる恐れがあるため、原文などは記載しておりません。ご了承ください。
また、御由緒の文章の説明だけでなく、重要な歴史、補足などを加えています。
【創建時期】第5代・孝昭天皇時代(紀元前5〜紀元前4世紀)[伝承]
【式内社?】○/「火牟須比神社(ほむすびじんじゃ)」として記載。
【一の宮?】×
【近代社格制度】国幣小社(こくへいしょうしゃ)
①官幣大社 ②国幣大社 ③官幣中社 ④国幣中社 ⑤官幣小社 ⑥国幣小社 ⑦別格官幣社 ⑧府県社 ⑨郷社 ⑩村社 ⑪無格社
■御由緒物語■
※昔は「伊豆山神社」と呼ばれていませんでしたが、便宜上「伊豆山神社」という言葉で説明します。
第5代・孝昭天皇の時代に創建されたという伝承もありますが、実際の創建時期は不明です。

初めは日金山(ひがねやま、ひがねさん/現在の十国峠)に創建ました。
このころは、東光寺というお寺(十国峠に現存)と伊豆山神社は一緒でした。
奈良時代から、お寺と神社は合体していたのです。これを神仏習合(しんぶつしゅうごう)といいます。
『走湯山縁起』(そうとうさんえんぎ)という歴史書によると、次のようなできごとがありました。
第15代・応神天皇の時代(3〜4世紀)に、現在の神奈川県の大磯の海岸に、木造の男の神様の像が現れました。おそらく流れ着いたということでしょう。
(応神天皇は全国の八幡宮、八幡神社の御祭神でもあります。説明は次の記事にあります。気になったら読んでください。)
これは日本最大の神像です(仏像とは違います)。高さ212センチもあります。実際は平安時代に作られたものだと考えられます。
おそらく、この像をどこかに祀ったのではないかと思います。このあたりは詳細不明です。

そして、第16代・仁徳天皇(4世紀)の時代になると、この像が空を飛んで日金山までやってきました。みなさん、驚いたことでしょう。
そこで日金山東光寺(伊豆山神社含む)にこの神像を祀りました。
この像は伊豆大神とも呼ばれます。
その後、現在の伊豆山神社本宮に移転しました。時期は不明です。

第33代・推古天皇の時代(6〜7世紀)には、「走湯権現(そうとうごんげん)」と呼ばれるようになりました。

「権現」とは「仏様の仮の姿」という意味です。仏教の影響が強いです。
伊豆大神も、仏様の仮の姿だと考えられたのですね。
名前から考えると、この頃から温泉との関連があったのでしょう。
「伊豆(いず)」という地名は、「湯出づる(ゆいずる)」に由来します。

なお、走湯温泉については、修験道(しゅげんどう/山で修行する信仰)を始めた役小角(えんのおづぬ)が発見したという説もあります。

しかし、推古天皇より後の時代の人なので、先ほどの話と時代の辻褄が合わなくなってしまいます。真相は不明です。
役小角(えんのおづぬ)は、伊豆山神社でも修行をしていました。
空も飛べたすごい人です。毎日、伊豆山と伊豆大島を空飛んで往復していました(という伝説があります)。
その縁で、今でも階段の途中の末社に役小角が祀られています。

さらに836年(第54代・仁明天皇の時代)に、賢安(けんあん)というお坊さんが現在の場所に伊豆山神社を移しました。

平安時代後期(12世紀頃)には、修験道の修行場所としても有名となりました。神様の力は、伊豆の島々や箱根や富士山にまで及びました。
なお、伊豆山と箱根を合わせて「二所(にしょ)」といいます。
後白河上皇(1127〜1192)が編纂した『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』という本には、「四方の霊験所(しほうのれいげんじょ)」のひとつとして、伊豆山神社が載っています。
『梁塵秘抄』というのは、当時のヒットソングの歌詞を集めた本です。
後白河上皇は流行歌が好き過ぎて、自分でヒットソング集を作ってしまったのです。

今なら、天皇陛下がMrs. GREEN APPLEや米津玄師やYOASOBIなどが好きすぎて、自らヒット曲の歌詞を集めた本を出版してしまったようなものです。
そんなわけで、当時のヒットソングに歌われるくらい、修験道の聖地としても伊豆山神社は有名になりました。
仏教の影響を受けた神道(しんとう)を学ぶ道場としても有名でした。
紀伊半島にある熊野神社の信仰とも協力関係になりました。
そして全国に伊豆山の信仰も広がりました。
同じ頃、ここで修行した末代上人(まつだいしょうにん)という人がいました。
この人は、何度も富士山に登頂して神様にお参りをし、富士上人(ふじしょうにん)と呼ばれるようになりました。
富士上人は、鳥羽上皇、貴族から民衆にまで協力を求めて、この世に存在する全ての種類のお経を書き写して、富士山に奉納(神様に捧げること)するという大偉業を達成しました。
伊豆山から富士山にかけてはひとつのまとまった信仰の場となりました。
平治の乱(1159年)で平氏に敗れた源氏の棟梁・源頼朝は伊豆に幽閉されていましたが、妻の北条政子とともに伊豆山神社に深い信仰を寄せて、平氏打倒に成功します。
これは伊豆山神社の神様の力のおかげでもあります。
そして、源頼朝は鎌倉幕府を開き、征夷大将軍になりました。
幽閉の身から国のトップへ。これはもう東国王権神話と言ってもいいでしょう。

これ以降、鎌倉幕府の将軍は二所詣(にしょもうで)として、伊豆山神社と箱根神社を参詣するようになりました。
(実際は三嶋神社にも参拝します。)
こうして伊豆山神社はますますパワーアップし、武士を中心として特別な神社としての信仰を集めることとなります。
戦国時代になると、小田原に拠点をおいた北条氏(初代・北条早雲)からも篤く信仰されました。
江戸幕府の徳川将軍からも信仰され、ますます発展しました。
武士が誓いを立てたり、誰かと約束したことを表明する、起請文(きしょうもん)という文書には、必ず伊豆山神社の名前を書き、伊豆山神社の神様に誓うことになりました。
伊豆山神社に誓う形になっていない起請文は相手にされませんでした。
次に伊豆山神社と和歌との関係について触れます。
話は鎌倉時代に戻ります。
伊豆山の神様の力を讃えて、鎌倉幕府三代将軍の源実朝は参詣のときに、次のような和歌を読みました。
【原文】
「伊豆山の 磯のあま人 かづくとて 浪間を分くる 袖かとぞ見る」
【意味】
伊豆山の磯で海人(あま)が潜って海の幸を採るために、波をかき分けている。その姿を見ていると、まるで袖をひるがえして波を分けているように見える。
この和歌は、源実朝自らが編纂した和歌集『金槐和歌集』に収録されています。
他にも、平安時代の女性歌人の相模(さがみ)、鎌倉時代の女性歌人の阿仏尼(あぶつに)もお参りして、和歌を百首つくって奉納しました。
これが由来となって、昭和から、旧暦で8月15日にあたる「中秋の名月」の日には熱海市主催の伊豆山歌会が毎年開かれるようになりました。
※2025年の伊豆山歌会は10月6日(月)です。
昼:「ハートピア熱海」にて歌会・講演・授賞式。
夜:伊豆山神社にて古式ゆかしい十五夜祭(現代歌壇で活躍する歌人による献歌、献奏、実朝の舞奉納ほか)。
明治政府の神仏分離令によって、伊豆山神社という、現在の名前になってからも神様の力は消えることはなく、1914年(大正3年)1月13日には当時は皇太子だった昭和天皇が、1980年(昭和55年)には当時皇太孫だった現在の天皇陛下が参拝されました。
【終わり】
いつの頃からか、伊豆山神社・十国峠・箱根神社の下に眠る巨大な龍がいるという伝説が生まれました。
いちおう、次の記事が少しそのことに触れています。くだらないことも書いてあるので、腹が立ちそうならスルーしてください。
