【小説】8月某日の夢 第11話
「………………はぁ、ようやく帰してくれましたね」
「………………………………夏芽さん?」
「まぁ、俺を驚かせようとした割にはやり過ぎだし、短気なアイツにしては言い過ぎでしたよね。自分から絡んでおいて、正論を言われたり、否定されたりすると、ちょっと荒っぽい言葉で言い返すっていう…………。でも、あの、そういうやつなんで、気にしないでください。俺も昔から困ってて…………」
「………………………………………………………………夏芽さん?」
「………………………………夏芽さん、大丈夫、ですか?」
私がかろうじてできたのは、
首を横に振ることだった。
口を開けば、不規則に息を吸うことしかできない。すごく、苦しい。
もう、濡れた頬を拭い切ることのできるものは持っていない。
喋れない、呼吸も整わない。目が腫れて痛い、顔が熱い。もう辛い。
「え、えっと……そこで一旦休みましょうか」
慌てた声の紬貴くんが、ゆっくりと手招きをした。
顔を覆った私の手を引いて、和菓子屋の前に置かれていた長椅子に座った。
それからどのくらい時間が経ったんだろう。
でも、周りの景色は変わらない。ずっとずっと夕暮れのまま。
その間、私たちは何一つ喋らなかった。
私はひとしきり泣いて、紬貴くんは私の背中を優しくさすってくれた。あの夏祭りの時みたいに。
「…………ごめんなさい…………」
「いえ、気にしないでください……」
落ち着いたのは、それからまた時間が経った頃だった。
だいぶ呼吸が整ってきたけど、相変わらず擦りすぎて顔が痛かった。
「その、怖くて……少しパニックになっちゃって」
あの後、からかってきたクラスメイトと喧嘩になってしまった。
短気でヤンチャな人だと知っていた。暴言を吐かれ、怒鳴られるだろうとも思った。分かっていたから、泣かないようにしていたのに。
他のクラスメイトたちが慌てて止めに入っていて、そこで思わず泣き出してしまった。すごく怖かったし、私は酷い言われようで、聞いていて悲しくなった。自分が思っている以上に限界が来ていた。
「あの、本当に気にしないでください。アイツは、そういうやつなんです」
「ありがとう………………。でも、気にしないなんて無理だよ」
私はそう言った。また涙が溢れそうになる。
「私、すごく苦手なんだよ。ただ友達といるだけなのに、付き合ってるとか恋人だとか言ってからかわれることも。暴言ばかり言われるのも、すごく辛い。昔、それで怖い思いしたことがあったからさ。気にしないで過ごせれば、1番良かったんだけど」
3年前よりも前から言われている。気にするなって。でも、辛いものは辛い。悲しいと感じるものは、どこまでいっても悲しいままだ。
「……まぁ、そうですよね。すみません、軽率でした」
「あ、ごめん! 謝らせたかった訳じゃなくて……」
違う、違うんだよ。私は、ただ。
「私、私は、さ…………」
「ずっと紬貴くんと一緒にいたかったから」
言い切ったところで、涙が溢れてきた。
「紬貴くんは優しいし、みんなと仲良くできるから。私のこと理解してくれたのも、紬貴くんだけだったから。だから、この先もずっと友達でいてほしくて」
だけど、
「でも、こうやってからかわれて怖い思いをしていたら、きっと今まで通り仲良く過ごせることは難しくなるな、って。だから、気にしない方が良かったんだけど、私は嫌だから気にしちゃうし、何せよ怖くて……」
上手く話せているか分からなかった。だけど、ちゃんと自分のこと言わなきゃ。自分の思っていたこと、今言っておかないと。言える機会を逃したら、また同じ後悔する。
「本当は、前にも紬貴くんと一緒にいることをからかわれたことがあって。すごく怖くていろんな人に相談して、でも上手くいかなくて…………『相手がそういう人なんだから仕方ない。からかわれることを気にする方が悪い』とか……」
本当は、ここまで言うべきじゃなかったかもしれない。
でも、今の私にとって話せる場所がもうここにしか残っていなかった……
「えっ……」
ずっと黙っていたままだった紬貴くんが口を開く。
「そんなことを……言われたことが、あったんですか?」
私は頷いた。
もう、3年前のことだ。
3年前。
小学生の頃によくいじめられていた私は、地元の中学校に進学することをやめて、別の中学校を受験して入学した。だから、周りは全員知らない人だった。
昔から友達ができず、友達の作り方すら知らない。そんな私は、いつも1人で過ごしていた。本当は、1人でいるのは嫌いだった。すごく寂しかった。
だけど、1人でいることしかできなかったから、1人でいた。
話しかけることができなかった。緊張したし、怖かった。誰かのそばにいることさえままならなかった。
周りの人、みんな友達がいる。いつも1人でいる人も見かけるけど、その人は1人が好きだから1人でいる。それが当たり前だった。きっと、私も1人が好きな人だと思われていた。
……美術部も、ラクそうな部活だったから入っただけだった。
そんな中、私は紬貴くんに出会った。
課外活動からの帰り道で、私は紬貴くんから話しかけられた。
初会話だったから緊張したけど、思いの外気が合って話が盛り上がった。たくさん話してしまった。今までは一気にたくさん話すと、相手に嫌がられてしまうことが大半だった。だけど、紬貴くんは違った。頷いたり『俺もそう思います』と反応を見せながら、最後まで話を聞いてくれた。友達との会話がここまで弾むのは、本当に初めてだった。
それに、紬貴くんはその後ずっと仲良くしてくれた。その日限りの友達関係なんかじゃなかった。絵を描くことが好きだと知った私は、ぜひ絵を見せてほしいと言った。謙遜しながらも、紬貴くんは見せてくれた。昼休みの時や部活の時に描いていたあの絵を、何枚も。本当に感動した。紬貴くんに憧れた。
だから、私は絵を描き始めた。部活にも、真面目に取り組み始めた。ただ折り紙を折るだけの日々も少しずつ変わっていって、たくさんの折り紙が画用紙やキャンバスを彩るようになった。
紬貴くんが私にくれたのは、それだけではなかった。友達を紹介してくれたり、まだ教室の場所が覚えられなかった頃は案内もしてくれた。集団の中に入るのが苦手な私を、引っ張って連れて行ってくれた。紬貴くん以外に話せる人も、日に日に増えていった。
いじめられて嫌われてきた私が紬貴くんの隣にいて良いのか、そんなことが心配になった日は『俺たちは友達じゃないですか。むしろそばにいてくれて嬉しいです』と言ってくれた。絵を描く仲間がいなかったから、絵を描くことを好きになってくれて嬉しい、とも…………。家に帰った後、嬉しくて泣き出してしまった。
1人でいる私のことを心配してくれた先生も、このことを知って嬉しそうに笑っていた。友達ができたことが嬉しくて、先生にもよく話しかけに行ったっけ。
本当に楽しかったし、幸せだった。月曜日が待ち遠しかった。
ずっと、こんな日が続くと思っていた。
からかわれ始めたのは、突然のことだった。本当の3年前は、紬貴くんと夏祭りに行っていない。だから、からかわれたきっかけなんて決定的なものはなかった。
移動教室の授業が終わって、教室に帰ってきた時だった。紬貴くんと入るなり、大声で『お前らラブラブだな〜!!』と。指をさして、分かりやすく指でハートまで作って。周りの友達と笑っていた。
それで私は傷ついた。怖くて、その場から逃げ出した。そして、すぐに泣き出した。紬貴くんは、何も気にしていなかったけど。
…………というのも、当時私はからかわれることに怖い思い出があった。
男子の友達というのは、紬貴くんが初めてではない。ただでさえ友達がいなかった小学生の頃に、1人だけ仲良くしてくれる友達がいた。心優しい男子だった。
すごく仲良かった。よく話しかけに行った。でも、それがいじめにつながった。
どのくらい仲が良いのか、何の話をしていたのかなんて関係ない。ただ男子と女子が一緒にいれば恋人扱いで、いじめの対象になる。当時は、流行っていた。
からかわれたり、黒板や机にいたずら描きされるだけでも辛いのに、当時のいじめっ子たちは加減を知らない。私がいじめっ子に文句を言いに行った時は、暴言どころか暴力も飛んできたものだ。
担任の先生にも、何度も相談した。だけど、先生はすっかり諦めていた。
結局、優しかった男子友達とは関わることが減っていき、やがて会うことすらなくなった。
1人も同然になった。いじめは続き、話せる相手もいなくて、寂しかった。
寂しい思いを抱えたまま小学生時代を送っていた私。
でも、相変わらず文句を言いに行く勇気は持っていた。
ひとしきり泣いた後、私は1人でからかったクラスメイトに話しかけに行った。
どうしてからかったりしたのか、私は嫌だからやめてほしい、と言った。
………………………………失敗した。
状況はさっきクラスメイトに囲まれた時と同じ。さらに、冗談で言ってるだけだから良いだろ、の強い一点張り。でも、『言い過ぎだぞ!』『やめとけ!!!』なんて止めてくれる人はいなかった。
もちろん、そのあとは泣きながら過ごした。たった1人で。
もう辛かった。紬貴くんの隣にいたら、また同じ目に遭うんじゃないかと思ってしまった。だから、ずっと1人で泣いていた。でも、他のクラスメイトたちは、私のことなど気にしない。唯一心配そうに駆け寄ってくる紬貴くんを、私は避けて歩いた。それが毎日だった。
からかったクラスメイトは、あとで先生に注意を受けたらしい……が、だからと言って、からかうことをやめようとはしなかった。からかわれる度に私は逃げ出して、泣きじゃくった。
いつか、またいじめられると怯えていた。もう嫌だった。
少しでも助けてほしくて、このことを周りに相談した。だけど、とにかく上手くいかなかった。
『相手がそういう人なんだから仕方ない。からかわれることを気にする方が悪い』
『冗談で言ったことを真に受けるから、辛くなるだけでしょ?』
『そうやって人の欠点ばかりに注目するから嫌われたんだよ』
悪いのはあなたの方だ、と聞こえる言葉ばかり。
実際に辛い思いしたのは、私なのに。どうして怒られなきゃいけないの?
『別に気にしなきゃ良くない? いじめられても、無視すれば良いじゃん』
それができないから困ってる。
確かに、気にしないことが1番良いかもしれない。でも……
陰口を言われても、気にしなければ良い。黒板や机にいたずら描きされても、気にしなければ良い。暴言吐かれても、気にしなければ良い。暴力が飛んできても、気にしなければ良い。じゃあ、どうしてこんなに苦しくなるの?
周りは、からかったクラスメイトを庇うようなことばかり言った。
本当に悪いのは、私の方だったのかな……
『男子と女子が仲良くしているんだから、からかわれるのなんて当たり前だよ』
私と紬貴くんは仲が良かった。
いつもいつも話しているし、ずっと一緒にいるし…………それに、私はスキンシップが多かった。何も考えずに普通に接していたつもりだったけど。
私と紬貴くんは仲が良かった。
もちろん、私にとって、紬貴くんは本当に大切な大切な友達だった。
…………だけど、私は紬貴くんに縋っていたところもあった。
ようやくできた唯一の親友を失いたくなかったから、また1人で寂しい思いをするのが嫌だったから、何がなんでもしがみついていた。
その姿は、彼氏と仲良くしようとする彼女みたいに見えたかもしれない。
そこから私たちが、からかいたくなってしまうほど仲良く見えた、さらには本当に恋人のように見えたのかもしれない。
でも、苦しかった。辛い日々を送った。
相談しても、物事は良い方向には転ばない。ついには、『そんなにからかわれたくないなら、伊勢田くんたちに関わらなければ良いじゃない』と言われてしまった。
それでポッキリと折れてしまった。
私は、あれほど大切だった紬貴くんを、ずっと一緒にいたいと願った紬貴くんと
関わることをやめた。
もう『ラブラブだ』とか『付き合ってるんだろ?』とか言われないように、仲良くしないようにしようとした。
紬貴くんから話しかけられても無視した。近づいてきたら逃げた。それでも声をかけてきた時は「からかわれたくないから、話しかけないで」と言った。しんどい時は、周りのことなどお構いなしに声をあげて泣きながら言った。
そして、絵を描かなくなった。紬貴くんと同じ趣味を持たないようにした。
無理にでも距離を取ろうとすること、もちろん先生にやめるよう言われた。せっかく仲良くなった友達と関係を断つ必要なんて無い、と説得された。でも、私は「からかわれ続けたら、いじめられるかもしれないから」と、なかなか言うことを聞かなかった。
お母さんにも怒られた。『夏芽は間違ってる!』って。ようやくできた大切な友達をそんなに簡単に傷つけて手放そうとしちゃいけない、って。
1人に戻ってしまうことは分かっていた。紬貴くんを傷つけていると分かっていた。あとで後悔することさえも分かっていた。紬貴くんが未だ諦めずに私に声をかけようとしてくれていることも。全部分かっていた。でも、当時の私は、なによりもいじめられる怖さから逃げることを優先してしまった。
からかわれたり、いじめられる可能性を少しでも下げるためだけに、紬貴くんと関わることを拒絶した。そんな毎日を送った。送ってしまったせいで。
紬貴くんとは、本当に関わらなくなってしまった。
話すこともなくなった。一緒に帰ることどころか、昼休みや部活で一緒に絵を描くこともなくなった。
それが、ちょうど秋に入りかけた頃だった。
紬貴くんとの楽しかった時間は、半年も満たないうちに終わってしまった。終わらせてしまった。仲直りする機会も見つからないまま。
紬貴くんとの繋がりで仲良くなっていたクラスメイトとも、一切関わらなくなってしまった。昔と同じ”1人”に戻ってしまった。
それで良いと思った。いじめられないなら、それで……。
でも、結局良くはならなかった。
ただでさえ寂しかった日々を送って、ようやく解放されたというのに、自分から戻ってしまっているから。自分を苦しめるだけだった。
自分の首を絞めることが苦しいことだって分かっていたはずなのに、いざその状況に置かれると、そこで本当の苦しさを味わった。
後悔した。あれほど恐れなかった後悔に、苦しめられた。
私は、やがて部活に行かなくなった。授業にも出れなくなった。ついには学校に通わなくなった。
その間、紬貴くんは私とは対照的に進んでいった。彼の絵は、学校のパンフレットに使われるなど学校内で注目を集めた。さらには、学校外でも……。
……羨ましかった。でも、もう一度学校に通おう、紬貴くんと仲直りしよう、とは思えなかった。学校に行くのが怖かった。紬貴くんに会うのも怖かった。
久々に学校に顔を出したのは、2年生になってからだった。
だけど、本当に時々。顔を出したり出さなかったり、授業に参加したりしなかったり…………。
ただ、勉強だけは頑張っていた。何せよ、来年は高校受験を控えていたから。
学校にも通わず、誰かと接することもほとんどなく、ただ辛い思い出を抱えて黙々と勉強をしていた。もう絵は描けなくなっていた。
その頃に出会ったのが、音楽だった。ピアノを弾いてみるようになった。私は何かに集中すると、少しだけ気を紛らわすことができるようだった。割と上手に弾くことができたから、高校の部活は軽音部に入ろうと決めた。
そうして、ほとんど学校に行かないまま3年生になった。
卒業式を迎えた。
紬貴くんと最後に話す勇気は、無かった。
だけど、帰り際。私は紬貴くんとすれ違った。
「夏芽さん、高校でも頑張ってください」
それだけ言って、通り過ぎていった。
『伊勢田は、本当に何も気にしてなかった』、あとでクラスメイトから教えてもらった。
私は、紬貴くんと同じ高校を受験していない。お互いに違う高校に行くことは確定。これからは、同じ場所で会うことができない。
仲直り、すれば良かった。勇気出して声をかければ、学校に行けば、まだ間に合ったかもしれないのに。
家に帰ってから、たくさん泣いた。
ずっと友達でいたかった。一緒にいて楽しかった。
それなのに、私は………………
ずっと、ずっと、友達として好きだった。もっと一緒にいたかった。
ずっと友達のままだと思っていたかった。
