自由を手に入れたとき、私に起きていたこと
◎母が帰るまでの2時間だけ、私は自由だった【考察】
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これは、大人になった私が
あの頃の出来事を振り返り、読み解く話です。
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あのとき私は、なぜ自由を選んだのか。
なぜ勉強から逃げてしまったのか。
あの時間には、脳が支配されるような強い中毒性があったように感じる。
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子どもの頃の私は、とにかく勉強しなかった。
理由は単純で、勉強が嫌だったからだ。
ランドセルを置き、こたつや縁側に横になる。
テレビを見ながら袋麺を食べる時間。
母がいない、その2時間だけ。
その時間は、私にとって
かけがえのない“自由”だった。
勉強を始めることは、
その自由を、自分の手で終わらせることだった。
もちろん、「やらなきゃ」という気持ちもあった。
でもそれは、成績のためでも、自分のためでもない。
ただ「怒られたくない」という理由だけだった。
算数も、国語も、正直どうでもよかった。
興味はないし、やるたびに、どこか重たい感じがした。
そんなもののために、
この時間を塗りつぶしたくなかった。
だから私は、やらなかった。
怒られると分かっていても、
その時間を守る方を選び続けた。
今思えば、それはわがままだったのかもしれない。
何もしない子、言うことを聞かない子。
周りから見れば、そう見えていたと思う。
でも当時の私の中には、
ちゃんと理由があった。
ただ、それを言葉にすることはできなかった。
もしかするとこの気持ちは、
それまでに積み重なってきた何かの結果だったのかもしれない。
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大人になった今も、親戚に言われることがある。
「みのりちゃん、よく勉強せずに怒られてたよね」
人は、笑って言う。思い出話として。
その度に、小さな痛みを感じる。
その話が出る度に、自分の中に
未だに小さな針が残っていることを
否応もなく思い出させられる。
あの時間は、
楽園だったのか、それとも逃げ場だったのか。
今もまだ、はっきりとは言えない。
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そして振り返ってみると、
あの2時間の自由は、私にとって、脳を支配されるような、抗えない中毒性を持った時間だったように思う。
それは誰にでも起こりうることかもしれない。
けれど、一つだけ条件があったように感じる。
普段の生活で、自分の好きにしていい時間が圧倒的に少なかったこと。
小学校1年生以降、勉強をやらされる時間が続き、自由に過ごせる時間がほとんどなかったこと。
そのため、突然降って湧いた自由に、私は取りつかれてしまったのだろう。
もし普段から少しでも自由があったなら、例えば「5分だけ遊んで勉強する」といった選択も可能だったかもしれない。
けれど、普段ががんじがらめの生活だと、完全な自由の時間を手に入れた瞬間、脳の働きによって抗えなくなるのではないか。
そしてこれは、私だけでなく、誰にでも起こりうることなのではないか、と私は思う。

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