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大人のお作法 その5 デビュー戦 〜旧知の年下の教育関係者からの突然の依頼 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 毎日が日曜日を謳歌している今日このごろ…

経緯
 Geminiさんに脇に付いてもらっての期待以上に知的なリタイヤ生活。

 そこに突然の電話。ドタキャンされて代打を探せず困って居るとのこと。助けを請われたら受けるのが大人のお作法。結果として年金生活者、特に注意が必要な米国年金受給資格喪失のリスク分析をしての快諾。

 電話を掛けて来た本人ではなく担当者との段取りのフェーズに進み、一つ一つ障害をクリアする作業に。ガチガチの情報セキュリティの我がスマホ。メールアドレスをセーフアドレスに登録。曰く付きのZOOMも注意深く設定。子ども夫婦と楽しく試験通話までして準備万端。

 大人のお作法実現には、それなりの手間が掛かります。そしてあるあるのリモートでの打ち合わせ前のハプニング。ドタバタ。

ハプニングを靭やかに切り抜け所望のリモート会議に臨む事に…

 サラリーマンの成れの果て迄熟したので定石を。硬くドレスコードを選んで臨みました。此方はきっちり相手はルーズと云う構図。当然終始此方のペース。10分程度の簡単な説明とやり取りで終了。質問は?と問われ、質問ではないけどテキストの解答/解説書はテキスト配布時に配って生徒が効率的に自習出来る様にしたいと要望し、快諾されました。これであっけなく会議終了でした。

緩い…

さて、月末からのボランティア。どうなることやら…

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 今回は、初日。
 連載途中になっているOB会ネタの移動シーン。その横浜駅までは全く同じパターン。

 久しぶりの横浜駅。この辺りは今でこそ別荘で楽しんでいますが、通勤通学に便利で社宅から駅前マンションと転勤を混じえて住む場所は微妙に変遷しましたが、住み慣れた街。散々会食でも利用し思い出深い。終電で帰る仲間を見送徒歩で帰宅できる快適さ。
 そんな思い出深い駅の構内を抜けて鉄道会社を変えての小一時間の電車旅。同じプラットフォームを2路線が共有する為に私の乗る路線には短い編成の列車しか使われていない事を忘れて、同病の多数の方と先頭車両に乗り込む…
 懐かしの満員電車。しかもラッキーな事に周りはなぜか若い女性ばかり。車窓からの風景と窓に映り込む女性陣のおしゃべりしながらの笑顔を素直に楽しむ… 数駅で新幹線と接続するターミナル駅に到着し、少し混雑は緩和。運良く席に座れたのでした。そして2駅、ドアが開くと足元の覚束ない

方が… 当然席を譲り引き続き見慣れた車窓からの風景を… まぁ、私も60余年前に製造された立派な御老体なんですが(笑)… それはそれのお作法。

 ぼんやり景色を眺めていると、とある川を挟んで東京サマーランドの景色が楽しめたIT企業の半導体工場にこの路線を使って通勤して居た頃の事を思い出しました。当時の半導体部門の本拠地。自宅から3回乗り換えての単線区間の駅。子どもの頃は蒸気機関車が残っていた八高線を経由しての片道2時間超えの通勤。夏、退社時に電車に乗ると蛾が車内を占拠していると云う長閑な景色。丸の内から川崎経由での勤務地。まぁ、海外駐在とか長期海外出張とかでほとんど自分のデスクには居ませんでしたが… 
 新しい仕事は順当に事業企画。仲間は川崎でそのまま別会社を作り余り変わらない仕事をしていましたが、私は仲間と離れてIT企業のど真ん中に1人で異動。仕事は面白くやる気満々だったので苦にはなりませんでした。その後新宿のマーケティングに異動、抜擢でIT企業の半導体ではなくソフト/サービス部門の本社管理職として活躍できる人生が待って居たのでした。

 その礎を築いた時期の車窓からの風景。
例えばそのIT会社のこれまた良く通った研究所のお隣さんだった青山学院さんが、そこを離れて淵野辺来たりしての風景もまた感慨深い…

 八王子みなみ野付近のトンネルも健在で楽しませて頂きました。
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横浜線は、その歴史の中で、地域社会の発展と深く結びつきながら、幾多の変遷を経験してきました。特に八王子みなみ野付近のトンネルは、その建設背景、戦争中の役割、そして戦後の地域の発展と密接に関わっています。以下に、これらの点を大学の教養課程レベルで詳説します。

横浜線 八王子みなみ野付近のトンネルの歴史、役割の変遷、戦争の影響、地域の発展

1. 横浜線の開通と初期の役割(明治末期~大正期)

横浜線は、もともと「横浜鉄道」として、横浜港から生糸の輸送を目的として1908年(明治41年)9月23日に開通しました。これは、当時の日本の主要輸出品であった生糸を効率的に輸出するための重要なインフラでした。八王子は養蚕業が盛んな地域であり、ここから横浜港へのアクセスは経済的に極めて重要でした。

八王子みなみ野付近のトンネルは、この開通時に建設されたものです。具体的なトンネル名は「小比企トンネル」と「片倉トンネル」が該当します。これらのトンネルは、丘陵地帯を貫通するために不可欠であり、当時の土木技術の粋を集めて建設されました。建設当時は、主に貨物輸送、特に生糸輸送が主要な役割でしたが、同時に沿線住民の移動手段としても利用され始めました。

2. 戦争の影響と路線の変遷(昭和初期~終戦)

昭和に入ると、日中戦争、そして第二次世界大戦へと向かう中で、横浜線の役割は大きく変化しました。軍需輸送の重要性が増し、八王子が軍都としての性格を強めていく中で、横浜線は軍事物資や兵員の輸送ルートとしても利用されるようになります。

八王子みなみ野付近は、帝都防衛の要衝として、また軍事施設の建設が進む地域でもありました。この時期、トンネルや橋梁などの鉄道施設は、戦略的にも重要な存在となり、空襲の標的となるリスクも高まりました。実際に、横浜線自体も1945年(昭和20年)8月15日の終戦までに、度重なる空襲により甚大な被害を受けました。特に、東神奈川駅や横浜駅周辺は激しい攻撃を受けましたが、内陸部の八王子みなみ野付近のトンネルは、比較的直接的な被害は少なかったとされています。しかし、資材不足や労働力不足により、路線の維持管理は困難を極めました。

また、この時期には、沿線に軍事工場や関連施設が建設され、それらの従業員の通勤輸送も横浜線の重要な役割となっていきました。

3. 戦後の復興と新興住宅地としての発展(昭和後期~平成)

終戦後、横浜線は経済復興の生命線として、その役割を再構築していきます。GHQによる接収を経て、日本国有鉄道(国鉄)の路線として再出発します。八王子みなみ野付近も、戦後の混乱期を経て、徐々に復興の道を辿ります。

1960年代以降の高度経済成長期に入ると、東京圏の人口増加と住宅需要の拡大に伴い、多摩地域は大規模な住宅開発の適地として注目され始めます。八王子みなみ野駅周辺も、それまでは農村地帯が広がっていましたが、多摩ニュータウン開発と連動する形で、大規模な住宅地開発計画が具体化していきます。

八王子みなみ野駅が開業したのは、1997年(平成9年)4月1日のことでした。この駅は、八王子市が進める「八王子ニュータウン」計画の中核として、大規模な宅地造成と一体的に開発されました。これに伴い、横浜線は通勤・通学路線としての性格を一層強め、列車の増発や車両の大型化が進められました。八王子みなみ野付近のトンネルも、これらの輸送力増強に対応するために、耐震補強や改良工事が実施されてきました。

この時期の横浜線の役割は、まさに東京圏のベッドタウン化を支える「生活路線」へと変貌を遂げたと言えます。八王子みなみ野駅周辺の人口は、開業以来著しく増加し、2020年の国勢調査では八王子市の人口が約57.9万人である中、八王子みなみ野駅の乗降客数は日々数万人規模に上ります。

4. 現在と未来の展望(平成後期~)

現在、横浜線はJR東日本の主要な通勤路線として、一日あたり約100万人(全線)の輸送量を誇ります。八王子みなみ野付近のトンネルも、日々の安全運行を支える重要なインフラとして機能しています。少子高齢化が進む中でも、多摩地域の魅力的な住環境として八王子みなみ野は一定の人口を維持しており、横浜線の安定輸送は引き続き地域の発展に不可欠です。

近年では、防災対策や老朽化対策としてのインフラの維持管理が重要視されており、八王子みなみ野付近のトンネルも、定期的な点検や補修が行われています。また、リニア中央新幹線の開通計画など、広域的な交通ネットワークの変化も、将来的に横浜線の役割に影響を与える可能性があります。

まとめ

横浜線八王子みなみ野付近のトンネルは、横浜鉄道の開通時における生糸輸送の要として建設され、戦争中には軍事輸送のルートとなり、そして戦後は大規模な住宅地開発を支える通勤・通学路線として、その役割を変化させてきました。この変遷は、日本の近代化、戦争、そして戦後の高度経済成長と都市化のプロセスを如実に反映しており、地域社会の発展と深く結びついています。単なる土木構造物ではなく、歴史の証人として、また未来を支えるインフラとして、その重要性は今後も変わらないでしょう。

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 八王子駅。ここもあずさ乗換でも、八高線乗換でもお世話になりました。駅構内のの蕎麦屋ですら時間調整でお世話に……

 それを断ち切って中央線に乗換。八王子郊外の景色を楽しみつつ所望の駅に到着。大学生、高校生、中学生も利用する駅。夏休みの土曜日にも拘らずそれなりのトラフィック。駅には立派なバスロータリーも有り、商店街も続きます。もっと閑散として居るかと思いました。駅からは数分で講習会会場に到着。

 由緒正しい学園の様です。

 私の担当授業は午後の2コマ。昼前の夏の日差しを浴びての何と授業開始予定時刻の2時間前。初日は早めに入って打ち合わせをと言われて居ましたが… まぁ半島から2時間以上の移動なので、私が休んだり遅刻しても代わりの先生は無く配慮を期待されて居ましたので良しとすることに…

 校門から講師控室までも至ってスムーズに。何もかも順調。恐る恐る講師控室に入ると… 広々とした控室。飲み物もペットボトル飲料、缶コーヒー、湯沸かし魔法瓶にはお湯、紅茶にインスタントコーヒーまで、お煎餅にスナック類、塩分補給の飴やビタミン入の飴まで。海外の会議室のイメージ。流石業界最大手と云う感じ。
 そして対応して下さったのは30そこそこの会場責任者。早着を詫びるも寧ろ不便な場所なのでハラハラせずに助かると… 担当は長期コースの理科の1コマのみ。まぁそんなもん。 二席分のスペースを与えられ授業内容の確認を余裕を持って行えました。

 さて、いよいよ…


つづく


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