わたしの転職体験 その1 社内結婚で転職 事業企画への道 鉄鋼会社研究所の研究開発支援職から開発職へ (大企業の配転は転職と同じ) ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること
文系の方も理系頭の中身を覗いて見て下さい。(笑)
【自分の人生は自分で決める】
私は上昇志向が強く、キャリアパスを常に意識して生きてきました。大学では金属工学を学びました。研究室配属も希望通りでした。担当教官はスタンフォード大学帰りの教授でした。当然英語で研究論文を書き、Physical Reviewなどの国際的な学会誌に投稿するスタイルでした。その研究室で表面物理学専攻しました。特にシリコンの清浄表面の構造と電子状態を分析機器とシュミレーションを併用して研究していました。
就職も希望通りでした。金属工学科なので王道の鉄鋼会社を希望。理工学部では当時、ドクター、マスターと推薦枠を埋めて行きます。最後に学部生。私は学部生でしたが、人気の鉄鋼会社でしたが奇跡的に希望していた会社だけ1枠残っていて、運でその枠を勝ち取りました。
(話し合い、譲り合いで調整できないと何とジャンケンで人生を(笑))
その辺りは、以下を参考になさって下さい。
このように社会人になるまでは、自分の人生は自分で決めて自分で切り開いてきました。しかし会社員を選択したが故、当たり前ですが希望は出せるものの、専ら人事部が調整役となってキャリアパスが決定される枠組みの中にハマっていました。
運と勘としつこさ
の人生です。何と配属先もど真ん中の研究所の界面解析研究室でした。表面物理学専攻としてはこれまた王道中の王道でした。本当にツイてる。
【広範な研究対象】
~構造材料、電子材料、生物まで
大学では主にシリコン表面の電子状態を研究しました。配属先では、主に透過型分析電子顕微鏡を駆使して、鋼材、鍍金(めっき)、セラミックス、プラスチックの構造解析を、また走査型分析電子顕微鏡を用いて当時まだ実用化前だった微生物を用いた汚水処理関連の生物解析を行っていました。
大学では考えられない広範な材料、そして微生物までを対象に解析。

【最先端·最高の設備】 解析機器も最先端のものが勢ぞろい。顕微鏡類、構造·状態分析機器が網羅的に。しかも毎年新規機器の購入予算が数億円と、大学では考えられない世界でした。
【充実したスタッフ】
新入社員ですが、管理職の方の指導下でいきなり技能系のスタッフの方々のマネージメントも担当しました。機器の維持管理、観察試料の用意、定常化された材料解析などまでははスタッフの方々でこなされて居ました。
大学では1人だけスタッフの方がいましたが、基本的にほぼ全てを学生がしていましたので感動しました。
【そして人生のパートナーも】
私達は主に物理系の解析を担当していました。隣には化学系の解析を担当する分析センターと呼ばれる部署が有りました。そこも我々同様のスタッフさんを伍していました。
そこに配属された同期の新入社員の方にひとめぼれしました。
運と勘としつこさ
の人生ですから、即お願い申し上げ、3年後には人生のパートナーになって頂けました。
大学を早く卒業して正解。
【他人が人生の方向性を決定】
ところが、当時は同じ部署に夫婦は配属しない時代でした。男女雇用機会均等法も無く専ら女性が部署を移る時代でした。しかし、タイミングを無視されての、人生初めて他人に人生の方向性を決められた瞬間が待っていました。
のんびり論文ドクター位取ってから総合企画部、そして役員狙いかなぁとぽんやり考えていました。そのため育成指導期間(3年間)後は、確かに総合企画部配転希望を出していました。
(直ぐは無いだろうからその前に論文ドクター取得かと。)
正に転職希望。
それが、結婚でいきなり叶ったのです。
(凄いタイミング)
中央研究所第四研究部 (新材料事業部(轄))
当時鉄鋼材料は産業の米と言われ、基幹産業のいち翼を担っていました。そして新しい産業の米として電子部品が花形分野に成長していました。そこへの新規参入を目指し全社的な新規事業開発が始まっていました。
広範な材料に関する解析の経験が有って企画希望という事で、陽のあたる新規事業経由のキャリアパスがひとっ飛びに開けました。
研究(コストセンター)から事業部門(プロフィットセンター)への華麗なる転身(笑)
ヤッター
人生は楽しい。
蛇足
この件は、私の波乱万丈の“楽しい”社会人生活の始まりでした。
鉄鋼会社は、薄板鋼板部という部署が主催でほぼ全日本車メーカーの販売を社内でします。しかも奨励金が付きます。当然自動車通勤可能で構内には駐車場が完備されていました。ですから愛車のトヨタのクレスタで通勤。これも楽しかった。
お行儀良く、力強く、静か

しかし、大径管を積んたトレーラーがブレーキを踏んで、積荷が運転席に刺さり運転手が亡くなる等の重大事故が構内で有りました。なので構内では警備部門によるレーダーによる取締が有りました。捕まるとその部署は一定期間車での通勤が禁止になっていました。
昭和的連帯責任のとり方(笑)
補
宜しければこちらもお楽しみ下さい。
