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もっちゅりんも質問箱も、大きな川に流れていった。

もっちゅりんが人気らしい。知らんけど。いや知っとるけど。

noteでも書く部のチャットでも、もっちゅりんの話題で持ちきりだ。
ところが、何度「もっちゅりん」と見聞きしても、私の感想はいつも同じだ。

「へーー」である。

凪だ。上がりも下がりもしない。心拍だったらご臨終だ。

「もっちゅりん」「もっちゅりん」と聞く度に、「へーー」「へーー」と順調に思っていたのに、最近新しい感情が生まれた。

なんでこんなにずっと、「へーー」なんだろう。

1mmも食べたいとか思わない自分って、大丈夫そ…?

思えば昔からこういう子どもだった。

小学校でモー娘。が流行り始めたとき、私は仲良しだったKちゃんと一緒に「うちら、モー娘。興味ないねんな」「顔も名前もわからんやんな」「なー」と、同盟を組んで、周囲の女子たちに謎のマウントをとっていた。

かと言ってスルーし続けるわけでもなく、人より2周遅れくらいでようやく「ゴマキ、めっちゃかわいいやん!」と気づいた。数ヶ月前の自分をお道具箱にいそいそとしまいこんで、恥ずかしげもなく「昨日のうたばん見た?」って隣の子に話しかけていた。
一方Kちゃんは中学になっても「クラシック音楽が好き」って言っていた。彼女は筋金入りだったのだ。

嵐の魅力に気づいたのも活動休止会見がきっかけだし、高校時代、Mixiは最後までやらなかったし。

今この瞬間!そんな世間ごと巻き込むビッグウェーブに、私はいつもうまく乗れない。

「みんな」「流行り」と聞くと、ただ心が半歩後ずさる。さっと目を逸らし、その辺りをあまり注目しないようにしてしまう。この気持ちは何なんだろうか。

やっぱり学校生活に馴染めなかったのは大きかったかもしれない。学校・クラスという社会で、私はいつも自分がちっぽけに感じた。「みんなで」と言われると、嬉しいより苦しかった。「みんな」からはみ出ないように必死だった。

湯船にお湯を溜めるときの、あの轟音が苦手だったのと似ているかもしれない。ママがキュッキュと蛇口を何周も捻る度に、お湯の音が段階的に大きくなり、最後は轟轟と塊になって飛び出す。ちっぽけな自分が水に吸い込まれてしまうような恐怖を感じて、幼い私は耳を塞いで別室まで逃げていった。

だから後ずさる。「みんな」や「流行」の一級河川からは、最初から距離をとる。

今noteの街のもっちゅりん的存在感である「質問箱」も、大きな流れに圧倒されているうちに数週間が過ぎてしまったな…とほほ。

……でも、私だって、もっと早く嵐の魅力に気づきたかった。
今こうやって文章を書きまくっているんだから、SNSの波も、早く乗っておけばよかった。
質問箱も、後悔するのかな。するんだろうな。わかんないけれど。

たぶん私は、何か「ここぞ!」というタイミングが必要なんだと思う。バンジージャンプを自分のカウントで跳ぶみたいに。たまたま目にした嵐の休止会見で感動したとか、子育ての手が空いて、家族のことを文章に書き残したいって思ったとか。

大きな川は怖い。
でも、私だけの特別な波なら乗りたい。

今も、納豆卵かけご飯をねっちょりと食べながら、私はキーボードを叩いている。もっちゅりんも食べず、質問箱の告知もろくにできず。

ねっちょり書きながら、私だけの波を待っている。



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海沼 衣々花|よく生き、よく書く人 書くを仕事に。一歩踏み出したばかりです。 毎日ヨタヨタ、おろおろ書いてます。 サポートいただけると跳び上がって喜びます。 コーヒーをご馳走していただくお気持ちで、お待ちしてます☕️