ゲームから戦略性が消滅した歴史的背景【ネットとソシャゲの罠】
ゲームが市場に浸透してから、もう30年は経っただろうか。いろんなゲームが出てきた。だが、こう思っている諸兄もいないだろうか。
「ゲームは昔のほうが面白かった」。
これを単なる懐古と一蹴するのは簡単である。だが果たして本当にそれだけだろうか。
結論から言おう。
「集合知による攻略の飽和」と「課金による思考の省略」。
この2つがゲームをつまらなくした最大の要因なのではないだろうか。
今回は、この2つの怪物が、いかにして「試行錯誤する楽しさ」を市場から駆逐したかを紐解いていく。
集合知という怪物が試行錯誤を食い潰した
ネットが「答え」を即座に垂れ流す
ネット以前は皆、試行錯誤して楽しんでいた。
攻略本片手に、必死に攻略法を考えたり、友達と一緒に相談したりする時間が、ゲーム体験そのものだった。
しかしいまは、ネットが答えをすぐに出す。攻略サイトを見れば一発だし、Youtubeには丁寧な攻略動画がわんさか出てきて、Xでも瞬く間に情報が拡散される。謎解きも、隠し要素も、発見の喜びは一瞬で奪われる。
「不親切」という遊びの余白が消えた
昔のゲームは不親切だった。どこに行けば良いのか分からない。ちょっと別の所へ行ったらすぐに強い敵が出てきてゲームオーバー。だが、そういう不親切さごと、ハプニングとして面白かったのだ。
対して今は、丁寧になりすぎている。次はここへ行って、あれをやって。全部マーカーで表示される。息苦しい。自分でやるから良いよ、と画面に向かって言いたくなるような鬱陶しさがある。
だが、開発側もこうせざるを得ない。今のタイパ重視の社会では、このくらいお膳立てをしないと、ユーザーに面倒がられて即座に離脱されてしまうからだ。
正解のコピペ化が招いたコンテンツの短命化
3日でTier1が確定する異常な世界
戦略ゲー、対戦ゲーにおいて、特に「正解のコピペ化」が顕著になってきている。どんなに強い構築を思いついても、3日も経てばSNSでTier1が決まり、誰かが開発した「勝てる構築」なるものが広まる。
攻略情報の伝播速度が数日、数時間になった今日、これが強い、これが正しいという考えが瞬時に固定化される。「強い=正しい」という考えが、日に日に支配的になっていないか。
ここで関連記事として、本当の「戦略ゲーム」とは何なのかについて、詳しく考察した記事を挙げておく。本記事とセットで読むことで、さらに理解が深まるだろう。
「思考」をコストと見なす社会の病理
昔のゲームが面白かったのは、自分なりの工夫があったからではないのか。
皆が同じ答えに、思考停止でたどり着いては意味がない。
ただ、今の人間は正解こそが貴く、勝てなければ意味がないと思っている。コピペされた正解を、全員が同じように呟く。そこに試行錯誤はない。あるのは、全員が同じ作業をなぞるだけの作業ゲーである。
それが果たして楽しいのだろうか。答えはNoだろう。現に今のコンテンツの消費速度はあからさまに早く、次から次へと乗り捨てていく。情報の早さが、飽きの早さに直結しているのは言うまでもない。
現代社会がゲームを破壊したのだ。昔は考えることが楽しかった。今はどうだ、なにをするにもタイパ、タイパ。考えるより先に、誰かが出した正解がもう既にあちこちに転がっている。「思考」がコストとされる社会に、未来なんてない。
タイパについては、こちらの記事で詳しく語っている。
ソシャゲという集金装置が戦略を去勢した
Pay to Winという戦略の放棄
以前は、勝つためには考える必要があった。システムの中で、どう立ち回ろうか考える。それが楽しかった。
だがソシャゲの台頭により、Pay to Winという概念が登場した。勝つためには金を払え。さもなくば時間を掛けて泥水を啜れ。こうして戦略ゲーは、その中身である「考える」というプロセスを自ら手放した。
開発者も「攻略」に屈服した
企業は、ソシャゲのほうが儲かると、ある時から知ってしまった。儲からないゲームを何年も掛けて作っても、ネットの集合知によって攻略がすぐに出回って飽きられ、すぐ売れなくなる。それなら、中身のないソシャゲを作ってユーザーを搾取したほうが、商売として楽だ。
ネットによる攻略の飽和に対抗することを諦め、思考させない集金装置を作る方へ舵を切ったのだ。
ガチャという脳内麻薬
かつて、我々は考えること、そして上達することでドーパミンを得ていた。
しかし今は違う。ガチャを回すことでドーパミンを得ている。
過程を楽しむのではなく、結果だけを金で買う。そこには戦略も、試行錯誤も、成長もない。こうして我々は、思考することをやめ、ただ画面をタップして金を払い続けるだけの、ゲームの奴隷になったのだ。
余談だが、かつてはソシャゲにも、高度な戦略性を持つゲームが存在した。『ドラクエライバルズ』だ。この「稀代の戦略ゲー」がいかにして市場から駆逐されたかについて知りたい人は、以下の記事を読むといい。
結論:今後「考えるゲーム」は復活するのか
効率化の果てにある揺り戻し
現状は絶望的だ。タイパ至上主義と集金システムの完成により、思考するゲームは瀕死の状態にある。だが、歴史は常に揺り戻す。全てが効率化され、正解が瞬時に手に入る世界に、人間は遅かれ早かれ飽きるだろう。不便なキャンプが流行するように、あえて時間をかけて悩み、苦しむことが「贅沢な娯楽」として復権する可能性はゼロではない。
予想外の未来を座して見守ろう
未来は誰にも予測できない。AIが思考の去勢をさらに加速させるのか、それともAIが契機となって、試行錯誤を楽しめる新たな遊びが生まれるのか。いつでも予想外なことは起こり得る。だからこそ、過度な期待も絶望もせず、この混沌とした市場の行方を座して見守ろうではないか。
