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【歴史小説】寧らかの波 第二章(1)「早々と怖気づいたか、小僧っ子」


ここまでのあらすじ

 16世紀。
 異国の血を引く楠葉くすば入鹿いるかは、淡路国あわじのくに沼島ぬしまで育ての親ジイや幼馴染おえいと穏やかに暮らしていた。
 ところがある日、突如ジイに襲われ、とっさに反撃してその命を奪ってしまう。
 同時に沼島は武士の船団に囲まれ、管領かんれい細川ほそかわ高国たかくにと美貌の明国みんこく人・宋素卿そうそけいが現れる。
 かつて細川の戦友だったジイは、住民の命と引き換えに、剣の技を授けた入鹿を差し出す密約を交わしていたのだった。
 連れ去られるように故郷を離れ、宋素卿と行動をともにすることになった入鹿。果たして彼を待ち受ける運命とは……

本編

第二章
 
     一
 
「確かに京に似ていなくもないが、あまりに小さ過ぎるな」
 いち坂川さかがわ沿いの上竪かみたて小路こうじを歩きながら、宋素卿は言い放った。
「条坊で言えば、多くても三つか四つだ。あちらでは九条四坊に加えて、北山きたやま東山ひがしやま鳥羽とば伏見ふしみにまではみ出している」
 くくり袴に脛巾はばきを巻き、菅笠すげがさをかぶっていた。振分ふりわけ荷物を首から提げ、打刀うちがたなを帯に差した姿は、まずもって旅の牢人にしか見えない。
「まアもっとも都とて、上京と下京の間なんぞは、蕭々しょうしょうたる野っぱらに過ぎんが!」
 こいつはさっきから、何を一人で喚いているんだろう、と入鹿は首をひねった。
「宋殿、ややお声がお高いようで」
 小者こもの平七へいしちが、周囲に気を配りながらたしなめた。素卿は尖った小鼻を反らしつつ息を吹いてみせた。
「あのなあ平七。私は別に難じているわけではないのだぞ。この町は京の夢を描こうとしているのだから、むろん良い所ばかりを集めている。裏側のない張り子のようなものだ。醜い所、見たくない部分、というものがない」
 得々と話し続ける言葉は、とても異国人のものとは思われなかった。
「それはそうだ。新しい苗を植えようという時に、わざわざ腐った根まで移し替えようとするやつはおるまい。そういった暗部は、ただ自然と生まれてしまうものだ。だが恐らくこの町は、都ぶりの汚泥が溜まるには小さ過ぎ、なおかつよく治められ過ぎている」
「しかし、近ごろは『西の酒呑童子しゅてんどうじ』が出るという噂もあるようですが」
 言い返すでもなく、平七はぽつりとつぶやいた。
「京の夢?」
 入鹿は聞き咎めて繰り返した。
 素卿は歩みを止めないまま振り返り、優美な目尻を細めてみせた。
「ああそうだ。大内おおうちは、内と外、二つの夢を見ている。一つは、ここ山口やまぐちに都の幻を映し出そうという夢。もう一つは、海の外から唐土の物心を取り込み、この町で花と咲かせようという夢だ」
「大内義興よしおきというのは、足利あしかが公方くぼうの四天王のうち一人だと言ったな」
 ジイの最後の言葉を、入鹿は片時も忘れたことがない。が、前方へ向き直った素卿は、もうそれには答えようとしなかった。
「あんたの主人の細川が、この天下でただ一人恐れていると言っていた」
 食い下がるように言い重ねた。
「ああ、そうだよ」
 平七が代わりにうなずく。するとそれに釣り込まれるように、素卿はもう一度きつい目で振り返った。
「おい。減らず口に気をつけろ、小僧っ子。平七も間違えるな。細川殿は、別に主人ではない。私は京兆家けいちょうけの客分だ。そうして永正度えいしょうど遣明船の正使を務めたほどの人間だ。まあ、お前のようにド田舎の小島で育ってきた者には、人の格の上下というものさえわかるまいがな」
「あんた、明国人なんだろう? 初めから思ってたが、ずいぶん俺たちの国の言葉がうまいんだな」
「宋殿」
 平七はもはや焦りを隠せない。うろたえた様子で、左右へ首を振り回している。
「ここは敵地のど真ん中ですぞ。どこで誰が聞いているかわかりません。その者が、あるいは大内の耳へ入れるやも」
「フン、むしろ敵の統治ぶりを褒めてやっているのさ。別にここへ長居するわけでもない。聞きたいやつには聞かせてやればよかろう」
 入鹿は、京という町にてんで馴染みがない。
 幼いころも、河内かわちさかいにばかりいて、ついぞ行ったことがなかった。そこには天子や将軍がいるが、海もなく空も狭く、焼け跡と流民ばかりの場所だと耳にしていたので、憧れなど持ちようもなかった。
 が、目の前の山口という場所が、そこを模したものだとすれば、それほど悪くないのかもしれない、という気がした。堺ほど人で溢れ返ってやかましくはなく、整った静けさと気品のようなものが感じられる。
「どうやらこの川を鴨川かもがわに見立てているらしいが、浅瀬もいいところだ」
 素卿は指先を振り立てつつ、まだ高説を続けていた。
 土手の下に覗き見える流れは、両側から草の川原に迫られ、確かに狭苦しい。ひと跨ぎとはいかないが、たやすく飛び越えられそうな気さえする。
 ただ岸に沿って続く桜並木が、そこへ差しかけている紅葉の鮮やかさばかりは、目を離せないほどだった。
「もっとも京の都とて、明国の城一つの足元にも及ばんがな! 順天府じゅんてんふ応天府おうてんふはもちろんのこと、杭州こうしゅう紹興しょうこう寧波ねいは。どこを取ってもその雄大さにおいて、この国のあらゆる町をはるかにしのいでいる」
「あれが大内館に、築山館つきやまやかたです」
 平七が筒袖の腕を伸ばし、水堀に囲まれた土塁の上を指し示した。
 瓦塀を巡らし、切妻きりづま破風はふのついた棟門むねもんが開いている。その左右に薙刀を手にした番士が立ち尽くし、町の静謐を司るような物々しさを漂わせていた。
「やはり京の室町むろまち御所ごしょを模した、という話ですな。なんせ先代から、大内は何か事が起これば大軍を引き連れて上洛し、さんざ畿内の政情を引っ掻き回してきましたゆえ」
「あそこへ忍び込むのか」
「どうした。早々と怖気づいたか、小僧っ子」
 素卿がまた振り返り、冷笑を浮かべた。とにかく口が悪い。自分で言うほど大物らしく思われないのは、そういうところだろう。
「明国への使節ともあろうほどのお方が、自分で匪賊ひぞく並みに手を下すってわけか」
「私の目でしか、見極められないものがあるのでな。段平だんびらものを振り回すのは、お前の役割だ。そのためにケシ粒のような命を、永らえさせてやっているのを忘れるなよ」
 どうであれ、ジイの命を奪ったのは確かにおのれだ。だからこの一身は、どうなろうと構わない。
 しかし、沼島の者たちの命が人質に取られている。こいつが卑劣なのは、とっくにわかりきっていることだ。
 入鹿は、今は深く考え込まないよう努めるしかなかった。
「眉間に皺が寄っておるぞ、楠葉」
 平七が大きな口を開け、努めて明るく笑ってみせた。
「そいつは根暗なのさ」
 やはり平気で、人の気を逆撫でするようなことを言う。
「まア案ずるな。何も私たちだけでやり遂げようってわけじゃない。前もって、向こう側にもちゃんと味方を作ってある」
「向こう側?」
「いかに義興が名君名将だろうと、この天地に一人の敵もいない、なんてことはありえん話さ! そうであればこそ、我らにもまだ勝ち目は残っている、というわけだ」

 館の背後には、なだらかな山の稜線が伏せている。
 その麓に沿って、往古の墳丘の裾野を東へ巡ってゆくと、広々とした寺の境内に出た。
 仏殿、講堂、鐘楼、宝塔、庫裏くりなどが立ち並び、松林で飾られた苑池も備えている。山腹まで点々と続く赤土色の小屋根が、黄色と緑の葉叢に半ば覆われていた。
「やはりこちらの瓦は赤いですなあ」
 と、平七はまた独りごちていた。
「ここはどこだ」
 入鹿はどうにも落ち着かず、辺りをしきりに眺め回した。
「大内氏歴代の菩提寺、氷上山ひかみさん興隆寺こうりゅうじだ。まあ敵の裏庭のようなものよ」
「大丈夫なのか、そんな所までのこのこやってきて」
 素卿は横目でこちらを睨み捨て、女じみた顔に冷笑を浮かべた。
「鈍いな! 言ったであろう、向こう側にも味方を作ってあると」
 東司とうすの横を通り抜け、竹林の中の小さな庵へ近づいていくと、半開きの舞良戸まいらどから小さな人影が現れた。
 それがわざわざ、沓脱石を踏んで降りてくる。頭を剃り上げているのか、もう生えてこないのかわからないくらいの老僧だった。
「宋殿、お久しゅうございます」
禅師ぜんじ、わざわざ痛み入る」
 二人して丁寧に拱手きょうしゅし合っている。互いに明国人の仕草だ。
「こちらは宗設そうせつ禅師だ。この寺は禅林ではないので、住持ではあられないが、周防国内では並ぶもののない学識を持っておられる」
 傲慢なこの男が、らしくもなく人を持ち上げていた。
 入鹿は、ほとんど相手の顔を覗き込んでいた。ぶよぶよとした皺ですぼんだ、梅干しのような顔の老人だった。袖の長い墨染衣すみぞめごろも壊色えじき絡子らくすを掛けている。何と言うこともない、平凡な僧侶としか思われなかった。
「大内介は今、確かに安芸へ出征しているのですな」
「さよう、来月の初頭までは帰ってきますまい。とは言え、ここではいかにも人目に立つ。中へお入りなされ」
 促されるままに、一行は庵室の中へ足を踏み入れた。
 弱い日差しが斜めに落ちていた。毛羽立った板敷きに、しとねほどの大きさの置き畳があるばかりで、ひどくがらんとしていた。
 四人で上がり込むとどうにも狭苦しかったが、素卿は構わず明かり障子の前に腰を下ろした。入鹿もぎこちなくそれに倣う。平七は簀子の濡縁に立ったままでいた。
「我らはともに明国人でな」
 素卿は問わず語りに話し始めた。
「しかし、禅師は順天府、私は江南の生まれゆえ、まるで言葉が通じない。かえってこの国の言葉で話したほうが、手っ取り早いというわけよ!」
 妙にはしゃいでいる。だとすれば、この萎びきったような老僧が、さっきから言っていた「味方」なのだろう。
「で、決行は」
「今宵だ。こういったことをぐずぐず遅らせるのでは、かえって危うい。疾風はやてのように割符を奪い、そのまま筵帆むしろぼを膨らますように立ち去ってくれる」
「おい。あんたが何を仕出かそうとしてるのか、こっちにもそろそろ伝えておけよ」
 入鹿は思わず口を挟んだ。二人は無言でこちらを見返してから、互いの目を見交わし合った。
「この者が」
「いかにも、畠山卜山の秘蔵っ子だ。阿波者どもが息をしていれば、右京兆殿の命を奪うために、こちらへ差し向けられていたのかもしれんな」
大不里士タブリーズ辺りの顔立ちか」
 老僧は、聞いたこともない響きの言葉をつぶやいた。
「ずいぶんと若いようだが、腕は確かなのでしょうな」
「それはもう、泣く子も黙る倭寇の直系であるからな」
 馴れ馴れしくこちらの肩を叩いてきたので、入鹿はひどく驚かされた。そのような仕草は初めてのことだった。
「こっちの平七が、体でよくわかっている。これでも細川家中では、一二を争う勇猛で鳴らしたつわものだ。それがこの童に、ころころと床へ転がされてしまったのだからな」
 背後で平七が、裸足で縁側をとんとんと踏む音が伝わってきた。
「お恥ずかしい話ですが、この者の腕前については、拙者が請け合い申す」
 船で沼島を出てから、入鹿は兵庫津ひょうごのつを経て堺へ連れてゆかれた。幼いころの思い出にも増して、賑やかで騒がしい町だと思った。
 そこの館で、細川の中間ちゅうげん小者たちとさんざん仕合わされた。木刀での立ち合いだったが、舐めてかかってくる大男たちを、入鹿は片っ端から叩きのめしていった。
 この異人がっ
 といきり立って向かってくればくるほど、その動きには無駄が生じ、愚かしいほど隙だらけになる。
 何も考えはしない。ただ体が動くままに任せるだけだったが、こちらは一撃も浴びせられることはなく、かえっておのれの太刀筋は男たちの脳天を割り、鳩尾みぞおちを突き、脾腹ひばらや肩の骨を砕いた。
 高国と素卿はひどく上機嫌で、
 卜山の置き土産は悪うない、ならば日取りを早めて山口へ発とう
 などとうなずき合っていた。
「倭寇とは何だ」
 入鹿は尋ねてみたが、目の前の明国人二人は何も答えなかった。
「とは言え、場数が足りておらんことは否めない。時さえあれば、本当はもっと実戦を積ませたいところだった。ちょうどそこの仁保川にほがわを渡った向こうに、『西の酒呑童子』が出るという雑説も流れているのでな」
「酒呑童子?」
 入鹿はまた、一つ覚えのように繰り返すしかなかった。
「教養のないお前などには、わからんか、ええ? 平安の昔、京のいぬい大江山おおえやまに盤踞し、都へ繰り出しては悪事を繰り返したという鬼の頭目よ。それほどではあるまいが、夜な夜な人を襲っては食う鬼が出るという話がある」
「人食い鬼か」
 話くらいでしか聞いたことがないが、本当にそのような化け物がこの世にいるのだろうか。
「しかし、山口の者たちはさほど恐れてはおりません。むしろ親しみさえ感じておるようです」
 宗設という老僧は、穏やかな声音で言い添えた。
「ほう?」
「と言いますのも、襲うのが不逞の牢人や流れ者、山賊の類いばかりなのですな。むしろ山口の検非違使けびいし、と称賛する声さえある」
「いずれにせよ、人を俵のように切り刻み、打ち捨てることに変わりはない。そいつをお前に退治させてから、どこまで使えるか見定めたかった。が、今は時が惜しい。畠山卜山と、その師愛洲移香斎の剣を、真に受け継いでいると信じるしかないな」
「お前ならきっと大丈夫だ、楠葉」
 平七は、むしろ爽やかに断言してみせた。
「陰の流、というのは、俺にはよくわからない」
 ただジイから、何年も日々の手ほどきを受けていただけだ。あまりに厳しく、つらくもあったが、武士になるための当然の試練だと思っていた。それがいつの間にか、常人を超える技量になっていたらしい。
「それでいい。今は体に染みついたものの命ずるままに動くことこそ、お前の強みだ」
「拙僧は、宋殿らが割符を奪ったと認められれば、すぐに周防を抜けて豊後へ向かいます」
「うむ。大護院だいごいん殿の元へか」
「さよう」
「おい。割符とか、何とか殿とか、いい加減かいつまんで事情を話せ。こっちだって命を張らせられるんだ」
 入鹿は臆しもせずに言い放った。老僧の目つきに促され、素卿は口を曲げてうなずき返した。
「いいだろう。もう三十年も前の話になるが、大内義興には兄がいた」
「いた?」
「正しくは、今もいる。しかしこの山口にではない。海を越えた先、豊後国ぶんごのくににいるのだ」

~(2)へ続く

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