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【歴史小説】寧らかの波 第二章(2)「答えなくていい。考える必要すらない」


ここまでのあらすじ

 16世紀。
 異国の血を引く楠葉くすば入鹿いるかは、淡路国あわじのくに沼島ぬしまで育ての親ジイや幼馴染おえいと穏やかに暮らしていた。
 ところがある日、突如ジイに襲われ、とっさに反撃してその命を奪ってしまう。
 同時に沼島は武士の船団に囲まれ、管領かんれい細川ほそかわ高国たかくにと美貌の明国みんこく人・宋素卿そうそけいが現れる。
 かつて細川の戦友だったジイは、住民の命と引き換えに、剣の技を授けた入鹿を差し出す密約を交わしていたのだった。
 連れ去られるように故郷を離れ、宋素卿と行動をともにすることになった入鹿。果たして彼を待ち受ける運命とは……

本編


     二

 義興が生まれるよりも前、大内にはれっきとした嫡男がいた。
 代々の惣領に与えられる幼名の亀童丸きどうまる、さらには「次の周防介すおうのすけ」を示す「新介しんすけ」まで名乗っていた。応仁文明おうにんぶんめいの大乱においては、父に従って上洛も果たしている。
 しかし、父が京へ在陣している間に、賀茂社かもしゃの娘を母としてのちの義興が生まれた。
 すると、その兄はほどなく廃嫡され、否応なく山口へ送り返された。戦場で不逞の振る舞いがあったともいうが、もはや真相はわからない。
 剃髪出家した兄は、ここ氷上山興隆寺の別当べっとうに任ぜられ、大護院尊光そんこうと称した。
 だからと言って、一介の世捨て人として余生を送ったわけではない。大内という一つの家にとり、惣領とは別の役割を担ってもいた。
 周防国内に散在する東大寺とうだいじ領の目代もくだいに任ぜられ、そこからあがる年貢を取りまとめていたのだ。
 むろん、年貢はわざわざ奈良ならまで送られることはなく、丸ごと大内氏の得分となった。一国を挙げての押領おうりょうの手先となっていたわけだ。
 転機となったのはやはり、父の死であった。
 父は前もって隠居していたので、若き義興が既に家督を継いでいたが、やはりあらゆる不満を抑え込むというわけにはいかなかった。
 内藤ないとうすぎすえといった重臣の一部が尊光を擁立し、家督を奪い返そうと画策したのである。
 しかし、前もってこの時を充分にしていた義興は、鮮やかな手並みで謀反を鎮圧し、かえって不平分子を一掃してしまった。
 子飼いの若者たちに重臣連の家督を継がせると、強烈に国内を引き締め、のちに足利公方を奉じて上洛するだけの力を蓄え始めた。
 では、神輿に担ぎ出された尊光はどうなったのか。
 側近に匿われて海を渡り、豊後国守護の大友おおとも氏を頼っていった。
 大友氏もまた、家督相続について大内から介入を受け、両大名は激しく対立していたという。
 尊光は大友氏の客分となり、他日必ず大内の家督を取り戻して差し上げる、と約定された。本当にそうなれば、北九州はもちろん、防長にまで大友の勢力が及ぶことになるだろう。
「拙僧はかつて、大護院様の侍講じこうを務めておりました」
 宗設なる老僧は、墨染衣の袖口を胸元で掻き合わせていた。
「一から読み書きをお教え申し上げ、この古刹の別当として相応しくあられるよう、仏典の手ほどきもさせていただきました。今でも昨日のことのように思い起こされます。……線の細い方ではありましたが、理不尽な挫折を知られているからこそ、周囲に気を配ることのできる、慈しみのあるお人柄でありました」
「それが、暴慢なる義興の失墜に手を貸そうという理由か」
「いかにも」
 物思わしげに瞼を閉じ、深々とうなずいてみせた。
「ちょっと待て。これから俺たちがすることと、それに何のつながりがある」
 入鹿は思わず口を挟んだ。
「堪え性のないやつだ。そこで、割符わりふよ」
「割符?」
「突き詰めれば一介の田舎大名でしかない大内が、京と畿内を抑える細川を圧倒するほどの力を持っているのは、一体なぜだと思う」
 素卿は一旦そう尋ねてから、片手の指で額を抑え、もう一方のたなごころをまっすぐに突き出してみせた。
「いや待て! 答えなくていい。考える必要すらない。どうせお前なんぞの頭では、わかるはずもないのだからな」
 入鹿はもはや、別に腹も立たなかった。この男は、ひとりで勝手に回転している独楽こまのようなものだ。独楽が元気よく回っているからと言って、いちいち怒ったり悲しんだりしてやる必要もあるまい。
「答えは、大内がずっと明国との交易に携わってきたからだ。今や先代の足利公方から、武功の見返りに唐船派遣の独占さえ認められている。その利益たるや、朝貢国の一つを養うのにすら等しい。一刻も早く歯止めをかけなければ、大内だけがますます肥え太り、この国に対抗できる者は誰もいなくなってしまう」
「独占と言ったって、今の公方はあの高国が操っているんだろう。先代のことは無視して、細川も同じように船を送り込めばいいんじゃないのか」
 入鹿はふと、母のことを思い出していた。大内の遣明船に同乗し、まだ見ぬ故郷へ帰ると言っていた。その話が思わぬところで、また自分の元へ戻ってきたような気がした。
 菅笠を膝元に置いた素卿は、頬に張りついた髪を指先で撥ね上げた。ただの年増男のはずなのに、妙に艶やかなしながある。
「それが浅知恵だと言うのだ。そもそも交易する、しないを決めるのは、船を送り出す方ではない。明国の皇帝が、相応しい相手かを見定めるのだ。交易とは言いよう、実際には中華の莫大な物産を、見返りに持ち帰るのだからな。忠実な下僕と認められた証こそが、皇帝一代につき一度だけ発行される、勘合かんごうという割付よ」
「明国でも、ほんの数年前に暴帝の武宗ぶそうが崩じ、やはり年少の皇帝が即位しております」
 宗設が話を引き取り、淡々と語ってみせた。
「今の元号は嘉靖かせい、その勘合を手に入れるためには、誰よりも先に入明の船を送らなければなりませぬ」
「右京兆殿の手元にも、勘合はある。ただしそれは、先々代に当たる弘治こうち年号のものよ。大内は、先代武宗の正徳せいとく年号のそれを手にしている。我らとしては何をおいても、その正徳勘合符を奪い取り、大内よりも先に遣明船を送り込まなければならん」
「なるほどな」
 入鹿はようやく得心してうなずいた。
「で、そのセイトクカンゴウフってやつが」
「あの館の中に、確かにございます」
 静かにうなずき、宗設は請け合った。

~(3)へ続く

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