【歴史小説】寧らかの波 第三章(2)「倭でも明でも琉球でもない国を、この南海に作る」
ここまでのあらすじ
16世紀。
異国の血を引く少年・楠葉入鹿は、育ての親ジイを自らの手で殺めてしまい、さらにはジイと旧知の管領・細川高国によって、故郷沼島の人々を人質に取られる。
細川氏のために働くことを強いられた入鹿は、美貌の明国人・宋素卿とともに勘合を奪うため、山口の大内館へ潜入する。
明国の僧・宗設の手引きを受けていたはずが、勘合は偽物だった。そこへ西国の覇王・大内義興その人と、こちらを騙していた宗設が現れる。
宗設は人間離れした姿に変貌し、入鹿と素卿を襲う。ジイから「陰の流」を受け継いでいた入鹿の剣技で何とかこれを退け、脱出するが、素卿は裸になり水堀を渡ることをためらう。素卿は実は、両の乳房を切り落とした女であった。
本編
二
入鹿が与えられたのは、集落からやや外れた崖際の小屋だった。
丈高い竹林に包まれるように立ち、日を遮って辺りはなおさら薄暗い。百足や蛭などが、足元の落ち葉の裏表を這い回っていた。
土間しかなく、ささくれ立った古板を巡らせたばかりで、ジイの庵の方がいくらもましだと思えるほど粗末な作りだった。
中へ入っても、隙間風が平気で吹き込んでくる。それでもあまり寒さを感じないのは、南海に浮かぶ島ゆえだろうか。
「しばらくはここを使ってくれ」
素卿は、申し訳なさそうでもなく言い渡した。
「これからどうするんだ」
「そうだな、何とか別の方法を考える。こちらに勘合がなくとも、市舶司から遣明船と認められるよう、今からさんざん手を回さなければならない」
二人はそこで、しばらく黙り込んだ。名前も知らない鳥の鳴き声が聞こえてきた。
「あんた、全てを話すと言ったな」
「うん?」
「とぼけるなよ。大内館でのことだ。自分は右京兆と、まるで違う思いがあると言った。こんな所まで来たからには、それを話してもらわないといけない」
「ああ」
そんなことか、と事もなげにうなずいてみせた。
「私は、細川高国にずっと従っているつもりはない」
そうだろう、という気はしていた。最初は同じように卑劣な権力者としか見えなかったが、次第に水と油のような違いも感じ始めている。
「あの男は、何とか上首尾に内乱をくぐり抜け、京兆家の家督に座りはした。だが、ずっと一国の天下を保っていられるほどの器量人ではない」
「そうだろうな」
何度か顔を合わせただけでも、その点はうなずかれた。同じ四天王とは言いよう、人間としての迫力ならば、大内義興やジイの方がはるかに勝っているだろう。
「だが行きがかり上、私には細川との太いつながりがある。それを最大限に利用して、私は私の夢を果たす」
「夢とは」
「倭でも明でも琉球でもない国を、この南海に作る」
顎を上げ、迷いのない声で、はっきりと言い切ってみせた。
「国、と呼べるほど大げさなものでなくても構わない。ただ境界に生きる者たちの、安息の場所を築き上げたい。それが私の、本当の夢だ」
まっすぐな素卿の眼差しを、入鹿も見つめ返した。そこは曇りもなく澄んでいた。あまりにも野放図な話だ。だからこそ、嘘ではあるまい、と信じられた。
「他にも同じような島はあるんだろうが、ここにいるのはせいぜい五十人くらいだろう。そんなことで、新しい国など作れるのか」
「土地の広さや人の数、といったことに基づいた国ではない。物と人の流れによって成り立つ、海の民の集まりだ」
「宋様」
あばら家の外から声がして、二人は話を打ち切った。
そちらへ目をやると、薄桃色の小袖を着た若い女が戸口に立っていた。裾は短く、膝小僧が覗いている。先だって、例の男に絡まれていた女だとわかった。
「安那か」
「先ほどは、ありがとうございました。あの、これ、父と母からお礼の贈り物です。その、初めてこの島へ来られた、そちらの剣士様にも」
「ほう、芒果だな」
素卿は愛想よく笑い、竹籠の中に山積みされた果実を一つ取り上げてみせた。
「舌がとろけるほどの甘さだ。入鹿、お前もいただくといい」
入鹿はうなずきつつ、女の姿をじろじろと見回していた。生まれた時からそうであったかのように、よく日に焼けている。眉は太く、目が大きい。唇も厚い。
少しだけおえいのことを思い出したが、こちらの安那という女は総身が丸っこく、しなやかに波間を切っていくような姿は思い描けない。
そんな眼差しを避けるように、女はずっとうつむいていた。
「中林が、お見苦しいところをお見せいたしました」
「ああ。昔から癇癖の強いところはあったが、情が絡むとなおさら面倒ではあるな。しかし、望まぬことを無理強いされる謂われはない。自分の一身のこと、よくよく考え抜いて返事をしてやればいい」
「はい」
目の前に光が差してきたかのように、女は顔を上げた。
「宋様にお話ししてもらえたら、胸の奥もぱあっと晴れる心地です。じゃけど、またすぐ遠くへ行ってしまわれるんでしょう」
「そうだな。できるだけ長くここにいたいとは思うが、まだまだ大仕事が残っている。みながこの海で、大手を振って生きてゆくための仕事だ。孫太郎には、私からもよく言い含めておくゆえ、ひとまずは落ち着いて過ごしてゆけばいい」
「ありがとうございます」
ひっつめ髪の頭を下げ、最後にちらりと入鹿の方へ横目を残してから、女は立ち去っていった。
果物は、確かに甘かった。
あまりに甘過ぎて、本当に口の内側が溶けている感じがした。舌の先であちこちなぞってみて、ようやく元のままだと得心できた。
「あの孫太郎っていうやつは、一体何なんだ」
二つ、三つと籠の中へ手を伸ばしながら、入鹿は尋ねてみた。
「中林孫太郎。この島の地生えの者ではない。吉備辺りの海賊だったらしいが、追捕されて流人となった。ふとした縁で私が拾い、ここに居着いてもう十年にもなる」
「あんたが憚るほどの男なのか」
「あれでいて、他の者には代えられない技を持っている。そういう点では、お前と同じだ」
素卿はきっと、自らの夢の助けとするために、特別な力のある人間を求めてきたのだろう。それが例え、どんな形の出会いだったにしろ。
「あの男、あんたの体のことを知っているみたいだったな」
「ああ」
果実の汁を手の甲で拭い、舌を出して唇の周りを舐め取っていた。
「あれだけではなく、みんなが知っている。この島の者たちは、全員が家族だからな」
~(3)へ続く
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