【歴史小説】寧らかの波 第三章(3)「お前にはもはや、この島に居場所はない」
ここまでのあらすじ
16世紀。
異国の血を引く少年・楠葉入鹿は、育ての親ジイを自らの手で殺めてしまい、さらにはジイと旧知の管領・細川高国によって、故郷沼島の人々を人質に取られる。
細川氏のために働くことを強いられた入鹿は、美貌の明国人・宋素卿とともに勘合を奪うため、山口の大内館へ潜入する。
明国の僧・宗設の手引きを受けていたはずが、勘合は偽物だった。そこへ西国の覇王・大内義興その人と、こちらを騙していた宗設が現れる。
宗設は人間離れした姿に変貌し、入鹿と素卿を襲う。ジイから「陰の流」を受け継いでいた入鹿の剣技で何とかこれを退け、脱出するが、素卿は裸になり水堀を渡ることをためらう。素卿は実は、両の乳房を切り落とした女であった。
本編
三
まぶしい太陽が顔を出し、普段よりも暖かい日和だった。
入鹿は袴を膝までからげ、潮の引いた浜で、童たちと貝を拾い集めていた。
「お兄、そっちにでっかいの、埋まっとったど」
「本当か」
「いらんのやったら、わしが取ってまうど」
「そうはいかんぞ。俺が先を越してやる」
キャッキャと笑い合いながら、小枝で砂をつつき、あさり、蛤、巻き貝などを掘り返しては、口の広い竹魚籠へ放り込んでいく。
童たちはみな裸で、男も女も青痣のある尻を突き上げて、恥ずかしさのかけらも見せなかった。
「今朝はティラジャが多いの」
「チャンバラじゃ」
一刻ほども砂いじりを続けていたが、童たちはまるで飽きる様子がない。
入鹿は膝を伸ばし、白くなった浜の流木に腰を下ろした。そうして、ぼんやりと東の海を眺めていた。
下七島、と呼ばれる島々の中で、この臥蛇島が一番大きいわけでもなければ、栄えているわけでもない。
ただここの周りの海は、潮の流れがぶつかり合い、荒波が特に激しい。慣れた者でなければ、船をつけることさえできない。
そのため、素卿も格好の隠れ家として使っているのだった。
臥蛇島の人々は、東の小臥蛇島を指して海へ漕ぎ出していく。
魚を獲ったり、鳥を射落とす船でなければ、その日のうちに帰ってくることはまずない。あるいは十数里も向こうの中之島まで、物の売り買いや雇われ仕事へ出かけていくのだった。
ふと気づくと、目の前に細い影が落ちていた。
顔を上げると、先日の女がそこに立っていた。確か、安那といったか。
「あんた、その顔で、ヤマトのもんなんかい」
出し抜けに、そう声を落としてきた。
「自分ではそのつもりだが」
「親が、南海のもんなんか」
「母がそうだった。しかし、この辺りじゃない。もっとはるかに西だ。俺を残して、一人でそこまで帰っていった」
「おっ父は」
「会ったこともない。ただ人が話すのを聞いていると、鬼のような男だったらしいが」
何を納得したのか、相手は顎をしゃくるようにうなずいてみせた。
「おっ母が恋しいか」
「いいや。ただまあ、どこかで生きていてほしいとは思う」
二人ともしばらく黙り込んだ。入鹿は女を見なかったが、相手の方は上目遣いに、こちらの様子を窺っているようだった。
「そう言えば、あんたに一つ、訊きたいことがあった」
ふと思い当たり、尋ねてみる気になった。
「ボゼとは一体何だ。話を聞いていたところでは、神仏の一つみたいに思えたが」
「ボゼは、この吐噶喇の島々にやってくる、怨霊払いの神じゃ」
女は、言葉でははっきり答えながらも、どこか言いづらそうな口ぶりだった。
「毎年、盆の最後の日にだけ姿を見せる。南の海からじゃ。島の女子どもを脅かして、この世に留まっとる怨霊を一緒に連れ帰ってゆく」
早口に言い切ってしまうと、ふーっと深く息をつき、もうこの話はおしまい、とでも言うように手のひらを振ってみせた。
「この前の果物、うまかったかい」
急に話を変えると、やや口調が和らいだようにも感じられた。
入鹿にはまだ訊きたいことも残っていたが、あまり島の神仏のことを問いつめるのも憚られる気がした。
「ああ。あんな甘いものは、生まれて初めて食べた。ありがとう」
「そうじゃろう。ここら辺りでも特別なご馳走じゃ。ヤマトの方には、ないもんじゃろう」
「一度も見たことがないな」
「島のおなごの芒果も、ヤマトにはないもんかもしれんで」
膝までの小袖の裾を、腿の付け根までくつろげてみせた。肌衣もつけておらず、縮れた毛だらけの火陰が覗いた。
「あんた、安那といったか」
入鹿は目を上げ、まともに相手の顔を見つめ返した。
「そういうことで、孫太郎に責められているんだろう。自分の方でも改めてやるつもりはないのか」
「あんなやつ、あたしにちいっとも関わりないわ」
女は語気を強め、すぐに裾を巻き下ろした。
「あれも、ヤマトの生まれらしいけどな。あれこれと小うるさいんが、あっちの人間の悪いとこじゃ」
怒りに目を釣り上げ、鼻息も粗くなっている。
「宋様は中華の方やから、まあ仕方ないけど、いらんこと知れば知るほど、ただ生きていくだけ、ってことが下手くそになるんか。そいで約束やの、目の前にないことばっかし言い立てて。もう、こっちがつきあいきれんわ」
背を向けると砂を蹴立て、坂の集落の方へ走り去っていった。
やがて入鹿も腰を上げた。
童たちは、指をくわえたままこちらを見守っていた。手を振ってやりつつ、安那が登っていったのとは反対側の坂を踏みしめていった。
小屋を取り巻く分厚い竹林の中へ入ったとたん、妙な気配がした。
何かがいる。
背の高い琉球竹の節と葉の間から、見え隠れしているものがある。
葉ずれの音も聞こえるが、風や鳥によるものではない。明らかに、何か大きなものが、こちらを遠巻きに眺めながら動いている。
入鹿は、それを垣間見た。
木立ちそのものが動いているようだったが、血のように赤いところがある。獲物を狙う獣の口と両目にも見えたが、それにしてはあまりに大きい。
と、ふいにそれが飛び出してきた。
異様な姿だった。
体の半分を、木の幹のような頭が占めている。耳なのか角なのか、殻のような突起が二つ、左右の斜め上へ飛び出していた。
先の膨らんだ鼻が前方へ伸び、真っ赤な目の周りを、椀の底のような張り出しが縁取っている。そして何よりも目につくのが、その巨大な口。夥しい数の歯を剥き、赤い渦巻きのような楕円が、こちらへ向けてカッと開かれている。
「何だ、これは」
入鹿は咄嗟に身構えた。南国の細長い、緑の濃い葉が、羽根飾りのように背中や腰元から飛び出している。今までに見たこともないような姿だった。
しかし、相手は声を出さなかった。そのまま後ずさり、背中を向けて坂道を駆け下っていった。
「おい、待て」
入鹿は慌てて追いかけた。今しがた帰ってきた道を、すぐにまた戻っていく格好になった。
浜まで降りてゆくと、あれだけ集まっていた童たちは、もう一人もいなくなっていた。がらんとした波打ち際に、異様な姿だけがぽつんと立ち尽くしていた。
「お前は何者だ」
やはり相手は一切答えない。代わりに手に握った細長い棒を、こちらに向かって身構えてきた。恐らく竹でできており、先端に筒がついている。どう使うのか知らないが、こちらと戦うつもりなのか。
「やる気か」
入鹿も帯に差した打刀を、鞘からすらりと抜き放った。
赤目大口の化け物は、手にした棒の先をまっすぐにこちらへ向けてきた。筒の中で小さな炎が瞬いている。
「火か」
危うさを察し、入鹿はかえって前へ飛び出した。
耳が破れるかと思うほどの、凄まじい音が爆発した。
相手が竹の棒を振り立てると、先端から炎に包まれた石つぶてが飛んできた。入鹿は目を見開き、その筋道を読み切ってかわしたが、砕け散った破片が頬を切り裂いた。
ただでさえ巨大な相手の顔が、さらに大きくなってくる。もう一度破裂音がして、振り回された筒先からまた燃えた石が飛んできた。今度はかわす暇がない。入鹿は反対に頭をぶつけて叩き落とした。額が割れ、まつ毛から血がしたたって目の前を赤く染めた。
そのまま袈裟懸けに斬りつけた。が、相手も咄嗟に後ろへ飛び退いたので、浅い。
それでも木で作られた仮面は斜めに割れ、そのままがらりと地べたに落ちた。
葉で覆われた蓑をかぶった男が、その中に入っていた。
孫太郎。
入鹿がさらに踏み込もうとすると、相手は足をもつれさせ、その場に尻餅をついた。
刀の切っ先を、倒れた相手の喉元へ突きつけた。
男は脂汗にまみれ、怒りと怯えがないまぜになったような目つきで、こちらを見上げている。
二人は獣のような息を交互に吐き捨てながら、しばらく言葉もなく睨み合っていた。
永春の草履の足が、凶々しい仮面を憎さげに踏み潰していく。
鼻が折れ、口がへこみ、見開いた赤い目に穴が空いた。
「ボゼを盆の終わりに土へ返さず、黙って隠し持っておったのか」
冷たい声音は、島の者たちの憤りを代弁している。
「このようなことをしては、島に怨霊が残る。祖先の手前、到底許されんことじゃ。よもやそれをわからぬお前ではあるまい」
森の奥、木々に囲まれた広場に、孫太郎は引き出されていた。その周りを、島の男たちが取り囲んでいる。女たち、童たちも、少し離れたところから遠巻きに見守っていた。
「お前は、島に災いを呼ぶ者、となってしまったのだぞ」
「ボゼでいれば」
孫太郎は、冷笑するような声でつぶやいた。下帯一枚きりで後ろ手に縛られ、広場の真ん中に座らされている。
「安那が、オレを受け入れてくれるような気がしたもんでの」
顎を上げ、人垣の向こうにいる女たちの方へ目をやった。安那はそばに立つ母親に抱きつき、その袖へ顔を押しつけていた。
「誰が、あんたなんか。もう二度と、あたしの前に顔を出さんといてやあ」
泣き叫ぶ姿も痛々しかった。
「おのれ一人の欲心から、島のしきたりを無にしたというのでは、もはや許されることはあるまいぞ」
厳しい言葉とは裏腹に、永春はむしろ憐れむような目つきを投げていた。
「一つ、聞きたいことがある」
入鹿が口を挟んだ。島の大人たち、童たちの目が、一どきにこちらへ集まってきた。
「俺に向かって投げつけてきた炎、あれは一体何だ」
頬と額の傷には、よく染みる島の薬草を擦り込み、白い紙を貼りつけてある。それを自分にしてくれたのは安那だったが、今は敢えて言う必要もあるまい。
何とか致命傷は避けられたが、うろたえて目にでも受ければ、恐らく一生光を失ってしまっただろう。
ヘヘッ、と空笑いしながら、相手はじっとりとした目つきでこちらを見上げていた。
「気になるか」
「だから訊いている」
「あれは、火槍よ」
「カソウ?」
耳に入った言葉を、そのまま繰り返すしかなかった。
「郷里の海賊衆にいた時、あれのことを知った。もちろん誰にでも作り、使いこなせるもんじゃあない。火薬の入手もままならなかったしの。しかし宋さんと出会ってから、海を渡り、煙硝や硫黄を手に入れる道を見つけた。そうしてオレは、一人でずっとあれに手を加えてきたんじゃ。今では狙いをつけて、目の前の相手に飛ばせるくらいにはなっとる」
的中させられれば、まさに必殺の武器だろう。
「素卿の言っていた、あんたにしかない技というのは、あれのことか」
「惜しいとこまで行ったが、お前を仕留められなくて残念じゃわ」
また減らず口を叩き、へらへらと笑った。永春が、嘆かわしいとばかりに露骨なしわぶきをした。
「そうだ、孫太郎。お前にはもはや、この島に居場所はない」
木々の間を抜け、風のように広場へ入ってきたのは、日本式の白い小袖を着流した素卿だった。
「素卿殿」
永春が申し訳なさそうに首を縮め、身を引いて場所を空けた。
「ボゼのしきたりを破り、島に災いを呼ぶ者、と後ろ指を差されながら、暮らし続けることはもうできまい」
囚われ人は、さすがに力を失った様子でうなだれた。
「だからお前は、私とともに明国へ渡る」
はっとした面差しで、まっすぐに顔を上げた。
「お前だけではない。永春も、入鹿も一緒だ。我々は、大内の送る遣明船の喉元に、土壇場で食らいつく。そのための支度だ」
名指しされためいめいが、互いに顔を見合わせた。
「ああ、ああ! 何でもやってやるさ。もうこうなっちまったからには」
孫太郎は大地を呪うように、うつむいて吐き捨てた。
「勘違いするな。やってやるも何も、お前には選ぶ余地などない」
「明国と言ったって、一体どこへ行くんだ」
入鹿は腕を組んだまま尋ねた。素卿はいつもの射抜くような目尻で、こちらを見返してきた。
「浙江布政使司、舟山群島の双嶼港。寧波を北西に望む、海の民の根城だ」
~第四章へ続く
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