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今さらですが、『図説 戦国時代 武器・防具・戦術百科』読了。〜大純はるのメンバーシップ【白鳩会】「今さら図書館 読書・映画感想掲示板」より

今さらですが、『図説 戦国時代 武器・防 具・戦術百科』読了。
トマス・D・コンランという外国人の学者の訳書です。
何でも日本史に「山口時代」を提唱している方だとか。
ほう…

外国の歴史家から見た戦国時代、というのがまず斬新。
今まで当然として疑われていなかったこと、
書くまでもないとされていたことを、
外部の視点から合理的に説明しようとしてくれているのが良い。

私もそもそも西洋史出身で、日本史の常識からはアウトサイダーだったので、大いに共感して読めました。
中でも、本当の戦術改革は鉄砲の導入ではなく、
それ以前の大量動員と槍兵による集団戦法だと。
そしてそれを可能ならしめたのは、守護に与えられた半済の財力、という説き明かしの流れは、極めて論理的なもの。
各大名への言及もあり、主に戦闘面で後北条氏に向けられた低評価は、
日本からはなかなか出てこないものだと思われました。

そんな中で、著者が
「彼のもたらした変化は画期的」
「大きな変化につながる仕組みを世に放った」
と呼んでいる武将が一人だけいます。
織田信長?
武田信玄?
上杉謙信?
三好長慶?
いえいえ、もちろん違います。
恐らくこれを当てられる人は、一万人に一人もいないでしょう。
いや、日本中で誰もいないかもしれません。
ヒントは、15世紀の終わりの時点で既に亡くなっている人物です。
(それってヒントなのか?……)
そのころを専門と思っている大純はるでさえ、想像もできなかった、という人物です。
誰かおわかりでしょうか?
(もしよろしければ、コメント欄に答えを書き込んでみてください!)

解答編はリンクの下↓↓↓


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★解答編★
既にまっちゃん@松賢堂様が導き出されましたが、正解は、
畠山弥三郎(政久)
でした!
えー!
うそー!
問題を振り返っておきますと、
「軍事面で画期的な変化を世に放った」
と、本書で言及されている唯一の人物は誰?でした。
楠木正成や織田信長ですら褒められていないのに、そんなバカな…
そもそも誰?
いやもちろん、大純はるはよく存じ上げております。
何たって、拙著『流れぬ彗星』の主人公、畠山次郎の伯父ですから…

この国で数少ない畠山派のひとりとしては、「おっ!」と思ったのも事実。
だからって、「なんで弥三郎?」というのは、まっちゃん様と同じく、偽らざる気持ちです。
尚順は無理としても、たいがい義就、せめても政長やろと…
どうしてこの外国人学者は、よりによってほとんど誰も知らない、知っていても到底賛成されない、畠山弥三郎を選んだのか?

ここからは想像ですが。
日本人が無意識に共有している歴史観を取り払い、西洋の戦史と同じように考えれば、応仁の乱がエポックメイキングなのは確かでしょう。
逆に川中島の戦い、みたいなのは、特に意味もない地方の小競り合いに過ぎないかも。
そんな中で、応仁の乱の本当の当事者は?と言えば、これはもう畠山氏なんです。
将軍家はそもそも、最初は分裂すらしてないし、西軍の山名宗全と東軍の細川勝元は、義理の親子ですからね。
畠山弥三郎と義就の家督争いがその本質であり、弟の政長が兄弥三郎のあとを継いで、戦国時代へ因縁を持ち越してゆく。
そのダイナミズムは、私も大いに賛同するところです。
(だから『流れぬ彗星、天昇る火柱』を書きました)
応仁の乱を「よくわからない戦い」ととらえてしまうのは、意図してかせずか、畠山氏の存在をぼやかしているからに他なりません。

でもだからって、夭折してるし、大した実績も上げてないはずの弥三郎を、なぜオンリーワンに挙げる?
何の資料に基づいているのかも不明です。
ただ、日本全体の武士の戦史を、フラットな目で外国人が見た時、その変化の本質を応仁の乱→当事者の畠山氏→とフォーカスしていった先に、一方の旗頭の一人目としての弥三郎が目に入ったのだろうと。
今はそう解釈するしかないかな、という気がしています。

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