【連載小説】男友達との約束:3
高校時代の同級生の結菜から、「久しぶりに近くの居酒屋で飲もうよ。芽依も一緒だよ」と誘いのメッセージが来ていた。芽依と結菜は高校時代にクラスがずっと同じで、住んでいる場所も近かったので話す機会が多かった。社会人になってからは疎遠になっていたが、年に数回程度、近況報告だけはしている程度の仲だ。
女3人が集まる飲み会なんて、めんどくさいだけだ。そう思ったけれど、今は加納さんの理不尽さについて誰かに愚痴りたかった。悠也は彼女さんとの時間を優先したいらしいから、すぐには会えないし、たまには女同士の集まりにも行ってみようかなと思ったのだ。
結菜が選んだ居酒屋は、間接照明だらけで足元が仄暗く、油断するとうっかり転んでしまいそうになる店だった。居酒屋というよりカフェバーと呼んだ方がよさそうで、いかにも女性ウケを狙った凝った内装だ。だけど、「女ってこういうの好きだろ?」みたいな思惑が透けてて、むしろ嫌味な感じ。結菜は本当にこんな店が好きなんだろうか。いや、結菜だけではなく、世間の女性たち。なんとなくオシャレだから好きって言ってるだけじゃないの? 私は悠也と一緒によく行く大衆居酒屋の方が好きだ。あの騒がしさが落ち着く。
店員に予約の名前を告げると、店内奥の半個室のテーブル席に案内された。先に来て席に座っていた結菜が私に気付いて、ぱっと笑顔になる。
「愛里、久しぶり!」
結菜は仕事帰りなのか、黒のタイトスカートと白いブラウスというシンプルな出で立ちだった。けれど、きれいに整えた爪は淡いピンクのフレンチネイルで彩られていて、緩く巻いたミルクティー色の髪の毛は仄暗い照明の中でもすぐわかるほど発色が良くてムラが無い。美容院に行ったばかりなのかもしれない。とにかく、今日の結菜には隙が無かった。
私は早くもうんざりしていた。満面の笑顔で「久しぶり」と懐かしがりながらも、結菜は、一瞬で私の頭から爪先まで視線を巡らせて私の全身を評価していたからだ。そして、私自身も無意識に結菜のファッションを気にしてしまっている。そんな自分にうんざりした。男友達と会う時はこんなことしないのに。出会った瞬間に互いの全身をチェックしてしまうのは、女同士の習性みたいなものなんだろうか。
結菜の向かい側に腰を下ろしながら、無意識に自分の髪を掌で撫でつける。高校の同級生だし、場所は居酒屋だし、そんなに張り切ってオシャレする必要も無いと判断し、普段からよく着回しているベージュのワイドパンツと黒いシャツを選んできたけど、髪のセットまで気が回らなかったし、もちろん私はネイルなんてしてない。
「ほんとに久しぶりだね、結菜。元気にしてた?」
「仕事が忙しいけど、なんとかやってる。愛里は?」
「私も。嫌な先輩がいるから仕事が大変」
会話を広げながらも、結菜はさりげなく私の前におしぼりやメニューを差し出してくる。結菜は昔からしっかり者で行動力があって、みんなのまとめ役。真っ先にクラス委員に推薦されるようなタイプだ。今は婚活パーティーで出会った彼氏と結婚して兼業主婦。主婦業と仕事を両立して、しかも高校時代の友達を集めて飲み会を開く余裕もあるなんて、私は真似できない。その原動力はどこからくるんだろう。すごいと思う反面、真正面から対峙すると気後れしてしまう。
ほんの数分遅れて芽依もやって来た。控え目に半個室の仕切りの影から顔を出して「久しぶり」と、声をかけてくる自信なさげな様子は昔とちっとも変わらない。結菜が「芽依!」と、嬉しそうに声をかけたので、やっと笑顔になって半個室に入ってきた。いつから穿いてるんだろうって感じの細身のデニムと、首元がよれたシャツ。手首には、学生がつけていそうな安っぽいブレスレット。ダークブラウンに染めた髪は手入れを怠っているせいでぱさついて、生え際が黒くなり始めている。結菜と真逆とも言えるその姿に、不覚にもちょっと安堵してしまった。そういえば、芽依は学生時代から身なりに気を遣わなかった。周りの目を気にするタイプなのに、頑なに身なりにだけ構わないのは不思議だ。今もそうなんだろうか。
芽依は、さっとテーブル全体に視線を走らせたあと、躊躇いがちに結菜の隣に座った。そして、ついでみたいに私にも「久しぶり」と軽い口調で付け加える。
「この店、すごく素敵。結菜って相変わらずセンス良いよね」
芽依は結菜のセンスを褒めちぎって、視線だけで私にも同意を求めてきた。仕方なく私も頷く。そういえば、芽依は学生時代にも結菜に付いて回ってばかりだった。いかにも周囲に流されやすいタイプの芽依は、「わかるー」とか「私も!」とか、同調するのが得意だけど、変に頑固で自分のやり方を絶対に曲げない変わり者っぽいところもある。クラスでは少し浮いていたから、しっかり者の結菜に付いていけば間違いないって思っていたのかもしれない。
芽依は私と同じで会社員をしているはずだけど、確か、今は婚活もしているとかメッセージで言っていた。もしかしたら、結菜が婚活を始めたから一緒に始めただけかもしれない。結菜はあっという間に成婚したから、芽依は置いてきぼりだ。
「2人とも、ワイン好き? せっかくだからオシャレにワインで乾杯しない?」
当たり前みたいに結菜が仕切り始める。仕切られる方が楽だからそのことは別にいいけど、日本人がワインで乾杯って。オシャレというよりは、何かのギャグみたい。だけど、芽依が「素敵!」と歓声に近い同意の声を上げたから茶化せなくなってしまった。
色々と引っかかる点はあったけれど、いざアルコールが入って話を始めると、それなりに盛り上がった。学生時代に同じ時間を過ごした間柄はとても不思議で、互いに会えていなかった時間を埋めようとするかのように会話が途絶えない。少しくらい話が噛み合っていなくても気にする者はいなかった。
「愛里、いい匂いするね。香水?」
白ワインの美味しさをあまり理解できないまま3杯目を飲んで、やっぱりハイボールがいいなと思いながら、真っ白なプレートに盛り付けられた生ハムチーズを口に運んでいた時に、結菜が唐突に切り出した。ワインの香りに紛れて忘れていたが、私は今日も悠也がプレゼントしてくれた香水をつけていたのだ。面と向かって誰かに褒めてもらったのは初めてだったし、結菜のセンスが良いのは間違いないし、悪い気はしなかった。
「ありがとう! この香水、悠也がくれたんだよ」
得意げに自慢してしまったあとで、しまった、と思った。結菜と芽依が、呆気に取られたような、ぽかんとした表情になったからだ。いきなり悠也の名前を出してしまったから、戸惑わせたのだろう。悠也も高校の同級生だけど、彼女たちは、悠也のことをすぐには思い出せないのかもしれない。今でも繋がりがあるのは私だけなのかも……。
「あ。悠也君ね、この前会ったよ」
気まずい雰囲気を打ち破ったのは、なんと芽依だった。結菜が「そうなの?」と、意外そうに問いかける。私も芽依に視線を投げる。芽依は、ぱさついた毛先を指でくるくる弄りながら、「うん」と頷く。私と結菜、どちらと目線を合わせればいいのか迷っているかのように、きょろきょろと落ち着かない様子だ。この会が始まってから、芽依が会話の中心になったのはこれが初めてだった。しかも、よりによって話題は悠也。嫌な予感がした。
「たまに連絡取ってたんだよ。悠也君って友達多いし、私もたまに愚痴とか聞いてもらってた」
「へー。そうなんだ。愛里も悠也君と仲良いの?」
結菜が私に問いかけてくる。私は何故か動揺していて、頷くのが精一杯だった。ワイングラスを持つ結菜の指先に意味もなく視線を落とす。薄ピンクのフレンチネイルが照明に反射してきらきら輝いていた。私は、どうしてこんなに動揺してるんだろう。悠也だって、他に女友達くらいいるはずだ。それは別に変なことじゃないのに。
初めて自分が中心になれる話題を得た芽依は、少し浮き立っているようだ。行儀悪くテーブルに両肘をついて身を乗り出してくる。
「悠也君っていい人なんだけど……たまに変なこと言うんだよね。30歳になって相手がいなかったら結婚しようってすぐ言ってこない? あれって、反応に困る」
無邪気なまでに軽い芽依の口調に、私の心臓は一瞬で熱くなった。心臓だけが別の生き物みたいに煩く跳ねて、息が苦しい。どういうこと? どうして芽依がその約束を知ってるの? 悠也は、芽依とも同じ約束をしてたの?
気分を落ち着けようとしてグラスに残っている白ワインを一気に飲み干したけど、心臓だけではなく身体まで熱くなってきた。私の動揺なんて知らずに、芽依と結菜が目の前で楽しげに話している。
「マジで? なにそれ。子どもみたいだね。確かに反応に困るよ、それは」
「でしょ? 悠也君ってちょっと変わってる。話しやすいけどね」
含み笑いを浮かべる芽依は、どこか得意げだ。自分だけが悠也の特別な親友だとでも思っているんだろうか。絶対に違う。しかも、悠也との大切な約束を人前で暴露して馬鹿にしている。怒りで言葉がうまく出てこない。
悠也に恋人がいるのは許せる。だけど、私と同じ存在がいるのは許せない。他の女友達とも同じ約束をしているなんて。ひどい裏切りだ。悠也も許せないけど、勘違いして舞い上がっている芽依も許せない。悠也との特別な約束を、よりによって、女友達同士でからかうネタにするなんて。
「ねえ、芽依。勘違いしないでほしいんだけど、その約束は、私と悠也が先にしたんだよ」
我慢できなくなって口を挟む。結菜と芽依がほとんど同時に私を見た。まるで双子のように息の合ったタイミングだった。結菜が何かを言おうとして口を開きかけたが、唇が小さく震えただけで声は出てこない。驚きと戸惑いだけが伝わってくる。芽依は何度も瞬きを繰り返して、何かを考え込むようにまじまじと私を見つめたあと、
「あっ……。ごめん。愛里って、今も悠也君のこと好きなの?」
……と、信じられないほど的外れな発言をした。
「は? 芽依、何言ってんの?」
「好きなんでしょ? 高校でもずっと悠也君に付いて回ってたし、悠也君の話ばっかりしてたし……」
口調だけは控え目で遠慮がちなのに、芽依の言葉の内容は無神経さと図々しさに満ちていた。そうだった。芽依は昔から、自分の発言について深く考えていない節があった。だから、周囲から浮いていたのだ。
それにしても、私が悠也に付いて回ってたって、どういうこと? 私と悠也は学生時代から親友だったから、2人で行動する機会が多かっただけだ。まるで私が悠也に付きまとってたみたいな言い方をしないでほしい。きっと、自分が結菜に付いて回っていたからそんな発想になるんだ。
私が睨みつけると、芽依は視線を下げた。癖なのか、芽依は手首の安っぽいブレスレットを指先でしきりに弄っている。その仕草が、何故かとても目障りだった。
「えー? そうなの? ごめん、知らなかった。悪口言っちゃったね」
明るい口調で結菜が話に割り込んできたけれど、その声からはちっとも真剣味を感じられず、むしろ茶化すようだった。
「好きじゃないよ! 恋愛感情とかじゃなくて、悠也は私の親友なの!一番大切な親友!」
身を乗り出して慌てて否定する。私と悠也の友情を、どこにでもある恋バナにされてしまってはたまらない。いきなり声を荒げたせいか、芽依の肩がぴくっ……と揺れた。結菜は笑顔を崩さなかったけど、私の勢いにちょっと引いている。
「そんなにムキになって否定しなくても……。誰にも言わないよ」
苦笑いしながら結菜は呟いた。私の言葉を明らかに信じていない。親友だと言っているのに、私が悠也に恋愛感情を抱いていると決めつけているのだ。
どうしてわかってもらえないのか。
恋愛ではない。でも、私は悠也とずっと繋がっていたいし、一緒にいたい。恋愛なら許されるのに、どうして友情だと理解してもらえないのか。それに、異性がちょっとでも絡んでくると、何でも恋愛話に発展させてしまう彼女たちに腹が立った。
「あーあ。これだから男友達といる方が楽なんだよね。すぐ恋愛に結びつけるんだから」
今まで胸の中にしまっていたことを、つい口に出してしまった。結菜も芽依も顔から笑顔がさっと消え、一気に空気が重たくなる。でも、承知の上だ。こんなに理解してもらえないなら、もう彼女たちとは会わなくていい。口の中の白ワインの味も、摘んでいたチーズの味も、急に不味く感じられてきた。なんでこんなもの飲み食いしてるんだろう。
「……それって、男が気を遣ってくれてるからでしょ?」
やけに棘のある、静かな声音で結菜が言った。言葉の内容を正確に理解するより先に、さっと背筋が冷たくなる。結菜の攻撃的な雰囲気が私を警戒させた。
「だってさ、今時、異性の見た目とか内面とか、ちょっとでも言及したらセクハラって騒がれかねないんだから、女性は腫れ物扱いだよ。愛里は男友達と一緒にいて気を遣わなくていいかもしれないけど、男の方はめちゃくちゃ気遣いしてると思う」
一気にまくし立てたあと、結菜はゆっくりとワイングラスを傾けた。ワイングラスの脚を支える結菜の指先は不自然なまでに白くて、薄ピンクのフレンチネイルもやけに冷たく感じられる。照明の光を弾き返すほど発色が良いミルクティー色の髪の毛は緩やかに肩にかかって、きゅっと引き締まった唇は仄かな桃色。その完璧な佇まいは、臨戦態勢に入った獣みたいだった。
「……結菜は、本物の男女の友情を知らないんだよ」
気圧されつつも反論したけど、結菜は軽く笑っただけだ。
「男女の友情は否定しないよ。ていうか、友情に性別ってもはや関係ないし。もし、相手が同性愛者だったら女性同士だって恋愛が絡んでくる可能性あるんだから、男女で分けるのは意味ないよ」
同性愛者がどうとか、今はそんな難しい話はしていない。もっとシンプルだ。男女が友情で結びついていられるかどうか。それだけなのに。結菜は、すぐ小難しい話に持っていって相手を論破しようとする。
結菜の威圧感に芽依も圧倒されているのか、怯えたように成り行きを見守っている。何故か傷ついているようにも見えた。
「本当に人付き合いが上手い人は、同性とも異性ともうまく付き合えるよね。全部の会話拾いまくって、視野が広くてさ。そういう人、すごく羨ましいと思う」
結菜の話は本筋からどんどん逸れているような気がした。男友達の話じゃなかったのか。まさか、自分こそが「本当に人付き合いが上手い人」だって言いたいの? 全部の会話を拾って、視野も広いすごい人だって言いたい? そんなわけない。確かに結菜はリーダーシップのあるしっかり者だけど、かなり頑固で自分の意見を押し通す。今だってそうじゃないか。
「私だって、男友達とばっかり話してるわけじゃないよ。女性が会話から置き去りになってたら、ちゃんと軌道修正したりもするよ。いっとくけど、女友達を仲間はずれにしてるわけじゃないからね」
「何それ。置き去りにしてるって自覚してる時点で既に駄目じゃん。男だろうが女だろうが、まず会話から置き去りにしないでよ」
結菜の反論は素早い。頭の回転が速くて、常に結菜のペースだ。男友達の方が楽だ、なんて口を滑らせたことを後悔していた。結菜に口喧嘩で勝ったことなんて一度も無い。飲み慣れないワインなんか飲んでたから、私もつい調子に乗っていたのかも。
私が黙り込んでしまっても、結菜は話を止めない。むしろ、満足そうに続ける。
「なんでそんなに男と女で会話を分けようとするの。友達だったらさ、話の内容ってそんなに変わんないと思うけど。くだらないことで騒いで、ストレス発散して。そういうのって男も女も根本的には変わんないでしょ。……芽依もそう思わない?」
「うん……。そう、だね」
芽依は当然、結菜の味方だ。2対1で分が悪すぎる。こんな風に多数決で固まって一方的に責めてくる空気が、まさに女って感じで苦手だ。男性は決してそんなことはしない。
私は結菜に口喧嘩で勝つことは諦め、芽依に向き直った。ひとつだけ、絶対に言っておかなければならない。
「芽依。悠也とは私が親友だから。勘違いしないでね」
この一点だけは譲れない。これを言いたかったんだ。男女の友情が成立するかどうかなんて、私と悠也が既に証明しているんだから、どうでもいい。
「私は悠也君のことは何とも思ってないよ。大丈夫」
芽依の答えは、またしても的外れだった。
やっぱり勘違いしている。私が悠也に恋愛感情を抱いていると思い込んでいるんだ。嫌になってしまう。すぐ恋愛に結びつけて。
それに、芽依の心配そうな目つき。その目つきは何なの?
こんな場に顔を出してしまったことを激しく後悔しつつ、私の怒りは悠也にも向かっていた。
悠也ともしっかり話さなければ。これは悠也のせいでもあるんだ。私と芽依。2人と同じ約束を交わしているなんて、絶対に許せない。
